再び、「今朝、生かされ、夕べに死に行く存在」である我々に 私達自身の心身の輝きの為に、今此処に私達と共に入れ替わり立ち替わり瓦礫 を片付けや命を繋ぐ炊き出しの、火と土と水を注ぐ者達への感動が、感謝の力へ と変わる。一人では無いと外から聞こえる言葉の奥深く迄、血が通います様に!? 震災から一か月が経ちました。被災地に居られる方々も、居られぬ方々も、30 回の生き死にを経過しました。30回の人生を過ごしました。辛い人生であった であろうか?素晴らしい人生であったであろうか?精一杯、活き抜けたであろ うか?たった一日!!たった24時間!! 朝、生かされてから、夜に死のお迎えが 来る迄の間!! 最期に問われる[預かった心(思考力)と身(行動力)を、命の尊厳 を顕す喜びの道具として]十二分に使わせて頂けたであろうか?と…三万に 及ぶ御霊が、貴方に、貴方にもそして勿論、私自身にも問い掛けて続けています。 私も応え続ける「全ての道具を、喜びの表現に活かし生かす、真ん中の位に ミズカラをポジショニングし続ける(⇔Gコンセプト)」と言う、我空自身のポリ シ-を以って…どの様な大層なお題目も、命を懸け続けねば結びはしないから… 自らは、自らに課される尊い厳しさを(今更、言うのも恥ずかしいが、)一身に負 うのは当たり前で…その道具 で、災厄に喘ぐ方々(が、自ら独りで歩み始めよう とする迄のお膳立て)を支援する行動自体が、更に自らを鍛え、その能力のギフ ト化を強化して行くと言う歓迎すべき素晴らしい社会モデルの礎を築き上げる 私達の内に在った、石川遼と言う命(ミコト)を、即ち“口と心と行いの喜結”を、私達 も顕わしませんか!? 石川遼と言うこの青年の行為は「命の尊厳に対する真摯 な念いが道具を司る」素晴らしいマツリだ 。私達は単純に石川遼選手の心と 行いを真似れば善いのではないのですか?私はそうする。世の中はたった一人 の行為で変わる。私は感動の余り「石川遼マインドカップ」を立ち上げてしまった
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