中国の文字改革 - 北海道大学情報基盤

中国の文字改革
言語情報学概論
担当 小野芳彦
2015/9/30
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印刷術と楷書
• 唐で印刷術が起こったころに,
社会で普遍的に使われていた
書体は楷書だった。
– そのころ楷書以外の書体は石
碑の題額などの特殊なケース
以外にはほとんど使われるこ
とがなかったから,印刷には初
めから楷書が使われた。
•
– また楷書はほかの書体に比べ
て筆画に直線が多いから,木
版印刷の版木に文字を彫るの
に便利な書体であった。
• こうして印刷にはほとんど楷書
が使われることとなり,印刷の
普及とともにその他の書体は
書道など芸術的な分野以外に
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はほとんど使われなくなった。
– それ以後の中国は,書物の印
刷に使用する楷書と,文字の
審美的鑑賞を目的とした楷書
以外の書体がさまざまな場で
大量に書かれた時代であると
いえよう。
宋・明・清と儒教文化がはなば
なしく栄え,皇帝の命令によっ
て大規模な書物が数多く編纂さ
れた。
– 漢字それ自身の発展という次
元で見るならば,唐代に完成さ
れた楷書文化の延長線上にあ
るといえる。
2
漢字と特権階級
• 過去の中国では,ごく一握
りの漢字を読み書きできる
知識人と,圧倒的多数の文
盲から構成されていたと
いってよい。
• 漢字の中には字形が複雑
で,覚えにくく,書きにくい
文字がたくさんある。
• さらに原則的には中国語の
単語1語に漢字1字が対応
し,単語の数は無限に近い
から,そのため普通の文章
を書くのにも莫大な字種数
を必要とする。
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• 中国には漢字以外の文字
がないから,文章に綴るに
は漢字を使うしか手段がな
かった。
• このような漢字を習得し,
自由に使いこなせるように
なるには十分な教育時間と,
それを受けるだけの恵まれ
た環境が必要だから,漢字
をマスターした人は結果と
して社会の支配的な立場に
つき,特権階級となってい
た。
3
近代化と文字改革
• 1911年の辛亥革命によって
中華民国になると,近代国家
建設のために国策として言語
や文字を整備しなおす必要が
論じられるようになった。
• 近代ヨーロッパだけでなく,日
本までが明治維新を機に近
代的な国作りにとりかかり,強
国になりつつあるのを目にし
た時,中国の先覚者たちは,
それらの国の発展の原因の1
つが教育の普及にあり,国民
のほとんどが文字を読める事
実に気づいた。
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• 近代のヨーロッパや日本など
で教育が普及した理由の1つ
に,それらの国で使われてい
る文字が表音文字であったこ
とがあげられる。
• そこでまず誰でもが漢字を読
み書きできるようにと,漢字に
対応する表音文字の製作が
企画された。
4
外国人宣教師のアルファベット表記
• 漢字の読み方を示すための
表音文字は,もともとキリスト
教の布教のために中国に
やってきた外国人宣教師たち
がすでに基礎的な仕事を行
なっていた。
• その最古の例は明代末期に
中国に滞在したジュスイット教
団の宣教師マテオ・リッチ
(Matteo Ricci,中国名は利
礪買,1552~1610)が『程氏
墨苑』という書物のために漢
字の発音をアルファベットで注
記したもの
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『西儒耳目資』
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その後同じジェスイット教団の宣教師だった
ニコラス・トリゴー(Nicolas Trigault,中国名
は金尼閣)が,マテオ・リッチの表音文字をさ
らに精密なものに改良して『西儒耳目資』を
作った。
中国語の音素を5種の母音(“自鳴”という)
と20種の子音(‘‘同鳴”という)に分けてロー
マ字で表わし,それらを組み合わせて中国
語のすべての音節を表記した韻書である。
これは外国人が中国語を学ぶための助けと
して作られたものだが,わずか30個にもみ
たない記号を組み合わせるだけで中国語の
音節を表記した
このことは,それまで複雑なシステムに基づ
いて研究に従事してきた中国の音韻学者を
驚嘆させ,それ以後の学問に大きな啓発を
与えるものだった。
しかしのちにキリスト教の宣教師の内地居
住が禁止されてからは,西洋人と中国人の
接触の機会も減り,アルファベットで中国語
を表記するという進んだ方法もしだいに忘れ
られていった。
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ウェイド式表音文字
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アヘン戦争のあと中国は外国に対して通商
の門を開いた。やがて列強の勢力は首都北
京にまでおよび,外国の大使館が北京に設
けられ,また植民地が続々と中国国内に作
られるようになった。こうしてたくさんの外国
人が中国にやってくるようになり,外国人の
中には中国語を学習する者が増えてきた。
1862年に北京に設置されたイギリス大使館
に初代の首席書記官として赴任し,帰国し
てからケンブリッジ大学の初代中国語教授
となったトーマス・ウェイド(Thomas Wade,
中国名は威妥馬)は,外国人のための中国
語教科書『語言自適集』を編纂し(1867年
刊),その本の中で漢字に発音を注記する
ための,アルファベットによる新しい表音体
系を使用した。
これが「ウェイド式」とよばれる中国語の表
音システムで,のちに英語などの文章の中
で中国の地名や人名を表記するための標
準的な綴り方として広く使われるようになっ
た。
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•
現行の「ウェイド式」はイギリスのジャイルズ
(HerbertGiles)が“Chinese English
Dictionary”を刊行した時に若干の修正を加
えたもので(だからそれはまた「ウェイド=
ジャイルズ式」ともよばれる),中国語の発
音を示すための表音文字として現在でも各
国で広く使われており,中国でも外国向けの
書籍や文書には今でもしばしばこの方式を
使うことがある。
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中国人による表音文字
•
西洋人の影響を受けて自国語を表記するた
めの表音文字を作成する人物が現われてき
た。
•
中国人による最初の表音文字は,蘆
戇章(ロ コウショウ)が作った「中国第
一快切音新字」で,彼はその文字で
『一目了然初階』という読本を作り,
1892年に出版した。
•
蘆戇章はシンガポールで英語を学んだあと,帰
国してからはアモイでイギリス人宣教師による
漢英辞典の編纂を手伝っていた。
•
そのころの宣教師たちは,民衆への布教
のために「教会ローマ字」とよばれる表記
法を使って土地の方言で聖書を翻訳して
いたのだが,蘆戇章はその表記法にあき
たらず,10年あまりの時間を費やして中
国語(といっても実際は彼の母語である
福建方言が中心である)の母音と子音を
示す計55個の字母を作った。
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蘆戇章の表音文字が出たあと,かね
てより中国語の表音文字に関する私
案をもっていた者たちが続々と著述
を公刊しはじめた。
その後20年のあいだに公刊された
同様の著述は28種にものぽったとい
うから,平均すれば1年に1種以上出
ていることになる。
それらの表音文字の作り方には,蘆
戇章のようにアルファベットを基礎に
したもののほかに,アメリカの議会で
使われていた速記法をモデルとした
ものや,漢字の筆画の一部をとった
ものなどがあった。
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読書統一会
• 中華民国になり,新しい表音文字の作成は新し
い政府にもそのまま引き継がれた。
• 中華民国の教育部(日本の文部省にあたる)は
1913年に全国共通語を制定するための「読書
統一会」を開催した。
– この会の主要な目的は,全国に通用させる標準的な
字音を制定することと,
– それを表記するための表音文字を作成することで,
• 会員は教育部で選考した約80人のメンバーで構
成されていた。
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注音符号
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この会議で定められた全国の標準音を表わ
すための表音文字として採用されたのが
「注音字母」である。(やがで‘字母”という言
葉が紛らわしいとして「注音符号」と改称さ
れた。)
これは当時の著名な言語学者であった章炳
麟(ショウ ヘイリン)(1869~1936)が,漢字
の一部分を取って考案したものを楷書化し
て作られた。
注音符号は漢字の筆画の一部を記号化し
たもので,21個の子音,3個の介母(中間母
音),13個の韻母(主母音と語尾の子音)で
構成されている。
それまでの表音形式のほとんどが子音と母
音を示す2種類の記号を組み合わせていた
のに対し,注音符号は介母を示す符号を独
立させ,3種の符号を組み合わせる方式を
採った。
こうすることによって,より少ない字母の数
で精密な字音の表記が可能となったのであ
る。
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国家の文字改革政策
• 毛沢東(1893~1976)は
1940年に執筆した『新民主主
義論』の中で新中国の文化を
「大衆の文化」と規定し,「文
字は必ず一定の条件のもとに
改革されなければならないし,
ことばは民衆に近づけなけれ
ばならない」と述べていた。
• 1949年中華人民共和国が成
立し,識者たちは人民が主人
公となった新しい社会での言
語や文字の在り方を模索し,
建国直後に北京に民間団体
「中国文字改革協会」を設立
した。
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• 毛沢東は建国後の1951年に
は「漢字は必ず改革し,世界
の文字に共通する表音文字
の方向に進まなければならな
い」との指示を出した。
• 1954年には国務院(日本の
内閣にあたる)に「中国文字
改革委員会」が設置された。
• 政府の中枢機関の中に文字
や言語に関することがらを専
門に扱う部署が設けられたこ
とは,中国の長い歴史の上で
初めてのことであった。
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普通話の制定
• 国家による文字と言語の改革の
主要な目的は,
1. 標準語の制定,
2. 漢字の発音を表記するための新
しい表音文字の作成,
3. 漢字の簡略化
の3点にあった。
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• 清代には「官話」とよばれる公用
語が広い地域で使われていたし,
中華民国政府は北京の発音や
語彙を基準とした標準語を制定
した(それを「国語」という)。
• 中華人民共和国はその「国語」を
もとにして,発音や語彙の面で若
干の修正を加えて新しい標準語
を作り,それを「普通話」
(pŭtōnghuà)とよんだ。
• 普通話は政府による熱心な普及
事業,およびラジオなどのマスコ
ミや学校での国語の授業を通じ
て短時間のうちに全国に湊透し,
全国のほとんどの地域で使用さ
れる規範的な言語となった。
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ローマ字表記
• 中華民国時代に作られた「注
音符号」は,漢字の注音に使
うほかにはまったく使い道が
ない,応用のきかないもの
だった。
• また学校でそれを学ぶ学生た
ちは,注音符号とはべつに外
国語の学習のためにアルファ
ベットも覚えなければならない
のだから,漢字以外の文字を
2種類学ぶことになる。
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• このような点から,注音符号
が制定されてからも,やはり
漢字の注音システムは世界
の大多数の国で使われてい
るアルファベットによるべきだ
とする意見が根強くあり,その
ため1928年には注音符号と
並行して用いる,アルファベッ
トによる表記システム(「国語
ローマ字」)が公布された。
• またソ連での文盲一掃運動に
刺激をうけた人々が中国語表
記のために開発したアルファ
ベット式の表音文字(「ラテン
化新文字」)を支持する人々も
相当に多く存在した。
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漢語拼音方案
• 注音符号に対する反省に始
まった中華人民共和国の文
字改革では,あらためて注音
システムを研究し,長所と短
所を勘案して,新しい注音シ
ステムを開発した。
• これが1958年2月の全国人
民代表大会(日本の国会にあ
たる)で批准された「漢語拼音
方案」である。
– “拼音”とは「音を綴る」という意
味)。
• それまでの漢字に対する各種
の注音システムの集大成であ
り,アルファベット以外の文字
や符号をいっさい使わない。
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拼音文字の性格
• 拼音はあくまでも漢字の発音を表記し,
普通話普及に役立たせるための補助的な文字として作られたもの
で,
そのまま漢字に取ってかわって全面的に使用されるべき表音文字
ではない。
– もちろん,この文字だけで中国語を表記することは可能である。
• 実際に中国の街角では商店の看板などに店名が漢字とともにこの文字で併
記されていることが多いし,
• 拼音文字だけで書かれた小説も出版されたことがある。
– 店名はやはり装飾的な意味合いが強いし,
– 小説の方もまず漢字で書かれた小説が出版され,その後に梯音文
字だけで書かれたものが出版されたのであって,
• 表音文字だけによる中国語の全面的な表記にはまだ道は遠く,
• 現在はあくまでも試行段階に過ぎないものと思われる。
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拼音文字の普及
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漢語拼音方案は全国の学校や民間での標準語普及教育や識字教育に使用され,
誰にでも理解できる精密な漢字の発音注記システムとして効果を発揮し,普通話
普及の原動力となった。
また漢語蹄音方案はすべてアルファベットで構成されているから,漢字に対する
注音という用途以外にも,たとえば電報や手旗信号,あるいは聾唖者の手話や
盲人の点字など,広い範囲にわたって応用が可能だし,現代では盛んに開発が
進んでいるコンピュータ方面にも応用され,拼音のアルファベットによって入力し
漢字に変換するワード・プロセッサも作られ始めている。
また国際的な面でも,やはりアルファベットは外国人にとってたいへんなじみやす
く,日本人を含めて外国人が中国語を学ぶ時にはこのシステムを使うのが普通
になっている。
国連はすでに中国の人名と地名をアルファベット表記する時に拼音文字を使うと
公式に定めたし,
また1982年には工業製品の国際規格化を目的とする機関である「国際標準化機
構」(略称ISO)でも,中国語を表記する国際的規格として認められた。
今後は従来外国で主として使われていた「ウェイド式」に変わって,しだいにこの
システムが使われていくことと思われる。
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漢字の簡略化
• 解放後の言語文字政策の中で,漢字そのもの
にもっとも大きな影響を与えたのは漢字の簡略
化だった。
• 過去に圧倒的多数の人民が文盲であったのは,
漢字の字形が複雑で覚えにくいからであると考
えられ、
• そのため政府は漢字の簡略化に積極的にとりく
み,複雑な字画を簡単にした文字(「簡体字」と
いう)を正式の文字として採用し,簡略化された
漢字を印刷や記録に使用するように指導した。
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簡体字の歴史
• 甲骨文字以来,漢字は,書体の変化と
いう形式をとりながら,複雑な字形を簡
略化してきた。
– 昔からより速く,より簡単に書ける文字を求
めて,すすんで簡便な書き方を追求してきた。
– 篆書から隷書への移行も,隷書がくずされて
行書や草書が作られたのも,実際の目的は
文字の簡略化にあったといってよい。
– 古くから,民間の日常的な場で文字を書く時
には簡略化された文字が使われることも多
かった。
• 唐代に書かれた文書にもすでにいくつ
かの簡体字が使われているし,宋代の
通俗的な小説などには,いたるところに
簡略化された文字が使われている。
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