生きているうちは、動いていたい、働きたい。それが私の信念ですね。河合

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福井市
生きているうちは、動いていたい、働きたい。それが私の信念ですね。河合修平さん(U タ
ーン)
私 たちの前に現れたのは、シルバーグレイ
でさらりとスーツを着 こなした紳 士 、福井 三
菱 電 機 機器 販 売株 式 会社 に勤務 する河
合 修 平 さん。河合 さんが働 く同 社の取 り
扱 う商 品 、製 品 、技 術 はあまりにも幅 広 い。
簡 単 に説 明 すると、家 電以 外 の電機 機 器
商 社 といえる。
河 合 さんは、高 度成 長期 からバブル全 盛
へと走 り抜 けた某 大 手 化 粧 品 会 社 に勤 務 、
平 成 18年 の12月に同社 を定年 退 職 し、
地 元 福 井での新 しい人生 に向け、現 在の
仕 事 を始 めることになった。全 国を転 勤 し
ながら前 職を全うし、福井 での落 ち着いた
生 活 についての大人 の話 が静 かに始まっ
た。
定 年 からの新 しい旅立ちを、故 郷に求 めた河 合さん。一 方 、同 社では、日 本 版 SOX
法 、CSR(企業 の社会的 責 任 )等への対応 を整 備 強 化 するための支援 者 を早 期に求
めていた矢 先 であったので、そんな時期 に、県 のUターン情 報 センターから朗 報 が届 い
た。大 手企 業 で管 理 職を歴 任 してきた河 合 修平 さんの存 在だ。河 合 さんの応 募に、
同 社 は二つ返事 で快 諾した。明 日にでも来 て欲しい状 況 だったという。Uターン情 報 セ
ンターの対 応 もよく、河合 さんも、退 社 後に直ぐに同 社での就職 に向 けて活 動 し現 在
に至 っている。
職 種 や商品 も違 う、しかもCSRという企業 責 任の管 理 ということで不 安はなかったの
ですか?という質問 をしてみる。
「私 たちの時代 は、高 度成 長 、学 園紛 争 、バブルからバブル崩 壊 、そして現 在 と懸 命
に生きるしかなかったのです。そんな激 しい波 の中 で戦 ってきましたからね。どんな環
境 でも平 気なんです。現在 も勉 強の繰 り返 しですが、楽 しくてしょうがないですよ。」と
河 合 さんは笑 顔で応 える。
でも高 校 卒業 からずっと県 外 で、河合 さんにとっては逆に経 験の浅 い福井 の環 境に慣
れるのには時 間がかかったのでは?
「いいえ、そこが生まれた故 郷 のいいところなのではないでしょうか。高校 時 代 の友 人
たちにも仲 良 くしてもらっていますし、趣 味も増 えました。中 学時 代 の恩師 が「教 え子 た
ちの絵 画 展 」みたいな催 しを開 いたのです。そこに当 時 の私 の絵 があり、感 激 しました。
そんなきっかけで絵 を描き始 めました。これも、私にとって福井 がいかに広く、深 いかが
分 かった出 来 事でしたね。」
越 前 市 (旧武 生 市)に生まれで、県外 生 活を長 く体 験 し、今 はご家 族 で福井 市 に住 む
河 合 さん。地 元 の方 々も温 かく迎 え入れてくれた。帰 って1年 目 で町 内 会役 員 を務 め、
ご近 所 ともすぐに打 ち解けた。河合 さんは、さらに愛 する福 井を語 る。
「人 がいい、空 気がいい、水 がいい、食 べ物 がいい、仕 事 もいい、ここが故 郷 で本当 に
よかったと思 います。福井 は、世 界に誇れる「ものづくり県」、Iターンの人も、Uターンの
人 も、まだまだ自 信を持って働 けるポテンシャルを秘 めています。私を見てください。こ
こが私 の故郷 、福 井 県なのです。」
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ふるさと福 井 移 住 定住促 進 機 構 (福 井 U ターンセンター)
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