早 めに申 告 教 育 長 中 野 四 郎 祈 り っ’I ヽ 年 少 女 の前 途 に 幸多 か れと 希 望 に 胸 を ふ くら ま せ る少 い。 れ 健 康 に一 層 気 を つ けて 下 さ い子 ど もぽ 早 く医 者 と相 談 さ 痛 め て 体 重 も 減 るの で す。 弱 学 校 に 入 学 す る と小 さ い心 を さ る よ う 希 望し ま す。 特 に小 物 心 両万 面 の 準 備 を整 え て 下 も た ち に不 安の な いよ うに 、 学 秋とよく連絡さわて子ど 四月九日 午前九時 圏入学式は各■fc--- 丐一 一豊 惣 二暼 アユ 宗 頭 明 倫 浅 田 ︵ 員訓 巾 学 入 学 者数 卜げ ま I 所 得 税確 定巾l 岸k は三 月 十 五 日 巣立 ちゅ く若 人を見守 り 入学する子らを迎える 次に 人学 生の 保護 者 に およろ こ び申 い 希 望 を 持 た せ るこ と せ て 就 職 、自 家 経営 に大 き くことにある意味を認識さ 五 、人 生 の 幸福 は正 し く 仂 ら 決定 し 無 理 を さ せ ぬ こ と 本 人 の 実 力 を 第一 に 考 え て 四 、 進 学 希 望者 の 学 校 選 択 は 気 を つ け るこ と 三 、 友人 との 交 際 には 一 段 と 創意すること 成人 特 に保護 者 各 位 へ お願 い ︹中学︺ 未定合計 白 九 重 内丶い人 の 胎 見 の 梅 の 今 日 咲 き 蓮 水 川 則 俟ミ シ ン踏 か 娘 も 業 体 ’み 清風句会 二 月 分 二 、中学卒業生は特に健康に 人 員 一卮 二︵ Ξ 一 二 一如 一 、子どもの将来の計鑷は諸 条 件を正 しく評価して早く から家 族会議で酊々協議す 進学 就 職 種別 希 望 希叩 μ 卒 業 者数 二︵ 惣 一宅 石 一 学 校 宗 頭 明 倫 浅 田 合 計 ﹁小学 ﹂ 卒業 者 数 と その 進 路 だ丶。た い と 思 いま す。 ﹁ 仰 げ ば 蓴し わ が 師 の 鬯 ‘ . . は 最 適 な 方 策 を配 慮 し て い た ﹂I 思 出 の数 々 をな っ か L 人 で 、学 窓 を 粱 屁 つ 日 が 近 づき ま す. 長 い問 わ が丁 の 成 長 を はじ め関 係 唇位 の 胸 中 を お 察 見 守 り つ づ けら れだ 保 護 者 を し して 萬 腟 の 祝 意 を 衷 し よ す 考 えて 見 し か し 人 生 に は 卒 業 は あ り ま せ ん れ ば 小 学 校 の 卒t は 中 学 へ の 入学、中学の卒業は直ちに次 の 難 関 に 突 入 す る のだ か ら 、 む し ろ 今 後 に 大 き い 問 題y 山 積 し て いる と も 言 え る ので 寸 私 は こ の 機会 に卒 業 生 を見 守 ら れ る 皆 さ ま に 次 のこ とだ 口 こ 紅 梅 の 一 桧 添︲ jし 便 ’ O ︰ . 季 梅子一 杖 沾 け て じ作 介の富夕位︰ しげ る 代 が 家 の 生 計 助 け し 針祭 り 智 針 則 心 着き 費 を 怙 作 、 ≒ つ 無名女 ヴ。 み か 人 だ わか に 閇川 無 声女 に’ 磊 磊 巡 咎 や 娘 は良 縁 の 右 著縫 う 雲 仙 今 年 亦 桁花 はこ ろ び無 声 女 忌 緑化 運動 三月一日 三月三十一日 昨年四月防府にて天皇御製に 木を植うるわざの年々さかゆくは う れし き こ との きは ふ なり けり ︶観 光地紅化︵ 9 ︶緑化啓蒙 宣伝等に使用 されて ゐま す。 尚三隅町としても此の緑化 行事 、糾の羽恨募金は中学校 生 徒に依帆し西家庭 に一木を 広 田 村 田 里 吉 莞 二 条 窪 井 口 智 恵子 一 九 斗 は本 年 の二 月 十 一 日 に完 深 く 御 説 ?申 し 上 げ 6 次 第 で ありま す。 十二月二十一日から 二月二十日まで 十二月出生数 三名 一月 出生数 一四 名 二月 出生数 一〇名 十二月死亡者 野 波瀬 石 津慎治 六才 一月死 亡者 小 島 山村 フデ 七 七 二件 二J 已 円 二 二 九 、八 八 五 円 訳 五︺︺円 以 上 t 一件 一 、き J 円 匹包 吽一毛 、︵ 溢 円 ’ 以 上 一、 B 九件 一只 、苙 岔 T二 木満 金も算入し又あること 附 三隅町遺族会の勧募 靖国神社奉賛会三隅町支部 金 金 一巳 金 金 .一ヽB ︺円 以 上 内 囹 勧 募 金額 お知 ら せと 致し ま す 。 通 じ で 厚 く 御肌 申 上 げ 結m下の 下 さい ま し た皆 々 様 に紙L を ま し た婦 人 会 の 方 々 並に 拠 川 し たの で 勧 募 に 御 協 力下 さい 賛会山口県支部宛納金致しま 記 の 通 り勧 募 金 を靖 国 神 社 参 位 の 絶 大な る御 理 解 に よ り 左 勧 募 方 御協 力を 削 し 崇 敬 竚 各 に 依 頼 し て 町 崇 破者 に こ れ 袒 三 隅 町 支 部で は 婦 人会 の万 々 遺 族 会 には 遺 族 会 員 を 対象 で 本町では靖国神社勧募金を 靖国紳社奉 賛会勧募金 町 外市町村受 付 四三件 二月婚姻届出数 一四 件 内 本町役場受 付 九什 町外市町村受付 五件 一月婚姻届出数 五四 件 内本町役場受付 一一件 室 生 藤田 十右 衛 門七九 野 波 瀬 北村 三 蔵 迦 沢 江 村 田 テ ル 蛮 野 波 瀬 中 島 安 治 六 一 兎 渡谷 森 清研 二 四一 土 手 田 原 美 津 江 一 豊 原 白藤嘉枝 忿一 二月死亡者 小 島 田 中 シヨ 盆 宗 頭 田 中 吉 蔵 ︵一 上 ゲ 国 光 ヨ シ 七 九 宗 頭 伊 藤 栄 八郎 三 ︵ 戦 病 死公 報 ︶ く 消 化 に御 協 力下 さ い ま す様 林務課 目 標 として ゐ ま すの で よ ろ し 御 願 いた し ま す 。 に 申 請 され まし た処 県 は是 れ 出 ま し て 町 御 当 局 は 是 れ を県 し四 〇 二 石三 斗の 減 額 甲 詔 が ま し た三 、五 五 九石 四 斗 に 対 被 害 に 依 り最 初予 約 して 戴 き を 抻 ん ので あ り ま す 。 斯 様 な 不 幸 の年 で あっ たと 云 はざ る 事 は山 口 県 農家 として は誠 に 昨年は 全 国的 には戦 後二年続き の豊作で あ ったとの事 ですが何分 にも山口県 としては北 海道に次ぐ 被害県であ ったと云ふ れ て 置 くよ う に いた し ま し よ な 家 畜で すか ら 是 非 共 済 に 入 よ く お たず ね い ただ き 、大 切 家 畜 もど う ぞ共 済 組合 へ 牛 や。ぬ やめ ん 孝 、山 羊等 の 家 畜 は使 役 の 途 中 あ る い は 、 私達のわずかの不注意から怪 我 を し たり 病 気に なっ て 治療 の 甲 煢も な く 殆 亡 し たり 役 に な ら な いよ う な思 わ ぬ損 害 を 立 だ なく な っ て 完 ら な け れ ば 被 る こ と がよ くあ り ま す 。 こ う 云 っ た万 一 の場 合 に ㈲え て 大 切 な 家 畜 は 必 ず家 畜場 済 へ 加入さして置きませう。家畜 共 済 に つ いて 概 略 を説 明 し ま す 。 こ の 共 済 はわ か り や す く 云っ て 私 達 の 生 命 保険 と 健康保険とを一緒にしたよう な 仕 組 に な っ て い る共 済 で 掛 金 をか けて 加 入 す る と 病 気 や 怪我 をし て 獸 医 師 の 治 療 を 受 けて も国 が き めた 一 定 の 限 度 まで は 無 料で 治 療 が し て 十 &ら え る し 、万 一 死 亡 し たり 役 に 立 だ な く なっ て 売 っ た場 合 で 納 致 し ふし た こ つ し た 被 宋 を 認 め 改訂 寸約 数 三 二 二 七石 た と え ば 普 通 の 牛 を三 万 円 の を 受 け 羂 実 不 艮 の木 を何 回 ら も 当然 共 済 金 が受 け ら れ ま す 共 済 に 加入 さ す に は掛 金 が年 米 選 枷 にか け そ う し て 規 格米 を 拵 りへ 自 分 に は 屑 米 を 食 べ をか けて 加入 す ると その 翌 日 から 満一 簡年 責 任 を 持 ち ま す 四 五 五円 に な り ま す が 、 こ れ 緑の羽根募金運動﹂郷土緑 て ま で も供 出 完 納 し て 下 J い て い ま す、こ の 共 済の 事 務 は 荷 責 仕 を も つ 農協 とし て ぴ ‘ ま し に 農 家 の 皆 様 に対し て 集 を 差 し引 い た 残額 を支 払 いま の で そ の間 万 一 死 ん だ り 役 に す し 、 病 気 や 怪我 をし て 治 療 立 だ なく な っ て 業 者 に 売 っ た 一日から三十一日までの、一 化 の 緑 の 羽 根 、目 標 二 七 〇万 ケ川 間 実 施 さ れ る 、三 隅 町 の を 受 け て も 治療 費 が I、四 〇 円﹁縁の羽根二十二万木緑の か 当 と し て 僅 の羽 恨 一 、 九〇 〇 円 まで なら 無 料そ れ 以 上 に 場 合 は 三 万円 若 し く は 売 却代 〇 卜 。バッ チ 、九 五 個 これ は え る 額 だ け 負担 し て い た だ く なり ま す と I、四 〇 〇 円 を 越 こ と に なっ て い ま す が 、不 幸 に し て そ の 家 畜 か二 、三 簡月 % を以 て 割 当 の 基準 とな つて は 後 再 び 病 気 や 怪我 をし てl ’ Uま 拑息︵ご学校及青年団植林 治療が受けられることになっ 推尨︵h︶緑い羽根記念林の た I、四 〇 〇 円 まで は無 料 で ︵ ︱︶募 金 り費 川 ︵ x ︶市 町 ‘ 村い縁化征辿︵3︶学園緑化 ゐ ま 寸。 彩 金の 使 途 につ い て μ い 吋 槓 三 〇 り肌 帯数 割 七〇 バッ ず 、 十 一 万 個 に つ き 三 月 緑 化 行 事 ばじ ま ろ 長 期緑 化 連動 ⋮⋮ ⋮ 改家 庭 一 本 を目 標 に三 月 一 日 よ り 三 月 三 十一 日 ま で 都 市 農 山 漁 村 挙げこの一大県民運動として 盛 大 に展 開 さ れ る此 の 迎 動 も 今 年 で 第 七年 目 を 迎 え 特 に昨 年度に於て天皇皇后両陛下を お迎えして防府市で盛人心国 土緑化大会並びに植樹行事か 行 わ れ り等 逐 年 多大 な成 米 を 収 め て いる 。 趣 ﹂ 日 は 霖 林 資 み を培ハ レ国 予約米完納 凶 師も 弟F も今 日 は和 川 宀 紂皀 養 一 平 病 床 にせ めて ぐ み な の 針 祭 る 寒 灯 の 一つ べ れ る終 巾 駅 たけし 暖 冬 に 憤 お し 示竃 の斗 にL ム る くわ牛 ス ト ー ブ の 叫 に さ そわ わ 廁 こ 三 月 分 の 兼 齟 は梅 、影 こ た つ 申 告 納税 輪 旬 一 で すか ら 七日 迄 に 住 所 氏 名 記 環 境 を改 芻 する た め 、都市 、 佶 醜︵ 6 ︶ 卜 要 都市 忻 地緑 化 の で 不 審の 点 かあ り ま し たら 共 済 組曾 かと り 扱 っ て い ま す いよいよ自2月15日至3月15日ま 民 祕 所 い 安疋 に寄 り し 国 上医 で確定申告と納税の時期となりま 全 。水 船 の涵 養 を は か り生 油 針 問 徭 攵工 ば か り の 授 産 蜥 晨 川 匹 柯 悁携 え て 郷 土を 緑化 工 場 鉱 山 地 帯緑 化 ︵ 8 ここ す る も いy のる 。 吉 発行人 稲 田 正 治 編集人三原祥祐 した。納税者の皆様の便宜を計るために3月1日より仝 し て 下 さ い。 。 。 有難 う御座居ます 町役場裏側にて 進む 三隅川護岸工事 多年の水害から免かれ 三 隅町 広報委員会 人 の 上 七句 以 内 公 民 館 え 提出 一 寒二紅 美廁 眠 く や 長 者 の 屋 敷 跡 所 児 た ち の 身 体 検 査 風景 ( 野波 瀬 保 育 所 に て ) 発 行 所 月15日まで町で申告相談並申告指導をいたします。 是非 申 告 を 終 へ 納 陂 を 明 限内 に 済 せ ま し よ う 。 申告指導日は各納税者に御通知 元 来 る 日の 入 学 の 斟 び を 梦 兒 つ つ 肭 お ど ら す 侏 育 (第35号) 三 隅 広 報 昭和32年3月1日( 金曜日) 青年学級 こ れ から の 農 漁村 人 の 生 き る 道 は 、 農 漁業 の 近 代 化 と農 漁村 生 活 の民 主化 へ の 道 につ な か つて い る が 、 この 道 を拡 き 建 設 し て い く こ と に は 、大 青 年學 級 職 業 町民運動 林 業 科 I同 右 水 産科 I 漁 ろ う 航 海 加工 及 水 産 経 常 の 合理化 社会 科 I 法 律 政 治 歴 史 時 事 問 齠 経 済 倫 理 哲 学 其 他 粍 理 科I 珠算 簿 記 数 計 法 の 基礎 及 経理常 識 機工 科一 三 輪 車 操 縦応 急 修 理 荅鬩 竃動 機 取扱修理 習 字 科I ペ ン字 、毛 筆 の 書 方 芸 能 科1 鑑 賞音 楽 理 論 の 基礎 各種 楽 器 の使用法 冢 庭 科I 料 理 、衛 生 、生 活 改 善 、生 爪 、 茶道 ’ 青 年 の 悩 み 調 査 、 生 活実 態 洲 査 、圸 城 社 会の社会調査 イ ン フォ ー マル 討 議 ︵ 円卓会議 ︶ 委 員ぷ議 コ ンフ アラ ン ス討 議 ︵ 色 々 の 団 体にユ ヅて仟 侖 さ れ た代 表 者 構 欣︶ フ ォ ーラ ム︵ 公 開 討 諭 ︶ パネ ル フ ォ ーラ ム ︵ 陪審討議 ︶ レ クチ ユ ア ホ ーラ ム ︵ 講 演 質問 意見 ︶ バ. ス セ ツ シヨ ン ︵ 予 備 的 な 全員 討議 ︶ 口 ’・ ・ル プ レ イy グ ︵ 役 割 を もっ て 活 動 ‘ ︵報 告 ︶ 団 活動 を振 り 返 っ て 、 反 省 し こ こで 、私 達 は 、青 年 学 級 や し い学 級 が出 発 す るの で す が 来 る四 月 か ら第 八年 目 の 新 今 迄 以 上 に どの よ う に取 り 入 進 め た ら よ い か 、又 実生 活 に 層 発 展 さ せ る 為 に H ど の様 に 共 に 青 牛学 級 や 、団 活 動 を一 過渡期に立つ青年学級 今 后の 活 動 に 備え な け れば な れ たら よ いか バ全 べて 今后 の で 在 り、 私 達 はこ れ ら の 諸 問 私 達 に与 へ ら れ た 大き な 課 題 近年上昇綵をたどって来た 題 に対 し殼 沓の 努 力を 惜 ま ず りません 青 年学 級 も、 一 つ の 転 換川 を 終 り に 仂 き なが ら学 ぶ 、私 その 発 展 に務 めた いと 考え て 達 青 年 は、恵 ま れ た 郷 土 に住 迎 凡て お り ま す 、今 迄 は間 口 さ を 忘 れ 、又 学 級 生の 年 令の おりま す。 差 から 米 る考 え 方 を 無 祝 し た み 、そ の 発 展 に 全力 を 注 ぎ 新 を 広げ 過 ぎて 課 題 の 内 面 の 深 敦 糾 円 容 や 、実 生 活 に掛 け 離 生運動にマッチした豊かな町 住 ″よい村 造りに努めなけれ ば `り゛ まだへ そ れには 、修 養団 休だ 円年団 、青年学 級に 学 び、こ扣を最大限に利川 し お 彑に目覚 し、槓極性 こ若さ を持って 、現 在の雑然 とした 社 竝に対 処 しJより良 き社会 明 勺い町にするために佃々に れ た内 容等 地域 によ っ て 多 少 の相違はあっても 令股的 に見 て も 、最 早やこ れまでの在り 方で は学級 伍の 魅力か少な く これ以上の 進歩は望めません ことに近年新生運動を共に四 HC 、青 水研等、活動範囲 は 広くなって来ておりま す。 これ等 クラ ブ活動の発展 と 於て 、みっしりと教養を身に つ け、現時代を正しく、強く 生 きてこそ 、その成果が表わ れるのでは ないでしょうか 現 在農村に近代的文化を取 り 入れなければなら ないが 、 その文 化の進歩にっれて 、青 年や人心がゆるみ、怠 るよ う にな るならば 、かえって文化 は青年のために不幸をもたろ すかも知れない、青白い文 化 人 となっては ならない、私達 は常 に大地を見つめ 、歩一 歩 と前 進し現実の不合理や障害 いるもので あるなら ば、如何 ならない。 所で あること を強調して入学 に豊富な知識をつめこんで み そ こ で 青年学級はこの町を されることを心から念願して ても 、何の足しにもならない い かによりよ くつ くり上げて いる。 知 識 は 現実の生活を高める 行くかということ、我 家を如 終りにこれ等の青年の自 主 こ とに役立つように学 びとら 何 にして明るい家庭にするか 的活動 としての勉学に、父兄 なければなら ない。学習はあ ということ 、お互が人間 らし の皆様の理解 ある御協力を御 く迄も農漁村の生 活そのもの い生活をして行 くにはどうし 願 いし、慈しみ深 い長い目で の中に凡ての素材 があ る。そ たらよいかとか 、よりよい人 見 守って下 さるこ とを切望し の素材は同 時によ い教 材とし 生を求める若人 達の求 道の場 ている。 て 、整理 され、再び生活の中 所 なのであるから、学習上不 に還元 されるものでなければ 断に創意工 夫の加えら れる場 お互 挨 拶 と人 に親 切 を 力 は 、より よ い仂 き か たを 求 め て 、不 断 の 努 力 を くり 返 す 外 に はう み 出 し え な い もの で あ る。 仂 き と学 び と い う こ と が 学 級 で は常 に 相 互 関 係 を も っ て い な け れば な ら な い 。 科 学 知 識 ぢ其 れが 単 に知 識 と し て 、頭 。の 中 に しま いこ ま れて 町 費 な るも 月 謝 と し て 和 裁 科 洋 裁 科 は 昏一 〇 〇円 機工科家庭科は材料費若干 ある 。しかも その 推進力とな るものは、近代的な科学知識 と合理的な精神とを身につけ た実践力のある青少年 の手 に あ るのである。 か か る 新しい農漁村の推進 人間形成 ︵ 対 内 的 ︵ 経 営と 技術 ︶ 育成 ︶ 一般教養 ︵未熟より成熟 え︶ 家 事 和 裁 科 I 講 義 と 裁 ち 方 纐 方 の 実 習旧 導 哭 態 と世 論調 査 年 三 回 洋 裁 科I デ ザイ ン、 裁 断 と 実 習 指 導 機関誌発行 ︲ 事業 行 事 の 主 催協 力 成人式、物産共進会、公川選挙推進、辯論 大会、体育大会、町民体育会、レクレエ ー ショ ン 、病虫 害 防 除 、地 域 環 境 浄 化整 備 ︵生活改善と ‘技 術 ︶ 農業科 I 経 付 焼︰ 。、 術の 基 礎 及 実 際︵ グ几I プ活 動 ︶ 開設場所 町公民館及各分館︵野波瀬、宗頭、浅田︶ 開設 期間 二ヶ年︵六月、十月の農繁期休業︶ 入学 資格 ・町内に居住する勤労青年︵十五ー二五才︶ 予 算 きな 努力 を必 要 と す る も ので ︵ 内 容 ︶ ︵運営実施︶ 運営委員会に 社会形成 ︵ 対 外的 生 産 関 係 を 豊’ か にす る 方 淌 へ︶ 方法 集団討議 問題解決I評価 ︵ 実 践団 体 活 動 ︶ 驃髷 鞣髷 パプリツク 討議法 プライベート 討議法 ︲共 同 学習 、 グ ル ー プ学 習 、集 団 胴 取 、 鑑 賞 、観 察 、既 川 座 談会 、研 究 並 に意 見 発 入 公 、討 論 会 、 プロ ジェ ク トメソ ッ ド 、 講 義 、 ゼミ 十I 上 アモ ンス ト レ ー シa ン ︵実地学お 目︶ 公民 館運 営審 議会 青年団 四H クラ ブ 青年水産研究会 婦人会 婦人講座 生活改 善クラ ブ 成人講座 P TA 問 題 I 話 し 合 いI 目 的 活動 谿竝 弖1 蒲驃 ︵ 綜 合 討 議 ︶問 題 の 把 握︵ グル ー プ 準習 ︶ 学 習活 動の 一例 利用ー三隅広報 団 体 I連 絡 協 力 て 決定 級 學 年 青 隅 ︵ グル ープ 討 議 ︶問 題の 分 析 義 務 教育 六 年 を終え 小中 学生 は 何を考 え うと 思 う。 六 年 に な っ て 学校 力 を つ く して 仂 か なか っ た よ 代 表 に な’つ たが そ れ も ま た 全 う に思 う 。だ け ど 僕 は 六年 の 受 持 の 先生 にし っ かり き たえ ら れ た ので 中学 校 へ行 っ て も は じ の な い よ う な 学校 生 活 を しようと思う。 九ヵ 年 三隅中学校三年 香月敞子 義 務 教 育 九ヶ 年 。 その 九年 目 を 、今 ま さ に 、 私 は 終 えよ や つ と 、 そ の他 は何 一つ と し 強 七 た楽 し 小教 賞 や 、広 い運 て 知 ら なか っ た 。 そ れ を 、 先 時 は 、 数 を 十 まで 数 え る のが な け れ ば なり ま せん 。 こ の よ ’ う と し て い る 。小 学 校入 学 当 う な 思 い 出 の中 に私 の頭 の 申 い ろ い ろな 思 い出 を 残し 、 や 生 や両 親 の 愛 情 に 包 ま れ て 、。 動 場 や 、私 を あ た たか く つ ゝ に 残 っ て い る こ と は 、年 の だ の だ 。 次 いで 、新 し い気 持 と 希 望 に 胸 を ふく ら せ て 中 学 校 っ と小 学 校の 六 年 間 を 終 汀 た に 入 学 し た 。 そこ に は 、小 学 年 ご とに 勉 強 が む ず か し く な 力Lに 校 に 味 わ え な か っ た 多 べの も 上の学年にあ が っ て は わ︷一にら ぺ い こ と の 二 と 犬 つ で す 。 私 は 中 学 校 に進 学 す の I 例 え ば 、生 徒 会 の 活動 や る よ う にし こ いも の だ と 思 い 碵 ん で ’a つ ば な 、 中 学 生 に な そ の過 去 を 振返 っ て み る と 、 学 期 を 迎 えて し ま っ た。 今 、 だ が 、も う三 年 目 の 最 後 の 私 の 心 の大 き な 雀化 に 気 付か ず に は い ら れ な い 。小 学 生 の 頃 は 、 甘 え ん 坊 の 憖 鉄・ 砲で あ も二 年 い時 b、 い や 、三 年 の っ た し 、中 学 生 に なっ て 一年 中 頃 ま で は 、 お しゃ べり で 、 課 外 授 業 か始 まり 、ア 、 テ ス さんにっれらわて、この明倫 い事 や いろ い ろ の 思 い出 を の 、r や 就 職 試 験 が 川 前 に迫 る と 勉強しなくてはいられない気 そ つ ぽを 向 いて い た 。 や がて こし て私 達 は こ の 小 学 校 を 卒 持 に も 、立 場 にぢ な っ て し ま 出 し ゃ ば り で’ 、勉強には全く 業 し よ うと し て い る 。 こ の小 った。でも、今の社会に生れ 小学校ら自白を人つてからも 六 年 前 の ぷ べら 纐 く頃 お は ︵ 豊原︶ 岡 村 米 作 明倫小 ます。 に 気 をつ け て 一口 一口 努 力 を ・ グ ラー フ で の 学 習 が 待 いてt だ る にふ だ って 、 私 は 第 一 に体 っ て 、こ れ で よ いと 思 っ て 努 つ の が非 常 に 甲 いこ と と 、一 ん で 下 さっ た お友 達 と わ か れ い く こと と 、 叉 毎 日 通 っ て 勉 ん に何 一 つ す る こ と な く出 て り な いこ と や、 下 級 生 の 皆 さ 私 の 日 々 は ま だ まだ 努 力の 足 も あ り 、 か な し く も あり ま す る か と 思 う と 、私 は う れし く に 送 ら れ て 、 学 校 を あと にす さ んか ら ﹁ は た る の光 ﹂ の 歌 い一年 生 か ら 五 年 生 ま で の 皆 た。 卒業 式 の 日 に は、 か わ い 如 何にせ ん とし で いる か 宗頭小学校六年 小 林 幸太郎 ︵ 樅ノ木 ︶ いよ い よ小 学 校 と も 別 わ、 こ の 六 年 間 を ふり か えつ て 見 る と 母 に手 を ひか れ て 、 f小 学 校 へ 入学 し たの は 、 たっ たこ の 間 の よ うで あっ たの に 、も う 六 年 間 は 夢 のよ う に過 去 り す ぐ こ の 学 校 とも わ か れ な け れ ば な ら な い と思 う と何 か 、 淋しいが、申学生だという、 決 心 をあ ら たに し ま し た 。。 何 か げで こん な にま で し て い た も わ か ら ない 僕 が、 先 生 の お だ い た と思 うと 、な にか 日 上 が 厚 く なり ま す 。あ の お そ ろ しい十五号大風でていぼうが 切 れ て 、学 校 が 水 び た し に な う 家 庭室 の 畳 も 廊 下 も 講 堂 も ど ろ んこ に なり 運 動 場 も 運 動 道具 も 皆な な が さ わて 終っ た 時 に は 先生 も 生 徒 も 皆 な暗 い 顔 で あっ た が 、青 年 団 や 先生 や生 徒 が 賍日 の 作 業 で たち ま ち 元 の学 校 に なり 、図 書 賞 も 元 より 立 派 に なり ま し た。 け れ ど も僕 たち は 、六 甲 問 の 学 校 生活 と厶 わ か れ る の だ と 心 う と あ の 敦 下 があ の 机 や いす が 名 弧怛 し くな冖 、も っ と も た と 思 いま す 。 マ J弑 け ばと つ と 大 閇 にし て や わ ば よ かっ お と しL の あの 限 、思 い出 は し 中 学 校 に 進 学 出来 ろ と田ヤり 学 校で の いろ い ろの 行 いは 僕 た人間が当然しなくてはなら は や六 年 間 。 楽 し い 事 や 悲 し と ま た 、 う れ し い。伐 は ︰少 の 一 生 の 根本 に な る のだ 。 静 次 か ら 次 兀と っ丶 心 い 。L か 年 よ 大志 をい だ け ﹂の ぷ を 胸 か に 考 えて 見 る けれ どこ れ と に 思 い ま す 。今 静 か に過 ぎ 去 れ が っ い こ の 前 のこ との よ う く 一年 生 に あ が りま し た。 そ さ いて い る学 校へ 、私 は楽 し 昭 和 二 十七 年 さ く ら の 昆 の 先 生 と 勉 強し て 来 た が 、 長 い から学校へ通い、いろいろな と ま た さ び し く な る 。六 年 前 に 仂 けば よ か っ た な あ と思 う だ 。 だ け ど も つ と学 校 の た め ら よ ろ こ び が わ いて 来 るよ う 言 う こと に な る と 、 心 の 中か ベス トを 尽 さ な け れ ば・ ・ ・﹂ と ﹁もつとしつかりして最後の と し て い る。 私 の 心 の 中 に も 教育の課程を有意義に送ろう って 、 残り 少 な くな っ た 義 務 て、それぐ み 出 そ う と して い る人 も あっ 社 会 の 現実 の 中 に第 一 歩 を 踏 を 希 望し て い る人 も あれ ば 、 友 たち の 申 には 、更 に 進 学 な い義 務 で はな か ろ う か 。 った後をふり返って見ると、 年 日 と 共 に 僕 の 精 神 、僕 の持 い う言 葉 が 、私 を 鞭 打 ち 、 さ た が 、今 無 事 に 卒業 出 き ると 一いっ て 、 大 し た 事 も し な か っ に小学校にわかれをつげます 浅田小 六年 河 野 す なは あ る 時 はお 友 達 に 泣 か さ れ 、 っ て いる 心 は ず い ぶん 変 って と す よ う に 迫 って く るのだ 。 ︵ 沢江 ︶ を 一 つ 一 つ 克 服 し て ゆ く生 活 あ る時 はと もに さ わ ぎ 、あ る る よ うに こ れ か ら も 努 力 し よ 来 たと 思 う 。 立 派 な 人 間 に な あると思う。 異 っ た抱 負 を も 態 肬 を 養 ふ亊 こ そ 青年 団 、青 時 は勉 強 に 泣 い て 、 も う 卒業 年 学 級 の一 つ の 大 きな 使 命 で の式も目の前にやって来まし 湯免温泉開発のボーリング工事を見る(2月26日現在) ( 第35号) 昭 和 32 年 3 月 1 日( 金曜日) 報 広 隅 三
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