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学士の連名で﹁肺臓及肝臓ジストー一、虫ノ実験﹂と題し
て、単行本として刊行された。
咋山医学校が廃され、第三高等
明治二
二一
一年
年︵
︵一
一八
八八
八八
八︶
︶岡岡
中学校医学部となり、同二三年七月、東大三浦守治病理学
教授の門下生桂田富士郎︵石川県医学校卒︶が病理学担当
の専任講師として来任し、同二六年教授に昇任した。同二
三年九月から翌二四年九月まで、桂田によって九例の剖験
が行われ、その記録は東京医学会雑誌に掲載された。なお
平成二年十一月十七日岡山大学病理学教室開講百周年記念
式が開催され、演者が﹁岡山の病理解剖事始め﹂と題して
記念講演を行った。
︵岡山大学医学部︶
﹁京都看病婦學校設立趣旨﹂について
渋谷鉱、谷津三雄
明治十九年に発足した京都看病婦学校は、わが国第二番
目の着護教育機関で、同志社をつくった新島襄により創設
された。そこでその設立趣旨や設立時の学校校則について
、、、、
﹁明治十九年十月京都看病婦学校設立趣旨﹂を資料として
述べる﹁彼ノ有名ナルクリミャノ役二英國ノ士卒多ク傷ヲ
蒙リ又多ク病二罹リシカ。︿戦地ナル軍人病院二於テ看病人
、、、
ノ欠乏ヲ告グルコト頗ル急ナリ﹂にはじまり、その看病に
、、、、
、、魁、
あたった功績に対し英国政府から巨額の金をうけたナイチ
、、、
ンゲールがその金で看病婦学校を設立した。このナイチン
ゲールが創立した学校を模範として、﹁米國ノ都府到ル所
トシテ看病婦學校ノ設アラザルハ稀ナリ﹂﹁當今英米二國
二於テ此校一一入學ヲ志願スルモノ甚夕多ク、學校︿毎二其
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シムルコトヲ免レズ、云冬此レ菅一二雷ノ言二非ス我槽
キ疾病モ為メニ治セズ死ヌベカラサリシモノモ為メ|一死セ
法無術ナル看病人ノ為メ空ク無効一一馬スルコトァリ治スベ
如キハ未ダ其端緒ニダモ就カサルノ有様ニテ良髻良藥モ不
需二應ズルコト能ハサル﹂に対し、日本は﹁看病法教授ノ
銀行支店二依頼シ・・・:.本校創立事務假本部︵便宜ニョリ當
テ寄付金募集ノコトヲ委托シ且右募集金預リ方︿京都第一
友中然ベキ人一一京都看病婦學校寄附金募集委員ノ名義ヲ以
ル就テハ今回東京横濱井二京坂神其外各地方二於テ我ガ社
看病婦學校創立ノ為メ廣ク江湖慈善家ノ賛成ヲ仰カントス
終。ヘージには﹁附言﹂として﹁前文趣旨言一一陳述セシ如ク
教授︿専ラ校監教師助教等之ヲ負楯シ病院長モ亦タロ述及
テ多少ノ差異アリト錐毎月凡ソ試圓五拾銭トス。教則一
一束脩井二月謝︿之ヲ要セス。一食料︿物債ノ高低ニョッ
捷精密ナルコト。一生徒修學ノ期限︿一ヶ年六ヶ月トス。
スル丈ケ|一文字ヲ害キ得へキコト。三、事物ヲ観察スル敏
左ノ如シ。一、聖書ノ文義ヲ了解シ得へキコト。二、通用
業ト為ササル者︿此限ニアラス。一生徒入學試験ノ科目ハ
︿三十年乃至四十年ヲ以テ最好トス。但シ看病ヲ以テ其職
三を摘録すると次の如くになる。﹁校則一入学者ノ年齢
が、本資料のなかに折り込まれている。そのなかから二・
を知ることができる。なお﹁京都看病婦学校為則一覧﹂
ム︶迄御送附アランコトヲ乞う﹂とあり、創立当時の苦労
分ノ内、京都寺町通、丸太町上ル新島襄方ヲ假本部卜定
モ亦實地目撃シテ常二遺憾トスルトコロナリキ。以此我悟
今般相謀り乃チ京都二此看病婦學校ヲ設立セント欲ス﹂か
ら、その設立趣旨を知り得る。また﹁今夫レ同志社々員ガ
此事業ヲ發起セント欲スルニ當リ深ク信スルトコロノモノ
ハ即チ此ノ學校ニョリ直接ノ稗益ヲ蒙ル我邦人︿勿論我国
二在留セラルル外友諸君二於テモ皆必ズ此學ヲ賛成シ玉フ
コトナリトス・⋮:此學ヲシテ成就セシムル|天即チ我悟二
於テモ亦其土地ヲ購求シ其家屋ヲ構造スルコトヲ負槍スル
ニ在り而テ今此土地ヲ求メ此家ヲ造ラント欲スルニ當リ概
ネニ千圓ノ必要ヲ見ルナリ⋮:應分ノ救助ヲ惠ミ以テ此業
ヲ遂ゲシメ給ハンコトヲ切望ノ至一一堪ヘサルナリ﹂と設立
に対する募金について述べられている。なお、発起人は
﹁京都府新島襄、京都府山本覚馬、京都府中村榮助、
新潟縣松山高吉、熊本縣伊勢時雄﹂の五名である。最
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科目︿左ノ如シ。一、發泡、火傷、潰瘍、及上創傷ノ治療
術、解剖術、生理學、衛生學及上聖書等トス。一實施修練
病人ノ為メニ實地施術スルヲ得ベシ。一修學科目︿看病
教授ヲ受ヶ病院ノ室内二於テ勤労シ又市中二於テ貧困ナル
二限り時々執行スベシ。一生徒修學中︿理論的及應用的ノ
上實施ヲ以テ之ヲ授クベシ。但シ生徒ノ試験︿専ラ實捻上
於テ有益ノ施術ヲ為シ得ベシ・﹂と結ばれている。
ニシテ或︿慈善ノ事業二或︿公私ノ病院二或︿通常ノ家二
シ。但シ生徒卒業後、勤労ノ場所ヲ操フコト︿各自ノ勝手
徒ニハ其學識及上才能ヲ保証スヘキ卒業証書ヲ授與スベ
とあり、さらに﹁前上ノ規則ヲ遵奉シ全科ヲ卒業シタル生
病院ヨリ給與ス、、へシ、其他ノ衣服︿生徒ノ自辨タルベシ﹂
事スル間ハ袖附ノ前懸、及イ塵除ケノ帽ヲ用1、へシ此服︿
︵日本大学松戸歯学部︶
法、井二蒸湯法琶布剤、等ノ施用法其他、外科小施術。
二、吸角及上水蛭ノ施用井二其後ノ取扱法。三、抜温、捻
豚、及上呼吸ノ捻査法。四、病ノ種類二應ジ、身体及上四
肢二按摩ヲ適用スルノ法、灌腸法及上、﹁カテトル﹂ノ用
法。⋮⋮八、患者二薬剤ヲ給與シ又外科治療ノ時﹁エーテ
ル﹂ヲ適用スルコト。⋮⋮一教師︿生徒ガ看護二従事スル
ニ當リ勉メテ患者ヲシテ其瞥師ヲ信任セシメ又患者ノ事情
及上看護取扱一一付テ其望ム所ヲ察知シテ之ヲ筈師一一通知シ
以テ薔師ヲ補佐ス可キコトヲ教1,へシ、且退校ノ節ニハ切
二此事ヲ勘諭ス可シ。舎則一生徒︿病院構内ノ校舎二起
臥シ且病室二於テハ見習ノ為メ看病ノコトニ従事スベシ。
一生徒︿節制、忠實、静穏、厳粛、清潔、忍耐、深切、機
敏、快活ナランコトヲ要ス。一生徒︿病室ニ在テ其職一一従
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