第239回 指揮者 え び は ら さん ひかる 海老原 光 ■プロフィール 1974年鹿児島生まれ。鹿児島ラ・サール中学校・高等学校、東京藝術大学を卒業、同大学院修了。そ の後、ハンガリー国立歌劇場にて研鑽を積む。2004年から2006年まで東京シティ・フィルハ−モニッ ク管弦楽団指揮研究員を務め、飯守泰次郎、矢崎彦太郎両氏の薫陶を受ける。指揮を小林研一郎、高 階正光、コヴァーチ・ヤーノシュ、ユリウス・カールマー、ペシュコ・ゾルタン各氏に師事。2007年ロブロ・ フォン・マタチッチ国際指揮者コンクールで第3位、2009年ニコライ・マルコ国際指揮者コンクール で第6位入賞。2010年アントニオ・ペドロッティ国際指揮者コンクールでは審査員特別賞を受賞。 2010年から2015年まで東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団アソシエイト・コンダクターを務める。 ケストラを指揮し、子どもたちと触 管弦楽団をはじめ、さまざまなオー 東京シティ・フィルハーモニック 楽屋で出待ちをしました。最初は断 手の、 その日初めて会った人に頼み、 いていたことのある演奏家の遠い伝 これまで小学校でのオーケストラ すよ﹂ すし、近所の商店街で買い物もしま ﹁未 来 の 聴 衆 で あ り、直 接 の 担 い コ ン サ ー ト を 行 っ た り、ジ ュ ニ ア 手となる子どもたちにどうアプロー オーケストラの指揮をしたり、子ど ﹁僕 は 顔 パ ス で 入 れ る か ら 君 に あ げ チしたらいいのか、いつも荒川区の ら れ た も の の、 ﹁あ な た の も と で 勉 る。いつでもリハーサルを見におい 子どもたちを見ながら考えていま 強したい﹂と懇願する熱意が伝わっ で﹂と初対面の海老原さんに、ハン す﹂ れあうコンサートにも積極的な海老 ガリー国立歌劇場に入るためのご自 原さん。指揮者としての道をどのよ 身のカードをくれたそうです。 海老原さんの子どもが大好きな様 もと接する機会も多く、荒川区でも ﹁東 京 シ テ ィ・フ ィ ル ハ ー モ ニ ッ 子が伝わります。 たのか、コヴァーチ・ヤーノシュ氏 ク管弦楽団の指揮研究員を終えた後 うに成し遂げたのか、また、東京藝 東京藝術大学を出られて鹿児島で は、コンクールを狂ったように受け 子どもを対象にした仕事ができたら クラリネットを教えていらしたお母 ました。指揮のコンクールは 歳ま は財布から1枚のカードを取り出 様と、教育学の学者として熊本大学 で受けられますが、研究員を終えた 術大学大学院在学中に引っ越されて で教鞭を執られていたお父様のもと のが ヨーロッパでは、どの街にも劇場 いいなぁと思っていたのだとか。 に生まれ、育った海老原さん。お母 国くらい行きました。いくつか入賞 があり、その街の人たちが演奏の善 し、海 老 原 さ ん に 差 し 出 し ま し た。 様の指揮者にしたいという想いもあ して、それがきっかけで少しずつ仕 以来、住み続けていらっしゃる荒川 り、小 さ い 頃 に は、ピ ア ノ や ソ ル し悪しに関係なく、劇場へ足を運び 区への想いについて伺いました。 フ ェ ー ジ ュ、ヴァ イ オ リ ン の レ ッ ス 事をするようになり、今に至ってい 決心したのは 歳のとき 指揮者一本で生きて行こうと ンを受け、鹿児島のジュニアオーケ ます﹂ 歳だったので、2年間で カ ふるさとと重なる荒川区と 年 年先も足を運んでもら 立場でしてみたいというのが海老原 えるようなホールづくりを指揮者の として ます。誰もが自分の街の自分の劇場 街づくりのお手伝いを 芸術文化の振興を通して ストラにも入っていたそうです。そ の後楽器もやめ、勉学に励んでいた 高校2年生の夏、大学進学のための 家族会議が開かれました。 が素晴らしいと聞き、演奏会へ足を 楽監督、コヴァーチ・ヤーノシュ氏 当時のハンガリー国立歌劇場の音 1カ月の間、先生を探し回ることに。 に レ ッ ス ン を 受 け る こ と が 叶 わ ず、 す。しかし、あてにしていた指揮者 かったハンガリーへの留学を決めま いていた小林研一郎先生がご縁の深 本で生きていこうと決め、当時、就 院を卒業する 歳のとき、指揮者一 かせる音楽教育を選択。そして大学 海老原さんは、大学院では両方を活 当初から指揮の先生にも就いていた 藝大で音楽学を学びながら、入学 たんです﹂ い、音楽の道に進むという結論が出 した。しかし両親としっかり話し合 たい﹄と言ったら、びっくりされま 楽 譜 が 見 え た ん で す。﹃音 楽 を や り で勉強している姿を想像したときに に合っている気がするんです。おい の時間とのバランスが、すごく自分 の落ち着きと、人のつながりと一人 ます。荒川区は街の賑わいとある種 ですが、ふるさとの原風景と重なり 近くで、川の目の前に住んでいるん 思ったんです。今、尾久の原公園の 川があるんだ!川の側に住みたいと す。あれ?この風知ってる!そうだ 化通りあたりから川の風になるんで 竹橋のほうへ探しに出掛けたら、電 です。町屋で引っ越そうと思い、尾 て、それが僕にとっての原風景なん んです。甲突川の横には城山があっ があって、その目の前がうちだった ﹁鹿 児 島 に 甲 突 川 と い う 有 名 な 川 かでもお気に入りだそうです。 れ、4軒目となる現在のお宅は、な の海老原さん。区内で3回引っ越さ されてからずっと荒川区にお住まい 年前、藝大大学院の時に引っ越 お話を伺い、来年のフレッシュ名曲 荒川区への深い愛情が感じられる すね。すごく楽しみにしています﹂ クを楽しめるコンサートにしたいで す。誰もがオーケストラとクラシッ ﹁や っ と 荒 川 区 に 恩 返 し が で き ま ト﹄へのご出演が決まっています。 荒川での﹃フレッシュ名曲コンサー の海老原さんは、 来年秋、 サンパール 荒川区への想いをたくさんお持ち 手伝いができたら嬉しいですね﹂ るさとを感じながら、街づくりのお まってきた人たちといっしょに、ふ と思うんです。いろいろな街から集 人たちがふるさとを感じられる街だ だけではなくて、新しく入ってきた ﹁荒 川 区 は、昔 か ら 住 ん で い る 人 ともできたらと話します。 をベルリンに持って行くといったこ ル︶な活動、例えば、荒川区の文化 るグローカル︵グローバル+ローカ さんの夢。地域の魅力を外に発信す 運んだ海老原さんは、この人のもと コンサートへの期待が膨らみます。 子どもたちへの想い 20 35 10 しいお店もたくさんあって楽しいで ﹁今 で も よ く 覚 え て い ま す。大 学 10 33 15 29 で勉強したいと思い、彼のもとで弾 29 情報満載のオフィシャルサイトへアクセス! ACC 公益 ACC 2015年10月号 No.322 I 02 大好きな子どもたち、そして荒川区に 両親から受け継いだ「音楽」と「教育」を。
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