人生の終末を考える(奥 保彦)

之0亘5
新春寄務
人生の終末を考える
長崎市医師会会長奥
昨年は、戦後最大の火山噴火犠牲者を出した御
嶽山噴火災害や、広島の士石流災害など、全く予
期せぬ自然災害に遭遇して、突然に人生の終末を
迎えざるを得なかった多くの方が居られる。御嶽
山の火山噴火災害にしても、あの日が秋の紅葉の
最も美しい時期を外れていれば、当日が快晴の連
休に当たっていなければ、火山噴火の瞬間が登山
者の多くが考える山頂での昼食時間帯を避けた時
であったならばなど、重なった偶然のーつでも外
れていれぱ、あれ程までの悲劇とは成らなかった
であろうと思われる。
保彦
いで着せてくれる隣人愛に触れての最期、つまり
人生の終末を迎える事となったのを、彼女の凝縮
された人生と見直すならぱ、この悲劇にも少しの
救いが有るのではないだろうか。
昨年秋に、人生の終末期に関する興味ある報道
が、米国より相次いで二件なされた。共に脳腫傷
の末期と診断された症例で、一方は29歳の女性
で、カリフォルニア州で新婚生活を送っていたが、
余命四か月の末期脳腫傷であると診断されると、
死を選ぶ末期患者に医師が薬剤を処方することが
認められているオレゴン州に転居した。最期は自
今回の災害がそうである様に、人生の最期が、
何時来るのか、どの様な形で迎えるのかを多くの
宅の寝室で、処方された薬剤を自ら服用し、愛す
方は予測も想、像もされていないのが現実と思う
ものである。もうーつは、 19歳の同じく女性で、
高校時代よりバスケットボール選手として活躍し
ていた。大学進学後もバスケットボールを行って
いたが、余命一か月の末期脳腫傷と診断された
最期まで病気と闘うと頑張る彼女を支援するため
に、全米バスケット協会は、彼女の通学する大学
の公式試合日程を二週間早めて組み直した運動
障害が認められだした彼女だが、同僚の協力もあ
り短時間では在ったが試合に出場できた。試合後
のインタビューに、今後も治療に頑張り再び試合
に出場出来るようになりたいたいと言ってぃる
患者の終末期に、何れの医学的な対処が望まし
いのかを判断するのは大変難しいことである。し
しかし、人間の生命が有限である限り、何時かは
人生の終末は必ず迎えなければならないものであ
る人生の終末、つまりは死を、どの時間軸
で見るのかにより、その考えは大きく異なるよう
に私は思う。人生の終末を、死へ進行する時間軸
の方向に見つめるならば、「りビング・ウィル」
(尊厳死官去)や緩和ケア医療などが存在すると
考えられる
る家族に見守られながら穏、やかに死亡したという
最近、瀬戸内寂聴さんの著された「死に支度」
を読む機会があった。彼女は年齢と身体的な弱り
と共に序厶が死んだらね」と周囲の者に話して、
自分の死後の身の回りの処理について指示してぃ
たし、尊厳死協会にも入会していたそうである。
しかし九十二歳を過ぎてから、今後も著作活動を
続けたいとして「書き続けているのは、幽霊の私
嫌がうえでも多く人の「死」に直面せざるを得な
かし今後高齢者が多くなり、「多死者社会」に突
入していく我が国に於いて、私たち医療関係者は、
が書いているの、幽霊はもう死なないのです」と
くなる。この時、医師という上から目線で、終末
著されている
期を「緩和医療」や「安楽死」など画一的な考え
つまり私には、彼女は人生の終末「死」を、進
行方向とは反対方向の時間軸に観て生きょうとし
たのではないかと思われた。御嶽山の噴火災害で
も、親と登山していた少女の遭難報道があった。
で患者に対応するのではなく、十人十色の人生経
験や死」への種々な考えを持つ患者には、それ
ぞれに柔軟な態度で対処する必要があるのかもし
彼女の夢多きこれから人生を考えれば大変な悲劇
であったが、方で大自然の美しさを好きな父親
と満喫し、身に着けたジャンバーを彼女の為に脱
新年にあたり、我が身も含め改めて人生の終末
について考えてみるのも意義あることかもしれな
れなし、
し、
長崎県医師会報第828号平成27年1月