林陽寺・智照院の大般若について

林陽寺・智照院の大般若について
当大般若 600 巻は、明治初年「関市春日神社の神宮寺であ
った大雄寺の常什」が廃仏毀釈により廃寺になった折、岩田
の村民が明治5年(1872)5月求めて2カ寺に納めたもので
ある。この大般若は、元文 3 年今から 275 年ほど前に大雄寺
の法印義旭が修復して調えたもので
ある。その時に、春日明神のお使い
である「鹿と紅葉」をあしらった表紙
を作成し、600 巻全てに資料1の木
版を押し整備したものである。その
時に協力し、書写した人物「橘屋九
兵衛 30 歳、龍眠、高谷次助」等が
協力している。資料2。
資料1
寛延 2 年、今から 264 年頃のさらに修復し、大切に扱われてい
たようである(資料3)
。
資料3
平成 22 年 1 月 林陽寺 12 世が当大般若を
修復中、春日版と称して使用していた大般若は、書写が約半数あり、
ベースは版木によるものではあるが、すでに大雄寺に入る前に現存し
ていた経典を整理して常什にしたようである。
ベースになった「600 巻」は、なんといまから 650 年も前の室町時
代のものが含まれていることが判明した。足利義満の時代に書写され
てもであった。資料4
書写した人物の一人は、資料5のとおり権少僧都栄尊とか浄澄など
資料2
の真言宗僧侶の名が見られるが、特に多いのは金資榮尊なる人物で大半の経典を書写して
いる。
また、年号としては、貞治 6 年・應安元年と
は、西暦 1367 年・1368 年、今から 647・646
も前である。
資料5
資料4