るのか」という問いは'他人事でな-私 るのでは?」と。「教会の将来に希望はあ たら'〝そして誰もいな- った〃 にな 来はあるのでしょうか。私たちが召され に語りかけてきた。「このま で教会の将 ーの高齢化である。白髪の老婦人が真剣 豊かさを実感した。 様々な違いを持つことに、むしろ福音の それぞ の教会が同じ教団であっても の特権を生かし「主日教会巡り」をした。 同時に共通点も見えた。それはメンバ 牧師を隠退してしばら-の間、フリー 今ここにある希望 - 教会の将来を生かす楽天主義 目で見つめざるを得な- っている。 望」 のメッキが剥げていることを醒めた 幸福になり'未来はバラ色だという「希 ところが今や、歴史の進展と共に人間が 楽天主義が支配していた時代もあった。 かあ-えない」と。かつては、希望への 青年にとって、抽象的な一つの言葉でし た。「希望、それは、われわれ日本の若い 『われらの時代』 の主人公にこう語らせ たちの問いでもある。 文学者大江健三郎は'その初期の作品 キリスト教のキーワ ドはなにか-と 牧 師 土 橋 晃 き、主にある楽天主義者として歩みたい。 -」 (ローマ八‥二八)という信仰に基づ が益となる」確信を持って「神が共に働 私たちを「希望」 へと招いている。「万事 (ローマ五‥三以下)と励ます聖書は、 出した。「希望を生む」「希望は欺かない」 「今こ にある」希望だというのだ。 事実に裏打ちされた希望だというのだ。 たちを「教会」を問い直す作業へと押し 教会員の減少や高齢化は、いやでも私 -、既に実現しているキリストの救いの て具体的に聞いているというのだ。つま だまし事」(二‥八) ではな-'福音とし らかにされると語っている。「むなしい 私たちのうちに働-キリストを通して明 象的な言葉」 ではな-、天に備えられ、 る。さらにこの 「希望」は'単なる「抽 づけ、動機づけるものだという言葉もあ には、「希望」は「愛」と「信仰」を基礎 理の言葉を通して聞きました」。この前後 たがたは既にこの希望を'福音という真 のために天に蓄えられている希望」「あな 語られている。 宛てた手紙一章三節以下にもそのことが える人は多い。パウロがコロサイ教会へ 希望についてはこう語る。「あなたがた いう問いに対し、「信仰・希望・愛」と答
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