鶯谷中学・高等学校 series 高校数学こぼれ話 第 22 話 渡邉泰治 数学科部長 ■「できない、存在しない」ということは何を生み出したか 一般に、「できる、存在する」ことを示すより、「できない、存在しない」ことを示すことのほうが難しい。たとえ ば、「埋蔵金を見付ける」のではなく「埋蔵金はどこにもない」ことを示そうとすると、あらゆる場合を調べ尽くさな くてはならず、不可能に近い。 数千年の数学史を顧みると、「できる、存在する」ことを追究することで様々な知識体系が形成されてきた。一方、 「できない、存在しない」ことについても悪戦苦闘の議論があり、それにより新たな概念の世界が切り拓かれた。 この第 22 話では高校数学に関連した「できない、存在しない」ことがどのような役割を演じてきたか紹介しよう。 ● 無 理数 は 本 当に 存 在す る の か 有理数は 2 つの整数 m, n 0 n '0 1 により m 4 で定義され、その存在は容易に受け入れられてきた。たとえば は 1 n 3 を 3 つに分割した 4 つ分を意味し、その大きさは身体的な経験から自然に想像できる。これに対して無理数は m で表 n せない数、すなわち「できない」数として定義される。これは身体的な経験的を超えたところで定義されているので、 その存在が歴史的に長い間疑問視されてきた。たとえば、U 3 は 2 乗して 3 となるような正の数であるが、「○○であ るような」という間接的な表現であるから有理数のように実体として受けとめ難い。その結果、そのような数を表現す る方法やその値を高精度で生成する技術が確立するまでには千数百年を要した(第 2 話参照)。 m と仮定して矛盾を生じさせる論 無理数の存在の証明は背理法による。たとえば、U 3 は有理数、すなわち U 3 = n 法を使う。無理数を見い出した意義は、「できない」という数の存在を議論することを通して、無限や極限や連続性な どを扱う新たな概念と手法を生み出したことにある(第 1, 9 話参照)。 ● 実 数以 外 の 数は 本 当に 存 在 する の か 16 世紀頃、2 次方程式 x 2 -1=0 には解が存在するが x 2+1=0 には解が「存在しない」ことが問題視された。そ こで、 i 2 =-1 となる虚数単位(imaginary unit) i を使って a+ bi と表せられる数を創造して、すべての 2 次方 程式が解を持つようにした。しかし、当初 i は imaginary(想像上の)であり、役に立たないと受け捉えられていた。 i の存在と意義が確固としたものになるには、オイラー( Euler, 1707 - 1783年)やガウス(Gauss, 1777 - 1855年) などの研究により i の役割が揺るぎないものとなってからである。具体的には、オイラーにより指数関数と三角関数と を結びつける役割、ガウスにより複素数平面上の実体としての役割が見い出された(第 19, 20 話)。i は現在では科学 技術の多様な分野において、現象を表現するときの手法として欠かせない存在となり、現代文明を支えている。 ●図形は必ず作図できるのか 古代ギリシアの幾何学の三大作図問題と言われている難問 ① 与えられ円と同じ面積の正方形を作図できるか(円積問題) ② 与えられた立方体の体積の 2 倍の体積をもつ立方体を作図できるか(立方体倍積問題) ③ 与えられた角を三等分する角は作図できるか(角の三等分問題) がある(図 1)。これらは現在では「できない」と決着しているが、なぜできないのかを論証 することを通して数学の世界が飛躍的に発展し、i 同様に現代文明を支えるに至っている。 h h h 図 1 :三大作図問題 「作図する」とは、定規とコンパスによる有限回の操作で図形を描く幾何学上の営みであり、古くから思考訓練とし て人類を魅了し続けるとともに、物作りにおける計量として大きな役割を果たしてきた。これらの問題は、「作図する」 ことを「計算する」ことと同一視することで否定的に解決された。「同一視する」とは次のことを意味する。デカルト (Descartes, 1596 - 1650年)により導入された座標平面を用いると、「作図する」ことは「直線:ax +by+ c =0 と 円:0 x -p 1 2 +0 y - q1 2 = r 2 との連立方程式である 2 次方程式を繰り返し解く」ことに帰着できる。したがって、2 次方程式を繰り返し解いて実現できる値ならば作図可能ということである。 3 2 立方体倍積問題では、これを解くには x 3=2 の解 U の長さを作図することになるが、 2 次方程式の解法である平 方完成(四則演算)と開平演算をどのように繰り返しても 3 乗根は実現できず、作図不可能であることが分かった。 また、角の三等分問題も作図不可能であり、その証明の概要は次のとおりである。ここでは 60, の三等分を考える。 h=20, , cos h =x とおくと、cos60, =cos 3 h= 4 cos3 h - 3cos h =4 x 3 - 3x = 1 であるから、8x 3 -6 x -1=0 2 を満たす。結局、この 3 次方程式の解は 2 次方程式を繰り返し解いて実現できる値の範囲になく、作図不可能である。 さらに一般的には、 1837年にヴァンツェル(Wantzel)により不可能であることが証明された。 円積問題では、p が超越数(代数方程式 a n x n +a n -1 x n-1 + …+ a 0=0 の解とならない数)であることが 1882 年 にリンデマン(Lindemann)により証明され、それは 2 次方程式(代数方程式)の解ではなく、作図不可能となった。 このように、これら幾何学の世界の三大作図問題は約二千年の「できる、存在する」「できない、存在しない」の議 論を通して、代数学や解析学の世界を飛躍的に発展させた。 ● 解 の公 式 は すべ て の代 数 方 程式 で 存在 す るの か 第 6 話では「2 次方程式が代数的解法で解けるならば、3 次、4 次、5 次・・・はどうか」という探究の歴史を扱った。 そこでみてきたように、16 世紀頃には 3 次、4 次方程式の代数的解法が競い合うようにして発見されたが、その後約 30 0 年経って 5 次以上の方程式の代数的解法は「存在しない」ことがアーベル(Abel, 1802~1829)によって証明された。 この「存在しない」ことの証明の手法はガロア(Galois, 1811~1832)によって洗練された。さらに彼は、演算がで きる数の範囲を構造化する「群論」を確立し、抽象代数学の扉を開いた。 ● 正 しい こ と は必 ず 証明 で き るの か 前述の背理法は、「できない」ことを証明する強力な論法である。実際、「できる」と仮定して矛盾を引き出すこと は、「できない」ようなあらゆる場合を調べ尽くより容易であり、数々の命題がこの論法によって証明されてきた。 ところで、この矛盾とは何だろうか。矛盾とは、公理系において「ある命題 P とその否定 ¬P が同時に真である状況」 のことである。数学者のみならず多くの人々は、このような状況は「あってはならない」し「あるはずがない」、つま り命題の真偽は、いずれかが証明されると考えてきた。このような公理系の在り方を「公理系が無矛盾である」という。 .. これに対して、ゲーデル( Godel, 1906-1978年)は1930 年に「不完全性定理」という衝撃的な事実を証明した。こ の定理は次の 2 通りあり、 ① (ある種の)無矛盾な公理系において、肯定も否定もできない命題が存在する ② (ある種の)無矛盾な公理系において、自身の無矛盾性を証明できない である。これらの定理を簡単に言うと、「真か偽かを決定できない命題がある」「自身の正当性を自身では証明できな い」ことを意味する。この定理は「論理的な考察を続ければいずれ真理に辿りつける」という考えを揺るがすものであ り、多方面に衝撃と影響を与えた。一方、この定理の解釈として「公理系の限界を数学が示した」とも考えられ、数学 の存在意義を示した定理と理解されている。つまり、この定理により人間の理性が一段階深まったとの評価である。 以上、数学において「できない、存在しない」ことを巡る議論を概観してきた。それらは人類の認識の前に大きく立 ちはだかったが、それを打ち破るたびに新たな世界が拓かれた。
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