当たり前になるために さくら清修高等学校 一年 島 ひかり 私が考える「人権」。それは、人と人とが平等に、支え合ってこの 社会で生きていくうえで必要な、誰もが持っている権利。それを守 るためには社会の中でさまざまな人たちが助け合いながら維持して いくもの……そう思っていました。しかし最近、その人権が守られ ていないのではないかと思う経験をしたのです。 友達と、宇都宮の街を歩いていた時のことです。目的の建物に着 き、中へ入ろうとした時、一人の男の人が目に留まりました。その 方は片手に白杖を持ち少しずつ建物の壁へと近づいていきました。 目の不自由な方と会うのはこの時が初めてでした。しかし、困って いるということはすぐ分かったので友達とその方のもとへ駆け寄り、 声をかけました。その時私はその方の安堵した表情を見て、なんだ かとても申し訳ない気持ちになりました。私たちが来る前もずっと ここで一人困っていたのだろうか。こんなに人通りが多いこの場所 でも、誰も手を貸そうとしなかったのだろうか……そんなことを思 うと、胸がしめつけられるように感じました。確かに、知らない人 に話しかけるのはとても勇気がいることで、それが恥ずかしいと思 う人も多いと思います。しかしあの状況で、恥ずかしいなどという 暇は無かったと思います。目の前に困っている人がいる、それを見 たらすぐに助ける、それが当たり前。さまざまな人たちが行き交う 都会では、そんなことも日常茶飯事なのだろうと私は勝手に思い込 んでいましたが、実際の世の中はそうではなく、少し冷めていると 思いました。 後日、その男の方が、わざわざ私たちの学校に訪ねてくださり、 私と友達、校長先生、学年主任の先生でお話をしました。その男の 方は、終始、私たちに頭を下げながら「本当に嬉しかった。本当に ありがとう。 」と、一生懸命感謝の気持ちを伝えて下さいました。そ の方が帰られた後、校長先生やその他の何人もの先生方が、 「素晴ら しいね、感動した。 」と口々に言って下さいました。もちろん、それ らの言葉はとてもうれしかったですし、温かい気持ちにもなりまし た。しかしその時私は少しの違和感も同時に感じたのです。なぜな らそれは、私たちはそれ程までに褒められ、喜ばれるようなことを した覚えがないからです。後で友達にもその話をしてみたところ、 彼女も同じことを隣で思っていたそうです。私たちは男の方に声を かけた時、少し緊張はしたけれどなにか特別なことをしているよう な感覚はありませんでした。それは、このようなことはいつだって 当たり前のように起きていることで、誰でもやることだと信じてい たからです。しかし私たちがそのことをしてこんなにも褒められ、 うれしがられたのは、やはり、障害のある人、あるいは困った人を 助けるという行為がまだ当たり前になりきれていないからなのです。 私が抱いた違和感の謎は解けましたが、同時にもっと大きな問題に 突き当たってしまった気がします。 最近の日本ではバリアフリーの設備が少しずつ充実してきました。 しかし、バリアフリーが充実したからといって周りの手助けが不要 になったというわけではありません。どんなに便利な機械や道具に 手助けされるよりも、やはり温かい人の心遣いに触れ、支えられる ことのほうを障害のある人たちは望んでいるはずなのです。互いの 手を取り合って助け合うことが当たり前になる社会づくりに、私も 少しでも貢献していきたいと思います。
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