フィリピン残留日本人2世・帰国者一覧 帰国者 父 の 出 身 性 別 年 齢 出生 年月日 不明 女 79 1936年 7月25日 1 プロフィール 現住所 *3人は兄弟姉妹です アデラ アベ ミオネス ダバオ市バギオ地区 日本人父氏名(アベ ホトホリ) 不明 男 76 1939年 6月29日 2 現住所 ロセンド オボ アベ ダバオ市カリナン地区 日本人父氏名(アベ ホトホリ) 不明 女 71 父は日本人アベ ホトホリ、戦前に日本から数名の日本人とフィリピ ンに渡る。ダバオ市カリナンでアラカキとオオシロという日本人ととも にマニラ麻農園を経営していた。フィリピン人母オボ エロムと結婚 し、4人(1男3女、うち1人は死亡)の子をもうける。戦中に消息不明 となり、戦死か日本へ強制送還されたのかは不明。母から父の日本 の名前が「ホトホリ」であると聞いた。長女アデラは、父が日本の「タ カシ」という場所から来たと母から聞いた。長女アデラの記憶では、 父は中肉中背で、髭を生やしていた。細い目をしており、肌の色は 白かった。当時30代位で母よりも年上だった。父は家族と現地語の バゴボ語で会話をしており、バゴボ語を流暢に話した。アデラの記憶 では、父は食事のときに箸を使っており、家では四角くて低いテーブ ルを使い、床に座って食事をしていた。とても働き者で躾に厳しい人 だった。アデラは日本人学校で習った日本語の歌を覚えている。 きょうだい四人は生まれてから現在に至るまで「アベ」姓を用いてき た。周辺の住民たちから日本人の子と知られ、幼いころは「日本人 の子」と呼ばれた。戦中の日本軍の行為への記憶から「日本へ帰 れ」と言われることがあった。 1944年 7月4日 3 現住所 ドリナ アベ ベニート ダバオ市マリログ地区 日本人父氏名(アベ ホトホリ) 不明 女 83 1932年 5月6日 4 現住所 パシータ マラモト トレス ダバオデルスル州アバドサントス町 日本人父氏名(マラモト マシムラ) 不明 男 79 1936年 4月17日 5 現住所 ロケ ゴ マラモト ダバオデルスル州アバドサントス町 日本人父氏名(マラモト マシムラ) 不明 男 76 1939年 4月15日 6 現住所 エストディ ゴ マラモト ダバオデルスル州アバドサントス町 日本人父氏名(マラモト マシムラ) *3人は兄弟姉妹です 日本人父マラモト マシムラは、戦前に日本人のグループと共にダ バオに渡り、ダバオデルスル州トリニダッド町で大工として働いた。 主に大工として家や家具(ラタン材)作りを生業としていた。父と一緒 に日本から来て、トリニダッド町に住んで日本人にシロマ ジョウホ ウ(姓、名の順)、ハブチ(名不明)、ツガワ(名不明)、キムラ(名不 明)、タツカメ(名不明)、クサジマ(名不明)がいた。彼らは農業、漁 業などを営み、マノボ族のフィリピン人女性と結婚し、家庭を持って いた。父マラモトはフィリピン人の母ゴ トミバイと結婚し、5人の子供 をもうけた(うち2人死亡)。両親は5人の子ども(男4人、女1人)をもう けました。父は静かで、やさしく、フレンドリーで人をよく助ける人でし た。戦前の1940年頃、仕事中に屋根の上から落ち、それが原因で 寝たきりの生活となった。1940年ころに死亡、コマラン町の山の麓 に埋葬された。戦争が始まり、近所にいた日本人は消息不明となっ た。
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