春彼岸に思うこと

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春彼岸号
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第207号
振込0016010-104918 東京都港区三田5丁目9 -23 (郵便番号108-0073)
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春彼岸に思うこと
けないから'誰かにお世話になって、そのお世話
になった恩返しをしたいと思うわけです。しかし'
の意味での恩返しをすることは難しいようです。
報恩という恩返しをしたくても'なかなか'本当
豊かなる 念(おも)ひに通ふ 母の笑み
そこで'詩に描写される'母と子の間の言葉もい
経典は'次のように説きます。
なるのではないでしょうか。﹃雑宝蔵経﹄という
こころの中に持つだけでも'報恩という恩返しに
らないくらいの豊かなおもいを、普段、私たちが'
言菓なくして 見守られつつ
照井親資
豊かなるおもい、それは、悲しいときも苦しい
ときも'どのような逆境にあっても、ひねくれたり'
それは、自分だけでなく、ふれあう人々にも'きっ
く、こころのことではないでしょうか。そして'
のために心を配ること。困っている人に'席や場
と。自分の身体でできることを奉仕すること。他
やかな顔で接すること。やさしい言葉で接するこ
やさしい眼(まな)差(ざ)しで接すること。にこ
と'こころ暖まる思いを呼び起こさせるものです。
所を譲ること。困っている人に自分の家を提供す
寂しがったりせずに、柔軟に全てを受け入れてい
詩の中で、子は母に見守られています。赤ちゃ
つまり'私たちは一人では生きていけません。多
けません。親から頂いたもので大きくなります。
もができる無財の七庵という布施行です。お彼岸
「ねがい」 であり、決してお金のかからない'誰
これら七つは、豊かなるおもいから流れ出る
ること。
くの縁によって生かされています。例えば'名前
というと、とかく亡き人の冥福を弔う事にだけに
んは、誰かにみてもらわないと、決して生きてい
にしても'親につけていただいて'それを私達は
止められがちですが'自分を見つめ直す'お中日
ところから、七つのことを実践したいと思います。
名乗り、コミュニケーションをとって、社会の中
龍源寺の本山である妙心寺の生活信条に、「生
正しい信心を持てば、自然に豊かなこころを持つ
をはさんだ前後三日間にして、一人一人が身近な
かされている自分を感謝し、報恩の行を積みまし
ようになります。それが'彼岸です。
で生きています。
ょう」とあります。人は決して一人では生きてい
経蔵寄付
金 五万円
金 五万円
金 五万円
日月庵坐禅堂寄付
金 一万四千円
竹下靖子殿
森山英一殿
和久洋士殿
竹内隆幸殿
金 三万四千二百六十四円 龍源寺
e ) 。 音 量 書 . 骨 董 喜 。 官 。 官 尊 。 音 量 ∧ 曾 C 4 . 。 享 尊 書 喜 喜 喜 。 貫 き 喜 。 曾 号 音 B 曾 喜 。 号 。 曾 d
お彼岸法要
左の通りに行ないます。ど家族そろってお参りください。
一、三月二十一日(午前十一時より)
一、読 経
一、法 話
一、会 費(お布施)
※駐車場はありません。南北線をご利用ください。
古川橋下車
魚ラン坂下・古川橋下車
東京駅南口-(目黒駅)-等々力操車場 魚ラン坂下下車
五反田駅-品川駅-六本木ヒルズ
品川駅-新宿駅西口
渋谷駅-新橋駅
G , 喜 〇 号 . 号 音 . 4 . や 貫 き 喜 号 L 曾 さ ま 古 書 . 官 尊 八 台 ∧ 台 寺 . 普 . 曾 喜 〇 号 . 普 . 甘 さ 1 h 含 . 曾 さ 。 書 で す 。 曾 合 音 喜 L l
98 96 97 06
中川一政画伯作 絵画 「梅と椿」
東 反 品 都
師岡恒夫殿
ありがとうございました
*将来は'本堂の裏地を整理して'大般若経を
納める経蔵を建立する計画をしております。
● ● ● ●
と施用院(りゆうしょういん)と
奥平昌成(まきなり)公が、和尚
から頂いた法号「龍源寺殿徳翁道
見入居士」 に囲み'寺社奉行の許
龍期院を「龍源寺」と改称した
のは、当時の五世正天和尚に帰依
した豊前(大分県)中津の城主・
下谷に松嶺寺を開いています)
(松嶺憶尼はこの外に'芝に興禅寺'
行人坂の南に庵を営んで松雪庵と
った松嶺隠尼です。初め目黒の
れいで、アユもすんでいた。松の
知宣一翁が 〝古川の流れも昔はき
の大松は二百五十余年の老松で
えました。
古いお方は、寺の人口の西に大
きな老松があったことをご記憶と
存じます。大戦前に枯れはじめて
危険のため伐りましたが、目通し
一丈一尺'樹齢四百七十余年を数
してよく知られていたようです。
龍渡寺の歴史について(一)
いい'今井村-現在の六本木付近
-にあり、創立年代は明らかでは
ありませんが、永禄七年二五六
可を得たものです。元文四年(一
木の下には茶店があって(松の木
龍源寺に伝えられている占文再
は'第四世の絶外和尚の吉上げに
よる寛文八年二六六八年) の記
録であります。
それによりますと、龍源寺はも
基して同禅師を始祖と仰ぎました。
名づけへ越漢宗格(えっけいそうか
く)禅師を迎え、更に龍糊院を開
四年)以前に逆のぼれるようです。
七三九年) とありますから、二百
ダンゴ)を売っていた。子供の頃
松原 泰道
それは水月観藷(現在当寺安置)
二卜七年前にあたります。
こうした因縁で超渓禅格禅師を龍
るのが楽しみであった″ と、少年
はお寺まいりよりもダンゴをたべ
お楢家のひとりで'今は亡き福
あったわけです。
現在地に移建された時も既にへ か
この点から考えても、龍涼寺が
のみくじ籍などに 「永禄七年改悪」
の文字があるからです。
その後'百二一卜年間のうちに'
粕・龍源開山と仰ぎ松嶺隠尼を龍
期院開基。奥平昌成公を龍源寺開
基と等崇いたします。
「江戸名勝図絵」 に 〟麻布古川、妙
(「施源寺軸」第七号 昭和三十九
ものです(つづく)
時代のわたくしに語られたことを
思い出して懐かしくなります。夜
になるとフタロが淋しげに鳴いた
心寺未龍期院'安産観音堂あり″ と
年十二月十五ロ発行より抜粋)
江戸時代の地理育「江戸砂子」や
六九八年) です。
あり'水月観音は安産の観音さまと
種々の事情で同所から麻布ム‖町'
今井谷町'麻布新町へ転じ'現在
地へ移建されたのは元禄十一年(1
龍期院を開いたのは、米沢の城主
上杉定勝公の女で'後に仏門に人
亡くなると'なすべき事がたくさんあ
させていただきます。いざ、ご家族が
いる葬儀社がない方は'葬儀社を紹介
様で'お葬式をだされる場合'知って
させていただいております。▼お檀家
日に'観音様と松嶺隠尼にお経をあげ
れが今の龍期院観音堂です。毎月十八
ある龍期院の復興を果たしました。そ
借地を戻し境内にし、龍源寺の前身で
年前に遡ります。父である哲明和尚は、
史」を掲載します。全て年代が約五十
より'奉遷和尚が書いた 「龍源寺の歴
で、いつでも御来山ください。▼今号
引き続き、本堂に祭壇を設けてますの
していただきます。檀信徒の皆様は'
表しまして、檀家総代の方々にご出席
だき、寺院の皆様、檀信徒の皆様を代
住職・河野太通老師に導師をしていた
ね。当日は、姫路の龍門寺
を行います。早いものです
和尚・志ずの七回忌の法要
二十八日に泰道和尚・哲明
春彼岸を迎えます。▼五月
る人々の芸術'宗教を感じながら帰国
いと思い'ローマの風土'そこに生き
持ち'和辻がみたローマを'私もみた
﹃イタリア古寺巡礼﹄ の文庫本を手に
ました。学生時代に読んだ和辻哲郎の
それは、一年遅れの新婚旅行にもなり
月に、はじめてイタリアに行きました。
が'墓地もございます。▼昨年の十二
のお墓を使用できます。又'若干です
を守っていただければ'どなたでもこ
もよい永代供養塔です。龍源寺の規則
同船は'墓地の継承者を気にしなくて
区広尾にある東北寺内龍源寺墓地・合
相談もうけさせていただきます▼渋谷
指定業者となります。) 又、生前のご
きます。 (本堂・花園会館使用の際は、
式・家族葬・密葬も執り行うことがで
しくは'花園会館を使用してのお葬
ただきたいと思います。龍源寺本堂も
番はじめに龍源寺にお電話を入れてい
とお葬式ができないゆえに'まず、一
お葬式をだされる場合'僧侶がいない
常に慌ただしい体験をしました。もし、
仏事に慣れている僧侶の私でさえ、非
す。
お会いできること楽しみにしておりま
ます。三月二十一日'お彼岸で皆様と
いただける方'宜しくお願い申し上げ
のお野菜の刻みを行います。お手伝い
月二十日、午後一時より、ちらし寿司
庭と仕事を大切にしております。▼三
弟二人も元気にしており'二人とも家
仕事を両立して、がんばっております。
である客室乗務員のお仕事と龍源寺の
お電話下さい。妻、亜矢も会社の仕事
みいただけたらと思います。詳しくは'
いたしますので'春の一日をおたのし
ーR君津駅から仏母寺までバスを用意
鹿野山・仏母寺で春茶会を開きます。
やかになりました。四月五日 (日) に
です。お茶のお稽古をする座敷も賑
▼母は茶道の先生・民生委員と活躍中
勉強に活かしていきたいと思います。
える必要を感じました。今後の自分の
の感覚みたいなものを'きちんと押さ
哲学・宗教などに於いて'ヨーロッパ
致しました。帰国後'改めて'芸術・
(松原信樹)
りすぎて、慌ただしいのが現状です。