校長のつぶやき 第11号 平成28年2月1日 校 長 林 田 仁 トップアスリートのメンタルよもやま話 近年テニスの錦織選手や、フィギュアスケートの羽生選手、体操競技の内村選手やスキージャンプの高梨選 手など、世界のトップで戦う日本人選手が増えてきた。振り返ると、私が小学校1年生の時に開催された東京オリ ンピックでも、「東洋の魔女」と呼ばれた女子バレーの金メダルや、体操競技、柔道、レスリングなど世界で戦う選 手が少なからず存在していた。そして、世界中に衛星中継で発信された東京オリンピックを契機に、それまでテ レビのスポーツ中継といえばプロ野球と大相撲が中心だったものが、様々な競技の中継や「アニマル・ワン」や 「柔道一直線」、「アタックナンバーワン」、「金メダルへのターン」など、子供向けのスポーツ漫画やドラマ、いわ ゆる「スポ根」物がテレビで数多く放送されるようになった。そして、気軽にスポーツをすることや見ることが老若 男女を問わず広く国民に行きわたっていったような記憶がある。しかし、当時「日の丸」を背負って世界大会に参 加した選手の多くは、国民の大きな期待に背(そむ)くことは「恥」であり、お国のために戦う「戦争」と同様に、負け て日本に帰れない雰囲気の中で、悲壮感漂う勝負を強いられていた。特に東京オリンピック男子マラソンで銅メ ダルを獲得した円谷選手は、国民的英雄として称えられ、次回メキシコオリンピックの有力な「金メダル候補」とも てはやされた。しかしその後、度重なる怪我に苦しみ、オリンピック開催年の正月に自ら命を絶つ道を選ぶという 悲劇が起こってしまった。・・・実は、スポーツ界ではそのような「暗黒の時代」が長く続いていたのだ。 独断と偏見の多い私の記憶の中で、この悪しき「大和魂」の風潮を見事に粉砕してくれた事件があった。それ は、1992年(平成4年)2月のアルペールビル冬季オリンピック、ノルディックスキー複合団体の金メダルだ。テレ ビ中継を見て驚いた。ジャンプに挑む荻原(健)選手の頬には日の丸のペインティング。緊張がピークに達するス タート直前にもかかわらず、笑顔でカメラに手を振り、大きく舌まで出すパフォーマンスをしながら見事に他国を 圧倒する大ジャンプを披露して見せた。そして、翌日の距離競技リレーではアンカーの大役を任されて力走した。 ゴール手前で勝利を確信した彼は、観客から手渡された大きな日の丸を頭上で大きくはためかせながらフィニッ シュしたのだ。しかも、それだけに留まらない。彼らは表彰式の壇上でF1レースの表彰式さながらに、シャンパ ンを振りまいたのだ。帰国後のインタビューもコメントは型破りで、一躍注目され、人気者になった。何という若者 たちだ。この一件以降、世界で戦う我が国を代表するアスリート達の表情から悲壮感が消え、国民の予想や期待 を上回る結果を残し、ユニークで爽やかなコメントを発信するアスリート達が次々と誕生するようになったと思う。 ◇ 大相撲平成28年初場所は、日本人出身力士としては栃東以来10年ぶりに琴奨菊が優勝した。場所前にはベ テラン解説者すら誰も予想しなかった「珍事」だととらえがちである。何せこれまで怪我が多く、また、勝負向きで はない優しい性格が災いして、負け越してカド番を繰り返す「弱く情けない大関」だったからである。しかし、私は 千秋楽が近づき、優勝に向かって突き進む琴奨菊に関する報道が日増しに多くなる中で、「なるほど」と納得する 点が多いことに気付いた。 5年ほど前からフィギュアスケートのイナバウアーをもじった「菊バウアー」と名付けられた琴奨菊の立ち合い 前の土俵での反る仕草や、稽古場での練習手順まで、ラグビーの五郎丸選手のそれと同様に「ルーティーン」を 取り入れて実践していたこと。1年ほど前から師事したトレーナーの指導で、タイヤ押しやダンベル(ケトルベル)ト レーニングを実施していること。結婚して家族を持つことの責任感からモチベーションが高まったことなどなど、 優勝に向けての伏線が数多くあったことに驚きを覚える。中でも、一番の変化だと私が感じるのは、師事したトレ ーナーからのアドバイスで、それまで相撲内容の分析よりも、星勘定に拘りすぎる余り、日々の勝敗に一喜一憂 していた自分に気付き、勝敗に拘らず全力を出し切ることに集中できるようになったことである。古くは双葉山、 そして大鵬や貴乃花、白鵬など、大横綱と言われる力士たちは、全盛時代にここ一番の勝負どころで、相手を睨 みつけることもなく、柔和な表情で相撲を取って勝利していた。貴乃花がインタビューで繰り返し答えていた「一 番一番です。」の言葉は、私にとって忘れることのできない名言の一つである。 ラグビー日本代表が南アフリカから歴史的な勝利を上げた時のターニングポイントは、ノーサイド(終了)の笛 が鳴る直前、最後の1プレーで、選手たちがエディヘッドコーチの指示に背いてフリーキックではなく、スクラムを 選択してトライを奪ったことにある。しかし次は今回と違って、世界的に日本ラグビーの実力が認められたうえで 参加するワールドカップとなる。その時に果たしてスクラムを選択できるかどうか。同様に横綱昇進がかかった 来場所で、琴奨菊が自分の相撲を取り切って連続優勝が果たせるかどうか。 ボクシングの世界では、チャンピオンベルトは奪うより守る方が難しいと言われている。自身の置かれた立場 が変化して臨む次回ラグビー日本代表の戦いぶりや、大阪場所に臨む琴奨菊の相撲内容に注目したい。
© Copyright 2024 ExpyDoc