前田 愛理

作文部門
審査委員長
特別賞
作文部門
「つながり」
優秀賞・
復興支援特別賞
だ
え
り
まえ
前田 愛理 津田塾大学
4年
一人の台湾人との出会い、それが私の学生生活を大きく変え、私と台湾をつなぐきっかけ
になった。その凛とした姿と、
優しい笑顔、誰もが振り向くような美貌を持ち合わせた彼女
フジサンケイ
優秀賞
ビジネスアイ賞 「台湾美人」だった。彼女がここへ留学生としてやって
は、まさに私が人生で初めて出会った
来て、台湾に帰るまでの間、時間を見つけては日本のこと、台湾のこと、いろいろなことを話し
た。それまで台湾についてほとんど何も知らなかった私にとって、私の中での「台湾」は彼女
そのものと、豊富な食文化に恵まれた場所、そんなイメージだった。しかし、確実に私の中で
「台湾」
が自分にとって何か特別な場所になるのではないかという思いがあった。
奨励賞
翌年、大学2年の夏、思い切って1人で台湾へ向かった。
「第二外国語として中国語を選択
し学んでいることだし、有名な小籠包を食べてみたいし、1度は行っておかなくちゃ。」とい
う気持ちもあったが、それは表向きの理由で、それよりも彼女との出会いをきっかけにして、
「もっと台湾人を知りたい!」ということが本命だった。だから私は観光名所を巡る旅にする
特別賞台湾人と出会う旅にしようと決め、「国際ワークキャンプ」と呼ばれる台湾の若者
のではなく、
と高齢者の方々、世界中から集まる若者との交流を目的として開催された2週間の活動に参加
した。日本、韓国、香港、
マレーシア、インドネシア、フランス、アメリカ、そして台湾という多国
籍なメンバーが集まり、私たちは台中にある小さな街の老人ホームを訪問した。文化紹介を
したり、一緒に地域のお祭りを企画したり、一人暮らしをしている高齢者を訪問し、何かハッ
ピーサプライズをしかけよう、といった内容である。台湾や世界の同世代の若者と知り合える
こと、そして、幼い頃からおばあちゃんっ子だった私にとっては台湾のおばあちゃんたちと出
会えることがとても楽しみだった。
この2週間は本当に新鮮で刺激的な毎日の連続だった。なぜかというと、唯一の日本人参
加者である「私」は思っていた以上に台湾の高齢者の方々に人気者だったのだ。
「わたし、
日本語はなせるのよ。むかしね、日本にいったことがあってね…」
「あなた日本の演歌うたえ
るかしら? わたしといっしょにうたいましょうよ!」
「どこからきたの? トーキョー! それは
すごいなあ。」台湾語も中国語もまともに話せない私と、台湾のおじいちゃんおばあちゃん。
どうやってコミュニケーションをとればいいのだろう、と不安になっていた私の周りにはいつ
のまにか、ゆっくりだが一生懸命日本語を話す高齢者の方々が次から次に集まってきた。そ
のパワフルさと、明るい笑い声が私を自然と彼らの輪に溶け込ませた。
「日本の踊りが踊りた
い!」という要望にお応えして、ソーラン節を教え、地域のお祭りでは、高齢者の方々とチーム
を組み、舞台に立って、特別賞までもらうことができたのだ。それは本当に感動的で、一生忘
れられない思い出となった。彼らが日本人をこれほど歓迎してくれたのは、日本統治時代に
経験してきたことやその歴史的な背景などから、日本に対して深い思いや懐かしさのようなも
のを抱いていたからかもしれない。しかし、私は「あなたが来てくれて良かったわ」という言
葉を何度もかけられるたびに、
「私」を通して、彼らと日本をつなぐことができているのだ、と
思った。私が訪問した一人暮らしのおじいちゃんは、私が日本から来たことを伝えると、急に
もごもごと日本語を話し始めた。だんだん何を言っているか聞き取れるようになってきたとき
には、
「もう70年ほど話していなかった日本語を、わたしは、今もおぼえている!」と嬉しそう
に、ゆっくりと、私に話してくれた。彼が今まで経験してきた多くのことは私には計り知れない
けれど、そのとき見せた笑顔は確かなもので、私はここに来て、この人に出会えて、小さいけ
れども何か力を与えられた、と思った。今、台湾には多くの日本人観光客が訪れていて、街の
どこかで彼らが日本人に会う機会なんてありふれているのだと思う。しかし、こうやって「私」
が彼らと出会えたことで、日本と台湾のつながりを思い出すきっかけになったのなら、それ
は私にとっても彼らにとっても大切な出会いである。いつまでも両者の心の中に残り続ける
「私」と彼らのつながりになるのだ。
その後1年間の台湾留学を終え、さらに宜蘭と南投でのワークキャンプに参加し、今は台
湾人の食文化と家庭に関する分野で研究に励んでいる。4年前から今までずっと台湾をもっ
と知りたい、という思いを持ち続けてきたのは、日本で出会った一人の台湾人から始まり、そ
の後台湾で出会った人々とのつながりをどんなときでも思い出すからである。今は「私」と彼
らの小さなつながりでしかないけれど、いつか日本と台湾という大きなつながりに貢献できる
ように、私は努力を惜しまない。