佐藤様よりお礼とご報告のメッセージ - ヒューストン日本商工会ホームページ

ヒューストン日本商工会会員の皆様
昨年より、商工会の HP にもご厚意で掲載させて頂いておりました娘の件で、ご報告い
たします。
私の娘、ジェイミーは、11月6日午前8時18分に、家族に囲まれ9年半の生涯を終
えました。
2012年12月10日に末期の Desmoplastic Small Round Cell Tumor (DSRCT)( 線
維形成性小円形細胞腫瘍)という珍しい癌であることが分かりました。その時点で、1
年もつか…といわれましたが、抗がん剤治療を続け、2013年11月7日、摘出手術
を受けることができました。しかし、手術を担当した医師からは、腫瘍の転移があまり
に広範囲で全摘出が不可能だったため、余命2~3か月と言われました。それにもかか
わらず昨年、1周年記念をし、あと2回でも3回でも記念日を重ねていこうね、と喜び
合っておりましたが、その2周年記念の1日前にとうとう力尽きました。
娘は死の2週間ほど前から、酸素マスクが必要になり、予定していたオハイオ行きをキ
ャンセルして、Texas Children’s Hospital に入院いたしました。その時は、病状も
安定し、MD Anderson で放射線治療も行い、回復してオハイオにいけるものと考えてお
りました。入院中の治療は、お医者さんとも相談しながら、必要であると思えることを
やっておりましたが、今は「ああすればよかった」「こうすればよかった」、という後
悔で、考えれば考えるほど自分たちの無知と無力を責めるばかりです。
娘の葬儀は、11月13日にお通夜を、翌14日にお葬式をとり行いました。
お通夜は、6時から8時まで、Funaral Homeのチャペルで行われましたが、
平日の夜にもかかわらずたくさんの方にお越しいただき、ほんとうにありがとうござい
ました。また、商工会と、会員のたくさんの皆様からも、お花をおくっていただきあり
がとうございました。お花が好きだった娘は、美しい花に囲まれてとても喜んでいたと
思います。
翌日のお葬式は、娘が埋葬される予定の霊廟の中のチャペルで行われました。現地校1
年生を3か月通ったところで病気が分かり、それから学校に行っていなかったので、同
じくらいの年のお友達がほとんどいなかった娘ですが、葬儀には補習校の児童や生徒た
ちも来てくださって、うれしかったと思います。ありがとうございました。
式では、娘が生前、病院内にあるレコードスタジオで吹き込んだ自作の歌を聴いていた
だき、牧師さんに娘について簡単に紹介していただいた後、娘の担任だった先生方から
娘にまつわるエピソードをお話しいただきました。
最後に、JASHのご厚意で用意していただいた風船を、ご出席くださった皆様全員が
ひとつずつもって、一斉に空に飛ばしました。色とりどりの風船が空に舞い上がる様子
は、とても美しく楽しげで、娘が風船につかまって天国に上っていったかと思うほどで
した。
娘は、「My Little Pony」の大ファンで、今年のハロウィーンには、その中でも一番お
気に入りのレインボーダッシュというキャラクターのコスチュームを着るのだと言って、
私と一緒に買い物に行き、自分で一つ一つ選んできました。
しかし残念ながら、ハロウィーンの日は、入院中で具合が悪く、コスチュームを着るこ
とはできず、そのまま一度もそれを着ることなく旅立ってしまいました。レインボーダ
ッシュはペガサスですので、羽があります。そのコスチュームを着せると、羽がついて
天使のようでした。
娘は、珍しい癌であったことから遺体を献体し、癌細胞はすべて切除されました。この
癌細胞は貴重なサンプルとして、各研究者、研究機関に送られることになっております。
そして切除後、病理解剖して癌がどのように広がっていったかも調べたとのことです。
娘の死が、このような形で、わずかでも将来の癌研究の一助となれば、私たちの、また
娘本人の希望であり喜びであり本望であります。
しかし何と申しましても、度重なる余命宣告を受けながらも3年間、ここまで頑張って
こられたのは、皆様のご支援のおかげに他なりません。商工会のウェブサイトをご覧く
ださった皆様からご寄付いただいた基金は、他州での治療のための交通費、宿泊費、保
険のきかない検査や治療のための費用に、大切に使わせていただきました。ありがとう
ございました。
また、最後に幼くして旅立ってしまった娘のために、娘が生前から夢見ていたポニーの
国にイメージがとても近かった Memorial Oaks 墓地の霊廟の一角を墓所としたいという、
私たちの最後のわがままのために使わせていただきました。その墓所購入のために、娘
の死後も、たくさんのご寄付をいただきましたことに感謝いたします。
長いようで短かった3年間でしたが、病気でもいいから生きていてほしいと、今痛切に
思っています。お葬式が済むまでは、娘がもういないことが実感できず、夢の中にいる
ようでしたが、日が経つにつれてその現実が身に沁みてきて、今日は昨日より辛く悲し
く、ふと気づくと息を殺していて、吐く息はため息になっていきます。明日は、今日よ
りもっと辛く悲しいのでしょうか。
それでも、私は、たくさんの方が娘と私たち家族を応援してくださり、見守っていてく
ださったことを知っています。皆様から折に触れてかけていただいた温かいお言葉やご
支援に勇気づけられ、元気づけられたここまでの道のりは、私たちの人生の宝物です。
また、娘から、私たちがこれからの人生を大切に生きていくための贈り物であるとも思
っております。
娘が私たち家族に残してくれたものは大きくかけがえのないものです。人生の三分の一
を病気と闘いながら過ごした人生は、辛いことも多かったですが、たくさんの友情と愛
情に包まれ、私には笑顔の思い出もたくさんあります。いつも朗らかで楽天的だった娘
を思い出しながら、私も明るく生きていければと思います。
そしてこれからは、この珍しい癌を克服する道を見つけるために、何らかの形で力を尽
くしていきたいと思っています。
皆様、これまで大変お世話になりました。ほんとうにありがとうございました。心から
感謝申し上げます。
最後になりましたが、皆様のご健康とますますのご発展を、心よりお祈りいたします。
ありがとうございました。
佐藤暁子