唐代音楽 の物語伝 承研究初 探 京 市 子 中 中国音楽は,唐代に開花し,日本にも雅楽などの楽曲や琵琶など楽器の ルーツとして大きな影響を与えてきた。しかし,その根幹にある音楽観 (楽曲の成立・楽器楽人のもつ力・伝統的楽律など)を語ってくれる物語 やその伝承のありかたについては,系統立った研究がまだなされていない。 本稿は,その唐代音楽の物語伝承研究について,どのようなアプローチが 可能なのか,その糸口を考えるものである o (1) 日本音楽の物語伝承研究 日本には鎌倉時代に『古今著聞集』など,音楽にまつわる物語を集めた ものがあり,音楽物語の伝承についてもかなり研究が進められている o そ の研究の手法や枠組みを唐代音楽の物語伝承の研究にも活かせるのではな かろうか九たとえば磯水絵氏の研究を参考にさせていただくと,中世の 説話集中に,その篇目に音楽に関するものを独立して設けたのは,『古今 著聞集』が最初であるが,それ以前『今昔物語集』,『江談抄』,『古事談』, 『続古事談』,『発心集』,『十訓抄』など説話集のなかに音楽説話が収めら れてはいた。『古今著聞集』はそれら説話集のながれを受けて成立した。 磯氏はそれらの音楽説話を内容別に分類されている。それは,①故実語 「名器語」(日本に伝来する高名な楽器の由来・命名・損亡・演奏の故事 を語るもの)「起源謹」,「故事語」②芸道語「相承謹」(家芸・秘曲の相承 を語るもの),「秘曲伝授語」「名人語」「名人霊異語」③数奇者謹(芸能執 心謹など私的な物語的性格が高いもの)という分類である。そして『古今 (61) 著聞集』は,なかでも故実語の「故事謹」に比重がかけられており,それ は編者橘成季が半ば専門の琵琶弾きであり,実録を兼ねた形にするという 編集方針で臨んだからだということである o さらに同時代には,『文机談』 という,嵯峨供奉賢円を祖とする琵琶「西流」の師範家,藤原孝道・孝時 にまつわる音楽史とそのエピソードを,『大鏡』を模した歴史物語形式で 述べた僧の隆円の記録も世に出たの。 そうした日本の音楽物語とその伝承の研究を参照するとき,まず考えな ければならないのは,唐代の音楽物語の伝承を研究する際に『古今著聞集』 や『文机談』のような音楽に精通し,自らも楽器を奏でる人間によって著 わされた文献があるかどうかである o 唐代の音楽書として挙げられるのは, 唐代中期の崖令欽『教坊記』,唐代晩期の南卓『渇鼓録』,段安節『楽府雑 録』などである o 著者自身が楽器の演奏に秀でていたという記録はなく, それぞれに収録された物語は断片的ではあるが,当時の音楽を語るものと して貴重な資料である。ほかには不思議な逸話を集めた段成式の『酉陽雑 姐』「楽」の部分なども少ない資料ではあるが参考になる o さらに音楽に 関わる詩文や,『旧唐書』『新唐書』などの歴史書の記載も貴重な資料であ るO また,宋代に編纂された『太平御覧』や『太平広記』など類書的な書 物には,すでに逸書になってしまった文献が残されており,『淘鼓録』を 例にすると,現在使われている版本は,実は『太平御覧』や『太平広記』 に引用されたものを校勘に使用しているの。そうした書物に収録されたも のを使って,伝承された唐代音楽物語を研究しなければならないところに, 日本音楽との相違点もあるだろう。 C2)日本音楽物語のなかの唐代音楽 日本の音楽物語の伝承研究の方法を参照することのほかに,日本の音楽 物語のなかに唐代音楽がどのように伝承されているのかという視点も,日 本における唐代音楽物語研究において欠くべからざるものである。ここで (62) は,延喜2 1年(9 2 1)頃作成された『琵琶譜』(宮内庁書陵部所蔵の南北朝 時代写本)をとりあげたし、。これは宇多法皇(8 6 7∼9 3 1)の命でその子敦 実親王(8 9 3∼9 6 7)が,貞保親王(8 7 0∼9 2 4 )から音曲を伝習した。その 際の伝授内容を伝えるものである o その末尾に「琵琶譜調子品」と題する 譜面が付載され,その後に藤原貞敏(8 0 7∼6 7)が開成 3年(8 3 8 ) 9月に 唐で書いた記文が残されている。それは「承和 2年( 8 3 5 )1 0月に遣唐使 の准判官に任命されて長安に向かう途次, 7月には揚州へ到着した。揚州 滞在中の同年 9月から約 1ヶ月間開元寺の北にある水館にて,齢8 5の廉承 武(廉十郎)から琵琶の調子を伝習し,譜面を賜った。帰国して貞敏は承 和1 4 年(8 4 7)から天安 2年(8 5 8)まで雅楽寮長官を務めた」というもの である。これが重要なのは,確かに琵琶の技術が唐から日本へと伝わり, それが雅楽寮ですぐさま伝承されているということが明示されている点で ある。 そしてこの藤原貞敏の一番弟子とされた貞保親王の琵琶技芸伝承にまつ わる物語として鎌倉時代に著されたのが『古今著聞集』である o そこには 唐の廉承武に関して,琵琶の演奏で「五常楽」を舞わせていると,廉承武 の霊が現れて「「五常楽」が急(曲の構成の序・破・急のこと)に及べば 必ず示現する」と語って姿を消したという話がみえる。ここでは異界のも ののように廉承武が語られているのである o それと同時代に成立した『十 訓抄』には,村上天皇が琵琶の名器「玄象」を弾いたときに,廉承武が示 現して秘曲の「上玄」「石上」を伝授したという話がみえる。そのように 異界との繋がりを通して,秘伝の楽曲が伝えられたという物語となってい る。ちなみにこうした天皇と音楽のかかわりについては,中国の『楽記』 以来の礼楽思想によって為政者たるものの音楽に対する心構えが,日本に も影響して,天皇が楽器を習得する必要があったことなど,豊永聡美氏の 『中世の天皇と音楽』(吉川弘文館 2 0 0 6年)に詳しい。日本では楽器に 宿る霊物性・神性が所有者演奏者自身を神格化するという考えがあり,音 (63) 性を付与することに繋がっ 楽を理解し楽器を演奏することが,演奏者に徳J ている O 中国では皇帝は音楽のなかでも祭礼の雅楽を制定することには腐 心するが,個人的に音楽に精通することは必須ではなかったようである九 日本の天皇と中国の皇帝の音楽習得のありかたの違いも考えていく必要が あろう。 上記の例のように,唐代に日本へ伝来した音楽について,その音楽にま つわる物語の変選をたどっていくことも,ひとつの唐代音楽物語の伝承研 究の糸口となろう。ここでは,日本音楽物語のなかの唐代音楽を検討する という唐代音楽物語の伝承研究の一つの方向性を述べておきたい。 C3)唐代音楽物語の伝承 さまざまな物語があるうちに, C2)であげた唐代音楽を伝承する不思 議な話で述べたような,異界とのつながりを語るものが唐代音楽物語のな かにも存在する。たとえば,宮廷音楽のレベルも高かった玄宗皇帝期の代 表的な楽曲である「寛裳羽衣曲」について,以下のような物語が付されて いる。 『異人録』には,「開元 6年,玄宗は申天師というものと中秋の夜に一 緒に月中に遊んで,大きな宮殿を見たが,その額に広寒清虚の府と書 いてあり,兵が門を守っていて入ることができなかった。申天師は玄 宗を連れて躍り上がって煙霧の中を越えると,下に玉城が見え,仙人・ おとめ 道士が雲に乗り鶴にまたがってその聞を往来し,素蛾十余人が広庭の 大樹の下で舞い笑い,音楽はかまびすしいが清麗であった。玄宗は帰っ てから,音律を整えて楽曲とし,寛裳羽衣曲を作った」という。 (宋の王灼『碧鶏漫志』より引用) 唐代でも屈指の名曲が,実は月の世界の音楽であったという物語は, (64) 「寛裳羽衣曲」自体に,神秘的な価値を与える o それを伝えたのは玄宗と いう音楽に精通していた皇帝であった。彼自身「梨園」という宮廷音楽を 掌る楽団を率いて,「梨園の弟子」と称される楽人たちに音楽を教習した という事跡は,『旧唐書』や『新唐書』にも記されている。唐代の音楽伝 承物語のひとつの特徴として,この玄宗に関わるものが少なくないという 点が挙げられよう。唐代の頂点ともいえる「開元の治」の時代を作り上げ た玄宗は,宮廷音楽の頂点をも築き上げた。特に彼が愛した打楽器である 「掲鼓Jに関する物語を集めた晩唐の南卓『掲鼓録』は,日本の『古今著 聞集』に匹敵する内容を含むところもあろう。唐代の音楽物語の伝承研究 には,先にも述べたが,『淘鼓録』のような当時の音楽書を検討するのは 当然のことである o ほかに玄宗期が終わってすぐに記された『教坊記』や 晩唐の段安節『楽府雑録』などにも唐代音楽の特質を示す物語が収録され ている。誰かわからない人物が笛の妙技を見せ,またいずことも知れず去っ ていく。そんな不思議な物語が『楽府雑録』にも記されている。その概略 は以下のとおりである o 李謀という玄宗皇帝期に笛で名を馳せた楽人が,安史の乱後におちぶ れて越州の刺史に仕えていたときのこと,鏡池に舟をうかべた刺史の お伴で月夜に笛を吹いていると,ひとりの老父が小舟を浮かべてそれ を聞きにやってきた。老父もまた李謀の笛で曲を吹くと,鏡池が激し く波立ち,笛はそのまま破裂してしまった。老父が自分の笛で吹いて みると,二匹の龍が舟を抱くようにしてこれを聴いているのが見えた。 老父は吹き終えて,その笛を李謀にゆだねた。李諜が吹こうとしても, 音さえ出せなかった。そこで恭しく礼を尽くして老父に教えを請うた。 しばらくして,老父は小舟にのり,そのままどこへいったかわからな くなった。 (65) ここからはさまざまなことが読み取れる o ひとつは,安史の乱の後,玄 宗皇帝の宮中で活躍していた楽人たちが,地方へ散り散りになったこと。 そして宮廷で有名であった笛の演奏技術に優れているはずの李諜ですらか なわない笛の奏者が,どこからともなく来て去っていく。その者に李誤が 教えを請うたということが,日常とは離れた世界との接触,そこからの音 楽の伝授を意味するであろう。ここでも,玄宗皇帝が月世界の音楽を持ち 帰ったというのと類似した,音楽による異界との交流が垣間見られる。そ の異常なエネルギーを感じてか,龍がやってきてそれを聴いているという ところにも,音楽による異類との感応が表現されている O (4)音の不可思議な力を表現する物語 唐代の音楽物語においてとりわけ注目されるのが,音楽のもっ不可思議 な力である。それについて段成式『酉陽雑姐』前集巻六にみえる物語の概 略を以下にみてみよう。 萄の将軍皇甫直は音律に精通していた。琵琶を弾くのが好きで,ある とき自分で薙賓の調子に調えて池のほとりで演奏していると,岸に波 が打ち寄せるのを感じて,見ると魚のようなものが躍り出てきた。絃 を止めると,それは沈んでいった。不思議に思って池を渡ってみると, 麓賓の方響がでてきた。 皇甫直の琵琶の音に感応して,池にあった方響が踊り出たのである o こ うした不思議な話はほかにもある。同じく『酉陽雑姐』前集巻一九には, 「舞草」の話が掲載されている o それは,人が近づいて歌うと必ず葉が舞 うように動くというものである o それは宋代にも伝承され,『夢渓筆談』 巻五に,「虞美人草」というのがあって「虞美人曲」を歌うと枝葉がみな 動くのに,他の曲では動かない。音をよく知る桑景静が「虞美人曲」とは (66) 違う呉音の曲で試したら,違う曲でも踊ったということが書かれている o ここに,実は唐代と宋代の人間の思考の微妙な違いが表われているのであ る。唐代において,不可思議な力は,そのまま受け入れるものとして存在 していた。しかるに,宋代になるとそれが少し変化し,不思議の実態をつ かもうとする意識に目覚めるようである。ここでも,「虞美人曲」で踊る のではなく,呉音の曲ならなんでも反応するという一歩進んでなぞを解明 しようとする宋代人の思考が表れている o 実は( 3)のところに引用した 玄宗と申天師の月に遊んだ逸話も,それを引用した宋代の王灼『碧鶏漫志』 では,引用したあとに「でたらめな話で考証の足しになるものではない」 と一蹴している。こうした唐と宋のものの見方の違いを考えると,唐代音 楽物語の伝承研究において重要なことは,不可思議な物語に解釈を付ける ことなく,そのまま受け入れる唐代のありかたを尊重するという点にある と思われる。 (5)『太平広記』にみえる音楽物語 本稿は,唐代の音楽物語とその伝承の研究の端緒を探る試みであるので, (3) (4) で述べたきたような唐代音楽の物語のひとつの特質,異界との つながりや音のもつ不思議な力を語る物語について,まず焦点をあてて考 察していくという方向性を提示してみたい。その研究の糸口になるのが, (1) でも取り上げた『太平広記』に収録された音楽についての物語群で ある。宋代初期(太平興国 3年(9 8 8))に編纂された『太平広記』は漢代 から五代までの小説4 7 5種を収め,古代小説の宝庫ともいえる。その巻二 O三∼二O五に「音楽」に関する物語が収録されている o そしてその大部 分が唐代の物語である。実は本稿( 3)に引用した李諜の物語も,( 4) に引用した皇甫直の物語も,どちらも『太平広記』(巻二O四・二O五 ) に採録されている。李諜のものは『楽府雑録』ではなく『逸史』から採録 されており,『楽府雑録』よりも詳しい記述がなされている o 皇甫直のも (67) のは『酉陽雑姐』からの採録である。こうした物語が集められた『太平広 記』の音楽に関する巻二O三∼巻二O五を詳細に検討すれば,音楽の不思 議な力を語る唐代の音楽物語の特質を解明することに繋がるのではなかろ うか。 『太平広記』に採録された音楽物語を検討する意味は他にもある。一つ には,それが音楽文化の特質を示してくれるだけではなく,歴史的な資料 としても注目されることである。筆者は惰唐の宮廷音楽に関して,皇帝と 音楽のあり方を中心とした研究(「陪唐宮廷音楽史試探 1∼ 4」『中国文化 年所収)を行ってきたが,そこでは唐代皇 1 1 0 年∼ 2 8 0 0 ,2 7 4∼2 研究』第2 帝の音楽に関わる伝承を追う際に,『太平広記』にみえる音楽物語を取り 入れて考察した。また,音楽を歴史的に研究するうえでも,『太平広記』 以外に情報がない場合も多く,その意味で,歴史的資料価値が高い。筆者 はまた「唐代中晩期の萄の音楽文化−長安との交流を軸として」(『日本中 集 4 国学会報』第6 0月)の論孜のなかで,唐代中期以降長安の音 年1 2 1 0 2 楽文化が萄に流入し,それがかえって都の音楽文化を補う働きをしたこと の傍証として,『太平広記』の記載を使用した。それは貴重な資料の宝庫 ともいえるのである。 さらには,『太平広記』は日本にも古くから流布しており,受容されて きたことを考えると,そこに引用された物語が日本にもなんらかの影響を 与えたことも考えられる九日本が受容した唐代音楽物語は『楽府雑録』 や『渇鼓録』などの個々の書物よりも,『太平広記』のような類書的書物 から採られた可能性も否定できない。こうしたことを考えると,唐代音楽 物語の伝承研究にとって『太平広記』に収録されたものを検討していくこ とは,重要であると考えられ,本稿ではそれを述べておきたい。稿を改め てこの『太平広記』を中心とした唐代音楽物語の伝承について検討してい きたいと考えている O (68) 注 1 )磯水絵『説話と音楽伝承』和泉書院 2 0 0 0 年,豊永聡美『中世の天皇と音 0 0 6 年,小松和彦「琵琶をめぐる怪異の物語」(『妖怪文化 楽』吉川弘文館 2 0 0 9 年所収)など。 研究の最前線』せりか書房 2 2 )岩佐美代子『文机談全注釈』笠間書院 2 0 0 7 年参照。 3 )粛藤茂「南卓の『掲鼓録』について」『唐代音楽の文献学的研究』(課題 番号 1 2 6 1 0 4 7 1 ) 平成 1 3年度科学研究費補助金一般研究( C)研究成果報告 書参照。 4 )惰唐代の皇帝と音楽については,惰唐代の宮廷音楽に関して皇帝の時代別 に考察した拙論「陪唐宮廷音楽史探 1∼ 4」(『中国文化研究』第2 4 号∼第 2 7 号 , 2 0 0 8 年∼ 2 0 1 1年)にも触れている。 5 )周以量「日本における『太平広記』の流布と受容」(『和漢比較文学』第 2 6 号 2 0 0 1年 2月)参照。 (69)
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