「映画スター」を演じきった男 勝新太郎 Shintaro Katsu 映画俳優 一九九七年六月二十一日没(六十五歳)、咽頭がん かつとうじ 同期・市川雷蔵を追いかけた三十代 きねや 長唄の三味線方師匠、杵屋勝東治の次男奥村利夫は、一九五四年、勝 新太郎として大映と契約した。同年同期の市川雷蔵と『花の白虎隊』で 共演デビューしたが、ふたりとも当初は大映の大先輩長谷川一夫のミニ チュア・コピーで、化粧も長谷川一夫直伝の「白塗り」であった。 『新・平家物語』 (溝口健二監督) でいち早く「白塗り」を脱したのは、 才能があるのに研鑽を怠らず、主張すべきは冷静に主張する市川雷蔵で あった。一方、勝新太郎はデビューから八十本もの映画に出演しながら、 大映映画を配給する映画館主から「もう勝新太郎主演の映画はつくらな いでくれ」と要請される不人気ぶりだった。 2 勝新太郎 し ら ぬ い けんぎょう 勝 新 太 郎 の 転 機 は『 不 知 火 検 校 』 (六〇年) で悪徳の限りをつくす盲人 を演じたときであった。ついで六二年、今東光の小説を原作とした『悪 名』で河内の朝吉という、暴力的でいて粋なやくざ者を演じて好評を博 した。このとき共演したのが二世中村雁治郎の娘玉緒で、翌年、彼女と 結婚した。 し も ざわかん 「悪名」シリーズは七四年まで十六本つくられたが、おなじ六二年、 子母澤寛の短いエッセイにあった盲人の居合使いの話を『座頭市物語』 として映画化すると、これが当たった。こちらもシリーズ化され、七三 より ちか 年までに二十五本つくられた。 六五年、有馬頼義の小説を原作とした『兵隊やくざ』で、浪花節語り 上がりで営倉入りを繰り返す乱暴な兵隊を演じた。しかし彼は、非力な 「映画スター」を演じきった男 3 インテリの上等兵、田村高廣のいうことだけはよく聞くのである。増村 保 造 監 督 の 第 一 作 で は、 勝 と 田 村 は、 虚 無 的 だ が 親 切 な 慰 安 婦(淡路恵 子) の協力をあおいで、南方戦線に投入されるべく部隊移動中の列車か ら機関車だけを切り離して脱走する。勝が満洲の雪原で蒸気機関車を走 らせながら、「上等兵殿、このままいっそヨーロッパまで逃げちゃいま しょうか」といって終る『兵隊やくざ』もシリーズ化され、七二年まで に九本つくられた。 市川雷蔵は五八年、三島由紀夫の『金閣寺』を大胆に構成し直した市 川崑監督作品『炎上』で、吃音の学生僧を演じて広く注目された。化粧 の 仕 方 に よ っ て ま っ た く の 別 人 に 見 え る 不 思 議 な 特 徴 を 持 つ 雷 蔵 は、 『 破 戒 』『 ぼ ん ち 』 な ど 文 芸 作 品 だ け で は な く「 眠 狂 四 郎 」 「ある殺し 4 勝新太郎 屋」などのシリーズも成功させた。 六〇年代に起こした三つのシリーズによって勝新太郎は、大きく水を あけられていた雷蔵と肩を並べ、興行成績では抜いた。しかし勝とは対 照的な静かな大スターであった雷蔵は、一九六九年、直腸がんで死んだ。 三十七歳であった。 この頃勝新太郎は自ら勝プロダクションをつくり、三シリーズも請負 いで制作するようになっていた。だが雷蔵を失った大映は急速に興行力 を失い、一九七一年に倒産した。 思いつきと無計画の果てに倒産 この間、勝新太郎は安部公房原作、勅使河原宏監督の『燃えつきた地 「映画スター」を演じきった男 5 図』 (六八年) に 主 演、 七 一 年 に は 自 ら の 脚 本 に よ る 警 察 映 画『 顔 役 』 を 監督・主演したが、そのどちらにも見るべきところはなかった。七四年 から勝プロはテレビドラマ制作に転じ、 「座頭市」 シリーズを七九年ま で計百本つくった。 だが、これ以降多くの問題が生じる。 七八年、勝新太郎はアヘンの不法所持で逮捕され、七九年には主演予 定の『影武者』を、黒澤明監督と衝突して降りた。八〇年、テレビドラ マ『警視 ─K』を制作したが、極端な低視聴率のため十三本で打ち切ら れた。それは映画『顔役』と同じく、落着きのない即興的なショットの 積み重ねの作品で、勝新太郎の現場での思いつきにスタッフはただ困惑 した。 6 勝新太郎 ヌーベルバーグ的な即興は入念な準備のもとに行われるということを 理解しないまま、勝新太郎は自分が気に入った映画の方法をなぞろうと したのである。一本二千万円で受けたドラマ制作に三千万円使ってしま うことも少なくなかったのは、納得がいくまで撮り直したから、といえ ば聞こえはいいが、たんなる無計画の結果にすぎなかった。八一年、勝 プロ倒産、負債総額十四億円であった。 翌八二年、長女と長男が大麻吸引事件を起こした。八四年にも再度逮 捕されたその長男を準主役に、八八年、再び自ら監督して十五年ぶりに 映画『座頭市』を撮った。しかし撮影中、長男が手にしていた本身の刀 の切っ先が、はずみで役者兼殺陣師の頸部を貫き、死亡させた。事故と はいえ、あまりにも不用意であった。 「映画スター」を演じきった男 7 九〇年一月、勝新太郎自身がハワイで麻薬所持の疑いで逮捕された。 麻 薬 を 下 着 の パ ン ツ の 中 に 隠 し た と さ れ た 勝 は、 帰 国 後 の 記 者 会 見 で 「今後はパンツをはかない」といった。この件では、五億円をかけたキ リンビールのCFが放映一日だけで打ち切りとなり、スポンサーに訴え られた。九一年にはやはり麻薬関係で日本でも逮捕、九二年、懲役二年 六ヵ月、執行猶予四年の判決を受けた。 「映画スター」を演じきった男 若山富三郎は勝新太郎の二歳上の実兄である。一九五五年に新東宝で デビューしたが、東映、大映と移籍。おもに「白塗り」ですごし、大映 では城健三朗と改名したが、弟とよく似ていることがむしろ出世を妨げ 8 勝新太郎 た。ただし殺陣は、中村錦之助についでうまい、と「鞍馬天狗」の大先 輩嵐寛寿郎に評された。 六六年、東映に再移籍して芸名を若山富三郎に戻し、任侠映画に数多 く 出 演 し た。 そ の う ち の 一 本 が『 博 奕 打 ち 総 長 賭 博 』 ( 六 八 年、 山 下 耕 作監督) で、 三 島 由 紀 夫 は 南 馬 込 の 自 宅 か ら 遠 く 阿 佐 ヶ 谷 の 二 番 館 ま で 見に行き、鶴田浩二と若山富三郎の演技を「ギリシャ悲劇」のようだ、 と雑誌「映画芸術」に書いた。 七 八 年、 若 山 富 三 郎 は 侠 客 か ら 一 転、 大 岡 昇 平 原 作 の テ レ ビ ド ラ マ 『事件』で弁護士役を演じた。また『衝動殺人 息子よ』 (七九年、木下恵 介監督) ではブルーリボン主演賞と日本アカデミー賞主演男優賞などを 得た。八九年には松田優作とともにアメリカ映画『ブラック・レイン』 「映画スター」を演じきった男 9 に出演して、醜聞で低迷する弟と対照的な仕事ぶりを見せた。 弟は取り巻き数人を連れて飲み始めると必ずはしご酒になり、そのた びに人数は膨れ上がった。アイスペールに高級ブランディを注いで回し 飲み、高い勘定を文句もいわずに現金で払った。 それでも、まったく酒を飲めない兄との仲はよかった。しかし極端な 甘党の兄は糖尿病を悪化させ、またタバコの吸い過ぎから心臓の冠動脈 をつまらせたが、節制しなかったのは弟と同じだった。兄が亡くなった のは一九九二年四月二日、六十二歳であった。 九六年五月、勝新太郎は玉緒夫人と大阪の舞台『夫婦善哉』で共演し た。しかし、その頃から声が出にくくなり、咽頭がんにより入院したの 10 勝新太郎 は夏であった。十一月には退院して記者会見の席で、医者に禁じられた タバコをわざとふかすパフォーマンスを見せた。 九七年一月に再入院、同病の患者であった萬屋錦之介と顔を合わせて も、互いに言葉を発することはできなかった。勝新太郎は九七年六月二 十一日に亡くなった。兄より長生きしたというものの、まだ六十五歳に すぎなかった。 中村玉緒は、あの世へ行っても夫が恥をかかないように、と棺の中に 五百万円を入れた。夫が生涯をかけて演じた「映画スター」という豪放 磊落な役をまっとうさせるために、五百万円を煙にしたのである。 「映画スター」を演じきった男 11
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