哲学者の歌

企画展
(「短歌について」)
西田幾多郎は哲学者でした。 彼は、 世間話はほと
んどできない代わりに、 誰かが学問上の質問を持って
くると、 目を輝かせて大きな声で語ります。 彼の生活
の中心にはいつも哲学がありました。
《病気で急逝した長男謙を思い作った歌 大
: 正九年六月十六日 山本良吉宛書簡》
11/1 (日) 14 : 00
擔(担)架にて此途ゆきしその日よりかへらぬものとなりにし我子
〔ギャラリートーク〕
死の神の鎌のひゞきも聞きやらで角帽夢みき病める我子は
関連イベント
垢つきて假名付多き教科書も貴きものと筐にをさめぬ
当たり前の話ですが、 そんな哲学者も、 一人の人
間でした。 幾多郎はその実生活の中で人並み以上
に、 苦しみ、 悩んでいます。 家族の死や病気。 妻
が病気で倒れてからは、 彼一人が家庭のさまざまな
問題を背負わなければなりませんでした。 幾多郎は、
こうした実生活の問題に打ちのめされるなかで多くの歌
を詠んでいます。 彼の歌の多くは、 一人の人間とし
ての彼の生活をよくあらわしています。
今回の展示では、 西田幾多郎が生前に発表した
「歌并 ( ならびに ) 詩」、 「鎌倉雑詠」 という二つの詩
作群を、 幾多郎自身の筆による短冊や掛け軸、 書簡
などにより紹介しています。 それらの詩がはじめて
載った雑誌や、 当時の西田が書いていた哲学論文の
原稿なども公開します。
当展について、 研究員が解説します。
■場所 : 哲学館展示室 2 階 企画展コーナー
■参加費:展示室観覧料・申込不要
『思想』昭和 4 年第 84 号
原稿「美の本質」 大正 9(1920) 年
我心ふかき底あり喜も憂の波もとゞかじとおもふ
寸心
「人生には唯、 短詩の形式によってのみ摑み得る
人生の意義というものがある」
真夏日をひるはひねもす犬ころと庭のかきねに戯れにけり
寸心
平成 27 年 6 月 9 日~平成 28 年 1 月 31 日
西田幾多郎記念哲学館 2 階展示室
あかきもの赤しといはであげつらひ五十路あまりの年をへにけり
寸心
哲学者の歌