伯耆大山、2 年越しのリベンジ成る!~出雲・松江路周遊を加えて~ 栗秋和彦 2 年前のこの時期、伯耆大山は夏道ルートでもアイスバーンと化して、4 本爪アイゼンは飾りに過ぎず、七 合目付近の急斜面で立ち往生したあげくのまさかの敗退。思いもよらぬ結末にリベンジを誓ったが、あれから 2 年、世俗事に追われバタバタ人生の己には、相棒のH間兄から声がかるまで多少気にはしつつも、こちらか ら催促するには至らなかった。それほどのひたむきさがなかったのかもしれないが、声がかかったと同時に 琴線に触れエンジンがかかったような気がする。ムクムクとリベンジ心が湧いてきたのだから。その意味で持 つべきものは友である。ともあれ山行部分は前回同様、H間兄がしたためたので以下に記し、筆者は物見遊 山な下山後の周辺ルポで報告に替えたい。 ① “帳面を消す”ということ 3 月初旬という時期の伯耆大山は、厳冬の北アルプス級から、西日本のたかだか 1700m 級の雪中登山ま でが、その歳々の積雪状態や気象条件により様々に凝縮された山である。2 年前は、今回の相棒・栗さんと のこ①あり万全の態勢で臨み山頂に立ったから、筆者としては今回の山行を待たずして一応のケジメを既 につけていたことになる。 ただ、昨年はメンバーが違っていたから、このままでは一昨年の相棒に対して は義理を欠いたことになる。一昨年の相棒とは、大分弁で言えば「帳面が消えていない」ということだ。何し ろ「軽アイゼンでも充分」と高をくくった挙句の果てに、山行そのものを台無しにしてしまったわけだから、同 じ相棒とともに“帳面を消す”作業は残されていた懸案事項だったのだ、少なくとも筆者にとっては。 もちろ ん、伯耆大山を“西日本の雄山”と思う気持ちに昔も今も変わりないし、心して臨むつもりで今回も万全の準 備はした。大分→門司を経由して愛車 CX-5 で 500km 以上をひた走って日付が変わった頃大山寺に到着。 午前 2 時車中泊。7 時起床して雑煮の朝食をとり、8 時 35 分大山寺を出発。 大分からはるばる 500 キロ以上をひた走り、日付が変わる頃 に大山寺に到着。車内をフラットに模様替えしたのち、ビール と焼酎、つまみで寝酒。二人での久しぶりの遠出に、往路 5 時間の車中を加えると計 7 時間ほど、飽きもせず話が弾ん だ。午前 2 時就寝。写真:朝食の雑煮の準備。 相棒・栗さん には少し窮屈かもしれないが、テントよりは快適なねぐら。最 近ではこれが定番だ。駐車場の車は既に満杯状態で、遅い 出発の我々は大勢の先行者の後塵を拝すことになった。 ② 夏道登山道 曇り、五合目くらいまでは微風、時おり小雪がぱらつく。道標は一合目から大半が雪に埋まっている。森林 限界過ぎて少し風が出る。気温 0℃くらいですぐに汗ばんできて、時おり衣類を脱いで体温調節を図る。 先行の登山者が多いため雪面はよく踏み固められており、筆者のまだ新しいアルパインシューズは爪先、 踵ともにエッジが良く利き、雪面が小気味よい音を立てながら、快調に高度を稼ぐ。 二、三合目のブナ林を登る 2 態 五合目〜六合目付近を登る 五合目付近稜線からはガスの晴れ間に三鈷峰、ユートピア小屋、宝珠尾根、北壁大屏風岩が時おり望まれ たが、剣ヶ峰や天狗ヶ峰など主稜線はガスの中で結局、往路復路ともに北壁上部から主稜線は終始拝むこと ができなかった。 一昨年アイスバーンで滑落の恐怖すら感じた六~八合目稜線左右の急斜面は、今年はパ ウダースノーだから、気持ちに一昨年とは随分と差がある。また、六合目の避難小屋は完全に雪の中で、そ こでの休憩がてらのアイゼン装着のつもりが、どこが六合目かも正確につかめないままに、一気に八合目ま で上がってしまい、装着の機会を失してしまった。雪質がその必要性を弱めた部分もある、一昨年、固い雪面 にあれほど恐怖したにもかかわらず、だ。 五合目から六合目…しだいに傾斜がきつくなりアルペン的になる 一昨年苦労した七合目付近の急な雪面…今回は快調 八合目から上部でいくらか風がでてくるが、気温はこの時期としては高い。八合目から上は薄いガスに覆わ れ始め、頂稜はややホワイトアウト気味だったが、目印のポールに導かれるようにして、という感じだ。前述し たように六合目での休憩のタイミングを失してしまったこともあり、登山口から体温調節のためのわずかな休 息のみで、実質的にほとんどノンストップに近く、2 時間と 18 分で、何とも呆気なく大山頂上避難小屋に達し た。 九合目の雪原を行く…ポールがあってもホワイトアウトしそう ガスの中の山頂避難小屋 ① アイゼン考 「アイゼンは必要になったら着ける」の原則に従い、結局、最後まで着けずに終わった。大勢の先行者により 踏み固められた今日の雪面なら爪先や踵のエッジが利くから、しきりにアイゼン着用を奨める栗さんの声に 耳を貸すほどのこともない。何も一昨年を意識したわけでもない。結局、上りに 2 時間 19 分、下りに 1 時間 19 分…構えていただけに終わってみれば何とも拍子抜けだ。 ツボ足でどこまで行けるか、12 本爪、軽アイゼン、 チェーンアイゼンのいずれを選択するか…要は、その場その場で最良の選択をすればよいのだ。そのため にはどのようなシチュエーションにも対応可能な備えは、結局のところ必要だろう。 一昨年、12 本爪が必要であった時にその準備がなく、その反省を受けて今回は当然のことながら 12 本爪を 用意した。だけれども、痩せ我慢したわけでもないが今回は使うまでのことはなかった、ということだ。まあそ の間、石鎚山北面、鶴見岳北谷、飯豊連峰石転び沢、剱岳長次郎沢など、随分と場数を踏んだこともあるが。 相棒が使ったチェーンアイゼンのインプレッション ・軽い(300g) ・装着が簡単、短時間 ・10 本爪が爪先、踵、土踏まずをカバー ・クラストした雪面や氷上で威力を発揮 ・爪が短いのでシャーベット状の雪の下りには弱そう ② スマートフォンとケイタイ この二つの文明の利器が近頃の登山者の在りようにも少なからず変化をもたらしている。相棒はまめな性 格であり少しの時間を惜しんで手帳に記録をメモをする、なかなか感心なことだ。が、その一方で、やたらとメ ールのやりとりが盛んだ。さしてゆっくりとは思えない筆者のペースだけれどそれが、そんな余裕を与えてい ると言えなくもないほどに体力に自信と余裕があったのだろう。 地図を広げてルートを確認したり、わずかに 与えられた休息時間に手帳を取り出しメモする光景は、岳人として様になっている、と感じる。その一方、実況 中継のごとく第三者にメールを送る光景は度が過ぎると「おいおい、またかよ」と少々うんざりだが、このとこ ろお付き合いする山仲間の多くが、多かれ少なかれ似たような傾向だ。 因みに筆者は、現在地確認のため スマートフォンで “地図ロイド”と“山旅ロがー”を使っている。もちろん、地図と磁石は必携品との認識に変わ りはないのだが、これからの登山ではスマートフォンは重要なツールと認識している。だが、低温時の使い勝 手に、まだまだ「こうやれば大丈夫」というものをつかみきれていない、そのもどかしさの真っただ中にある。 まあ、今回の両ツールを使う様を傍から観れば、目的手段はどうあれ、電車の中とさして違った光景には見え ない、ということだろうけど…。 ③ 伯耆大山の天気と避難小屋の有難味 登り始めの小雪は五合目付近では陽が高くなったこともありみぞれに、そして九合目稜線では小雪混じりの 風とガスという状況であったが、気温は山頂付近でもせいぜいマイナス 1~2℃程度で、厳しい寒気に遭遇す ることは今回なかった。 左:山頂避難小屋 左:入った直後はこんな感じ、中&右:カップ麺の昼食 10 時 52 分、大山山頂避難小屋に入る。いくつものヘッドランプの灯りの下で暖かそうな湯けむりが上がっ ている。我々も手探りで奥の方に陣取り、ヘッドランプの灯りの下でカップ麺とパンの昼食をとった。目が慣れ てくるに従い、小屋の中は二十人近くの登山者で埋まっていることが分かった。皆一様に、山頂に達したとい う安堵感は感じられても、これから下山するということの緊張感は感じ取れない。穏やかな天候故にであろ う。 所属する山岳会で 2 月に伯耆大山を目指した時は、山頂避難小屋泊の予定であったが、下山予定日は“春 一番”、風速 25m 以上の強風が吹き荒れるとの予想に、直前になってやむなく大山を諦め吉和冠山に変更し た。また、我々が下山した数日後、今冬最大級の寒波の到来で標高 1500m の午前 9 時付近でさえマイナス 15℃以下となった模様。 小屋から出てアイゼン装着中 弥山山頂に立つ…栗さんは 1975 年 2 月以来 40 年ぶりとか 冒頭述べたように厳冬北アルプスから西日本の普通の雪山までの要素を持った伯耆大山。今回は幸いに も命からがら小屋に逃げ込むようなことにはならなかったものの、この時期は平時でも、ここに避難小屋があ る、というのは絶対的な安心感をいつも与えてくれる。 ④ これから先、伯耆大山をどう登るか? 初めての伯耆大山は 1971 年冬であった。その時は行者谷から八合沢をつめ、主稜線を縦走した。今回、弥 山山頂に立ったのち足早に下山中、丁度その八合沢をつめて夏山登山道稜線に達したと思われるパーティ のすぐ横を通過した。伯耆大山初登山の記憶がおぼろげながら甦ってきた。 八合沢(もしかしたら別山沢?)を終えようとするパーティ 七合目付近から下界(豪円山スキー場か?)を見下ろす その後、1975 年まで年に 1、2 度主に 1,2 月の時期に訪れた。23~26 歳の頃のことだ。宝珠尾根~ユートピ ア小屋~振子沢~駒鳥小屋~槍尾根主稜線縦走、北壁大屏風岩登攀では偵察した 11 月には港ルートを完 登できたが本番の 2 月には豪雪の前に手も足も出ず敗退した。そして時は経ち最近になって 2008 年に再訪 後、かつての記憶を取り戻すべく、夏山登山道、元谷、宝珠尾根、ユートピア小屋、三鈷峰などに足跡を残し た。気になっていた相棒とのリベンジも、今回果たせた。 さて、大山を今後どう登るかである。六合目付近を 通過中、ガスの晴れ間から北壁弥山沢を登攀中の 5 人パーティを遠望した。その時、ガスの晴れ間も、自分 に湧いた気持ちもほんの一瞬のことだった。羨ましいと思った。最近、再びいろいろな経験を積んだから登れ なくはないだろうと思う。別に今さら、登り残した厳冬伯耆大山大屏風岩登攀を真面目に考えよう、などという 気は起こらない。しかし今でも自分にできそうなヴァリエーションルートを、という気持ちが少しだけはある。 北壁弥山沢付近を登攀中の 5 人パーティ…雪崩を警戒して か、等間隔に整然と登る様は絵になる。技術的には鶴見岳 北谷の中でも最上位の滝ノ谷と同等レベルと思うのだが…。 (左:往路の六合目付近から 300mm 望遠ズームで撮影) 今、これからどう登ったらいいのか分らないが、伯耆大山に惹かれる気持ちは、まだある、特に冬の大山 には。その一方で、寂地、十種、恐羅漢、氷ノ山、三瓶、吉和冠山等々、積雪期の中国山地の低山の味わい 深さを最近知った。盟主伯耆大山とそれ以外の中国山地の山々を行きつ戻りつ味わっていくのが良いのかな、 というのが今の心境だ。 と表面上はさりげなく、内実はけっこうな情熱を吐露しつつ、彼らしい筆の置き方をしているが、筆者ともど も人生の残り時間を加味すれば、そう多くの時間をこの山に注ぐことは適わないだろう。その意味でも再び声 がかかれば「必ずお供しますよ、いやお供させてくださいね!」とこの山行を終えての思いを率直に表明して 周辺ルポに移行したい。 で今宵の宿は昨夜、車中からネット予約をした松江市内のビジネスホテル。当初、海鮮目当てに島根半島 は日本海沿いの民宿 5.6 軒を当たったが、どこもいっぱいだったので苦肉の策で選んだのだ。して下山時刻 は昼どき。このまま帰れば夕刻には門司に帰り着くぐらいの時刻だもの、まっすぐ松江市内では時間を持て 余すのは自明。そこで久し振りに今をときめくホットスポットの出雲大社を訪れ、帰り(松江へ)は一畑電鉄沿い に宍道湖北岸を愛でようと企てたのだ。 参道入口の「勢溜(せいだまり)の大鳥居 本殿の表面と裏側から眺めるの図 まったく頭になかった出雲大社だが、前回行ったのはいつだったか、と記憶を辿ると大昔、大分時代に城崎 温泉で会議があり(1983 年 7 月)、その途上小倉から山陰線廻りで詣でて以来 32 年ぶりなのが分かった。それ ゆえ参道や門前町の有り様など、全体イメージは思い浮かばず、平日早朝の静かなたたずまいの中、重厚な 本殿の社ぐらいしか記憶になかった。ところが今回は土曜の午後、門前町の賑わいや参拝客の多さに少なか らず驚いたが、昨年 10 月、宮家から嫁いだ高円宮典子女王と出雲大社千家国麿氏の結婚で話題は持ち切り だったし、キング・オブ・縁結びの神としてのパワーは絶大で、特にアラサー世代の未婚女性同士の縁結び願 掛けツアーが隆盛の極みという。 う~ん、そう言えば団体ツアー以外は、妙齢の婦女子 2~3 人グループを数多見かけたが、本殿での参拝 時にウォッチすると、なるほど真剣な面持ちのそれと分かるグループが周りに何組もいたような(たぶん)。と 半ば興味本位で眺めつつも、我が身としてはアラサ―世代の息子の一日でも早い良縁を願う方が先決であっ たね。ともあれ旅を愉しみながら御利益もあれば、詣でる者も地元も言うことなしで、出雲エリアはもちろんく だんの婦女子諸姉は山陰全体の経済活性化に大きく寄与していること違わずであろう。 さて夕刻、ゆるゆると松江市内に入ったが、道すがら宍道湖北岸に面した松江しんじ湖温泉から松江市内 中心部に至る湖岸は遊歩道が整備され、大勢のランナー、ジョガーで賑わっていた。う~ん、むずむず、血が 騒ぐのは否めない。機会があれば是非一度走ってみたいところだし、街全体の雰囲気もコンパクトで風情が あり落ち着いた水の都といったところで好印象を得た。 一方でにわか予約の宿は松江駅前でも言わば裏駅側にあり、静けさがウリ。つまり裏町のビジネスホテル に旅の風情を求めるのは酷と言うものだが、荷をほどき入ったすぐ近くの居酒屋は日本海の地魚、のどくろを はじめ近海ものの刺身盛り合わせや宍道湖の泥酔しじみに、知る人ぞ知る地元名物、すっきり味のおでん数 点、ホタルイカとししゃものあぶりものが秀逸で、地酒の王縁、李白、日輝(つまり三種類の冷酒をたしなんだ) によく合って女将もフレンドリーだったね。地元の言葉が飛び交い、肴も美味い。二人とも旅の愉しみは地元 の食材と地酒を堪能してその土地の文化を感じ取ることなので、その意味では「なかなか松江もやるじゃない か!」と褒め称えたのだ(酔ってます)。ふむふむ、伯耆大山リベンジ祝宴の理由づけはすっかり薄れてしまっ たが、宴会に変わりなかろうもん!と強弁しつつ、伯耆大山も松江も甲乙付け難し、と結論づけておしまいとし たい。 宍道湖西岸から松江方面を 居酒屋「根っこ」にて 2 題。のどくろの刺身に地酒、人生の小幸事かな (参加者) 挟間、栗秋 (コースタイム) 3/6 門司(自宅)19:02⇒(車・九州道~中国道・新見 I.C~R180~R181 経由)⇒大山寺駐車場 0:13(車内で小 宴のち仮眠) 3/7 夏山登山口8:35→五合目9:40 43→八合目10:36→弥山々頂10:52 (山頂小屋で昼食)11:30→八合目11: 41→五合目 12:12 17→登山口 12:49 13:15⇒(車・米子道~山陰道経由)⇒出雲大社 14:45 15: 45⇒(車・R431 経由)⇒宍道湖北山県立自然公園 16:15 30⇒(車・R431 経由)⇒JR松江駅南口(宿)17:05 市内朝日町(駅南口)諸国お勝手料理「根っこ」にて夕宴会 松江プラザホテル別館泊 3/8 宿 8:55⇒(車・R9~山陰道~松江道~中国道三次JCT~中国道~九州道経由)⇒門司 14:03 総走行㌔ 900 ㌔(門司自宅始終着) (平成27年3月6~8日)
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