コラム 心に残る言葉

PRESTRESSED CONCRETE CONTRACTORS A SSOCIATION
002 コラム
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心に残る言葉
1.値千金の言葉
1990 年 5 月、九州工業大学情報工学部講堂の柿落と
しとして、筆者が第 27 回嘉村記念賞受賞講演を行った
とき、ドクタートルネード・フジタとして世界的に知られた
藤田哲也教授(シカゴ大学)もアメリカからはるばる来学
され「竜巻と航空宇宙工学」というお話をされた。 式典
後のパーティの席で、
「先生のご研究成果は後世までも
残る大金字塔ですね。 あれほどスケールの大きい、すさ
まじい研究をよくも達成なさいましたね」と申し上げたと
ころ、
「そんなに誉めないでくださいよ。 シカゴ大学の
バイヤース教授にめぐり会えたこと、たまたま米空軍や
NASA などがたっぷりと研究費をくれ、惜しみなく実験の
協力をしてくれたお陰なのです」
。 最後に「運が良かった
だけです」
と、ぽつりと結ばれたのであった。
さて、
「世の中には金持ち、力持ち、権力持ちなどいろ
いろな人がいるが、つまるところ運の良い人間と悪い人
間の二種類しか存在しない」と、フランスの詩人が何かに
書いていたが、いつぞや横綱白鵬がある対談で、
「世間で
は人間の成功は運次第と言っているようですが、神様は
努力をした人間にしか運はくれないのだと私は思ってい
ます」と語ったことをふと思い出した。 頂点に立っている
人たちの言葉をあらためて深くかみしめる次第である。
イチローが過日、チーム移籍会見の席上で語った次の
言葉もまた極めて含蓄深い。「私は『 応援よろしくお願
いします』などとは決して言わない。 応援は乞うもので
はなく、後からついてくるもので、皆さんが応援したくな
るような選手に自分自身がなることが先決なのだ」
。言
葉にはその人の全人格が凝縮されるのだから、これまで
並々ならぬ努力で次々に記録を更新し、とかく長距離打
にあふれる言葉であり、当節、愛国心と言っただけで、や
れナショナリズムだの、軍国主義だのと騒ぎたてる自虐
偏狂平和ボケのマスコミに、その爪の垢を煎じて飲ませ
たい思いである。
2.残されたもので生きよう
筆者が学位論文に着手したのは昭和 30 年で、当時は
学位の完成におよそ 10 年かかるのが普通であった。 今
日のコンピューター・IT 駆使の作業とは雲泥の差で、積年
の悪戦苦闘ですっかり消耗し、論文提出と同時に胃潰瘍
で入院するというのが通例であった。 筆者が入院して間
もなく、院長から「たっての頼みだ」と目の不自由な人物
との同室を懇願された。
新たなストレス付加が予想され、内心不承不承な応諾
だったのだが、同居人はすこぶる明るく軽やかで、しょっ
ちゅう歌を口ずさみ、機知に富んだ冗談は飛ばすは、
「お
肩を揉みましょう」とサービスしてくれるはで、事態は思
いがけない展開となり、いつの間にか我々の部屋は患者
さんたちが気軽に押しかける賑やかなサロンとなった。
退院に際し「ハンディを持った人間に対して僕は妙な先入
観を持っていた。君の明るさに圧倒された」
と言ったとこ
ろ、
「僕は目が見えないだけです。 ヘレンケラーはさらに
口も耳も使えなかったのです。『失ったものに未練を残
すな。 残されたもので生きよう』が僕のモットーなので
す」と返ってきた。 潰瘍を治療し、7 歳も若い同居人から
哲学まで学んだ、ありがたい入院生活であった。
以上、その道を究めた人々の、全人格を凝縮したと思
われる金言を拾ってみた。
者が評価されがちな米球界に、走・攻・守にスピード感あ
ふれる技を披露して新風を吹き込み、はなばなしい戦果
を重ねながらも、過年、日本の国民栄誉賞を辞退したほ
どの人物の、ごく自然体の振る舞いなのであろうが、まこ
残されたもので生きよう 草萌える 未明
とに敬服のほかない。
さて、土木学会初代会長古市公威氏が明治政府派遣渡
仏留学生第 1 号としてパリで勉強中、そのあまりの猛勉
強ぶりを見かねて、下宿屋のおばさんが「そんなに勉強
ばかりしていると病気になる。 少し遊びなさい」と忠告し
たところ、
「僕が一日怠けると日本が一日遅れるのです」
と答えたという。まさに当時の日本を背負った、愛国心
9 PCプレス 2016 / Jan. / Vol.009
九州工業大学名誉教授
渡邊 明