本好きの下剋上 SS置き場

本好きの下剋上 SS置き場
香月 美夜
タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト
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︻小説タイトル︼
本好きの下剋上 SS置き場
︻Nコード︼
N7835CJ
︻作者名︼
香月 美夜
︻あらすじ︼
活動報告に載せていた﹁本好きの下剋上﹂のSS置き場です。
まとめてほしいというご要望があったので、作りました。
1
フラン視点 神殿の変化︵前書き︶
第三部の初めの頃、ローゼマインが貴族街へ移動してすぐの神殿の
様子です。
2
フラン視点 神殿の変化
マイン、いえ、ローゼマイン様が貴族街へと出発された翌日、神
殿長の部屋の鍵が開けられました。
まず、書類や祭壇の飾りなど、神殿長の職務に必要な物を選別し
て運びだし、残った家具や私物を運び出さなければなりません。
﹁フラン、其方達は祭壇を片付けろ。我々は書類を片付ける﹂
﹁かしこまりました﹂
神官長がほとんどの職務を請け負うことになるので、神官長とそ
の側仕えが率先して書類整理をしています。
神官長の筆頭側仕えであるアルノーの姿が見当たらないことに首
を傾げつつ、私はモニカとギルと一緒に布で丁寧に聖典や祭壇の上
の燭台などを包み、保管しておくための木箱に納めていきます。
そして、ローゼマイン様のお部屋に新しく注文する家具の参考と
するため、様々な家具の寸法を測り、書字板に書き込んでいきまし
た。
﹁書類関係はこのくらいか⋮⋮。予想以上に少ないな﹂
神官長はそう呟きながら、神殿長の部屋を出て鍵を閉めます。
書類や道具の入った木箱を運ぶように命じていた神官長が私を呼
び止めました。
﹁フラン、明日は私の部屋に来なさい。神殿長の家具を下げ渡すた
めの打ち合わせとローゼマインが行う神殿長の職務について話があ
る﹂
﹁かしこまりました﹂
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私は頷くと、孤児院長室へと戻りました。そして、本日測った寸
法を、ロジーナが書いていた家具の寸法と見比べて、訂正していき
ます。領主の養女となるローゼマイン様の家具は見栄えや価格はも
ちろん、寸法もきちんと準備しておかなければならないのです。
﹁フラン、ちょっと工房を見てくる﹂
﹁ギル、また言葉遣いが荒くなっていますよ﹂
私の注意にギルが一度息を吸って訂正します。
﹁工房の様子を見てきます﹂
﹁ローゼマイン様がいらっしゃらない間、工房に関しては貴方に任
されています。けれど、一人だけで何とかしようとするのではなく、
他の灰色神官にも仕事を割り振れるようになってください。貴方は
神殿長の側仕え見習いとなるのですから﹂
﹁⋮⋮いってきます﹂
家具の注文票を書き終える頃には、ギルが工房から戻ってきまし
た。
側仕え皆でモニカとニコラが作った食事を頂きます。ロジーナと
デリアがいなくなり、代わりにニコラとモニカがいる食堂は不思議
な感じがしました。
夕食を終えると、すぐに神の恵みを孤児院に運んでいきます。ヴ
ィルマとフリッツが駆け寄ってきて、すぐに神の恵みを受け取って
くれました。ぐるりと孤児院を見回しますが、特に問題なく動いて
いるようです。
﹁ヴィルマ、問題はありませんか?﹂
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﹁そうですね。デリアが少し気になります。ディルクの世話を一人
で抱え込んでいるのです。その内、倒れそうで⋮⋮﹂
デリアの名前を聞いて、私はわずかに眉を寄せました。正直なこ
とを言ってしまうと、私はデリアが苦手です。女を武器に神殿長に
取り入ろうとしていた姿勢も、仕える主ではなく、ディルクを最優
先にした言動も、自分とは相容れないのです。
主を裏切ったデリアがどうなっても、私は構わないのですが、領
主に対して命乞いをしたローゼマイン様はデリアとディルクに何か
あれば気になさるでしょう。
﹁デリアが倒れるまでは好きにさせた方が良いと思います。恐らく
今は何を言っても無駄ですから。彼女は倒れるまで周囲の心配りに
は気付きません。倒れた時にディルクの面倒を見る者やデリアの面
倒を見る者を決めて準備しておけば良いでしょう﹂
﹁そうですか。わかりました﹂
ヴィルマは心配そうに眉を寄せながらも、私の助言に頷きました。
次の日は神官長に呼ばれているので、私は厨房にいるモニカとニ
コラに声をかけました。
﹁モニカ、ニコラ。私は神官長に呼び出されているので、貴族区域
に向かいます。料理の間に余裕ができれば、ローゼマイン様の私物
を移動できるように木箱に詰めていってください﹂
﹁わかりました﹂
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二人の返事に頷くと、私は神官長の部屋へと向かいます。
私が入室を許可された時、神官長は忙しそうにいくつもの木札や
書類を仕分けしていました。神殿長の部屋から持ち出した物でしょ
う。
﹁フラン、わざわざすまないな﹂
﹁いいえ、どのようなご用件でしょうか?﹂
神官長の側仕え達と共に、神殿長の部屋から運び出す家具の処分
について話し合いました。ご実家の方では神殿長の荷物を引き取る
ことはなさらないようで、基本的には青色神官に家具を下げ渡すこ
とになります。
どのような順番で家具を見せるのか、誰がそこについて監視する
のかなどを話し合った後、神官長は軽く手を振りました。
﹁ローゼマインが神殿長として行う儀式の話をする。其方らはそれ
ぞれの仕事に戻るように﹂
神官長の前に残ったのは私だけで、神官長の側仕え達はすっと執
務机から遠ざかっていきます。
書字板を取り出した私を神官長はちらりと見ました。少しばかり
言いにくそうに、眉を寄せ、ほんの少し声を潜めます。
﹁フラン、アルノーから事情を聞いた﹂
ざわりと肌が粟立ち、ゴクリと喉が鳴りました。神官長に事情を
聞かれたら話す、とアルノーには言われていましたが、実際そうな
ってしまうと神官長の前に立っているのも許されないような気がし
て、思わず一歩下がってしまいました。
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﹁知らなかったとはいえ、青色巫女に仕えるのは苦痛に思うところ
もあっただろう。フラン、其方はこれから先もローゼマインに仕え
られるか? 私に仕えていた頃と同じように、ローゼマインを自分
の主とすることができるか?﹂
過去の一切を語ることなく、神官長は金色の目で静かに私を見据
えて、先のことを尋ねます。今までのことは関係がない、と言外に
言われ、私は軽く安堵の息を吐きました。
﹁神官長のおっしゃる通り、初めは陰鬱な気持ちになりました。青
色巫女見習いの側仕えとして孤児院長室で過ごすことになったので
すから﹂
ローゼマイン様の個室として与えられた孤児院長室は家具や食器
さえもそのままで、嫌でも思い出を引きずる場所でした。けれど、
主が違うだけでここまで違うのか、と驚愕したのはすぐでした。
ローゼマイン様は神殿から出ることを許されていなかった灰色神
官を下町に連れ出し、孤児院や工房に平民のやり方を取り込んでい
きます。どんどんと自分の周囲が変わっていくのが目に見えてわか
りました。
次々と新しいことを始め、神殿にはなかったことを取り込むロー
ゼマイン様に順応することに手一杯で、とても過去を思い出してい
る余裕などなかったのです。
﹁ローゼマイン様はマルグリット様と全く違います。自分の利とな
るように孤児院を使うのではなく、孤児院を少しでも良くしようと
奮闘されていらっしゃいます﹂
自分の好きなように孤児達を動かせるから。
孤児院に与えられた金額を着服し、利益を得ることができるから。
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役職に就いていた方が多くの補助金が回ってくるから。
そのような理由で孤児院長の役職に就いていた他の者とローゼマ
イン様は全く違いました。
自分の身銭を切って孤児達を救い、自分達で生きていけるように
仕事と生活の術を与えたのです。ローゼマイン様が神殿長や青色神
官に隠しつつ、やりきったことの貴重さと素晴らしさは、孤児院で
育った者にしかわからないでしょう。
﹁孤児院では灰色神官を初め、見習いも子供達も皆が感謝し、慕っ
ています。驚かされることも多いですが、私はこれからもローゼマ
イン様のお役に立ちたいと思っております﹂
﹁そうか。ならば、良い。青色巫女に色々と思うところがあるらし
いアルノーは遠ざけることにしたが、フランはこれからもローゼマ
インに仕えてくれ﹂
神官長は軽く息を吐いた後、私達ローゼマイン様の側仕えがして
おかなければならない仕事と、領主の養女にお仕えするための心構
えについて話してくださいました。
﹁貴族社会では些細な失敗が取り返しのつかない汚点として残る。
それを念頭に置き、ローゼマインに仕えるように。命令を唯々諾々
と聞いていれば良いのではない。ただの貴族ではなく領主の養女と
して相応しい成果を残せるように厳しく導いて欲しい﹂
﹁かしこまりました。誠心誠意お仕えいたします﹂
神官長は深く一度頷くと下がるように、軽く手を振りました。私
は手を交差させて跪くと、神官長の部屋を出て、孤児院長室へと戻
ります。
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⋮⋮領主の養女に相応しい成果。
ローゼマイン様は貴族の常識が足りず、巫女見習いとしての経験
も知識も不足していらっしゃいます。神殿長として領主の養女に相
応しい成果を残せるように補佐することが、私の役目でしょう。
部屋に戻ると、すぐさま木札に神殿長が行う神事を書き出しまし
た。
ローゼマイン様が神殿長として初めて民衆の前に立つのが星結び
の儀式です。そこで失敗することだけは避けなければなりません。
﹁モニカ、手伝ってください﹂
私は厨房にいたモニカを助手にして、木札に儀式に関することを
少しでもわかりやすくなるようにまとめ始めました。一年間の儀式
がたくさんあり、それぞれの儀式で憶えなければならないことがあ
ります。
神殿長の役職をこなさなければならないローゼマイン様が万が一
にも失敗などしないように、全力で補佐しなければなりません。
私と同じローゼマイン様の側仕えであるギルは、ローゼマイン様
の一番の関心事である本の制作に関わり、お役に立っています。
ならば、私はローゼマイン様の筆頭側仕えとして、神殿長の補佐
という仕事に全力で取り組まなければならないでしょう。
﹁これだけ憶えなければならないローゼマイン様は大変ですね﹂
モニカの言葉に私は一度頷きました。
すでに木札が三つ、積み上がっています。
神殿に戻ってきたら、図書室に籠ろうとするに違いないローゼマ
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イン様を押さえて、憶えてもらわなければなりません。
﹁ローゼマイン様が不在の間に、本に突進するローゼマイン様の押
さえ方を考えなければなりませんね﹂
私の呟きを拾ったモニカが小さく笑って頷きました。
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トゥーリ視点 焦る気持ち
﹁トゥーリ、もうそろそろ終わりにしたら?﹂
﹁ここだけ終わったら寝るよ﹂
母さんに言われて、わたしは一枚の花弁を編みあげて、かぎ針を
置いた。
赤い花弁を見ながら、ぐっと大きく体を逸らして、﹁ん∼﹂と伸
びをする。
﹁ダプラになってから、ずいぶん忙しくなったわね﹂
﹁全部マインのせいだよ﹂
わたしはむぅっと唇を尖らせた。
わたしがダプラになった頃から、コリンナ様やオットー様が次々
とお貴族様から花の飾りの注文を取ってくるようになった。貴族の
星祭りでマインが何かしたらしくて、どのお貴族様も皆マインの紹
介だって、二人は言っている。
おかげで、髪飾りを作るわたしは大忙しだ。もちろん、工房には
わたしの他にも花を作る人はいるけれど、一番種類が多く作れて、
慣れているのはわたしなのだ。
マインがくれる絵本や手紙の中には﹁こんな編み方もあるけれど、
髪飾りに使える?﹂というような一文と編み方の記号が書かれてい
るものがある。他の皆はその記号を知らないので、最初に作るのは
当然わたしになる。
その編み方を自分で覚えて、新しい花が作れるかどうか試してみ
てから、皆に教えるので、わたしはいつの間にか工房で教える立場
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になっていた。
せっかくダプラ契約をしたのだから、工房で重用されるのは嬉し
いんだけど、髪飾りを作るばかりで、あまり針子の腕が上がってい
ない気がする。
﹁わたしはマインの服を作るって約束したんだよ。それなのに、作
るのは髪飾りばっかりなんだよ⋮⋮﹂
﹁でも、行儀作法をもっと勉強すれば、お貴族様のお屋敷に連れて
行ってくれることになっているんでしょう?﹂
﹁それはそうだけど⋮⋮﹂
わたしはハァと溜息を吐いた。行儀作法は難しい。どこがどう違
うのか、自分では全くわからないのだ。
そんな自分の状況を思うと、ルッツの立ち居振る舞いが格段に良
くなっていることが羨ましくて仕方がない。ルッツもマインに振り
回されている仲間なのに、ルッツだけが確実にお貴族様に近付いて
いる。
今年は夏の半ばから冬支度が始まるくらいの時期まで、ルッツは
イルクナーという土地に行っていた。新しい紙を作る仕事をするん
だ、って言って。
そのイルクナーに偉いお貴族様が来るということで、皆で立ち居
振る舞いの練習をしたのだそうだ。
貴族に仕えていた灰色神官が先生役で、ルッツも一緒に練習して
いたと言う。わたしは髪飾りが忙しいし、先生役がいないので、ル
ッツがちょっとずるいと思う。
﹁じゃあ、トゥーリはルッツに教えてもらえばいいでしょ?﹂
﹁⋮⋮ルッツも忙しいんだよ。それもマインのせいなんだけど﹂
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新しい紙の研究をするために、イルクナーから色々な材料を持ち
帰ったようで、ルッツは今インク工房や木工工房を走り回っている。
﹁カミルはいいね。マインからもらうのが、お仕事じゃなくて、お
もちゃだもん﹂
木工工房にマインが注文していたというおもちゃを、この間ルッ
ツが持ってきて、カミルに渡していた。
薄い木の板で作られた箱に色々な形の穴が開いていて、その穴の
形と同じ形の積木を入れて遊ぶおもちゃらしい。まだ丸しかうまく
合わせられないけれど、カミルは夢中で遊んでいる。
おもちゃを持って来てくれるルッツにすごく懐いているから、こ
のまま成長したらルッツの紹介でプランタン商会の見習いになると
思う。
﹁ねぇ、母さん。カミルもマインに振り回される一生を送ることに
なるんじゃない?﹂
﹁そうかもしれないけれど、選ぶのはカミルよ。トゥーリだって好
きでやってるんでしょ?⋮⋮それ、マインの冬の髪飾りじゃないの
?﹂
母さんがテーブルの上の赤い花弁を指差した。図星をさされたわ
たしはちょっと言葉に詰まりながら、花弁を摘み上げる。
﹁⋮⋮マインは季節が変わろうとしているのに、髪飾りの注文をし
ないんだもん。こっちから作って持って行かなきゃダメでしょ? 領主様の娘が毎年同じ飾りを付けるなんて恥ずかしいじゃない。わ
たしはマインが恥をかかないように⋮⋮﹂
﹁久しぶりに会いたいって素直に言えばいいのに⋮⋮﹂
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そう言って母さんがクスクスと笑う。
マインも忙しくてなかなか会えないから、何となく最近は会いた
いって素直に言えなくなった。もしかしたら、わたしばっかり会い
たいと思ってるのかな、と考えてしまう。
わたしは作りかけの髪飾りを片付けながら、肩を竦めた。
﹁わたしはマインが早く元気になってくれればいいよ。お薬の材料
は全部集まったんだって。ルッツが言ってた﹂
﹁そう、マインが元気になれるの⋮⋮﹂
母さんがそう言って、嬉しそうな寂しそうな複雑な表情で笑う。
その気持ちがわたしにはよくわかった。
マインが元気になるのは嬉しいけれど、もっと遠くに行ってしま
うような気がする。
虚弱でいつも倒れていた、わたし達が知っているマインからどん
どん遠ざかっていくような、置いていかれるような気がしてしまう。
⋮⋮なるべく早く一流のお針子になるから、あんまり先に行かな
いで、マイン。
わたしは赤い花弁をそっと撫でた。
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トゥーリ視点 マインの目覚め
﹁トゥーリ!﹂
ルッツがわたしの名前を呼びながら、コリンナ様の工房へと飛び
込んできたのは、秋の終わりのことだった。
ここ最近、プランタン商会のお仕事で貴族との商談にも同行を許
されるようになってきたルッツは、急に大人びてきていた。こんな
風に工房に飛び込んでくるのはあまりに珍しいことで、わたしは面
食らいながらも、どうにか優雅に首を傾げる。
﹁ルッツ、どうかなさったの?﹂
わたしが周囲を見回しながら尋ねると、ルッツがハッとしたよう
に辺りを見回し、コホンと咳払いして姿勢を正した。
﹁旦那様からお話があるそうです。仕事に切りが付いたら、プラン
タン商会においでください﹂
﹁わかりました。早目に伺います﹂
プランタン商会にわたしが呼ばれることも珍しい。ベンノさんか
らの呼び出しなどここ最近なかった。
何だろう、と思いながら手を動かしていると、周囲の女の子達が
華やいだ声を上げた。
﹁ずいぶんとルッツが嬉しそうでしたね﹂
﹁プランタン商会の旦那様の用事にかこつけて、トゥーリに会いた
かったのでしょう? 春にルッツがハルデンツェルに行ってしまっ
てから、しばらく会っていないはずだもの﹂
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仕事以外の日はいつだってルッツと一緒に神殿へ行儀作法の勉強
に行くか、ルッツと一緒に実家に帰るか、という行動をしていたわ
たしは、完全にルッツと恋人関係にあると周囲に誤解されている。
ルッツがハルデンツェルに行っている間は行儀作法の勉強もお休
みだったので、出かけることも少なくなって、余計にそう思われた
らしい。
それは、プランタン商会のルッツが一緒でなければ、わたしは一
人で孤児院やローゼマイン工房に入ることを許されていないし、ち
ょうどルッツがハルデンツェルに行っている間わたしの先生である
ヴィルマが灰色巫女のお産のためにハッセへと行ってしまったのが
理由だが、そんなことは周囲に言えない。
少し前にルッツがハルデンツェルから戻ってきたことも知ってい
たが、わざわざ会いに行くような関係ではないので、土の日に会え
ばいいや、と思っていた。ルッツも別に帰ってきた挨拶をしにくる
わけでもないので、わたし達の間ではこれが普通なのだ。
⋮⋮お互い、恋愛避けに丁度いいから利用し合っているって一面
もあるんだけど。
﹁トゥーリ、こちらはいいからプランタン商会へ行ってちょうだい﹂
﹁コリンナ様!? お仕事はきちんとします﹂
﹁兄さんが呼んでいるのですって。ほら、急いで﹂
二人目が生まれて、やっと仕事に復帰したばかりのコリンナ様に
柔らかな笑顔で急かされ、わたしは急いで糸の始末を終えるとプラ
ンタン商会へと向かった。
コリンナ様に急いでと言われたので、心の中はとても急いている
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けれど、おしとやかさを忘れずに。
﹁ご無沙汰しております、トゥーリです﹂
﹁よくいらっしゃいましたね、トゥーリ。旦那様が奥でお待ちです。
ルッツ、トゥーリの案内を任せます﹂
マルクさんが品の良い仕草でそう言いながら出迎えてくれた。お
仕事中の顔をしたルッツに案内されて、わたしは奥にあるベンノさ
んの執務室へと足を運ぶ。
﹁失礼します、旦那様﹂
﹁あぁ、トゥーリか﹂
ベンノさんがちょっとコリンナ様に似た感じの柔らかい笑みで迎
えてくれた。ルッツがしっかりと扉を閉めて、ベンノさんをちらっ
と見る。ベンノさんも唇の端を上げて、ルッツに軽く頷いた。
﹁二人とも今日は実家に帰って良いから、明日は一の鐘が鳴ったら、
なるべく早く戻ってくるように﹂
﹁かしこまりました﹂
﹁⋮⋮え? 何故ですか?﹂
わけがわからなくて、わたしはベンノさんとルッツを見比べるけ
れど、二人はニヤニヤと笑うだけだ。
﹁着替えて来いよ、トゥーリ。早く帰ろう﹂
嬉しさがにじみ出ているルッツの声に促されて、わたしはギルベ
ルタ商会の自室で急いで実家に戻る時の服に着替える。
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⋮⋮もしかして、もしかするかも?
ベンノさんとルッツのニヤニヤの中にある、隠しきれていない嬉
しそうな表情から導き出される答えに、胸がドキドキして止まらな
い。
早く報告が聞きたくて、最近はずっと注意していた優雅な動きを
かなぐり捨てて、わたしは部屋を飛び出した。
﹁トゥーリ、早く!﹂
階段を駆け下りると、ルッツも実家に戻るための服に着替えて待
っていた。そして、わたしに向かって手を差し出す。わたしがその
手を取ると同時に、ルッツはダッと駆けだした。
わたしだけではなく、ルッツの言動にも普段の丁寧さが欠片もな
い。こんなルッツを見たら、工房の女の子達はビックリするはずだ。
二人で一番の近道を使って、家に向かって走る。こんな風に街の
中を走り回るなんて、もう二年も三年もしていない。笑い出したく
らい気分が高揚しているのが自分でもわかる。
﹁母さん、カミル、開けて! トゥーリだよ!﹂
ルッツと二人で息を切らせて階段を駆け上がり、ドンドンと玄関
の扉を叩く。扉が開くと同時に家に飛び込んだら、母さんとカミル
にビックリされた。
﹁どうしたの、二人とも!? 今日は仕事のはずでしょう?﹂
﹁そうなんだけど、ルッツが迎えに来て、今日は帰れって言われた
から帰ってきたの﹂
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ぜいぜいと荒い息を吐いていると、カミルがお水を入れてくれた。
一気に飲んで、口元を袖口で拭う。心が急いて、お上品になんてし
ていられない。
﹁ありがと、カミル。ルッツにも入れてあげて﹂
﹁うん。はい、ルッツ﹂
﹁ありがとな、カミル﹂
ルッツはごくごくと喉を鳴らして水を飲み、マインによく似た色
合いのカミルの頭をぐしゃぐしゃと撫でまわす。
カミルは新しい絵本を持って来てくれるルッツが大好きだ。多分、
今日も絵本を期待しているのだと思う。
﹁それで、何があったの?﹂
母さんがルッツに視線を向ける。ルッツは相好を崩して口を開い
た。
﹁昨日、マインが目覚めたんだ!﹂
﹁え!?﹂
母さんは目を丸くしたけれど、わたしはルッツの表情からそんな
予感がしていたので﹁やっぱり!﹂だった。でも、予想が当たって、
顔は自然と緩んでいく。
﹁いつ、会いに行くの?﹂
﹁今朝、ギルから連絡があって、すぐに神殿へ来るようにって言わ
れて、午後に行っていたんだ﹂
﹁え? ルッツはもうマインに会ったの!?﹂
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目覚めた連絡だけかと思えば、すでに会っていたらしい。ちょっ
とずるい。
﹁明日か明後日には貴族街へ移動するから急いで旦那様と仕事の話
をするってことで、こっちもいきなりの話に驚いて飛び出したんだ
ぜ﹂
﹁マインは元気だった? 前に言っていたみたいに大きくなってい
た?﹂
寝ている二年の間にすごく大きくなって別人のようになっていた
らどうしよう、とルッツと話していたことを思い出す。
ルッツはふるふると首を振った。
﹁全然。元気にはなってたけど、見た目も中身も全く変わってなか
った。こんなに小さかったっけって、オレは思ったけど、マインは
大きくなってないのを気にしていたみたいだ。大きくなりたかった
って大泣きしてた﹂
﹁そっか⋮⋮﹂
⋮⋮マイン、元々小さいの、気にしていたからね。
でも、大きくなりたかったと泣いていたマインには悪いけれど、
わたしは自分が知っているマインから見た目も中身も変わっていな
いというルッツの言葉にすごく安心した。
﹁ねぇ、ルッツ。髪飾りの注文、来るかしら?﹂
﹁どうだろうな。でも、オレはもう植物紙とインクと新しい便箋な
んかのマイン用品は準備したから、いつ注文があっても問題ないぜ﹂
ルッツはそう言ってニヤッと笑った。紙もインクもプランタン商
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会の商品の中でマインが一番消費する物らしい。
﹁そんなに勝ち誇って笑われても、ちっとも悔しくないよ。わたし
だって、いつ起きても良いように一年前からマインのための髪飾り
はいくつも作っているもん﹂
わたしの言葉にルッツが笑う。わたしも笑う。そんな中、母さん
の目からポロリと涙が零れた。
﹁よかった。もう、夢じゃないのね。本当にマインが目覚めてくれ
たのね⋮⋮﹂
母さんが嬉し泣きに顔を押さえるのにつられて、わたしも目が潤
んできた。二年は長かった。本当に長かったのだ。
目を潤ませるわたし達を、カミルが薄い茶色の瞳を瞬いて、不思
議そうな顔で見上げる。
﹁マインって、誰?﹂
春になったらカミルは4歳になる。誰にでも何でも話したり、尋
ねたりするお年頃だ。外で不用意にマインの話をされるのは、とっ
ても困る。
わたしは母さんとルッツと顔を見合わせ、顔をしかめた。
マインが目覚めたのは嬉しいけれど、突然難問発生だ。
⋮⋮あぁ、カミルにどう説明すればいいんだろう?
結局、その場は﹁父さんが帰ってきたらね﹂と誤魔化し、喜びに
21
大泣きする父さんにカミルへの説明は丸投げすることにした。
22
ヴィルフリートの優雅でいられない貴族院生活
私は今、どうしたものか、と非常に悩んでいた。
仕方がなかろう。図書館を餌にすれば、あれほどやる気を見せた
のだ。せっかくなので、一年生全員の合格を狙おうと考えるのは当
然のことではないか。
だが、欲張ったのが悪かったらしい。ローゼマインは今、叔父上
よりも厳しい教師となっていた。
睡眠時間を削って、それぞれの弱点をまとめた資料を渡し、絶対
に一発合格するように、と笑顔で凄んでいる。
敵対しているはずの旧ヴェローニカ派のローデリヒに同情してし
まい、ローゼマインの行き過ぎを窘めると、ローゼマインはきょと
んとした顔で首を傾げた。
﹁追い立てて、追い詰めてでも全員を最速で合格させたいから、一
年生全員合格を条件に出したのでしょう? わたくしは全力で取り
掛かると言ったはずです﹂
⋮⋮ダメだ。止まらぬ。
﹁どうしますか、ヴィルフリート様? ローゼマイン様をお止めし
なければ、さすがに一年生が可哀想です﹂
そんなことはわざわざ側近達に言われなくてもわかっている。
私は暴走し始めてしまったローゼマインを止める方法を探して頭
を抱え、叔父上宛ての木札に今の状況とローゼマインの止め方を教
えてほしいと書いて、転移陣の部屋にいる騎士に送ってもらった。
23
﹁ヴィルフリート様、フェルディナンド様よりお返事が届きました﹂
﹁すぐに見せてくれ﹂
慌てて読んだ木札の内容に、私は更に頭を抱えたくなった。
﹁何と書かれていましたか?﹂
﹁⋮⋮其方の側近には文官見習いはいないのか? それとも、問い
合わせの形式も知らぬ能無しか? 少しは勉強させろ。そして、問
い合わせくらいは形式通りに自力で書けるようになれ、と﹂
﹁え?﹂
ずらずらと並んだ美しい字のお小言の最後にあったのは、﹁図書
館は薬にも猛毒にもなる。ローゼマインに図書館を与える加減は、
投薬と同じくらいに難しい。使い方も知らぬ無能が不用意に触れる
と被害は甚大になる。図書館がかかっているのでなければ、本を与
えれば気を逸らすことはできたであろうが、今回の場合はかかって
いる物が悪い。一年生に死ぬ気でやらせるしかあるまい。一年生の
座学など、どうせ大した量ではない﹂というありがたくも全く役に
立たない助言だった。
﹁大した量ではないと言っても、一気に覚えられるような量ではな
いですよ﹂
﹁⋮⋮叔父上は二年間眠っていたローゼマインに叩き込んでいたか
ら、基準がローゼマインなのだ﹂
﹁ローゼマイン様もフェルディナンド様も、合格できると本気で思
っているのですね﹂
﹁あぁ﹂
ローゼマインの追い詰めは功を奏し、涙ながらに詰め込んだ一年
生はギリギリの成績だった者もいたが、全員が合格できたのである。
24
一年生の一発合格でエーレンフェストはすごいと注目されたが、
誇らしさはどこにもなく、安堵と疲れがどっときた。
それからも、ローゼマインは色々なことをしでかした。
騎獣で先生を襲ったという噂が流れるし、神の意志を採りに行っ
たら戻って来ないし、図書館登録をしたら魔術具の主になるし、全
ての講義に最速かつ最優秀の成績で合格するし、図書館に行き始め
たら帰ってこないし、採寸をしたら他領から喧嘩をふっかけられる
し、心配しながら留守番していたらディッターで勝利するし、王子
から呼び出しを受けるし、大領地の姫君と交流を持つし、図書館に
行ったはずなのに王子に呼び出されて意識を失って戻ってくる。
私はどうして良いかわからぬ一つ一つについて、エーレンフェス
トに問い合わせた。講義はシュタープの使い方を除いて終わってい
るのに、添削されて戻ってくる報告書のせいで、ちっとも勉強から
逃れられた気がしない。講義に合格するより、叔父上が満足する報
告書を作る方がよほど大変だ。
上級生の従姉達がまだ講義を終えておらず、私のお茶会が遠くて
助かったとしか思えないまま、私はローゼマインに関する報告書を
書いていた。
﹁やりました! ヴィルフリート様!﹂
いつも一緒に報告書を書いている文官見習いの側近が輝くような
笑顔で、木札を持って帰ってきた。途中で転移陣の部屋の騎士から
定期便を受け取ってきたらしい。
﹁何か有用な答えがあったか!?﹂
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図書館に行ったら、第二王子に連行され、側近を排した会談中に
意識を失ったローゼマインについての報告と王子への対処方法につ
いての質問を送ったのだが、何か良い答えが返ってきたのだろう。
私が手を差し出すと、文官見習いは﹁あ﹂と呟き、ちょっと困っ
たように視線を逸らした。
﹁何だ?﹂
﹁いえ、フェルディナンド様からの添削がなく、報告書の形式につ
いては大変結構とあったので、それが嬉しくて、つい⋮⋮﹂
﹁肝心の答えに関してはどうなのだ?﹂
叔父上に認められて嬉しいような、目指していたのはそれではな
いという脱力感に襲われるような複雑な気分で、私は木札に目を通
した。
文官見習いが言う通り、叔父上の筆跡で形式について褒める文言
があった後、﹁体調回復次第、即刻ローゼマインをエーレンフェス
トに帰還させるように﹂という一文があった。
﹁⋮⋮ローゼマインに帰還命令が出たぞ﹂
﹁せっかく上手く報告書が書けるようになったのに、報告対象がい
なくなると書くことがなくなりますね﹂
ずれた感想を抱く文官見習いに溜息を吐きつつ、私は木札をもう
一度見直す。間違いなく帰還命令が出ている。
⋮⋮ローゼマインが帰還すれば、少しは私も自分のために時間が
使えるだろうか。
報告書を準備するための時間を、趣味や社交に使えるように違い
26
ない。
入学前に思い浮かべた優雅な貴族院生活が近付いていることを感
じて、私は立ち上がった。
ローゼマインが散々引っ掻き回した対処に追われ、帰還した後の
貴族院生活も決して優雅なものではないことを知るのは、まだ先の
事である。
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ハンネローレの嘆き
わたくしはハンネローレと申します。ダンケルフェルガーの領主
候補生として在籍している貴族院の一年生です。
⋮⋮何もかも全てわたくしのせいなのです。
わたくし、魔力の量だけはダンケルフェルガーの領主候補生に相
応しい量があるのですけれど、何に関しても間が悪く、家族には考
え方も行動も領主候補生らしくない、と常に叱られています。いつ
も叱られているので、自分に自信がなくて、とてもお兄様のように
はできません。
⋮⋮なるべく周囲に迷惑をかけないように過ごしているつもりで
すのに、まさかこんなことになるなんて。
図書館で大きなシュミルの魔術具がソランジュ先生のお手伝いを
始めたこと、そして、その主がエーレンフェストの領主候補生であ
ることはすぐに貴族院での噂になりました。寮監であるルーフェン
先生によると、シュミルの魔術具は王族の遺物で、先の政変の粛清
によって主を失い、しばらく動かなかったそうです。
わたくしはシュミルが好きなので、噂を聞きつけて、図書館へい
そいそと見に行きました。わたくしと同じように大きなシュミルの
噂を聞きつけた女子生徒が何人も図書館にいるのを見つけ、仲間が
多いことに少し安堵したものです。
白と黒の大きなシュミルがソランジュ先生の手伝いをしている姿
はとても可愛らしいもので、わたくしはとても満足して寮に戻った
のです。
28
いつも付き従ってくれている側仕えのコルドゥラに向かって﹁な
んて可愛らしいこと。あのようなシュミルの主になってみたいもの
ですね﹂と呟きました。本当に独り言のつもりだったのです。実際、
普段ならば全く問題なく、コルドゥラによって﹁そうですね、姫様﹂
と流された言葉になったでしょう。
けれど、間の悪いことにその呟きをレスティラウトお兄様の側近
に聞かれていました。そして、側近は﹁ハンネローレ様がシュミル
の主となりたいそうです﹂とお兄様に報告したそうです。
﹁姫様があの大きなシュミルの主となれるように、レスティラウト
様はエーレンフェストに申し立てるとのことですわ。王族の遺物で
ある魔術具の主となれば、ハンネローレ姫様の権威を高めることが
できると考えられたようです﹂
ある日、講義から戻ると困った顔のコルドゥラからそんな言葉を
聞かされて、わたくしは大きく目を見開きました。
自分に自信がなくて、あまりにも気が小さくて、大領地の領主候
補生としての威厳がないと宮廷作法の講義でも指摘されたわたくし
は、箔を付けるためにエーレンフェストの領主候補生からシュミル
の主の座を得ようなどと考えたことはありません。むしろ、そのよ
うな注目をされては、大領地の領主候補生に相応しくない自分を周
囲に知られてしまうことになります。
⋮⋮お兄様、エーレンフェストに何という迷惑を!
﹁すぐにレスティラウトお兄様を止めなくては!﹂
﹁⋮⋮先程アナスタージウス王子よりオルドナンツが届き、ルーフ
ェン先生が呼び出されました。姫様の手におえる事態ではなくなっ
たようです﹂
29
コルドゥラに止められて、わたくしは思わず頭を抱えてしまいま
した。すでにダンケルフェルガーの騎士見習い達を率いてレスティ
ラウトお兄様は出かけられたそうです。わたくしが今日ではなく、
前回の講義で試験に合格していれば、きちんと話をして止めること
ができたでしょう。
﹁ハンネローレ姫様、いつも通り間が悪かったのです﹂
﹁コルドゥラ、それは何の慰めにもなりませんわ﹂
どうしたものかと考え込んでおりましたが、アナスタージウス王
子によってすでに寮監が呼び出されているのです。わたくしがしゃ
しゃり出て何とかなるはずがありません。
悶々としながら皆の帰りを待っていました。戻ってきたのはもう
夕食が近い時間でした。詳しい話は夕食の席でと言われ、不安に揺
れる胸を押さえながら夕食に向かいました。
ダンケルフェルガーに主の地位を渡すことはできないとエーレン
フェストが拒否したことで、大規模な争いになろうとしたところに
王子が到着。寮監が呼び出され、ルーフェン先生の提案により、デ
ィッターでシュミルの主を決めることになったそうです。ルーフェ
ン先生のディッター好きも役に立つことがあるのです。
結果としては、ディッターに関して常勝であるダンケルフェルガ
ーにエーレンフェストが勝利し、主の地位は今まで通りローゼマイ
ン様のものと決まったそうです。エーレンフェストから権利を取り
上げるようなことにならず、わたくしは本当に安心いたしました。
おこ
﹁あのような卑怯な者が聖女を名乗るなど烏滸がましい﹂
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ローゼマイン様の一言でディッターに駆り出されることになった
上、手ひどい負け方をしたらしく、レスティラウトお兄様は苛立っ
ていますけれど、ルーフェン先生も騎士見習い達も興奮気味に勝負
について語り合っています。
﹁ローゼマイン様は卑怯ではありません、レスティラウト様。宝盗
りディッターではあらゆる手を使って勝利をもぎ取るのです。フェ
ルディナンド様の奇策に比べれば、まだ対策のしようもある穴だら
けで可愛い不意打ちではありませんか﹂
ルーフェンが嬉しそうに本日のディッター勝負について語り、過
去にダンケルフェルガーを負かしたフェルディナンドという策略家
の話をして、明日からの訓練について計画を立て始めました。
騎士見習い達は自分の先輩や親族から聞いたフェルディナンド様
の策略の数々について、あれこれと情報交換をしています。今度は
どのような策があっても勝つのだと、騎士見習い達は普段よりも結
束が固くなっているようにさえ感じられました。
﹁これで訓練してエーレンフェストには是非再戦を申し込まなけれ
ばならぬ﹂
﹁⋮⋮あの、ルーフェン先生。これ以上エーレンフェストに迷惑を
かけるのは止めてくださいませ﹂
﹁迷惑ではございません、ハンネローレ様。ディッター勝負です﹂
ルーフェン先生にとってディッター勝負は望むところであり、喜
ばしいことであるのでしょうけれど、女性の領主候補生でディッタ
ー勝負を申し込まれて喜ぶ方はとても少ないと思うのです。
⋮⋮それにしても、わたくしと違って、ローゼマイン様はとても
優秀な領主候補生なのですね。
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ローゼマイン様は講義の全てを初日で合格しておりますし、ダン
ケルフェルガーにディッターで勝利し、王族の遺物の主となること
を王子に認められたというのですから、今年最も注目されている領
主候補生に違いありません。
襲撃で毒を受け、二年ほどユレーヴェに浸かり、成長していない
ため、貴族院に来られないかもしれないと噂で聞きましたが、とて
もそのような様子は見られません。洗礼式を終えたばかりのような
外見ですから、尚更優秀に見えるのです。
ローゼマイン様は幼いながら美しく整った容貌に、驚くほど艶の
ある夜の空の髪と月のような金の瞳で、他では見たことがない髪飾
りをいつも挿しています。
ダンケルフェルガーの女子生徒の中でも情報を得たくて仕方がな
い者が多いようで、わたくしは早く講義を終えて社交を始めてほし
いと無言の重圧がかけられている現状なのです。
⋮⋮面識を得て、お茶会にローゼマイン様をお誘いしなければな
らないのですけれど、お誘いの前にお兄様の所業を詫びなければな
りません。今回の事でお気を悪くされているでしょうから、誘い方
にも細心の注意が必要ですわね。
すでに決着が付いていることを何度も蒸し返すことは優雅ではご
ざいませんが、わたくしの一言でエーレンフェストには多大な迷惑
をかけたのです。謝るくらいはしておかなければ、気が済みません。
⋮⋮けれど、どのようにしてローゼマイン様にお会いすればよろ
しいのかしら?
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一年生同士なのですから、本来ならば講義で顔を合わせることが
できるはずです。けれど、ローゼマイン様はさっさと講義を終えて
しまっているので、顔を合わせる機会がございません。
⋮⋮ヴィルフリート様もシュタープの使い方に関する講義以外は
姿をお見せになりませんもの。順位は13位なのに、エーレンフェ
ストの領主候補生は優秀すぎます。
幸いにも明日はシュタープの使い方に関する講義があるので、ヴ
ィルフリート様にお会いすることができるでしょう。ローゼマイン
様とお会いできる機会がないか、伺ってみたいと思います。
シュタープの使い方の講義では、現在自分の家の紋章入りのシュ
タープ作りが流行しています。ヴィルフリート様が始められたのを
皆が真似したがったためです。
紋章入りならば、他の者とは違うシュタープになりますし、自分
の家の紋章なのだから、ハッキリと思い浮かべることができます。
他人とは少し違ったシュタープを作ろうと考える生徒達に、紋章入
りのシュタープが広がっているのです。
﹁ハンネローレ様はダンケルフェルガーだから鷹ではありませんか
? ハンネローレ様は紋章を付けないのですか?﹂
﹁ヴィルフリート様が考えられた紋章入りのシュタープは素敵です
けれど、わたくしはいずれ他領に嫁ぐ身ですから、シュタープに紋
章を付けるつもりはないのです﹂
建前です。わたくしは魔力の扱いに関して経験が少なく、器用で
はないので、シンプルなシュタープでも形を保っているのが難しい
33
のです。紋章入りなどできません。
﹁なるほど、そういう問題もあるのですか。私は紋章だけでは他の
者と変わらないので、もう少し捻りたいと思っているのです﹂
自分のシュタープを出して、ヴィルフリートがむむっと深緑の目
を細めます。わたくしは少しでも早く講義を終えたくて仕方があり
ませんが、ヴィルフリートはまだご自分のシュタープに納得してい
ないようです。向上心が溢れていて素晴らしいではありませんか。
﹁あの、ヴィルフリート様。ローゼマイン様はいかがお過ごしでし
ょう? わたくしがお茶にお誘いしてもご迷惑ではないでしょうか
? お兄様が失礼してしまったようなので、一度お茶会にお誘いし
て持て成したいと存じます﹂
わたくしの質問にヴィルフリート様は少しばかり考え込むように
して答えてくださいました。
﹁ローゼマインは講義を終えてから毎日図書館で過ごしています。
その間で先生方やクラッセンブルクともお茶をしているようですか
ら、迷惑ではないはずです。ダンケルフェルガーにお誘いいただき
光栄です﹂
快いお返事にわたくしが安堵の息を吐くと、ヴィルフリート様は
少しだけ表情を曇らせました。
﹁⋮⋮ただ、ローゼマインは奉納式のためにエーレンフェストに戻
ることが決まっているので、あまり余裕はないと思います﹂
ローゼマイン様が奉納式に戻られる前に謝罪だけでも、と考えて、
34
わたくしは自由時間を見つけて図書館へと向かいました。ヴィルフ
リート様から情報を得た数日後になってしまったのは、ローゼマイ
ン様と違ってわたくしにはまだ講義がたくさん残っていて、それほ
どの自由時間はないためです。
わたくしは図書館をぐるりと回り、ハァ、と溜息を吐きました。
ローゼマイン様のお姿は見られませんでした。
﹁本日はクラッセンブルクのエグランティーヌ様とお茶会だったよ
うです。文官見習いからそのような報告を受けました﹂
﹁そうですか。わたくしが次に図書館に向かえるのはいつかしら?﹂
﹁三日後ですね。ハンネローレ様も早く講義を終えられると自由時
間が増えますよ﹂
座学はともかく実技があまり得意ではないのです。騎獣もまだわ
たくしは上手くシュミルの形が作れません。
三日後、やっと自由時間を得て、わたくしはまた図書館へと向か
いました。けれど、その途中でアナスタージウス王子に連れられて
どこかへと向かうローゼマイン様を見つけ、思わず肩を落としてし
まいました。
⋮⋮あぁ、今日もまた謝罪できませんでした。今度こそ時の女神
ドレッファングーアの御加護がありますように。
お顔の色があまり良くない状態でアナスタージウス王子から少し
ずつ離されながら歩いているローゼマイン様の様子を見れば、不本
意な形での呼び出しであることはすぐにわかりました。王族の呼び
出しを受けるという状況を想像するだけで、こちらまでハラハラし
てしまいます。
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その次の日にも図書館に行ったのですが、ローゼマイン様の姿は
見られませんでした。文官見習いに情報を集めてもらったところ、
臥せっているそうです。
﹁ハンネローレ様、直接会うのは諦めて、お茶会の招待状をお出し
した方が良いのではありませんか? 間が悪すぎます﹂
講義でご一緒したことがあるといっても、少しずつ親しくなって
きた他の領主候補生と違って、ローゼマイン様とは一度も話したこ
とがなく、ご迷惑をかけただけで全く面識がないに等しいのです。
せめて、一度きちんと面識を得てからお茶会に招待したかったの
ですけれど、仕方がありません。このままでは謝罪することもでき
ずにローゼマイン様がエーレンフェストへ戻られてしまいます。
﹁⋮⋮コルドゥラ、エーレンフェストにお茶会の招待状を出してち
ょうだい。個人的に面識を得ているわけではないので、エーレンフ
ェストの領主候補生宛てでお願いしますね﹂
﹁かしこまりました﹂
コルドゥラにお茶会の設定を任せ、わたくしはローゼマイン様の
回復をお祈りしつつ、勉強していました。少しでも自由時間を作り
たいと思ったのです。
﹁ハンネローレ様、図書館にローゼマイン様が現れたそうです﹂
﹁すぐに参りましょう﹂
わたくしは本を片付けるとすぐに図書館へと向かいました。側仕
え、文官見習い、護衛騎士見習いとぞろぞろと連れて歩くことにな
るので、領主候補生は普通あまり図書館へ行くことはしません。
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⋮⋮ローゼマイン様は何故図書館で読書をするのでしょう?
領主候補生が図書館へ日参すれば、キャレルを借りたい下級貴族
もお供をする側近も困るでしょう。側近達にも講義があるのですか
ら、ローゼマイン様の図書館へ毎日お供するのは大変だと思うので
す。
もしかすると、ローゼマイン様の側近は全員ローゼマイン様と同
じように講義を終えてしまっているのでしょうか。それとも、あの
大きなシュミルの主になると、一定の時間を図書館で過ごさなけれ
ばならない決まりでもあるのでしょうか。
よく考えてみると、シュミル達の主は今まで中央の上級貴族の司
書だったので、図書館にいる時間も必要なのかもしれません。
⋮⋮わたくしに主は無理でしたね。
そんなことを考えながら図書館へと着いたのですが、ローゼマイ
ン様の姿が見当たりません。図書館をきょろきょろと見回している
と、ソランジュ先生がこちらへと近付いていらっしゃいました。
﹁ダンケルフェルガーのハンネローレ様、何かお探しでしょうか?﹂
﹁エーレンフェストのローゼマイン様がいらっしゃると伺ったので
す﹂
﹁ローゼマイン様はもうお戻りになられましたよ。体調を崩したた
め、予定よりも早くエーレンフェストへ帰還することになったそう
です﹂
﹁⋮⋮そ、そうですか。⋮⋮わざわざ知らせてくださってありがと
う存じます﹂
⋮⋮何ということでしょう!? 謝罪する前に帰還されてしまう
なんて! わたくし、実は時の女神 ドレッファングーアに嫌われ
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ているのかもしれません。
その場でうずくまりたくなる気持ちを抑えて、わたくしは寮へと
戻りました。
自室でガックリと項垂れていると、コルドゥラは﹁仕方がありま
せん﹂と言いながら、ゆっくりと首を振ります。
﹁間が悪かったのです、姫様﹂
﹁コルドゥラ、ちっとも慰めになりませんわ﹂
⋮⋮本当に、わたくしの間の悪さ、何とかならないものでしょう
か。
落ち込んだわたくしがさらに落ち込むことになるのは、それから
先、何度もありました。
まず、ローゼマイン様宛てに出したつもりのお茶会の誘いがヴィ
ルフリート様に届いてしまった時です。ダンケルフェルガーの領主
候補生に誘われ、エーレンフェストに断れるはずがありません。
こちらからお断りできれば良かったのですが、エーレンフェスト
の流行に興味がある女子生徒の期待の目を受けながら、お茶会を中
止にすることなど気の小さいわたくしにはできませんでした。
⋮⋮申し訳ございません、ヴィルフリート様!
それから、わたくしのお茶会に参加したために、ヴィルフリート
様が他の方のお茶会にも参加せざるを得なくなったと知った時にも、
落ち込みました。
女性ばかりのお茶会に居心地悪そうに、しかし、笑顔を忘れずに
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当たり障りなく受け答えをしているヴィルフリート様に心の中で謝
り倒したのです。
⋮⋮こんなことになるとは思っていなかったのです、ヴィルフリ
ート様!
ローゼマイン様が帰還したことを知らなかったルーフェン先生が
エーレンフェストにディッター再戦を申し込んだことを知らされた
時には気が遠くなりました。
⋮⋮重ね重ね申し訳ございません、ヴィルフリート様!
わたくし、少しで良いのです。
ほんの少しで良いので、時の女神 ドレッファングーアの御加護
を賜りたく存じます。
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叔父上の側近
ローゼマインが戻ってきたその日、トラウゴットの新しい側仕え
としてユストクスもやってきた。ユストクスの采配により、停滞し
ていた頭を抱えたくなるような社交の仕事が全てローゼマインへと
向かい、私は楽しい領地対抗戦の準備ができるようになった。それ
だけでも私はユストクスを高く評価したいと思う。
領地対抗戦での準備についてもユストクスは色々と助言をくれた。
騎士見習い達には叔父上が素材採集をする上でまとめた魔獣や魔
木などの魔物の弱点や攻め方の資料とディッターで使った奇策の数
々をユストクスが書き留めた物を渡す。
﹁団体戦で大事なのは、俯瞰して戦いを見つめ、指示を出せる人間
を置くこと。そして、その指示を皆がきちんと聞き入れること。功
を焦って独走する者がいれば、そこで作戦など意味をなさなくなる﹂
そう言いながら、ユストクスはトラウゴットをじろりと睨んだ。
トラウゴットはローゼマインの護衛騎士を辞任した騎士見習いだ。
私の側近の護衛騎士によると、ダンケルフェルガーとのディッタ
ー勝負の折に、ローゼマインからの命令違反というか、主の言うこ
とを全く聞いていない場面があったらしい。リヒャルダが寮で激怒
する声を聞いた者も多く、解任に近い辞任だろうという見方が強い。
トラウゴットはボニファティウス様の孫で、その年の割になかな
か強く、私も護衛騎士にならないか打診したが、断られたことがあ
る。ローゼマインの護衛騎士になりたいと言っていたのに、辞任す
ることになるとは正直なところ予想外だった。
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ローゼマインがエーレンフェストに帰還した後、ダンケルフェル
ガーから再戦の申し込みがあり、断り切れず勝負を受けることにな
った。
あの時、トラウゴットは一番に敵に向かって飛び出していったは
ずだ。その様子を見て、私は勇敢でやる気があると考えたのだが、
今のユストクスの言葉と視線から察するにトラウゴットは独走して
いたのだろう。
ローゼマインは奇策を使って勝ったらしいが、策もなく、攻撃力
の要であるコルネリウスとアンゲリカがいないエーレンフェストは
ダンケルフェルガーに秒殺され、完敗した。
ガッカリした顔のルーフェン先生がダンケルフェルガーの騎士見
習い達に慰められていた。﹁ローゼマイン様が戻られたら、また申
し込めばよいではないですか﹂と。
⋮⋮余計なことを言うな!
そんなディッター勝負の後、トラウゴットはエーレンフェストに
呼び戻されていた。
そして今日、ローゼマインと一緒に寮へと戻ってきたのだが、側
仕えはユストクスになっているし、本人は悄然としているので、ロ
ーゼマインの護衛騎士を辞任したことについて親族に叱られたに違
いない。トラウゴットの親族といえば、一番に思い浮かぶのはボニ
ファティウス様だ。叱る時には怒りの鉄拳が炸裂すると聞いたこと
がある。
⋮⋮トラウゴットが死なずに済んだようで何よりだ。
そういえば、ユストクスは父上や叔父上から文官としての仕事も
たくさん任されているとローゼマインが言っていた。トラウゴット
41
の世話をしながら、文官仕事をさせられるとは非常に大変だと思う。
だが、寮監であるヒルシュール先生が全く当てにならないので、頼
りにしたいと思う。
﹁ユストクス、ヒルシュール先生は領地対抗戦で図書館の大きなシ
ュミル達について研究発表をするようだが、問題ないのか?﹂
図書館の大きなシュミルは昔の王族の遺物だ。あれを巡って起こ
った騒動を考えるとどうしても慎重になってしまう。
あのシュミルの主となってしまった時に、言えるものならばロー
ゼマインに﹁今まで動いていなくても何とかなってきたのだから、
主の地位など放棄しろ﹂と言いたかった。
けれど、ローゼマインの図書館への思い入れとソランジュ先生の
喜びようを見れば、そのようなことも言えず、私は騒動を起こさな
いための一番簡単な方法を放棄することになった。
⋮⋮その結果があれだ。私の全ての苦労はあのシュミルから始ま
ったのだと思う。
新しい主の仕事として採寸を行うことになり、ヒルシュール先生
が暴走し、ダンケルフェルガーと事を構えることになって、ディッ
ター勝負にもつれこみ、王子と交流を持つことに繋がった。今度は
慎重に行きたい。
私の質問にユストクスはゆっくりと顎を撫でながら考え込む。
﹁⋮⋮大きな問題はないと思われますが、明日、姫様が王子と面会
するようなので、その時に質問してくださるようにお願いしておき
ます。王子の許可があれば、ヴィルフリート様の不安は解消される
でしょう﹂
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﹁うむ、頼む﹂
不安要素は一つでも消しておくに限る。ローゼマインと関わるよ
うになって、私はそれを学習した。先回りは大事だ。大体はローゼ
マインのやることが突飛すぎて、先に回りきれなくて失敗するのだ
が。
﹁今年の領地対抗戦で一番大変なのは、側仕え見習いでしょう﹂
﹁そうなのか? 毎年、一番仕事がなくて手持無沙汰だと聞いてい
るが⋮⋮﹂
﹁フッ。懐かしいですね。フェルディナンド様が入学された年も同
じようなことを言っていた側仕え見習いが痛い目を見ていましたよ﹂
ユストクスが昔を懐かしむように目を細め、小さく笑った。
﹁⋮⋮痛い目、だと? 一体叔父上は何をしたのだ?﹂
﹁フェルディナンド様はいつも通りです。涼しい顔で最優秀の成績
を収めただけです﹂
叔父上が貴族院に入った時は、父上が最終学年で、二人の領主候
補生が在籍する状態だったようだ。皆の雰囲気を盛り上げ、やる気
を引き出しながら仕事を割り振るのは父上が上手く、実際の準備の
進行や不備がないかの点検は叔父上が上手かったようで、よく噛み
合っていたらしい。
﹁フェルディナンド様が優秀だったこと、ジルヴェスター様がフロ
レンツィア様をお招きするために張り切っていたこと⋮⋮いろいろ
理由が絡み合い、あの年の領地対抗戦でエーレンフェストは例年以
上の賑わいを見せました﹂
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そう言った後、ユストクスは表情を曇らせた。
﹁来客数が想定以上に激増し、エーレンフェストの側仕え見習いだ
けでは捌ききれないような状態になってしまったのです﹂
﹁ぬ?﹂
大混乱に陥り、学生達についてきていた側仕えも動員されたが、
それでもお茶やお菓子が足りない状態になってしまい、側仕え見習
い達の領地対抗戦での評価は最低となってしまったと言う。
﹁今年はヴィルフリート様とローゼマイン様がいらっしゃいますし、
流行の発信、上位領地からの注目、王子との関与など、あの時以上
の混乱が予想されます﹂
ユストクスの言葉に側仕え見習い達がザッと顔色を変えた。
﹁今の想定の三倍はお茶とお菓子を準備し、学生の側仕え達をいつ
でも出動させられるように待機させるくらいしておかなければなり
ません﹂
﹁⋮⋮三倍だと?﹂
それほど必要だろうか、と疑わしそうな顔の側仕え見習いと﹁聞
き入れるかどうか判断するのはヴィルフリート様です﹂と肩を竦め
るユストクスを見比べて、私は目を細めた。
﹁ユストクスの言う通りにしておけ。ローゼマインがいない間の混
乱状態を見ても、今年は今までの経験が役に立たぬことは明白だ。
経験者の忠告は聞きいれた方が良かろう﹂
﹁はい﹂
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側仕え見習いが真剣な顔になって、打ち合わせのやり直しを始め
た。先達であるユストクスに話を聞いている。
この頼りになる叔父上の側近が嬉々として女装し、リヒャルダの
代わりにローゼマインの側仕えとして貴族院の中を歩き回るように
なると知るのは次の日の事。
そして、そんな変わり者を側仕えに付けられたトラウゴットに同
情の視線が集まるのに、それほどの時間はかからなかった。
ユストクスといい、ローゼマインといい、叔父上は有能な変わり
者を周囲に置くのがお好きなのかもしれない。変わった趣味だ。
⋮⋮そうか。叔父上も変わっているのか。
ポンと手を打った瞬間、何故か首元がひやりとしたよう気がした。
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エーレンフェストのお茶会
わたくしはハンネローレと申します。貴族院の一年生に、ダンケ
ルフェルガーの領主候補生として在籍しています。
今日はエーレンフェストが全ての領地を招待する、大規模なお茶
会があるのです。
女性の領主候補生がいるため、上級貴族では他領の領主候補生を
招くお茶会が開催できなかったエーレンフェストから、ローゼマイ
ン様が貴族院へと戻られてすぐに招待状が届きました。
﹁全く忌々しい。あの聖女を騙る子供はダンケルフェルガーの申し
出を断ったのだぞ。ハンネローレもお茶会に参加する必要などない﹂
﹁いいえ、お兄様。わたくし、ローゼマイン様と一度きちんと面識
を得たいのです﹂
レスティラウトお兄様によると、これまではエーレンフェストが
お茶会を開いても、真ん中か下位の領地しか参加しなかったため、
ダンケルフェルガーが参加する必要などないそうです。
けれど、わたくし、これは時の女神 ドレッファングーアのお導
きだと思うのです。ずっとすれ違っていたローゼマイン様に、やっ
と謝罪する機会が与えられたに違いありません。
﹁ハンネローレ様、ハンネローレ様。お茶会ではぜひともローゼマ
イン様にディッターの再戦をお願いしてください﹂
寮監のヒルシュール先生を通して、﹁図書館のシュミル達の主と
してダンケルフェルガーとの対戦に応じましたけれど、ローゼマイ
ン様は騎士見習いではないし、参加資格のない一年生なので、再戦
46
には応じられません﹂とディッターを断られてしまったルーフェン
先生がすがるような目でわたくしを見ます。
けれど、わたくしはヒルシュール先生の言い分の方が正しいと思
うのです。
﹁ローゼマイン様は御不在期間が長かったため、社交に忙しいと文
官見習い達から聞いています。とてもディッターをしているような
余裕はないのではございませんか?﹂
個人的にお茶会を開けないか、とわたくしがエーレンフェストに
申し入れたところ、アナスタージウス王子やクラッセンブルクのエ
グランティーヌ様からすでにお招きを受けている、とお断りされて
しまいました。
他の領地でも今年最も様々な流行を生み出したエーレンフェスト
と誼を結びたいと考えられているようですけれど、﹁エーレンフェ
スト主催でお茶会を開くので、そちらにご参加ください﹂と全てお
断りされたと文官見習いからの報告がありました。わたくしが嫌わ
れているわけではないようです。
﹁それでは、いってまいりますね、お兄様﹂
﹁相手はどのような手段を使ってくるのかわからぬ。お茶会とはい
え、決して気を抜かないようにするのだ、ハンネローレ。コルドゥ
ラ、其方も細心の注意を払え﹂
レスティラウトお兄様は心配性です。﹁全ての領地を招待するた
め、参加者は一人でお願いします﹂というエーレンフェストの招待
状に何とか二人で行けないものか、と長い時間考え込んでいたくら
いです。
ヴィルフリート様から伺ったローゼマイン様のお話からは、とて
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もそのように危険な方には思えません。ダンケルフェルガーの騎士
見習い達には﹁自分達の不利を埋めるために奇策を打ち出し、勝利
したにもかかわらず、決して驕ることがありませんでした。自分達
の弱点と相手の美点を冷静に見つめられる目をお持ちです﹂と手放
しで称賛されています。
⋮⋮元々ダンケルフェルガーは強さを重視する土地ですもの。ロ
ーゼマイン様がルーフェン先生のディッターの再戦申し込みに嫌な
思いをしていなければ良いのですけれど。
わたくしは3の鐘が鳴ると同時に寮を出て、なるべく早く、けれ
ど、早すぎないように気を付けてエーレンフェストのお茶会室へと
向かいました。
コルドゥラが13の札がかかった扉に付いている魔石に触れて、
来訪を知らせるベルを軽く鳴らします。扉がゆっくりと開かれ、わ
たくしを出迎えてくださったのはヴィルフリート様でした。
﹁ハンネローレ様、ようこそいらっしゃいました﹂
﹁お招きありがとう存じます、ヴィルフリート様。わたくし、本当
に今日を楽しみにしておりました﹂
早くに来たはずなのに、すでに席に着いていらっしゃるディート
リンデ様が見えました。そして、ローゼマイン様はフレーベルター
クのリュディガー様とお話をされていらっしゃいます。
﹁わたくしは養女ですけれど、リュディガー様は従兄妹と認めてく
ださいますの?﹂
﹁できる限り仲良くしていきたいと思っています﹂
⋮⋮そのように簡単にローゼマイン様とお話ができるなんて、リ
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ュディガー様が羨ましいです。
﹁ローゼマイン様は⋮⋮お忙しそうなので、後でまたご挨拶させて
いただきますね﹂
間の悪い我が身を振り返り、わたくしはそっと息を吐きました。
ヴィルフリート様にご案内いただき、席に着くとディートリンデ
様がニコリと微笑みかけてくださいました。ディートリンデ様は大
領地アーレンスバッハの領主候補生で、レスティラウトお兄様と同
級生のため、わたくしも今年お茶会に何度かご招待いただいていま
す。
ふわふわとした金の髪と深緑の目が印象的な美しいお姉様で、ア
ーレンスバッハに婿として来てくださる、ちょうど良い年回りで魔
力の釣り合う殿方がいらっしゃらなくて困っているそうです。
⋮⋮次期領主を目指さなくてはならない方は大変なようですね。
わたくしは自分がダンケルフェルガーの領主となることは考えた
こともなく、お兄様を支えていくのにちょうど良い領地の方と縁を
結ぶことになるでしょう。わたくしの間の悪さや自信のなさでは、
王族へと嫁ぐのは難しいとお父様達が話していました。正直なとこ
ろ、少しホッとしています。
ディートリンデ様と少しお話をしていると、次々とお客様が入っ
てきていて、クラッセンブルクのエグランティーヌ様もいらっしゃ
いました。
﹁ローゼマイン様、お招きありがとう存じます。今日こそわたくし
のお友達を紹介させてくださいませ﹂
49
エグランティーヌ様はどうやらローゼマイン様と交流があるよう
です。ローゼマイン様も親しげな笑みを浮かべて挨拶しているのが
目に映ります。
エグランティーヌ様の友人に紹介され、お姉様方に取り囲まれて
いるローゼマイン様をちらりと見ました。クラッセンブルクのエグ
ランティーヌ様と交流があるのでしたら、わたくしとは仲良くして
くださらないかもしれません。
先の政変では、共に第五王子に付いたクラッセンブルクとダンケ
ルフェルガーですが、元王女であるエグランティーヌ様を抱えるク
ラッセンブルクの方が重用されていることで、領地同士は少し緊張
関係にあるのです。
⋮⋮エーレンフェストは中立でしたから、まだ望みはあります。
ヴィルフリート様はわたくしを忌避しておりませんし、アーレンス
バッハとも仲が良いようですから、きっと大丈夫です。
そこまで考えて、ハッといたしました。エーレンフェストは中立
です。クラッセンブルクとそちら側の社交をローゼマイン様が担当
し、ダンケルフェルガーやアーレンスバッハとの社交をヴィルフリ
ート様が担当しているのかもしれません。
⋮⋮わたくし、なんて巡り合わせが悪いのでしょう。
ガックリと項垂れかけて、わたくしは急いで背筋を伸ばしました。
お茶会で落ち込んだ姿を見せるわけには参りません。
﹁コルドゥラ、わたくし、少し席を外したいと存じます﹂
お手水と誤魔化して、わたくしは一度席を外します。そして、個
50
室でガックリと落ち込んで、大きく溜息を吐きました。
⋮⋮落ち込んではいけません。まだお茶会は始まったばかりです
もの。
ダンケルフェルガーもエーレンフェストを見習って、これまで通
りにアーレンスバッハなどとの社交はお兄様に、エーレンフェスト
のような中立領地との社交をわたくしがこなせば良いのです。
⋮⋮今日こそローゼマイン様に謝罪すると決めたのですもの。
わたくしが気持ちを立て直して席に戻る時、ローゼマイン様が小
瓶をお友達に配っているのが見えました。
席に戻ると、お茶会の様子を見ていた側仕え見習いの一人がコル
ドゥラに何やら耳打ちし、コルドゥラが一度きつく目を閉じました。
﹁何かありましたの?﹂
﹁少し間が悪かったようで、姫様が席を外している間に、ローゼマ
イン様がご挨拶にいらっしゃったそうです﹂
⋮⋮わたくし、もしかしたら本当に時の女神 ドレッファングー
アに疎まれているのでしょうか。
せっかく立て直した気持ちがまた折れそうになっています。
﹁ローゼマイン様、それは何ですの? とても良い香りがいたしま
すね﹂
﹁リンシャンといって、髪に艶を出すために使う物です。数に限り
51
がございますので、今回はわたくしのお友達に配ろうと思っていた
のです﹂
﹁あら、ヴィルフリート様のお友達には配りませんの? 同じエー
レンフェストの領主候補生ですのに⋮⋮﹂
ディートリンデ様が軽く目を見張ってヴィルフリート様へと視線
を向けられました。周囲から視線を向けられていたヴィルフリート
様が小さく笑いながら肩を竦めます。
﹁リンシャンを考案したのはローゼマインなのです。それに、女性
と違って、私はそれほど髪の艶には興味がないので、このような美
容に関する物は基本的にローゼマインに任せています﹂
エーレンフェストで髪に艶を出すためにリンシャンが流行してい
ることは、ヴィルフリート様に伺い、存じておりました。ローゼマ
イン様を中心に広げられているのも学生達の話を聞いているとわか
りました。けれど、考案されたのがローゼマイン様だということは
初めて伺いました。
⋮⋮ローゼマイン様はお勉強とディッターだけではなく、リンシ
ャンの考案までされているのですか!?
大領地の領主候補生という立場を必死で取り繕っている自分との
違いに呆然としてしまいました。
わたくしが呆然としているうちに、ディートリンデ様がローゼマ
イン様にリンシャンのおねだりを始めます。
﹁ローゼマイン様、わたくしにはいただけるのですよね?﹂
﹁嫌だわ、ディートリンデ様。ローゼマイン様はご自身のお友達に
配るとおっしゃったではございませんか。貴女の先程からの言動は
52
あまりお友達に対するものではなかったと思いますよ﹂
戸惑うように瞬きをされたローゼマイン様庇うように、エグラン
ティーヌ様が柔らかな笑顔で咎められ、先にリンシャンをもらった
お友達がそれに同意するようにコクリと頷きます。
どうやらわたくしが席を外していた内に、ディートリンデ様はお
友達とは思えないような言動をされていたようです。
それからディートリンデ様の自己弁護が始まり、ローゼマイン様
を大事な従妹だと訴えます。
﹁ディートリンデ様がわたくしのことを大事な従妹だと考えてくだ
さっていたとは存じませんでした。これからはぜひ従妹として仲良
くしてくださいませ﹂
ローゼマイン様がニッコリと笑ってリンシャンの小瓶を差し出す。
ディートリンデ様は小瓶を受け取って嬉しそうに笑いました。明ら
かにローゼマイン様が譲ったのがわかり、そつのない対応に感心し
たのです。
ディートリンデ様がリンシャンをいただくと、我も、我もと周囲
の女性が群がっていきます。
﹁ハンネローレ様はよろしいのですか?﹂
﹁⋮⋮わたくしはリンシャンとは関係なく、ローゼマイン様と仲良
くしたいと思っているのです。リンシャンの話題が終わってから、
ご挨拶に参ります﹂
物目当てだと思われたくなくて、わたくしはリンシャンの話題が
終わるのを待ちました。リンシャンをもらっておいて、お兄様の謝
53
罪をしても、きっとお心に届かないと思うのです。
話題がエグランティーヌ様の髪飾りから卒業式へと移っていきま
す。それを絶好の機会と考えて、わたくしはローゼマイン様のとこ
ろへと向かいました。
⋮⋮時の女神 ドレッファングーアの御加護がありますように。
ぎゅっと胸の前で手を握り、わたくしは一度深呼吸をした後、ロ
ーゼマイン様に声をかけます。
﹁あの、ローゼマイン様⋮⋮﹂
﹁ハンネローレ様﹂
﹁わたくし、ローゼマイン様に申し上げたいと思っていたことがご
ざいまして⋮⋮﹂
側仕えに椅子から下ろしてもらったローゼマイン様へと視線を向
けると、当たり前ですが、わたくしよりもずいぶんと背が低いこと
に気付きました。わたくしは年よりも小さいとよく言われておりま
して、自分よりも小さい同級生に初めて会ったのです。
お兄様やディッターのことでダンケルフェルガーが嫌われている
のではないかと思っていたので、ローゼマイン様がややわたくしを
見上げるようにして、嬉しそうに笑ってくださったことに少しだけ
安心しました。
⋮⋮お兄様の行いを詫びるのです。そして、お友達に⋮⋮。
握っている手に力を込めてわたくしが口を開くのと、ローゼマイ
ン様が口を開くのは同時でした。
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﹁わたくしもきちんとご挨拶しなければならないと思っていたので
す。何だかすれ違ってばかりでしたもの﹂
⋮⋮わたくし、ローゼマイン様に挨拶もせずに謝罪するところで
した!
頭を抱えたくなるような無作法をせずに済みましたが、しっかり
とした受け答えをされるローゼマイン様を見ていると、﹁わたくし
は領主候補生には相応しくないのです﹂と部屋に籠ってしまいたく
なります。
わたくしは内心落ち込みながらも、何とかその場を取り繕ってき
ちんと挨拶をしました。けれど、ローゼマイン様はこちらを心配す
るような顔になります。
⋮⋮もしかして、挨拶をすっかり忘れるところだったとローゼマ
イン様に気付かれてしまったのでしょうか?
わたくしは何か失敗してしまったのではないか、と不安になって
周囲を見回しました。何が始まるのか、と好奇心に満ちた目がこち
らに向かっているのがわかり、すぅっと血の気が引いていきます。
このような多くの注目を集めた中で、お兄様の失態を説明して詫
びるようなことはできません。謝罪したいのはわたくしで、お兄様
は正式に謝罪するつもりがないのですから、こっそりとローゼマイ
ン様に謝らなければならないのです。
﹁わたくし、ローゼマイン様にお兄様のことでお話があったのです
けれど、このような場で申し上げることではございませんね。また
の機会に致しましょう﹂
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⋮⋮わたくし、本当に謝ることができるのでしょうか。
お兄様の所業については﹁あの時は申し訳ありません﹂と謝るの
でも良いでしょう。わたくしはローゼマイン様とお友達になるので
す。
⋮⋮快くお友達になってくださるでしょうか。
ドキドキとしながら、わたくしはローゼマイン様にお願いしまし
た。
﹁それだけではなくて、その、わたくしとお友達になっていただけ
ないかと思っていまして⋮⋮﹂
﹁ハンネローレ様、大変申し訳ないのですけれど、試供品はもう配
り終えてしまったのです﹂
﹁⋮⋮え?﹂
思わぬ返事にわたくしが目を瞬くと、ローゼマイン様は本当に困
りきっているようにおろおろと視線を自分の側仕え達に向けていま
す。
物目当てと思われたくないと考えたことが裏目に出たようです。
⋮⋮わたくし、すでになくなっている物を渡すように、と無理難
題を押し付けた形になってしまいました。そんなつもりではなかっ
たのです。どうすれば良いのでしょう。わたくしはただ、ローゼマ
イン様と少し仲良くなりたかっただけですのに。
顔を伏せることが抑えられず、わたくしは少し俯いて﹁違うので
す﹂とゆっくりと何度か頭を振ります。
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﹁ローゼマイン様、ダンケルフェルガーのハンネローレ様は図書館
によくいらっしゃるとソランジュ先生より伺っております。お友達
の証として、姫様の本をお貸しするのはいかがでしょう?﹂
優しく語り掛けるような声でそう言われ、わたくしがハッとして
顔を上げると、ローゼマイン様の側仕えがそう提案してくださいま
した。
﹁まぁ! ハンネローレ様は本がお好きなのですか?﹂
先程までの困りきった顔がパァッと輝くような笑顔に変わって、
ローゼマイン様がわたくしを見上げました。ここで﹁図書館へはシ
ュミルを見るためと、ローゼマイン様を探すために向かっただけで、
特に本が好きではないのです﹂とは言えるわけがありません。
﹁⋮⋮え、えぇ、そうですね。嫌いではありませんわ﹂
わたくしがそう答えると、それは、それは嬉しそうにローゼマイ
ン様が頬を薔薇色に染めて、金色の瞳を輝かせました。ローゼマイ
ン様がいかに本をお好きなのか一目でわかるような表情です。
﹁ハンネローレ様、わたくし、騎士物語をいくつか持っているので
すけれど、戦いに重きを置いた物語と恋を中心にした物語とどちら
がお好みでしょう? ダンケルフェルガーの領主候補生ですから、
やはり戦いに重きを置いた物語の方がお好みですか?﹂
⋮⋮どちらも特に好んでいるわけではありませんけれど、どちら
かと言えば、恋を中心にした物語の方が読んでいて苦痛は少ないで
しょう。
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﹁わたくしはどちらかというと恋を中心にした物語の方を好んでお
ります﹂
﹁では、近いうちに届けさせますね。本が好きなお友達ができて、
わたくし、とても嬉しいです﹂
自分よりも小さいローゼマイン様にとても可愛らしい笑顔でそう
言われ、わたくしは少しだけお姉様になったような気がしました。
⋮⋮何だか本好きのお友達に認定されてしまったようですけれど、
何とかローゼマイン様とお友達にはなれたようです。お友達の証に
本を借りるのでしたら、こちらからもお貸しした方が良いのではな
いかしら?
本はとても高価なものです。それを貸してくださると言うのです
から、ローゼマイン様はこちらを信頼している、と示してくださっ
ています。わたくしもそれに値する物を差し出さなければなりませ
ん。
﹁あの、でしたら、わたくしからも代わりに何か本をお貸しいたし
ます。ローゼマイン様はどのような本がお好みですの?﹂
﹁わたくし、本ならば何でもよいのですけれど、できればダンケル
フェルガーに伝わっているような騎士物語や恋物語があれば、拝読
したいです﹂
少し考え込んでいたローゼマイン様がそう言いながら、とろける
ような笑顔を浮かべました。嬉しくて仕方がないのがよくわかりま
す。お茶会を取り仕切っていた時よりずっとあどけなくて、年相応
の笑顔に見えました。
﹁わかりました。なるべく早く届けさせますね。どうぞ仲良くして
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くださいませ、ローゼマイン様﹂
わたくしがローゼマイン様の小さな手を取って、少し力を入れる
と、ローゼマイン様も握り返してくださいました。
﹁こちらこそ、ぜひ仲良くしてくださいませ、ハンネローレ様。⋮
⋮あ⋮⋮﹂
笑顔でそう言いながら、ローゼマイン様はその場に崩れ落ちまし
た。
手を握った瞬間に糸が切れた操り人形のようにその場に崩れ、わ
たくしは何が起こったのかわからないまま、その勢いにつられてそ
の場に座り込みました。
﹁⋮⋮え? きゃ、きゃああああぁぁぁっ!﹂
﹁ローゼマイン!﹂
﹁ヴィルフリート様、この場を収めてくださいませ。わたくしは姫
様をお部屋に連れて参ります﹂
ローゼマイン様の側仕えが﹁よくあることなのです﹂と言いなが
ら、ローゼマイン様を抱きかかえて寮へと戻っていきます。
周囲が騒然とする中、ヴィルフリート様やエーレンフェスト寮の
者は﹁ローゼマイン様はお身体が弱く、よく倒れられるのです﹂と
説明している。
﹁わ、わたくしが手を握ったからでしょうか?﹂
﹁違います、ハンネローレ様。ローゼマインは本当に虚弱なのです﹂
﹁わたくし、こんなことになるとは思わなくて⋮⋮。ローゼマイン
様と本当に仲良くしたいと思っただけで⋮⋮﹂
﹁今回は本当に大したことはありません。私は初対面の時など⋮⋮﹂
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ローゼマイン様の洗礼式の日に手を引いて走って大変なことにな
ったこと、雪玉を数個当てられて意識を失い、騎士が真っ青になっ
たことなどを話して、﹁よくあることだ﹂と慰めてくださいます。
それでも、かくりと力が抜けてその場に伏したローゼマイン様の
お姿が目に焼き付いて離れないのです。
ヴィルフリート様が寮まで送ってくださって、ルーフェン先生に
お茶会で起こったことを説明してくださいます。そして、わたくし
を驚かせたことを詫びて帰られました。
﹁なんだと? ハンネローレが手を握って、あの聖女を倒しただと
? よくやった! 其方もダンケルフェルガーの領主候補生らしい
ところがあるではないか﹂
⋮⋮わたくし、お兄様とヴィルフリート様を交換していただきた
いです。
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エーレンフェストのお茶会︵後書き︶
一巻発売記念SSでした。
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エーレンフェストの本
わたくしはハンネローレと申します。貴族院の一年生に、ダンケ
ルフェルガーの領主候補生として在籍しています。
ローゼマイン様がお茶会で倒れられて、お見舞いを渡したのです
が、快気の報告はなく、本当に大丈夫なのか、心配する日が三日ほ
ど続くと、領地対抗戦です。
領地対抗戦は貴族院における最も華やかな行事で、ダンケルフェ
ルガーがもっとも団結し、燃え上がる一日となります。連絡係とし
て最低限の者を残し、領地からほとんどの騎士がやってくることを
考えても、いかに熱が籠っているのか、わかるでしょう。とても暑
苦しいのです。
領地対抗戦の朝、わたくしが自室での朝食を終えて、領地対抗戦
の準備のために下へ降りますと、転移陣でやってきた騎士達が広い
食堂で、ヴィゼを飲みながら、騎士見習いを激励しているのが見え
ました。
食堂の中がすでにお酒臭くなっていることに、わたくしが思わず
眉をひそめていると、40代半ばとは思えない程に若々しい騎士団
長がわたくしの姿を見つけて、相好を崩しました。
﹁おぉ、ハンネローレ様。おはようございます。数日前にフェルデ
ィナンド様の愛弟子を打ち倒したと伺いましたぞ﹂
﹁ご、誤解ですわ、騎士団長。わたくし、そのようなことは⋮⋮﹂
⋮⋮とんでもないことを騎士団長に伝えたのはお兄様ですね。
62
わたくしがふるふると首を振りながら精一杯否定しているのに、
声が全く届いていないのか、騎士団長の甥であるハイスヒッツェも
﹁フェルディナンド様の愛弟子を倒すとは素晴らしい﹂と言いだし
ました。
その言葉でダンケルフェルガーの騎士達が﹁ハンネローレ様がフ
ェルディナンド様の愛弟子を倒したぞ﹂と喜びの声を上げ始めます。
とんでもない風評被害です。
﹁わ、わたくしはローゼマイン様と仲良くしたいと思っただけなの
です。それに、ローゼマイン様は⋮⋮﹂
お身体が弱い方で、よく倒れられる、とわたくしが口にするより
も先に、わかっています、と言うようにハイスヒッツェが深く頷き
ました。
﹁ディッターを通じて、強敵も親友となるのです。ハンネローレ様
にもご理解いただけて何よりです﹂
﹁⋮⋮そうではございません﹂
ハイスヒッツェはエーレンフェストの奇策家と同じ学年であった
ため、ディッターに参加できる三年生以降、全ての学年で負け越し
た上級騎士で、ずいぶんとフェルディナンド様をライバル視してい
ると聞いています。強敵と書いて、親友と読むそうです。
⋮⋮あちらには相手にされていないような気がするのは、わたく
しだけでしょうか?
﹁父上、叔父上。フェルディナンド様の愛弟子と名高いローゼマイ
ン様の奇策は、我々を翻弄したのです。そうして勝利しながら、ロ
ーゼマイン様は奢らず、我々の連携を褒め称えました﹂
63
﹁ほぅ、それは興味深い。フェルディナンド様の愛弟子か。今日の
領地対抗戦が楽しみだ。どのような奇策だ?﹂
騎士団長の末息子である上級騎士見習いが熱弁を振るって、ロー
ゼマイン様の奇策について話をすると、騎士達は非常に興味深そう
に耳を傾けています。
騎士団長の妻とハイスヒッツェの妻が年の離れた姉妹のため、騎
士見習いとハイスヒッツェは叔父と甥の関係でありながら、従兄弟
同士という関係なのです。それもこれも、暴走しがちな騎士団の手
綱を握るためのものなのですが。
わたくしは空で言える程に何度も聞いたローゼマイン様の奇策の
話に背を向けて、そっとその場を抜け出します。
⋮⋮わたくしはローゼマイン様を倒すつもりなど、これっぽっち
もなかったのです!
騎士団長もハイスヒッツェも楽しみにしていたようですが、ロー
ゼマイン様は領地対抗戦をお休みされました。昨夜、意識が戻った
けれど、まだ動けるような体調ではないそうです。
⋮⋮せっかくの最優秀なのに、ご欠席とは、ローゼマイン様も時
の女神 ドレッファングーアの御加護が少ないのかもしれませんね。
﹁最優秀にして、希代の奇策家⋮⋮。ローゼマイン様はレスティラ
ウト様の妻としてちょうど良い年回りではないか?﹂
﹁むぅ、確かに﹂
騎士団長とハイスヒッツェが何やら話し合っているようです。強
さや策略家であることを領主の配偶者に求めるダンケルフェルガー
の騎士団の考え方は何とかならないものでしょうか。
64
﹁父上、叔父上、残念ながら、レスティラウト様もローゼマイン様
もお互いを好んでいるようには見えませんでした﹂
﹁大丈夫だ。ディッターを通せば、きっと解かり合える。私とフェ
ルディナンド様のように、な﹂
ハイスヒッツェは敗北の証にダンケルフェルガーのマントを渡し
たと聞いたことがあります。そのマントの持ち主がフェルディナン
ド様なのでしょうか。
次の日の卒業式にも欠席されたローゼマイン様でしたが、何とか
回復されたようです。お見舞いへのお礼状と共に、エーレンフェス
トの本を貸してくださいました。
﹁この本は⋮⋮﹂
わたくしは側仕えのコルドゥラから手渡された本を見て、血の気
が引くのを感じました。
﹁⋮⋮コルドゥラ、もしかして、わたくしがあまり本をお好きでは
ないことを、ローゼマイン様はご存知なのではないかしら?﹂
﹁姫様、悪く考えすぎでございます。お茶会ではハンネローレ様を
本のお好きなお友達と認識していらっしゃいましたから、ご存知な
いと思われますよ﹂
﹁そ、そうかしら?﹂
このように薄い本を貸してくださるということは、わたくしには
分厚い本が読めないと思われているのではないでしょうか。不安で
65
す。
﹁姫様が物事を捉える時は、良い方向に考えた方がよろしいですよ。
悪く考えるといつもの悪循環に陥ってしまわれますから。この本も
これだけ薄いのですから、姫様でも最後まで読むことができるでし
ょうし、よく読み込めば、感想を言い合うのもそれほど難しくはご
ざいません﹂
﹁そうですね﹂
コルドゥラに励まされ、わたくしはローゼマイン様が貸してくだ
さった本を手に取りました。表紙のない、中身だけのような本です
が、表面にはまるで本物の花を閉じ込めてあるような不思議な紙が
付いています。
﹁この紙、わたくしが普段使っている紙と違って、ずいぶんと白く
て、薄いですね。香りも違うような気がするのですけれど⋮⋮﹂
﹁エーレンフェスト紙ではございませんか? 文官見習いがエーレ
ンフェストは新しい紙を持っていると言っていたように記憶してお
ります﹂
エーレンフェストでは紙も変わっているようです。わたくしはパ
ラリと本を捲りました。
﹁まぁ!﹂
﹁どうなさいました、姫様?﹂
﹁この本、言葉が新しいです。とても読みやすいわ﹂
古くて難解で何を書いているのか理解するのに時間がかかる本と
違って、ローゼマイン様が貸してくださった本は、読書が苦手なわ
たくしにもするすると読める本でした。
66
内容もわたくしが頼んだ通り、恋物語を中心とした騎士のお話で、
ダンケルフェルガーにある騎士のお話とは全く違う、まるで吟遊詩
人が語るような心ときめく素敵なお話が並んでいます。
そして、そのお話を一層素敵に見せているのは、挿絵です。麗し
い騎士が愛する姫のために戦う場面や魔石を捧げて求婚する場面で、
綺麗な挿絵が入っています。文字ばかりのダンケルフェルガーの本
とは大違いではありませんか。
﹁このように片手で持てて、本を捲るにも労力がいらず、新しい言
葉で書かれていて、簡単に読めて、こんなに楽しいだなんて⋮⋮ロ
ーゼマイン様が本をお好きになるのもわかりますわ。わたくし、エ
ーレンフェストに生まれれば、読書が苦手ではなかったかもしれま
せん﹂
わたくしはこの本の感想をお手紙に書きました。そして、生まれ
て初めて、他の本を読んでみたいと思ったのです。エーレンフェス
トの本ならば、わたくし、いくらでも読める気がいたします。
﹁姫様が読書を楽しんでいらっしゃるのは大変喜ばしいことですけ
れど、姫様もエーレンフェストに本をお貸しするお約束をしたので
はございませんか?﹂
コルドゥラに言われて、わたくしはハッと顔を上げました。そう
です。わたくしもローゼマイン様に本をお貸ししなければなりませ
ん。けれど、わたくしはダンケルフェルガーにどのような本がある
のか、自分では全く知らないのです。
﹁どうしましょう、コルドゥラ。このような本を扱っているエーレ
67
ンフェストに貸せるような本がダンケルフェルガーにあるかしら?﹂
﹁ご家族にお伺いしてみてはいかがでしょう?﹂
卒業式を終えたダンケルフェルガーですが、まだ両親は寮にいま
す。明日には領地へと戻る予定なのです。
わたくしは﹁この本のお返しに﹂と説明できるようにローゼマイ
ン様の本を持って、部屋を出ると、階下へ向かいました。
質実剛健を良しとするダンケルフェルガーの寮や城はあまり飾り
気がなく、どこまでも白い印象があります。そして、領地の色であ
る青が飾られているので、冬にしか使用しないこの寮はひどく寒々
しい印象があります。
﹁⋮⋮ダンケルフェルガーももう少し装飾品があればよかったです
ね。せめて、彫刻のような物があるとか、領地の色が赤であれば、
少しは暖かそうに見えるでしょう?﹂
﹁彫刻などで建物を装飾するようになった時代より、ずっと以前か
らこの建物があるのですから仕方がございません。それほどお気に
なさるならば、姫様が飾ればいかがです?﹂
他領のお茶会に招かれると、装飾品の華やかさに圧倒されること
が多く、他領の装飾を見るのは楽しいのですけれど、わたくしには
何をどのように飾れば、品良くまとまるのか、よくわかりません。
自室を飾ろうと奮起したことはあるのですけれど、どうにもちぐは
ぐな印象になって落ち着かず、三日とたたずに元の部屋に戻りまし
た。
﹁わたくしにはできないと知っているでしょう? コルドゥラは意
地悪ですね﹂
﹁挑戦してみるのは悪いことではございません。姫様に読める本が
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見つかったように、姫様に合う装飾も見つかるかもしれませんよ﹂
﹁どうした、ハンネローレ? 今日はずいぶんと機嫌が良いな﹂
談話室ではお父様とお母様とお兄様が何やらお話をしている姿が
見えました。
わたくしの入室に気付いたお父様が手招きしてくれたので、わた
くしはそちらへと向かいます。
﹁お父様、お母様、エーレンフェストのローゼマイン様がわたくし
にこの本を貸してくださったのです。とても楽しくて、わたくし、
他にもエーレンフェストの本を読んでみたくなりました﹂
﹁まぁ、ハンネローレが本を読みたがるなんて、珍しいこと﹂
﹁お母様もご覧になってくださいませ。とても素敵な騎士物語です
の﹂
わたしが本を胸に抱えて、お母様の元へと向かうと、お兄様が嫌
そうに顔をしかめました。
﹁エーレンフェストの騎士物語だと? それは、もしや奇策に富ん
だ悪辣な騎士の話ではなかろうな?﹂
﹁お兄様、違います。恋物語を中心とした華やかな騎士の物語です﹂
﹁恋物語だと? 軟弱な⋮⋮﹂
フンと鼻で笑ったお兄様には背を向けて、わたくしはお母様に本
を見せて差し上げました。わたくしと同じようにお母様も驚いて、
ローゼマイン様の本をまじまじと見ています。
69
﹁これが本ですの?﹂
﹁えぇ、ローゼマイン様が貸してくださったのですから、エーレン
フェストの本で間違いないと思います。薄くて軽くて、とても読み
やすいのです﹂
﹁表紙を取り繕うこともできぬのか、エーレンフェストは?﹂
お母様がお兄様を止めて、パラパラと本を流し読みしはじめまし
た。
﹁確かに、これは読みやすいですね。言葉が新しくて、わかりやす
く、綺麗な挿絵も入っているではありませんか﹂
﹁エーレンフェストは歴史のない新興の領地だから、古い言葉で書
かれた本が存在しないのであろう。哀れなことだ﹂
﹁レスティラウト、今はハンネローレと話をしているのです。少し
静かにしてちょうだい﹂
お母様がお兄様を制して、ニコリと笑いました。
﹁良い書字生に写本をお願いしたのでしょうね。手跡も優美ではあ
りませんか。ハンネローレもお手本にすると良いですよ。⋮⋮それ
にしても、これはずいぶんと珍しい紙ですわね。手触りが違うよう
に思えるのですけれど﹂
﹁エーレンフェスト紙と言って、新しくエーレンフェストで作られ
始めた紙のようです。今年、貴族院で使っている文官がいたと伺い
ました﹂
お母様が﹁そうですの﹂と呟き、何かを考えるように静かに本を
見下ろします。
70
﹁エーレンフェストの本は新しくて、とても素敵でしょう? わた
くしもローゼマイン様に本をお貸しするとお約束したのです。ダン
ケルフェルガーに伝わる騎士のお話を読んでみたい、とおっしゃっ
ていらっしゃいましたけれど、ローゼマイン様にどのような本をお
貸しすれば良いかしら?﹂
わたくしがお父様に尋ねると、レスティラウトお兄様がキラリと
目を光らせました。
﹁ならば、あの偽物聖女に本物を見せてやると良い。そのような中
身だけのお粗末な本ではなく、正真正銘の本を﹂
﹁ふむ、エーレンフェストの領主候補生が騎士の活躍の書かれた本
を好むのならば、良い本がある﹂
﹁本当ですか、お父様!?﹂
ダンケルフェルガーは騎士が強い土地なので、騎士物語には事欠
かないそうです。領主たるお父様が推薦する本ならば、間違いはな
いでしょう。
次の日、一足先に領地へと戻られたお父様から転移陣で一冊の大
きな本が送られてきました。表紙を捲るのさえ大変な、下手したら
ローゼマイン様が潰されてしまうのではないかと思うような大きな
本です。
﹁⋮⋮お父様は何を考えていらっしゃるのでしょう?﹂
わたくしはダンケルフェルガーの歴史書とも言える、古くて、頑
丈な本とローゼマイン様が貸してくださった本を見比べました。コ
ルドゥラが大きな本の上に置かれていた木札を手に取って、目を通
します。
71
﹁エーレンフェストが新しさで勝負するならば、ダンケルフェルガ
ーは他に真似のできぬ歴史で勝負すれば良い⋮⋮だそうです﹂
﹁わたくし、ローゼマイン様と勝負など望んでいないのですけれど
⋮⋮﹂
⋮⋮どうして皆、わたくしとローゼマイン様に勝負をさせたがる
のでしょう? 何に関してもわたくしが負けているのは一目でわか
るではありませんか。ローゼマイン様は最優秀なのですよ。比べ物
にならないのです。
周囲の妙な盛り上がりにガックリと肩を落としつつ、わたくしは
ローゼマイン様に本を運んでもらうことにしました。
ところが、間の悪いことに、すでにエーレンフェストでは帰還が
終わっていて、寮の扉は完全に閉ざされていたそうです。寮に残る
番人に頼んで、本をエーレンフェストに送ってもらうかどうか、と
文官達に問われ、わたくしは力なく首を振りました。高価で貴重な
本は、番人に預けるのではなく、本人に直接お渡ししなければなり
ません。
﹁この本をお貸しするのは、来年の貴族院でも良いのではございま
せんか? 体調を崩したのはローゼマイン様ですから、本が届かな
かったからといって、姫様が非難されることはないでしょう﹂
﹁そうですね﹂
﹁そうお気を落としにならないでくださいませ。少しだけ間が悪か
ったのです、姫様﹂
コルドゥラの慰めに、わたくしは溜息を吐きました。
⋮⋮わたくしも本をお貸しするとお話いたしましたのに、もう帰
72
られてしまったなんて。わたくしの間の悪さは相変わらずですね。
わたくしはコルドゥラに頼んで、貴重品を入れておく鍵のついた
大きな木箱に本と手紙を入れてもらいました。
来年、ローゼマイン様にお貸ししようと貴重品箱に入れておいた
本と手紙を、領主会議に向かう前に探し物をしていたお父様が見つ
けて、勝手にエーレンフェストに貸してしまうとは、わたくし、夢
にも思っていなかったのです。
73
エーレンフェストの本︵後書き︶
二巻発売記念SSでした。
74
わたくしの主と染め物のお披露目
わたくしはブリュンヒルデと申します。ローゼマイン様の側近で、
側仕え見習いをしています。
わたくしがローゼマイン様にお仕えしようと思ったのは、領主一
族で幼いながらに流行を生み出す方だったからです。料理、教育法、
印刷業、服飾、音楽とローゼマイン様の発する流行はたくさんござ
いました。それを貴族院で広げ、少しでもエーレンフェストの影響
力を上げたいと思っていたのです。
実際、貴族院でもローゼマイン様の作り出した流行は広く受け入
れられ、中央とクラッセンブルクと取引する素晴らしい結果となり
ました。せっかく広げるのですから、もっと色々なところに広げれ
ば良い、とわたくしは思ったのですが、これ以上は商品を作るのが
間に合わないそうです。
わたくしが﹁平民はたくさんいるのですから、次々と作らせれば
良いでしょう﹂と言うと、ローゼマイン様は眉をひそめてゆっくり
と首を横に振りました。
﹁わたくしの側近はたくさんいるのですから、他のことをさせても
大丈夫でしょう、とブリュンヒルデ一人だけが残されて、他の者は
別の仕事を割り振られたとしたら、どうなりますか? それが一時
のことではなく、これから先、ずっと続く仕事だとすれば⋮⋮﹂
﹁わたくし一人で、全ての仕事をこなすのは難しいですわ﹂
わたくしがそう言うと、ローゼマイン様は﹁平民も同じです﹂と
言いました。
75
﹁農民は食料を作り、職人は注文された物を作り、兵士は治安を守
り、商人は商売をしています。それぞれに仕事があるのです。新し
い工房を作っていますが、平民ならばどのようにでも動かせるわけ
ではありません。魔力がある貴族でも一人で全ての仕事ができない
ように、平民も負担が多すぎると困るのです﹂
平民に命じておけば、彼らは命じられた通りに動きます。わたく
しはこれまで平民の事情や平民の仕事について考えたことなどあり
ませんでしたし、命じたことができていないことはありませんでし
た。平民に負担すぎない範囲で、とおっしゃるローゼマイン様が正
直なところ、理解できません。
⋮⋮命じてしまえば、どうにでもなると思うのですけれど。
エーレンフェストの聖女と呼ばれているローゼマイン様は神殿育
ちのため、言動を理解できないことがよくございます。
貴族院でもリヒャルダと共に首を傾げることがよくございました
し、わたくしの実家があるグレッシェルで印刷業を行うことになっ
た時も驚かされました。
領主の養女であるローゼマイン様が下町に向かい、平民の職人達
に指示を出すと言ったのです。
ハルトムートもフィリーネもさすがに少し困った顔になっていま
したが、すぐに覚悟を決めたように顔を上げて、ローゼマイン様に
続きます。
お父様から﹁ローゼマイン様に必ず付いているように﹂と言われ
ていなければ、ローゼマイン様に﹁グレッシェルで始まる事業の確
認もしないのですか?﹂と問われなければ、わたくしが下町に下り
ることなどなかったでしょう。
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当たり前の顔で下町へ確認に出るローゼマイン様について行くの
は、本当に困難でした。ひどい臭いと汚らしい道、汚れて見苦しい
平民達⋮⋮目に入れるのさえ汚らわしいものです。
﹁エーレンフェストの下町を美しくすることが、他領の商人からの
アウブ・エーレンフェストの評価に繋がるのです。それと同様に、
ここもグレッシェルですから、本来はギーベ・グレッシェルが管理
するべきところなのですよ﹂
ローゼマイン様は小さく笑いながら、アウブ・エーレンフェスト
の例えを教えてくださいました。下町の整備ができていないのは、
庭や玄関が全く整備されていないない状態で、客を迎える応接間と
寝室だけが整えられているような状態なのだそうです。
下町を見て回り、仕事をしやすいように、とグーテンベルクに心
を砕いているローゼマイン様と、仕事を任されたグーテンベルクの
間には確かな信頼があって、少ない言葉で的確に動ける主従の理想
的な関係が見られました。
まだわたくし達側近にはない関係を見せつけられて、とても不思
議な気持ちになりました。
﹁神殿の側仕えとも理想的な関係を築けています。やはり、時間と
相互理解が必要なようです﹂
上級貴族なのに神殿へと通うハルトムートが軽く肩を竦めてそう
言いました。神殿の側仕えは、側仕えと文官、両方の仕事をこなし
ているのだそうです。その中でも孤児院の統括をする者、ローゼマ
イン様の工房を管理する者、下町との連絡を取る者、神殿長として
の職務を補助する者、と細かく専門が分けられていると言いました。
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﹁フラン達の仕事振りを学びながら、城での文官仕事について話を
すれば、ずいぶんとすんなりと話が進みました。神殿でお育ちのロ
ーゼマイン様が貴族のやり方に馴染むのも大事ですが、信頼を得た
円滑な主従関係を望むならば、こちらからローゼマイン様に歩み寄
ることも必要です。⋮⋮これからのエーレンフェストは、おそらく、
ローゼマイン様を中心に進むことになります。ローゼマイン様は本
当にエーレンフェストの聖女ですから﹂
神殿に通うようになってから、ローゼマイン様を聖女と崇める言
動に拍車のかかったハルトムートが確信を持った笑顔でそう言いま
した。
⋮⋮神殿の側仕え、ですか。
所詮、孤児の灰色神官や灰色巫女です。これまでは全く興味もな
かったのですが、ハルトムートやフィリーネが優秀だと言い、何の
苦も無く楽しそうに神殿へと向かう姿を見ていると、少し興味が出
てきました。
そんな時、染め物のお披露目に関する打ち合わせで商人との会合
が神殿で行われることになりました。あれほど忌避されていた神殿
に皆が、エルヴィーラ様も全く顔色を変えずに入っていくのを見て、
わたくしだけ取り残されるわけにはまいりません。怖々と神殿に足
を踏み入れました。
話に聞いていた通り、城と変わらぬ清潔な場所で、家具も上級貴
族が使っているようなきちんとした物が使われています。ローゼマ
イン様の側仕えが淹れたお茶やお菓子もおいしく、本当に城とさほ
ど変わらない生活をしているのだとわかります。
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﹁フランはフェルディナンド様の教育も受けていて、優秀だと評価
を受けているのです﹂
ローゼマイン様が得意そうに笑って、神殿の側仕えを自慢します。
素直な賞賛が微笑ましく、同時に、じり、と胸のどこかに焦りが生
じました。わたくしもこのように自慢される側仕えになっているの
でしょうか。
お茶会の段取りに商人の意見を取り入れるのは初めてのことで驚
きましたが、エルヴィーラ様は商人からローゼマイン様の意向を聞
き取り、貴族らしく指示を出すやり取りをしています。エルヴィー
ラ様のような社交感覚を身に付けなければ、ローゼマイン様の側近
ではいられないのだろうと肌で感じました。
静かに考え込んでいらしたローゼマイン様が突然﹁ルネッサンス
!﹂と大きな声を上げたことで、服飾に関する称号はルネッサンス
に決定いたしましたが、ローゼマイン様がまだ悩んでいるように見
えたのが、少しだけ気になりました。
⋮⋮まだ納得していなかったのでしょうか。
染め物のお披露目をするお茶会の当日、ギルベルタ商会は約束通
りの時間にやってきました。そして、変わった木枠の設置を始めま
す。このようなことをするのは打ち合わせにはなかったはずです。
わたくしとエルヴィーラ様は顔を見合わせました。
﹁オットー、あの木枠は何ですの?﹂
﹁新しい染め方のお披露目会とは言っても、お茶会ですから、少し
79
離れた席の方でも全ての布が見られるように、と考えた結果なので
す﹂
壁に布を飾ると言えば、タペストリーのように大きな作品を入れ
るのか、額に入れた物を見本として飾り、布自体は手に取ってみる
物と思っていましたが、ギルベルタ商会とわたくし達の考えていた
ことには差があったようです。
エルヴィーラ様はわたくしと同じように考えていたようで、ギル
ベルタ商会の後押しをするローゼマイン様は、あちらの考えだった
ようです。
話し合い、取り決めをしていても、意思疎通がうまくいっていま
せん。ここで﹁違います﹂とギルベルタ商会に言って、木枠を撤去
させるのは簡単ですし、普段ならばそうしたでしょう。けれど、今
回はローゼマイン様が発案した催しで、ローゼマイン様にとっては
これが普通なのです。
⋮⋮ローゼマイン様の意見を採用することに致しましょう。
目配せをすると、エルヴィーラ様も仕方がなさそうに軽く息を吐
きました。
﹁⋮⋮確かに、全ての布を見て、自分の好みを決めるのであれば、
テーブル毎にまとめて見せるとしても、とても時間が足りませんも
のね﹂
ローゼマイン様と相互理解が足りないことを改めて思い知りまし
た。わたくし達がローゼマイン様の言動に戸惑うのと同時に、神殿
育ちで平民との関わりが多いローゼマイン様が城で戸惑う理由が少
80
しわかった気がいたします。
多少の行き違いがあったものの、準備は進められていきます。
ギルベルタ商会の者が木の枠に布を設置していくのですが、どう
にも見せ方がわかっていないようです。
﹁それではせっかくの布が台無しではありませんか﹂
貴族院で流行を広げるためのお手伝いはいたしましたが、今回は
流行を作り出すという大仕事に立ち会っているのです。できるだけ
見栄えよくしなければなりません。
けれど、ギルベルタ商会はローゼマイン様が取り立てたことで、
城に出入りするようになった新興の商会です。それまで下級や中級
の貴族を相手にしてきたギルベルタ商会は、まだ商品の見せ方が良
くありません。
﹁飾り方に関しては、ブリュンヒルデの貴族としての感覚に任せた
方が、お茶会で受け入れられやすいでしょう。ギルベルタ商会もよ
く学ぶと良いですよ﹂
わたくしが指示を出している途中で、ローゼマイン様の声が聞こ
えました。わたくしの貴族としての感覚を信用してくださっている
のがわかって、少し嬉しくなります。
⋮⋮わたくしもできる限り頑張らなくては。
昼食を終えると、布の展示を終えたギルベルタ商会に工房の紹介
の仕方や布の買い方についての話をしました。今回はお披露目とい
うことで、すぐに商品をここで購入するのではなく、気に入った布
を作成した工房と職人の名前を伝えるので、自分の専属の商会を通
81
して、購入するようにしてほしいということでした。
﹁もちろん、私共をご贔屓くださっているローゼマイン様のご注文
はすぐにでも受け付けます﹂
このお披露目を通して、ギルベルタ商会が上級貴族との取引を一
気に取ろうと考えているのではないようです。商人ならば、少しで
も多くの貴族と取引が欲しいでしょうに。
ギルベルタ商会と打ち合わせをしていると、エルヴィーラ様がア
ーレンスバッハからの花嫁、アウレーリア様を伴っていらっしゃい
ました。
ローゼマイン様に言われても、エルヴィーラ様に言われても、ア
ーレンスバッハの布を取ろうとしないアウレーリア様に、わたくし
は少し不快な気分になったのです。
⋮⋮何と頑ななのでしょう。これではエーレンフェストに馴染む
ことなどできないと思いますし、見た感じも良くありませんわ。ア
ーレンスバッハの花嫁を受け入れることで、派閥が揺らぐというの
に、エルヴィーラ様のお立場も考えられないのでしょうか。
エルヴィーラ様が困り果てている様子を見て、わたくしが内心憤
慨していると、ローゼマイン様は少し首を傾げて、驚くような提案
をなさいました。
﹁ヴェールを外したくないならば、エーレンフェストの布でヴェー
ルを作るのはいかがですか? そうすれば、アウレーリアが一目で
エーレンフェストに馴染んだように見えると思うのですけれど﹂
まさか大領地から嫁いで来られたアウブ・アーレンスバッハの姪
82
であるアウレーリア様に、中領地であるエーレンフェストの布でヴ
ェールを作れば、などと言うとは思わなかったのです。アーレンス
バッハに対する挑戦、と受け取られてもおかしくはありません。
エルヴィーラ様は﹁それならば、確かに印象が変わるでしょうね﹂
と言っていますが、その裏には﹁とてもそのようなことはできない
でしょう?﹂という言葉が隠れています。
わたくしはアウレーリア様が﹁エーレンフェストの布をまとえと
おっしゃるのですか?﹂と大領地の姫君らしいお言葉を返してくる
と思っていたのですが、アウレーリア様はホッと安堵したような声
で、ローゼマイン様の提案を受け入れたのです。
どうやら、本当にアウレーリア様はヴェールを手放すことができ
ず、けれど、エーレンフェストに馴染みたいと考えていることがわ
かりました。
アウレーリア様も嫁入りに際して、側仕えを一人連れていました
が、今日の付き添いはエルヴィーラ様の側仕えです。共に居る側仕
えが心許して話し合える間柄ではなく、ローゼマイン様には全く敵
意がないことがわかったのでしょう。アウレーリア様はローゼマイ
ン様の後ろをついて歩いておりました。ローゼマイン様の歩幅に合
わせて移動するので、のそのそした動きに見えます。
二人が準備されている壁際の布を見ながら、話をしているのを、
ローゼマイン様の側近達と一緒に聞いていましたが、頭を抱えたく
なったり、笑いを堪えるのに必死になったり、大変でした。
アウレーリア様のヴェールには魔法陣が刺繍されているのですか
ら、一体どのような魔法陣が組み込まれているのか、調べなければ
ならないでしょう。それなのに、ローゼマイン様は呑気な笑みを浮
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かべながら、見間違えることがないことや前が見えなくて転ぶ心配
がないことを喜んでいます。
⋮⋮違うでしょう!
そして、ランプレヒト様が妹自慢をしていたという話を聞けば、
アウレーリア様に布を贈ろうと言いだします。歓迎していることを
行動で示そうとしているローゼマイン様とおどおどとしながらも嬉
しそうな声を出しているアウレーリア様を止められず、側近同士で
視線を交わして、肩を竦めました。
⋮⋮新妻に布を贈るのはランプレヒト様の役目ですよ!
そして、アウレーリア様が﹁可愛らしい布が好きでも、容姿に似
合わず使えない﹂と言えば、﹁顔が見えないのに関係ないでしょう﹂
とローゼマイン様はおっしゃいます。
⋮⋮ローゼマイン様はわたくし達と観点が違うのです。
わたくしはアウレーリア様が長時間佇んでいた布の番号を控えて
おきました。もちろん、ローゼマイン様の立ち止った布の番号も同
様です。
お二人とも好みが多少似ているのでしょう。重複している番号が
ありました。
深い赤から温かみのある朱色のような赤に少しずつ色が変わって
いく布地に、どのように染めたのかわかりませんが、少しずつ濃さ
の違う花が染められた布です。
⋮⋮これが一番ローゼマイン様の冬の衣装に合いそうですわ。
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ローゼマイン様が夏に仕立てて、気に入っていたバルーン状のス
カートの衣装を思い出し、似たような衣装を作るのならば、これが
一番だと感じました。
ところが、アウレーリア様と一緒に壁際に飾られた布を見ながら
一巡したローゼマイン様のやる気が、突然なくなってしまいました。
本日が染め物のお披露目の本番ですのに、準備中にガッカリとした
ように肩を落として、その後はあまり布に関心を示さなくなったの
です。
あれほど楽しみにしていたのに、どうしたのでしょうか。お眼鏡
に適う染め物がなかったのかもしれません。
⋮⋮正直なところ、ここに飾られている布はまだまだですものね。
リヒャルダが見せてくださった、昔の布に比べると技術が足りて
いません。けれど、これからお客様がいらっしゃいますし、これか
らエーレンフェストの染めを育てていくのですから、ここで力を抜
いてはなりません。
⋮⋮ローゼマイン様の代わりに、お披露目会を成功させるのが側
仕えの仕事でしょう。
ローゼマイン様はお茶会でお話に花を咲かせていらっしゃいまし
た。主にアーレンスバッハの物語と食べ物について。
これはこれで、大事なのです。アウレーリア様が少しでもその場
に馴染むためには、ローゼマイン様と楽しそうに語らっていた方が、
他の方も良い印象を持ちます。
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⋮⋮でも、違うのです、ローゼマイン様!
ローゼマイン様は染め物のお披露目であるのに衣装の話さえしま
せんでした。
ここで世間話を始めるならば、今のアーレンスバッハでの流行に
ついて、話を振り、エーレンフェストの染め物に関する話をします。
そこから少しずつ好みや趣味へと話を広げながら、情報を引き出し
ていくのです。
それなのに、ローゼマイン様は何の脈絡もなく御自分の趣味の話
を始めました。一人だけ満足して終わってしまっては、特に有用な
情報は得られません。エルヴィーラ様とフロレンツィア様が苦笑し
ているのが、視界に映ります。
わたくしは物語の話よりも、本日のお披露目の方が気になってい
たので、リーゼレータに給仕を任せ、他の方々の話に耳を澄ませな
がら、布を見て歩きます。
自分達が好みの布を探すという、今回のお披露目は上級貴族の婦
人方に驚かれましたが、新しいゲームのような娯楽として受け入れ
られているようです。
﹁この布は美しいですわね﹂
﹁赤の中に多くの色を取り入れて、とても華やかですわ﹂
冬のお披露目で着られるように、とローゼマイン様が染色工房に
注文を付けていたことで、並んでいる布は全て赤を基調とした物ば
かりです。
けれど、その赤の中に色々な色がございます。
橙のような赤から紫に近い赤まで様々な色合いの布があり、一つ
の布の中にも深い赤から薄い赤へと布の色が変わっている物があっ
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まだら
たり、斑に見えるような色合いの物があったり、それぞれの布が非
むら
常に個性的です。
単色で斑なく染めた布ばかりを見てきたわたくしの目には、衣装
の布として使った時、どのようになるのか、すぐには思い浮かべる
ことができないほどでした。
そして、それだけ色様々な中に、花を色づけた物、葉の緑を色づ
けた物などがちらほらと混ざっています。多色を使っている布はま
だそれほど多くないので、目を引きます。
﹁こちらは色遣いが華やかで良いですね。⋮⋮まだ拙さが残ってい
ますけれど﹂
﹁この春から始めたばかりの染め方ですから、まだ職人の技術は足
りませんけれど、すぐに上達するでしょう﹂
わたくしの口からするりと職人を擁護するような言葉が出ました。
自分では気付かないうちに、ローゼマイン様の影響をずいぶんと受
けているのかもしれません。
﹁ブリュンヒルデ様はこのような染め方の布を見たことがあって?﹂
﹁えぇ、ローゼマイン様が染め方を見直そうとおっしゃった時に、
リヒャルダが見せてくださいました。あちらが一番近いでしょうか﹂
小さな柄が等間隔でずらりと並んだ生地を思い出して、わたくし
が飾られている布を指差すと、年嵩の中級貴族の女性が懐かしそう
に微笑みます。
﹁わたくしの母が昔持っていた布にはあちらのような染め方が多か
ったですわ﹂
﹁昔の技術を復活させようとしている職人もいますし、新しい染め
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方に挑戦しようとする職人もいるようです。この辺りの色遣いは、
昔のエーレンフェストの染めにもなかったものですから、このまま
育てば、新しいエーレンフェストの布ができるようになるでしょう﹂
今回のお披露目には、職人を支援できるだけの財力がある上級貴
族と上級に近い中級貴族にしか声をかけていません。少しでも多く
の布が彼女達の目に留まれば良いと思っています。
﹁これは、と思う布があれば、御自分の専属の商会を通して、工房
と職人を指名して、それを購入するなり、新しく注文するなりして
くださいませ。こうすることで新しいエーレンフェストの流行が育
っていくのですって。ローゼマイン様は派閥の皆で流行を作ろうと
お考えですの﹂
﹁まぁ⋮⋮﹂
わたくしは自分がローゼマイン様に言われて嬉しかったように、
声をかけて回ります。作られた流行をただ広げていくだけではなく、
この染め物の中から、自分達で流行を育てていくのです。領主一族
からそう誘われるのは、まるで自分達の階級が一つ上がったような
高揚感があることなのです。
﹁自分に似合う物を、とローゼマイン様は常におっしゃられていま
す。たくさんの染め物の中から、好みの物、似合う物を選んでくだ
さいませ﹂
﹁ローゼマイン様はすでにお選びですの?﹂
それとなく皆が聞き耳を立てているのがわかります。流行を作り
出すローゼマイン様に追随しようとしているのでしょう。
﹁えぇ、準備をしている時に、候補はいくつか選んでおりました。
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アウレーリア様もエーレンフェストの布でヴェールを仕立てるそう
で、候補を見繕っていらっしゃいました。もちろん、シャルロッテ
様もフロレンツィア様もそれぞれに好みの布を選んでいらっしゃい
ます。その中から選んで、冬の社交界でお召しになる衣装を作るの
です﹂
ここにある染めの布は、まだ領主一族の誰も着ていない、まさに
流行の最先端になります。
領主一族がそれぞれ好みを選んだと言うことで、染めの布を流行
させるだけで、工房も職人もバラバラであることを告げれば、領主
一族の選んだ布に追随しようとしていた雰囲気が一気に変わりまし
た。
自分の布を選ぶための本気の目になり、貴婦人方がじっくりと布
を見て回るようになります。
その様子を見て、今回のお披露目の成功を確信すると、わたくし
はローゼマイン様に尋ねました。
﹁ローゼマイン様が称号を与えるのは、どの布になさいますか?﹂
領主一族であるフロレンツィア様、ローゼマイン様、シャルロッ
テ様が一人ずつ選んだ職人、計三名にルネッサンスの称号が与えら
れることになっています。いくつか控えてある候補の中から選ぶの
です。
けれど、ローゼマイン様は力なく頭を横に振りました。
﹁⋮⋮わたくし、この三つの内のどれにするか、決められないので
す﹂
﹁ローゼマイン様がガッカリするほど、技術的にはまだまだですか
ら、無理に称号を与える必要もありませんわ。時間が足りなかった
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のでしょうね﹂
称号を決めるのは、次の機会でも良いのではありませんか? と
わたくしが言うと、ローゼマイン様は少し考えた後、﹁そうですね﹂
と呟きます。称号などいつでも与えられますから、本当に気に入っ
た布を染める職人を見つけた時に与えれば良いのです。
﹁称号はどちらでも良いのですけれど、衣装の布は決めなければな
りませんわ。今年の衣装は三つの内のこちらで誂えてはいかがです
か?﹂
わたくしが準備中に目を付けていた布の番号を伝え、夏の衣装と
同じような感じで仕立てることができることを告げると、嬉しそう
に笑ったローゼマイン様が頷きました。
﹁ブリュンヒルデの見る目は確かですから、それで衣装を誂えまし
ょう﹂
⋮⋮どうやら、わたくしもローゼマイン様のお役に立てているよ
うです。
後日、﹁やっぱりブリュンヒルデの見る目は確かでした﹂と言っ
て、ローゼマイン様がひどく落ち込んでいらっしゃいました。﹁称
号与えておけばよかった﹂と言っておりましたが、何があったので
しょう。
やはり、ローゼマイン様を理解するのは、とても難しいようです。
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PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n7835cj/
本好きの下剋上 SS置き場
2015年3月10日23時52分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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