た ま た ま 球は霊なり ~野球部だより 152~ 6.1.2014 「大変な監督が来たと思った。」と語るのは、春夏通算5回の優勝を誇る横浜高校 渡辺監督。1968年に監督に就任して5年で全国制覇を目指していた青年監督の前 に現れたのが、昨日お亡くなりになられた元東海大相模高校監督の原貢氏でした。ご 冥福をお祈りいたします。 1969年の夏の神奈川大会決勝で東海大相模に敗れた渡辺監督は「その負けが出 発点。70年には全国制覇も見せつけられ、とにかく『打倒相模』。相模より1球多く 投げさせ、1本多く打たせた。理屈ではなく気迫だった。」と、当時を話す渡辺監督は 1973年に選抜初出場初優勝を果たします。「私が優勝できたのは原さんのおかげ。 『神奈川を制する者は全国を制する』という言葉は、神奈川のレベルを一気に引き上 げた原さんがいたからこそ生まれた。」と同氏。原氏の孫の菅野智之投手が10年前の 神奈川県大会に出場した時に、バックネット裏で観戦されていた姿が 思い出されます。 その春季神奈川県大会の準決勝・決勝が昨日行われていて、横浜代表の鴨居中学校 は相模原代表の大沢中学校に1-0で惜敗。決勝は大沢中学校と川崎地区代表の西中 原中学校との一戦。大沢4安打、西中原3安打という投手戦を1-0で制したのは大 沢中学校でした。その大沢中学校内藤監督は10年前の菅野投手の新町中学校時代の 監督。そして巨人のエースに成長した菅野投手は昨日登板して勝ち星こそつかなかっ たものの、パリーグ首位のオリックス相手に7回を0封。試合は巨人が1-0で延長 戦を制しました。大沢中学校の優勝と巨人の勝利は天国の原氏に届いたことと思いま す。 両リーグのエース対決となった試合はオリックス金子投手が9回まで無安打投球。 金子投手には150キロ超の速球も、伝家の宝刀と呼ばれるような決め球もありませ ん。しかし伊藤捕手によると金子投手のすごさは「どんな状況でも変わらないこと。」 と話しています。味方が大量点を奪おうが、ロースコアの厳しい展開の試合であろう が「表情を変えずに同じリズムで投げられる。」と伊藤捕手。試合後も「僕の使命はチ ームの勝利。今日はそれができなかった。」と語る金子投手に、幻のノーヒットノーラ ンには興味がないようでした。オリックス11安打、巨人3安打と、安打数では言え ばオリックスに軍配が上がる試合も、巨人亀井選手の本塁打で試合は決着。 『野球の怖 さ』を思い知らされるとともに、『野球の面白さ』が凝縮された試合でもありました。
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