「決め方」 ―2000 年代英国の政軍関係を手がかり

NIDS NEWS
2015年2月号
政策の「決め方」
―2000 年代英国の政軍関係を手がかりとして―
理論研究部政治・法制研究室 助川 康
はじめに
英国のイラクやアフガニスタンをめぐる政策は、議会や独立の調査委員会、研究者やメディアによ
る検証の対象となり、政策決定の経緯や根拠、情報の扱い、軍事行動の妥当性などが取り上げられて
きた。こうした中、英国における政策の「決め方」が政軍関係の機能不全につながる要素を内包して
いることを指摘する論文「適切な人々に依存する――2001 年から 2010 年の英国の政軍関係」が発表
された。著者ジェームズ・ドゥヴァールは、英国の元職業外交官で、国防省に出向して戦略国防安全
保障レビュー(2010 年 10 月)の策定にかかわった経験もあり、現在は王立国際問題研究所(チャタ
ム・ハウス)に籍を置く研究者である。この論文は英国の政軍関係に関する重要な考察を多数含んで
いるが、特筆すべきは「決め方」の質(quality of decision-making)という視点から政策決定の仕
組み自体を論じようとしていることである。そこで本稿では、彼の議論を参照しつつ、政策の「決め
方」について考えてみたい。
1 政軍関係の機能不全?
ドゥヴァールは 2000 年代英国の政軍関係が機能不全に陥っていたと主張し、事例を二つ挙げている。
まず一つが 2003 年 3 月のイラク侵攻である。2002 年 10 月時点では「パッケージ」と呼ばれた次の軍
事的オプションが検討されており、結果としてはパッケージ 3 が採用された。
パッケージ 1:情報面での支援、英国の海外基地へのアクセス、少数の特殊部隊の提供
パッケージ 2:1 に加えて、海空軍による貢献
パッケージ 3:1 及び 2 に加えて、陸上侵攻への参加
戦闘そのものはおよそ1か月で終結したものの、2009 年 7 月に撤退するまで 6 年にわたって英国は
対反乱キャンペーンに従事することを余儀なくされた。にもかかわらず、陸上侵攻が選択された理由
と経緯は明らかでない。このことはイラク戦争全体を検証する調査委員会(通称チルコット委員会)
の関心事にもなっている(チルコット委員会の報告書はまだ公表されていない。なお、軍事的オプシ
ョンの選択以前の問題として、開戦に踏み切ったブレア政権の方針について賛否が分かれている)
。
もう一つが 2006 年のアフガニスタン南部のヘルマンド州へ派兵するとともに同州の北方に展開す
る決定である。同年夏、英軍は州都ラシュカルガーからサンジンやムサカーラなど州北部の都市へ展
開した。南北に延びた英軍の「小隊拠点」がタリバンの攻勢にさらされた結果、派遣規模は当初計画
された 3,300 人から 9,500 人にまで膨れ上がり(一時は1万人超)
、2009 年に予定された撤収が実施
されたのは 2014 年 10 月であった(撤収までの死者数は約 450 で、イラクにおける約 180 を上回る)
。
そのため、ヘルマンド北方展開の決定は下院国防委員会の調査するところとなった。その報告書(2011
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年 7 月)によると、北方展開は 2006 年 5 月に内閣改造で国防相がジョン・リードからデス・ブラウン
に代わった直後に実施されたが、リードは在任中に北方展開を承認していないと証言し、ブラウンは
事後に説明を受けたと証言している。
2 何が問題なのか
ドゥヴァールがこれらの事例を問題視したのは、期待する通りに事態が推移しなかったからではな
い。国益を基準に政策の案を作り、その効果やコスト、リスクに対して多角的に検討を加えた上で政
治指導者が決定するというメカニズムが作用していなかったのではないかと「決め方」の質を問題に
しているのである。
彼によれば、イラクの事例では、首相官邸(首席補佐官ジョナサン・パウエル、外交補佐官デービ
ッド・マニング)は軍事的オプションの選択が国内外の世論に与える影響を考慮に入れつつパッケー
ジ 2 で足りると考えていた。他方、軍はパッケージ 3 を推し、①米国に対して影響力を行使できるこ
と、②戦闘終結後の任務において(米軍に統合されるのではなく別個の)駐留軍として活動できるこ
とを理由に挙げた。しかし、官邸は英国の軍事力は米国から必要とされていないと認識し、また外務
省や財務省は駐留軍としての役割を担うことはリスクであると捉えていた。自伝の中でブレア元首相
は、国防参謀長であったマイケル・ボイスの①(陸軍の役割の比重が小さい軍事的オプションは)陸
軍との軋轢を生じさせる、②米国に影響力を行使できる、という見解に賛同したと書いているが、純
軍事的というより政治的な考慮事項について自ら任命した側近ではなく軍の立場を採用した理由に言
及していないという。アフガニスタンの事例ではそもそも政治指導者が判断する機会を与えられたか
疑わしいようだ。
英軍が運用面で広範な裁量を与えられることは多くの識者が指摘している。ヘルマンドにおける北
方展開は任務の変更ではなく戦術の変更であって現地司令官の権限の範囲内であると軍は主張し、ブ
ラウンは大臣として全責任を受け入れると表明した。他にも 2001 年 2 月に英軍は米軍と共同でバグダ
ッド近郊を空爆した際、当時のブレア首相がそれを事前に知らされていなかった例があるという。運
用について軍の意向・判断を尊重する傾向は政治指導者だけでなく官僚にもみられる。国防省におい
て政治的、財政的な考慮は官僚の役割であるが、彼らは軍の運用については口を出さない。また外務
省は自省の役割を戦闘の前(例えば国連における交渉)と戦闘の後(国家再建・復興)と考え、戦闘
そのものには関心を持たなかった。
しかし、
まさしくイラクとアフガニスタンがそうであったように、
軍事的オプションに関する決定が軍事の領域にとどまらず、思いがけないほどに広範な影響を及ぼす
ことがある。
では、何をどのように決定するのが政治指導者の役割なのだろうか。軍の専門性をどう尊重するの
か。政治任用アドバイザーや官僚はどう位置付けられるのか。政府の中で意見が割れた場合どのよう
に調整・選択すればよいのか。軍事行動と関連政策分野とは一体的に検討すべきなのか。イラクとア
フガニスタンの事例は、政軍関係が「決め方」に関するこれらの難しい要請に応答しなければならな
いことを示唆している。
3 より良い「決め方」
ドゥヴァールによれば、英国の政軍関係は非公式性と職務分掌を特徴とする。ここで非公式性とは
意思決定、政策決定において必要な公式の規則や手続が少ないという意味である。柔軟で迅速で大胆
な決定が容易になる一方、恣意的で不透明な決定も容易になる。次に、職務分掌は政府の組織編制原
理としては不可避の現象とすらいえるが、英国のように役割を分割して担当組織に任せる意識が強い
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ところでは、担当組織の責任感に期待できる反面、担当組織に対するチェックと組織間連携が弱まる
おそれもある。
このように二つの特徴には長所短所の両面があるが、イラクとアフガニスタンの事例では短所の方
が表出してしまった。ドゥヴァールはパウエルの著書から「適切な人々が部屋にいれば、適切に決定
がなされる」という一節を引き、論文のタイトルにも使用しているが、そうだとすればこれらの政策
に関わったのは(パウエル自身を含め)適切な人々、ふさわしい人々ではなかったのだろうか。公式
のルールが少ないところでは、決定の基準やプロセスはその都度異なるため、つまり場当たり的にな
らざるを得ないため、大きな負荷が決定に関与する人々にかかってしまう。
英国の政策決定システムは人的要素に大きく依存している。しかし、全ての部屋を「適切な人々」
で満たせる保証は無い。適材とは何かについて一般論以上の定義を与えることは難しく、適材を配置
できたか否かは結果論となりがちである。むしろ部屋にいるのが誰であっても、できるだけ「適切に
決定がなされる」ようにプロセスを制度化すべきではないのかということこそドゥヴァールの強調し
たい点である。
そこで、軍事力の使用に関するルールの定式化が提案される。この定式化は、戦争権限自体の見直
しではなく、軍事力の使用を決定するプロセスとその決定に関与する者の責務を公定するのが趣旨で
ある。軍が享受する「作戦の自由」は公式の規則に組み込まれることとなる。また、決定に関与する
者の範囲は広めに想定してよい。というのも、ドゥヴァールは国防省における政治家、軍、官僚の任
務を各自特有の排他的なものというよりは相互に切り離せないものと認識しているし、定式化に当た
っては議会の承認を得るよう主張しているからである。さらには国防省の任務を国防省だけで完結さ
せることなく、外務省や国際開発省などの関係省庁の任務と複合的に一連の政策として立案すること
を説いている。つまり、彼は政治や軍をはじめとする各種の異なる立場、知見、専門性を統合・融合
することを求め、その基準と手続の定式化が必要であると考えているのである。
おわりに
決定の結果が問われるからこそ、いかに決めるかもまた問わなければならない。適切な決定は適切
な人々だけでなく適切な「決め方」を要求する。しかし、統治の思想や技術が変化すれば、また安全
保障を規定する諸条件が変化すれば、
「決め方」も変化し得る。ある時代の正解が次の時代においても
正解であるとは限らず、ある国での正解が別の国においても正解であるとも限らない。さらに「決め
方」には価値の選択が含まれるため、
「決め方」を決められないこともあり得る。したがって、より良
い「決め方」を追求する意識的な努力とその継続が必要であろう。
「決め方」の質を向上させる意図を
もって決定の結果の検証と決定プロセスの構造の分析を結びつけたドゥヴァールの議論は、この観点
から高い意義を有するものである。
(2015 年 2 月 18 日脱稿)
参考文献
James de Waal, Depending on the Right People: British Political-Military Relations, 2001-10
(Royal Institute of International Affairs, November 2013).
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