この電波指向方式をアメリカで発表したところ高い評価を得て、1932 年

この電波指向方式をアメリカで発表したところ高い評価を得て、1932 年アメリカで特許
を取得、RCA 社が八木博士と契約、マルコ−ニ社は特許を買い取った。
その頃欧米の軍部ではレ−ダ−電波の指向性を利用してレ−ダ−理論が研究していた。
指向性の電波を応用した八木アンテナを取り入れ、後は効率の良い小型の発信管を開発
するかで、イギリス、ドイツ、アメリカ、フランスがレ−ダ−の開発に着手していた。
英国のバ−ミンガム大学の物理学教室で水冷空洞共振型のマグネトロンを発明、小型で
波長が㎝の強力なマイクロ波を発生
し、これと八木アンテナを組合わせて
世界初のレ−ダ−を創り上げ、1939 年
ド−バ海峡の白い壁上に早期警戒用レ
−ダ−を 18 基実戦配備、1940 年 7 月
10 日ドイツ軍空軍はロンドン空爆開
始、これを待受けるイギリス空軍の※
(ド−バ−海峡を臨む丘に設置されたレ−ダ−)
※バトル・オブ・ブリテンが始まったが、レ−ダ−で来襲機を捕捉して、ド−バ−海峡上
空で待受け高度をとっていた英防空戦闘機隊がドイツ爆撃機編隊を上空から急降下で銃撃、
直ちに内陸部へ避難すると謂う方法で僅か 300 機のスピットハイヤ−戦闘機でイギリス本
土を護り通したが、それを可能にしたのは早期発見に貢献したレ−ダ−の威力だ。
アメリカは海軍が中心となって SCR-268 対空レ−
ダ−完成、 映画「トラトラトラ」にもダイヤモン
ド岬近くの岡の上に移動用の対空レ−ダ−が配置さ
れたシ−ンがあった。
艦船用で電探射撃が可能になったのは 1942 年
10 月 11 日 深夜ガタルカナル島輸送船団護衛艦隊
の重巡と米艦隊が遭遇、サボ島沖海戦で米艦隊が暗
夜の中、敵艦影を目視できない
(ホノルル郊外の丘に設置されたレ−ダ)
状態でいきなり砲撃され、重巡「古鷹」沈没、
「青葉」大破、初めて電探射撃で撃沈された。
この日の海戦から視力対レ−ダ−波の戦いになり、わが海軍の訓練に訓練を重ねた夜間
戦闘が全く封じ込められ戦況は一挙に不利になった。
我が国はどうか、シンガポ−ル陥落の際、イギリス軍から捕獲した技術書の中にレ−ダ
−に関する解説書があり、それを読んだ陸軍技術将校が度々 Yagi-Antenna という語があり、
Yagi の意味が判らず、捕虜になっいたイギリス軍の技術将校に解説を頼んだら「八木を知
らないのか?」と仰天したとのこと。
世界初の指向性アンテナを開発したのは八木博士、そして分割陽極型マグネトロンを開
発したのは同じ東北帝大教授岡部金治郎博士、1920 年
ドイツのドレスデン大学のバルク
ハウゼン教授がマイクロ波動を発見、翌年には米国ジェネラル・エレクトリック社のハル
が 2 極真空管の軸方向に磁界を加えて電子流を制御するマグねと論を発明、1927 年に岡部
博士がハルのマグトロンを研究しているとマイクロ波が発生するのを発見、厚い銅板の中
心に孔を開け陰極と陽極を造って 10GHz の振動を発振させる分割陽極型のマグネトロン
「超短電波発生用真空管」で特許を取った。
このように世界中でも初期に開発しておきながら軍部の無理解で実用化ならず、レ−ダ
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