創 立 十 周 年 記 念 号 に 寄 す 岡 清 山 大 水 学 多 長 栄 東洋の カ-ルスバ- ド としての 三朝温泉の名は世界的で あるが, ここに本学が温泉研究所 を 設置 して よ り早 くも十年 を迎 え る・ 尤 も周知の如 く, 田村於 兎学長時代 当研究所 が地元三朝村 の寄附 を得て,温泉 の医学的研究 と応用 を 目的 に,岡山医科 大学 三朝温泉療養所 の名で発足 し たのは昭和十四年であったか ら, その濫陽は二 昔近 くも前 の ことで あ る.昭和十八年,温泉 内 科学講産が 創設 され て放射能 泉研究所 と改称 ,本 格 的な研究機 関 として脱 皮前進 したが, 時恰 も大 平洋戦争中で あったた め,折角の仏 を作 りなが ら,魂 を入れ るべ き業蹟 をあげ るには多 く の障害が あった. しか しその「 机こあって 当時の初代 療養所長 氏越嘉威 助教授 ,同代理 関正次教 授 の払った 削成の労苦 は並 々な らぬ ものが あ D, よ く後 の基 礎 を築 いた.昭和二十四年林道 倫 学長の代 に及んで新 たに温泉 化学講塵 を開設 して主 任 に 梅本 春永助教授 を担 当せ しめ,同時 に 各種研究治療施設 を拡 充,研 究所 の発展にエポ ックを劃 した.新 制 大学 切替 え と共 に療養所 を 医学部附属病院 三朝分院 として附加 し大学直属の附置研究所 とな り今 日に至っ てい ることは改 めて述 べ るまで もたか ろ う. この間研究所が放射能泉 は申すに及ぼす,一 般 泉質消. 泉 の学理応用に関 して成 しとげた医学 的綜合研究 の質量 は決 して少 くない.殊に ラドン泉,紘 バ ン泉 研究 中,三朝温泉に トロンの含 l i 機 序を開明 した こと, 及 び 鳥取県下 まれ てい るのを発見, これが各種疾患に及ぼす治療的作 T 三百余種 にのぼ る温泉東泉の化学的分析表 を完成 した業蹟等 は特筆に値す る.二代 目研究 所長 として終 始研究所 の育 成に献身 した大 畠良稚教授 の功労は,温 泉 学 会に寄与 した任果 と共 に, 長 く銘記 されなければな らない. 由来 世鼎 有数 の温泉国で ある日本では,古 くか ら湯 治 の庶民 的 な療法 として深 く愛 され て来 た・ しか しその医療的 効果 は民間信 仰の域 を出です, これ に科学 的 メスが加 え られた歴 史は極 めて浅 い.殊に近時,温泉地 は しば しば不兵面 目な る遊 楽 施設 と化 した感が あ E ) ,坊 も恥 もか き捨 て よ うといった芽 囲気が いた る所 見受け られ るのは 遺 憾 この上 ない・洩泉の医療化保健化 が普 及 してない証拠で ある.浴容 の多い こと日本 有数 と林せ られ る三朝洩泉 にして も例外 をな す ものではない.医療施設の負因が原因 とい えよ う.万 事 に貧 しい 日本 においては,温 泉 は文 字通 り恵 まれた国民保健の天然資坂で ある.温 泉の科学的 社会 化 は, その意味で保健衛生に と って未開発電海に も比すべ き価値 を もってい る. 当研 究所が 今 日まで果 して来た役割が高 く評 価 され るべ きは勿論なが ら, その将 来 に期 待す るところはそれ に数 倍す るものが ある所以で あ る・ 枚田村学長 の慧眼 勇断 と, これ を引継 いで独 歩の態 勢 を確立 した林前学 長の達識 ,及び研 究所 を鋭意育成 して今 日あ らしめた大 島所長 の精進 に惜 しみな く敬意 を表 したt l. 今や温泉研究所 創立十周年記念号 を発 T ・ u す るに あた り,温 泉 医学 の洋 々た る前途に恩いな致 す こと切な るものが ある.温泉 を遊 山気分 の湯治か ら,科 学 的な湯治に高 め ることは,特 に 日 本 の科学者 に とって有意義な仕事 とい わぬばな らない. それ には, 単に研究 施 設 を有す るだけ でな く, 同時に完備 した臨床機 関を 併 置す ることが最 も手近で望ま しい方法で あ る・ そ うして こそ頁 に庶民的 にして科学的な温泉 医 学が生長 してゆ くので ある. わが温泉研究所 の明 日もこ の ような もので あ E ) たい と考 え る・ とまれ,意 養 あ る十周年 を-一 里塚 として,全学的 関心. の下 に,所 長は じめ所 員諸氏 の自愛健闘 を心か ら希い祈っ て止 まない.
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