思いもかけず、ソプラノのアントニエッタ・ステッラにインタビューする機会にめぐまれた。古くからオペラをきいて こられた方であれば、かつて、NHKが招聘していた「イタリア・オペラ団」の一員として来日して、アイーダとか「ト ロヴァトーレ」のレオノーラ、さらに、「西部の娘」のミニーをうたったステッラをご記憶にちがいない。しかし、ステ ッラは比較的はやい時期に第一線をしりぞいた。そのためもあって、今の若いオペラ・ファンの間での彼女の名前のとお りはかならずしもよくないのかもしれない。さらに、ステッラの 残した録音の数もまた、カラスやテバルディのようには多くなかった。それやこれやで、この頃ではステッラの名前がオ ペラ・ファンの口の端にあがることも稀になっている。 なお、当時はステルラと表記されていたが(今でも、NHKの放送ではステルラと発音することになっている)、ここ では現在の、より一般的な表記にならって、ステッラとさせていただくことにする。今回は若いオペラ歌手のマスターク ラスで指導するために、久しぶりに来日した、ということであった。 「あまり東京が変わってしまっていたので、日本に初めて来たような気持になりました」、とステッラは驚きを隠さな かった。なんといったって、ステッラの初来日は一九五六年、今から四〇年も前のことである。ステッラはまた、「当時 は、ローマから東京まで、飛行機で、五二時間もかかったのよ」、ともいっていた。隔世の感があるとは、たぶん、こう いうときに使うべきことばである。 アントニエッタ・ステッラは一九二九年に生まれている。したがって、一九二二年生まれのレナータ・テバルディや一 九二三年生まれのマリア・カラスよりいくぶん若い世代に属し、一九三四年生まれのレナータ・スコットや一九三六年生 まれのミレッラ・フレーニよりいくぶん年上の、イタリア・オペラのプリマドンナということになる。 しかし、オペラ歌手としてのアントニエッタ・ステッラがテバルディやカラスのように騒がれたことは、ついぞなかっ たように思われる。カラスやテバルディは、それぞれ持味としたところはちがっていたものの、まさに一世を風靡したソ プラノだった。しかし、ステッラに、そのようなオペラ歌手としての存在のしかたの派手さはなかった。 ステッラはききての心を一瞬のうちにとらえてはなさない、いくぶん翳りのある素晴らしい声の持主だった。そして、 そのうたいぶりは、イタリア・オペラのヒロインできわだっている性格的な激しさを過度に表現するようなことのない、 独特の慎ましさの感じられるものだった。 強烈な表現は、むろん、それなりの説得力をもち、ききてを感動させもするが、ともすると歌唱を品位に欠けたものに しかねない。ステッラの歌唱は、いつでも、そこから一歩ひいたところでおこなわれていた。ぼくは、昔から、そのよう な慎ましさの感じられるステッラの、激しさをきわだてていなくとも深い味わいの歌唱が大好きだった。 特に、ステッラが、あのイタリア・オペラの神さまといわれていた指揮者のトゥリオ・セラフィンのもとでうたって録 音した「トロヴァトーレ」と「椿姫」の全曲盤を、ぼくは今でもなお愛聴しつづけている。レオノーラやヴィオレッタを うたってのステッラの歌唱には、 カラスやテバルディによったものからは感じとりにくい奥ゆかしさとデリケートさがあ って、なんとも好ましい。 アントニエッタ・ステッラのうたっている「椿姫」の録音されたのは一九五五年で、「トロヴァトーレ」は一九六二年 である。ステッラは、その他にも、思い出すままに列記すれば(カッコ内は録音年代である)、「シモン・ボッカネグラ」 (一九五一年)、「ドン・カルロ」(一九五四年&一九六一年)、「シャモニーのリンダ」(一九五六年)、「ボエーム」 と「トスカ」(一九五七年)、「仮面舞踏会」(一九六〇年)、「ア ンドレア・シェニエ」(一九六三年)、といったオペラの全曲盤を録音している。 これら、いずれの全曲盤においても、ステッラならではの品位の感じられる素晴らしい声と歌唱をきくことができる。 しかし、ここで特に注目したいのはセラフィンの指揮で録音した「椿姫」と「トロヴァトーレ」、それに二度も録音して いる「ドン・カルロ」である。 これらのレコードが録音された当時、つまり一九五〇年代から六〇年代にかけては、オペラの全曲盤が今のように頻繁 に録音されることはなかった。特にメジャー・レーベルでは、周到に準備して、万全のキャストを組んで録音にのぞんだ。 まして、セラフィンの指揮した「椿姫」と「トロヴァトーレ」はスカラ座のオーケストラや合唱団を起用してのレコ ーディングだった。イタリア・オペラの神さまといわれた指揮者がイタリア・オペラのメッカといわれるオペラハウスの オーケストラと合唱団を使って、数あるイタリア・オペラのなかでも屈指の名曲といわれる「椿姫」と「トロヴァトーレ」 を録音したのである。 その全曲盤でヒロインをうたうソプラノに、他のいかなる歌い手でもなく、アントニエッタ・ステッラが起用された。 そのようなことから、当時、ステッラが時代を代表するヴィオレッタ、あるいはレオノーラとみなされていた、と考える ことができる。 そして、「ドン・カルロ」の悲運の王妃エリザベッタこそは、まさに彼女にうってつけの役柄だった。王子ドン・カル ロへの思いを胸にしまって、けなげにも悲しみにたえるエリザベッタを、ステッラは、その品位の感じられる歌唱できか せてくれた。特に、一九六一年に録音されたほうの「ドン・カルロ」におけるステッラのエリザベッタは絶品だった。 しかし、時が過ぎ、時代が変われば、おのずと、空に瞬いていた星も遠ざかり、その輝きが次第に感じとりがたくなる のは世の常である。そして、今、アントニエッタ・ステッラは、オペラのオールド・ファンの胸のうちでのみでかすか に輝きつづけるにとどまっている。 別れぎわに、ぼくは、かつて、あなたのレオノーラやミニーをきかせていただいて、心をときめかせたことがあります、 といった。ステッラは、あら、ご冗談でしょう、その頃、あなたはまだ赤ん坊だったくせに、などと、うれしいことをい ってくれた。 ※シグネチャー
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