ΦΦΦ 母校の風景 ΦΦΦΦΦΦ 校 長 三 輪 秀 文

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母校の風景
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三 輪 秀 文 
私が中学時代を過ごした校舎からは、美しい七尾湾を望むことができた。天気の具合によっては、
湾のはるか彼方に、うす紅色に染まった夕映えの立山連峰が浮かび上がることがあった。その雄大な
風景は、今もまぶたに焼き付いている。その母校のすぐ裏に、かがんだ黒い牛のような石が点在する
小高い丘があり、そこからは小さな田舎町が一望できた。天気のいい昼休みには、その石を足場に丘
を駆け上ったこともあった。私にとって、そこが思春期の原風景なのかもしれない。私の土台をつく
った大切な想い出ばかりか、忘れてしまいたい苦々しい思春期の記憶すら、母校の風景がよみがえら
せてくれる。
自らの中学時代を振り返ってみるにつけ、毎年、卒業式を直前に控えたこの時期に考えることがあ
る。卒業する子どもたちにカメラを一台ずつ持たせて、自分の大切な一枚だけ写真を撮らせてみたら、
三中のどこの、何を画像として切り取ってくるのだろうか。そこに、ありふれた風景が納められてい
たとしても、その生徒にとってはかけがえのないアングルであり、その生徒にしかわからない思い出
や物語がひそんでいるにちがいない。
かつて、思春期の葛藤を抱えて、長く教室に入れずに卒業を迎えた生徒にかかわったことがある。
その生徒が過ごしたのはグラウンドの見える狭い相談室であった。卒業式にも参加できなかった彼女
のために、その相談室でもう一つの卒業式が
開かれた。ささやかな式が終わった後、彼女
はカバンからカメラを取り出し、目を涙でい
っぱいにしながら、いつもの席から、いつも
の風景を切り取った。「ここが支えてくれま
した」と…。彼女の「卒業」に触れた瞬間で
あった。1年以上に及ぶ彼女の相談室での生
活は、決して無駄な時間だったとは思わない。
その相談室で、彼女が懸命に紡ぎ出す言葉に
は、私の中学校時代よりもはるかに彼女のほうが自分をしっかり持っていて、懸命に生き抜こうとし
ていることを感じたからである。整理のつかない葛藤に揺れながらも、相談室に通い続けた彼女は、
きっとこの先、人生の節々でその卒業写真をそっと取り出すのかもしれないと思った。そして、この
小さな部屋での体験を、「いまの自分があるのは、あの部屋があったから」と、笑顔で自分の体験を
意味づけるようになって欲しいと願わずにはいられなかった。
生徒一人ひとりには、多感な思春期を過ごした記憶にとどめておきたい居場所があってほしいと願
っている。たとえカメラに納めなくても、自分の目に焼き付いた思春期の原風景は、そこからとぎれ
ることなく、人生のページがめくられていくのだから。卒業を前に、人生をたくましく、豊かに生き
ていくために、巣立っていく子どもたちの心のふるさととなって、いつまでも思春期の郷愁をかき立
てる長岡第三中学校であってほしいと願わずにはいられない。