震 災 ・ 原 発 事 故 に よ る 避 難 か ら 四 年 目 を 迎 え た 今 日 、 震 災

№11
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大きく育て-
教育目標-みんなと
熊町小学校だより「みどりっこ」
の追悼と未来 へ向け て決意 をあらた にす
るため の集会 を行 いま した。
二時 四十六分、体育館 で黙祷
震災 ・原発事故 による避難 から 四年 目
を迎え た今 日、震災 で亡くなられた方 へ
ここに 1冊 の本があ ります。 「
汐 凪を探
て いるでし ょう。素晴ら し い世界 にな っ
して」と いう本 で、あ の時、児童館 に い て いるでし ょう。
た汐 凪さ んがどう して津波 にあ った のか、 ただ、 注意 しな ければならな いことが
汐 凪さ ん のお父さ んは、大熊 町 の海岸
で今 も汐 凪さ んを探 して います。
どんな世 の中 にな って いるでし ょう か。
大熊 町や福島 県、 日本や 世界 はどうな っ
どんどん世 の中が便利 にな って いきます。 ば りま し ょう。
皆さ んが大 人にな って未来 に戻 った頃 は、 お話を終わ ります。
歩 して作られ て います。 コンピ ュー タも て いま した。 双葉 郡に 4月 「
みら い」と
ス マート フォンも昔 はあ りま せん でした。 いう学校が できます。未来を信 じ てが ん
ます。プ ロンプ ターと言う機会 です。 こ
んな道 具 は昔 はあ りま せん でした。
こう した道 具 は科学や 技術 がどんど ん進
すが、実 は ここに写 した原稿を読 ん で い
さ ん の皆さ ん への感謝を忘 れな いでくだ
さ い。
ビートたけしさんも コマー シャルで言 っ
日本中世界中 で応援 してくれ て いるたく
し い魚 をと って、 沢山 の人に食 べてもら
い、 みんなを笑顔 にした いです。
です。
一日も早く、福島 県沖 で、安全 でお い
いと思 いま した。
夢 に向 か って 一生けん命 が んば りた い
めには、魚 の事だけ じゃなく捕 まえ方や
海 の事、船 の事 を勉強 しなくち ゃ いけな
お父さ んに海 釣 りを教え てもら ったり
水族館 で魚 を観察 したり しま した。漁 に
は、色 々な方法があ って、漁師 にな るた
く知 りたくな りま した。
ま した。震災 で
は、震度 6強 の
す。 あれ から 4
年 の月 日が経ち
1日、 2011
年 に東 日本大震
災があ った 日で
今 日は 3月 1
校 長講話
******
さ て、今 日 のこ の集会 にはもう 一つ大
きな めあ てがあ ります。 それ は、未来 に
避難 した ことを忘 れず に これ からも生き
て いかなければな りま せん。
私たち は、汐 凪さ ん のこと、地震 のこ
と、津波 のこと、 そ して、 原発 の事故 で
いた詩が こ の4年間ず っと張 ってあ りま
す。 早く汐 凪さ んが見 つかるよう皆さ ん
でお祈 りした いと思 います。
いと思 います。
体育館 の壁 には汐 凪さ ん への思 いを書
皆さ んもき っと同じ気持ちだ ったと思
います。 そ して今 もそ の気持ち は変らな
そ の後 お父さ んが 早く探 し出 した いと 必
死に探す様 子が書 かれ て います。
う か。
10年、 20年 た ったとき、皆さ んは
どんな大 人にな って いるでし ょう か。 ど
と です。 わた し達だけ じゃなく世界が平
和で幸せになることが大事 ではな いでしょ
科学や 技術 の進歩 で大事な こと は、私
たちが 不幸 にな っては いけな いと いう こ
の原子力発電所 の事故 でわ た し達 は避難
をす る こと にな った のです。
勉強 した人も いると思 いますが、 そ の中
の 一つが原子力発電 でした。 そ して、 そ
した。 江戸時代 に エレキテ ルと いう電気
を起 こす機械を つく った 日本 人も いま し
た。 いろ いろな方法 で電気 を作 る こと は
ますが、電気 のな い時代 もあ りま した。
雷が電気 であ る ことを発見 した人も いま
ことがあ るか考え てみてくださ い。
わた し達 は電気 を当 たり前 に使 って い
あ ります。科学や 技術 の進歩 は いいこと
ば かり ではな いと いう こと です。 ど んな
ぼ く の将来 の夢 は、漁師 にな る事 です。 の気持ちを伝え卒業を お祝 いす る会 です。
なぜ かと言うと、魚 を食 べてみんな に喜
6年生 は 2年生 の終わ りに ここ会津 に避
努力 し、 目標を達成 した いです。
校 に来 ると楽 し いことを話 してくれたり、 カレンダー
楽 しく勉強が できたりします。 一生懸命 を見ると、
先生が毎 日みんなと遊 んだ り勉強 したり
して いる姿 を見 て いた から です。毎 日学
し ょに遊 びた いです。
将来 の夢をも ったき っかけ は、担任 の
にな る こと です。 とき にはきび しく、時
にはや さ しく でき る先生、 みんな に平等
わたしの将来 の目標は 「
小学校 の先生」
熊 町小五年
小学 校 生
活も残 り
に国語や算 数 の勉強 を教え てみた いです。 ダ ウ ン が
また、休 み時 間 には校庭や体育館 で い っ 始 ま り ,
に接す る ことが でき る先生 にな りた いと
思 って います。
小学校 の先生 にな ったら、 子どもたち
少なくな
りました。
いよ いよ
卒 業 への
カ ウ ント
なさ んに
と って 、
わた し の夢
大きな揺 れと そ
の後 の大津波 で
むけ て希望をも つと いう こと です。
皆さんは、 「
留学生」と いう言葉を知 っ
こでどんな仕事 を して いるでし ょう か。
是非、夢 と希望を持ち、素晴ら し い未来
難 して大 野小、熊 町小仲良 く協 力 して 4
年間 こ の校舎 で沢山 の思 い出を作 ったと
中里 祥歌
地震 で亡くなら
て います か。 「
留学生」と いう のは、自
れた方 は、 15, 分 の国 以外 の外国 で勉強す る学生 のこと
859人、今 も です。実 は、 ここに いる皆さ んも留学 生
大きな被害 があ
りま した。 こ の
です。 どう してかと いうと、皆さ んは、
「
未来と いう国」 からや ってきた から で
を作 るため の努力を続け てほし いと思 い
ます。
ん で欲 し いから です。
ぼ くが魚 を好き にな った のは、避難先
思 います。今 日 の卒業生を送 る会 もそ の
思 い出 の 一つにしてくださ い。進 む中学
が違 う 6年生も いますが、 い つま でも大
「
6年生を送る会」は5年生が中心にな っ
てこれま でお世話 にな った 6年生 に感謝
卒業ま で
小学校 へ来 る のは今 日を 入れ てあと 11
日とな ったよう です。
6年生 のみなさ ん,少 し早 いですがご
卒業 おめ でとうござ います。 6年生 のみ
行方 不明 の方 が
3, 021人 に
す。 ドラえ もんは 22世紀 からや ってき
たネ コ型 ロボ ット ですが、皆さ んも未来
東 日本大震災 から 4年が経ち ま した。
ここ会津若松 へ避難 して皆さ んは大変な
の新 潟 で魚 を食 べる ことが できた から で
す。
魚市 場 に、 一度だけ連 れ て行 ってもら
将来 の夢
上 ります。
福島 県 では、 亡
からや ってきた人間な のです。 そ して大
きくな って未来 に帰 って いく のです。 そ
苦労を してきま したが、 いろ いろな方 か
ら支援 を頂き、 いろ いろな経験を して未
来 に向 か って成長 して います。
熊 町 の小学生 のいいお兄さ ん、 お姉さ ん
で いてくださ い。
杉本 悠
くなられた方 が
3, 695人、
のために今、 し っかり学 び、鍛えなけれ
ばな りま せん。
皆さ ん のことを未来 からや って来 たと
これ からも沢山 の方 のお世話 にな って いま した。 そ こで、 沢山 の魚 を見 て驚 き
いくと思 います。 お家 のかた、 近所 の方、 ま した。種類や名前 が い っぱ いあ る こと
熊 町小三年
行方 不明 の方 が
3人 います。
行方 不明 の方
は言 いま し た が 、 ド ラえ も ん のよ う に
「
ひみ つの道 具」 は持 って いま せん。
生、木村汐 凪さ ん です。
は広 野町、 双葉 町、 そ して大熊 町 の方 で
す。大熊 町 の 一人は熊 町小 5年生 の同級
発行責任者 末永幸弘
大熊 町 のみなさ ん、会津若松市 の皆さ ん、 を知 りま した。ぼ く は、漁 に ついて詳 し
発行日2015, 3,11
№ 11
今、校長先生 は皆さ んに話を して いま
熊町小学校だより