書評 藤田英典著『教育改革』

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109書評/『教育改革」
化に結びつき、それはこれまで日本社会
習熟度別学級編成やカリキュラムの個別
と論じている。そして、学校週五日制は、
「終章学校再生の戦略」では、学校
る」三○九頁)と藤田氏は否と答える。
るといった短絡的な判断がなされてい
少し教育改革についての柔軟なとらえ
息苦しさを覚えてしまうのである。もう
どまらないであろう。読んでいるうちに
岨鶴をきたしている状況をどうとらえれ
学校が果たしている機能が、市民社会と
か。今日の曰本社会の成熟化傾向の中で
曰本の文脈、日本の教育風土のなかにこ
ばよいのか、この点についての言及が弱
方、問題解決の方法はないものであろう
れを導入したとき、改善になるというよ
を紹介しながら「学校選択の自由だけは、
きた」エートスに反するものとされる。
り、日本の教育を支えてきた基盤が蝕ま
いという感がある。そのため結果として、
選択の自由をとりあげ、アメリカの事例
ここで浜口惠俊氏の「間人主義の社会
今の制度のままでよいという守旧派的な
が培ってきた「個性を関係性のなかで発
日本』が援用され、「間人主義的個性観」
れ突き崩されていくことになる」(一一三九
揮され実現されるものとして位置づけて
と呼びうる組織原理が、教育や企業社会
頁)と述べている。
育改革の方向について基本的に批判的な
「学校選択の自由」の拡大については藤
このように、本書には今日の日本の教
に根づいていることを基本的に評価し、
態度が貫かれている。公立中高一貫教育、
「中高一貫教育と通学区域の弾力化につ
田氏と同様に危険であると考える。(拙稿
日本の学校の特徴であるパストラル・ケ
ア(牧人的世話)が強調されている。ま
学校五日制、学校選択の自由へ反対の立
図書、一九九八年三月)しかし、完全学
いての評価」[解放教育』恥一一一六三、明治
評者は、解放教育の視点から無制限な
た「子どもの権利条約」については、教
場を表明している。とはいえ、一面的な
議論になっている。
あるととらえている。
育の自由化・私事化と同様に両刃の剣で
「第四章教育問題と教育改革」では、
論理で反対しているのではなく、反対意
用の仕方によっては新たな可能性を開く
校五日制や公立中高一貫教育の導入は運
改革であると考えたい。いうまでもなく
からとらえている姿勢は共感できる。本
書全体を通して、今日の教育改革によっ
教育の原点は家庭にあるはずである。こ
見を想定した丁寧な筆致で複眼的な視点
て今まで以上に階層差が拡大しないか、
に使われていることの危険性を警告して
いる、いじめや不登校、高校中退の原因
また不平等が拡大しないかを問う藤田氏
噴出する「教育病理」が学校改革の口実
て、「学校の存在そのものや現在の学校の
は学校にあるのか?という問いに対し
れがこれまで、家庭における教育を放棄
いじめや不登校の原因はすべて学校にあ
由については制限しなければならない
ている点である。評者は、学校選択の自
の教育改革を総体として否定的にとらえ
屈な読後感が残ってしまうのは評者にと
者は願うものである。
改革について考える機会をもつことを評
でも多くの読者がこの本と格闘し、教育
パストラル・ケアを求めるとしても、そ
の原点がこれまでの教育界では忘れ去ら
したうえでの教育における学校万能論に
が、完全学校五日制、公立中高一貫校の
れていなかっただろうか。学校における
陥ったり、また厳しい校則や体罰といっ
導入には賛成の立場をとりたい。今や、
の思いが伝わってくる。ただ、こうした
た「熱い指導」であったりした日本的な
学校教育は文明論的な転換期にあること
原則は重要であると思うが、いささか窮
パストラル・ケアの土壌が批判されるべ
して全否定されているからであり、また、
きではないだろうか。また、日本の中学
うか。ポストモダン的な想像力が求めら
を見すえた論議が必要なのではないだろ
あり方すべてがいじめや不登校の原因と
合であることを顧みれば、教師の側から
校と高校のカリキュラム上の接合が不整
の発想で運営されてきた学校教育が、市
民社会との間で齪酪をきたしているとい
れるゆえんである。評者の立場はモダン
う観点である。これは決して藤田氏が指
見て高校入試という重圧から解放された
教育に取り組め、生徒自身にとっても自
摘するような「無責任な印象論」三○四
場で六年間という長いスパンでじっくり
により役立つであろう。評者自身もこの
らのアイデンティティ形成(自分さがし)
時代を振り返ってみてそう思う。さらに、
理によって批判する視座は教育改革に欠
くことのできない回路である。教育改革
頁)ではない。学校教育を市民社会の倫
体に適用するようにしたらどうだろう
ける批判を無視することは許されない。
を考えるうえで、そうした市民社会にお
公立中高一貫教育の考え方を中等教育全
か。そうすればこれらがエリート校化す
今日の教育改革はそうした批判を組み込
ることなく、中等教育の常態となるので
はないか。
のうえで大切な視点は藤田氏も指摘して
の世界だけで完結するものではない。そ
いるように、その改革によって誰の利益
みながら推進されているのであり、教育
の両面があるという観点を評者も共有す
が優先されるかである。その意味で一人
本書で描かれているように、どのよう
るものである。それを踏まえたうえで評
な教育改革にも積極的側面と否定的側面
者と意見が分かれるのは、藤田氏は今日