学習メモ

第四回 説話
こ こんちよもんじふ
こ しきぶのない し
なりすえ
橘 成季
たちばなの
古今著聞集 小式部内侍が大江山の歌の事
学習のポイント
①話の設定について
②定頼が「たはぶれに」言った言葉の意味
③「大江山」の技巧と、小式部のすばらしさ
理解を深めるために
こ ほん
こ こん ちよ もん じふ
前回の『古本説話集』に引き続き、説話文学を読む。
今回読むのは、中世の世俗説話集『古今著聞集』。全二〇巻、七二六話の説話
が収められている大きな説話集である。文学・和歌・武勇・馬芸など三〇種類に
こ しき ぶの ない し
分 類 さ れ て お り、 多 方 面 の 話 が 収 め ら れ て い る こ と か ら、 百 科 全 書 的 だ と も 言
たちばなのなり すえ
われている。他の説話集とは大きく異なる特徴である。「小式部内侍が大江山の
歌の事」は、
「和歌」の分類に収められている。編者は、 橘 成季。下級貴族で、
絵画や管弦に優れ、漢詩文・和歌の素養もある教養人だったようだと考えられて
いる。成立は一二五四年。このころ 院政・鎌倉時代は、説話文学が最も盛んに
作られ、説話集ブームとも言える時代であり、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』を
代表として数多くの説話集が生まれている。この話もそうだが、中には複数の説
じつ きん
しよう
話集に重複して収められている話もある。今日読むこの説話も、同じ鎌倉時代中
期の説話集『十訓抄』にも収められている。『十訓抄』は年少者の啓蒙を意図し
て編まれたもので、他の説話集に比べて教訓色の強いのが特徴である。この話は
『古今著聞集』においては小式部内侍の歌に焦点化して「和歌」に分類されてい
第4回
るが、
『十訓抄』の中では「人倫を侮らざる事」の中に分類されており、定頼に
注目した教訓的な内容の仕上がりになっている。
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齋藤佳子
古典
講師
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ラジオ学習メモ
うた
あわせ
この話を読むにあたり、歌合について話しておきたい。歌合というのは、いわ
ゆる歌合戦である。競技者を左右二組に分けて、それぞれが提出した一首ずつの
和歌を組み合わせて優劣を判定する遊びだ。勝ち負け、引き分けの数を合計して
勝負を決める。多くの場合、歌題(テーマ)が決められており、そのテーマに沿
って歌を作り上げる。これを題詠という。題詠には、前もって題が与えられる場
合と、その場で与えられる場合とがあったが、ここは前者。歌合に呼ばれた人は、
前もって与えられた題に沿った歌を事前に作って参加する。いわゆる宿題形式な
のである。
今回の主人公小式部内侍は、十三~五歳くらいのまだ若い女性。三十六歌仙に
名を連ねる有名な歌人和泉式部を母にもつ。その母の不在中に歌合に参加するこ
−8−
とになった。これが話の発端である。小式部内侍が歌合に提出する歌のことで彼
第4回
女に声をかけた藤原定頼。定頼は何を言いたかったのか? そして、それに対す
る小式部内侍の対応は?さあ、王朝で起こったある出来事をのぞいてみることと
しよう。
古典
▼
ラジオ学習メモ
こ こんちよもんじふ
古今著聞集
こ しきぶのない し
やす まさ
め
小式部内侍が大江山の歌の事
い づ み しき ぶ
たちばなの
なりすゑ
季
橘 成
あわせ
講師・齋藤佳子 うた
和泉式部、保昌が妻にて丹後に下りけるほどに、京に歌合ありけるに、
さだより
小式部内侍、歌よみにとられてよみけるを、定頼の中納言、たはぶれに
み
す
い
なほし
小式部内侍に、
「丹後へつかはしける人は参りにたりや。
」と言ひ入れて、
つぼね
局の前を過ぎられけるを、小式部内侍、御簾よりなかば出でて、直衣の
袖をひかへて、
あまのはしだて
橋立
大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天
とよみかけけり。思はずにあさましくて、「こはいかに。」とばかり言
き
ひて、返しにも及ばず、袖をひきはなちて逃げられにけり。小式部、こ
い
れより歌よみの世おぼえ出で来にけり。
【口語訳】
よ
和泉式部が、
〔藤原〕保昌の妻として丹後の国に下っていたときに、京で歌合があった
ときに、(その娘)小式部内侍が、
歌合の詠み手として選ばれて歌を詠むことになったが、〔藤
原〕定頼の中納言が、からかって小式部内侍に、
「丹後へおやりになったという使いの者
はもう戻って参ったか(母上の和泉式部の助けがなくてお困りでしょう)
。
」と(小式部内
侍の私室に)声をかけて、部屋の前を通り過ぎなさったところ、小式部内侍は、御簾から
大江山を越え、生野という所を通って行く、丹後への道のりが遠いので、まだ天橋立
半分ほど身をのり出して、
(定頼の着ている)直衣の袖をとらえて引き止めて、
を訪れたことはございません。そのように、母のいる丹後は遠いので、まだ(母から
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の)便りもございません。
古典
第4回
と(定頼に歌を)詠みかけた。(定頼は)思いがけないことで驚きあきれて、「これはど
ういうこと。」とだけ言って、(当然の作法である)返歌することもできず、(引き止め
られた)袖を振りきってお逃げになってしまった。小式部内侍は、これ以来歌人としての
世の評判が出て来たそうだ。
*本文は『日本古典文学大系』によった。
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ラジオ学習メモ