展望台

展望台
着 任 雑 感
平成27年3月に、海上幕僚監部装備部長から
技術研究本部技術開発官(船舶担当)に着任し
た舩木と申します。
技術研究本部の他の技術開発官の下には副開
発官は一人しかいませんが、船舶担当の技術開
発官の下には研究開発を担当する副開発官と艦
船の設計を担当する副開発官、二人の副開発官
がいます。
研究開発担当副開発官の下では、スノーケル
時間を短縮して被探知防止を図るスノーケル発
電システム、探知能力を向上させたソーナーシ
ステム、浅海域での性能を向上させた魚雷など
の潜水艦搭載装備品、可変深度ソーナーシステ
ム、自律型水中航走式機雷探知機などの水上艦
舩木 洋
搭載装備品の開発を行っています。また新戦術
情報処理装置、新型レーダシステム、マルチ
ファンクションレーダ(FCS-3)の性能向上な
どの研究を行っています。
設計担当副開発官の下では、最新のリチウム
イオン電池を搭載した潜水艦、イージスシステ
ムを搭載した護衛艦などの基本計画、基本設計
を行っています。そして、現在、研究開発中の
装備品を搭載する次世代潜水艦や海上自衛隊が
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防衛技術ジャーナル September 2015
構想を練っている新しいコンセプトの護衛艦の
は「技術報国 海軍中将都築伊七謹書」と記され
試設計などを行っています。
ています。この文字を揮毫した都築伊七海軍中
さて、わが国周辺の安全保障環境が大きく変
将は、このあと旧横須賀海軍工廠で工廠長を務
化して、厳しい状況になるなかで、一昨年に国
めた機関将校です。当時の技術者の心意気を示
家安全保障会議が設置されて以来、積極的平和
すこの石碑は、終戦後10年間の英連邦軍接収の
主義の下、国家安全保障戦略、防衛計画の大綱、
後、技術研究本部の旧第一研究所、そして現在
中期防衛力整備計画が定められ、安全保障に関
の艦艇装備研究所に受け継がれてきました。
する取り組みも大きく変化しています。
旧海軍は、艦船や航空機が主体となる海上作
今回の国家安全保障戦略と防衛計画の大綱で
戦では、その技術の優劣が勝敗を決定する大き
画期的なことは、誰も語らなかった防衛産業に
な要因であり、技術的優位の確保が非常に重要
スポットを当てたことだと思います。防衛産業
であるという認識が強く、当時の最新技術を駆
を日本の安全保障の重要な基盤と位置づけて、
使して世界に誇る零戦や戦艦大和などを生み出
これを維持・強化していくこととし、防衛生
してきました。この考え方は現在の海上自衛隊
産・技術基盤戦略を策定しました。さらに、防
にも引き継がれています。海上自衛隊では、こ
衛装備品の海外移転を日本の安全保障のツール
の石碑の拓本を旧海軍技術陣の気概を示す象徴
として戦略的に活用していくこととし、武器輸
として、広島県江田島にある第一術科学校の旧
出の全面的な禁止を見直して防衛装備移転三原
海軍関係の資料が保存されている教育参考館で
則を閣議決定しました。
展示しています。
そして、装備品の開発から取得、維持まで一
技術を以て国に報いる「技術報国」、ちょっと
元的に管理して装備取得の効率化・最適化を図
古めかしい言葉ですが、これは現在にも十分通
るとともに、防衛装備移転三原則に基づく輸出
じる精神だと思います。技術の進歩が著しい現
や国際的な共同開発を推進する防衛装備庁を新
代にあって装備品が高度化し、複雑になり、そ
設することになりました。経理装備局の装備グ
の技術の優劣が勝敗に与える影響はますます増
ループ、各幕僚監部の装備品調達部門、装備施
大しています。ここで技術的優位を確保するた
設本部、技術研究本部が防衛装備庁として一つ
めには、防衛技術のフロントランナーとして常
にまとまります。これに伴って技術研究本部創
に最先端の技術的課題にチャレンジしていかな
設以来、約60年間にわたり28代も続いてきた技
ければなりません。たとえ技術研究本部が防衛
術開発官(船舶担当)の名前にも終わりが近づ
装備庁と名前が変わっても、旧海軍からの伝統
いてきました。
である「技術報国」という精神は、国家の安全
平成12年に技術研究本部が市ヶ谷に移転する
保障における科学技術の重要性を象徴する言葉
以前は、技術開発官(船舶担当)の開発部門は
として、また旧海軍以来の技術者の気概として
三宿、設計部門は目黒にあり、技術開発官(船
将来に引き継いでいかなければならないと思っ
舶担当)は、この二ヵ所を行き来していました。
ています。
目黒は旧海軍の目黒海軍技術研究所があったと
ころで、今も技術研究本部艦艇装備研究所がそ
の建屋の一部や巨大な実験水槽などを使用して
います。
(防衛省技術研究本部 技術開発官〈船舶担当〉、
海将)
この目黒の艦艇装備研究所の門を入って少し
歩くと左手にひっそりと佇む黒い石碑がありま
す。この石碑は、旧海軍の目黒海軍技術研究所
が紀元2600年の記念として建てたもので、表に
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