神秘−86 イエスの逮捕 18:1−11

 信仰の神秘−86 「キドロンの谷の攻防」 2015. 3.1
ヨハネ 18:1-11、ロマ 5:6-11、イザヤ 43:8-15
1
こう話し終えると、イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行
かれた。そこには園があり、イエスは弟子たちとその中に入られた。2 イエスを裏切
ろうとしていたユダも、その場所を知っていた。イエスは、弟子たちと共に度々こ
こに集まっておられたからである。3 それでユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやフ
ァリサイ派の人々の遣わした下役たちを引き連れて、そこにやって来た。松明やと
もし火や武器を手にしていた。
4 イエスは御自分の身に起こることを何もかも知っておられ、進み出て、
「だれを捜
しているのか」と言われた。5 彼らが「ナザレのイエスだ」と答えると、イエスは「わ
たしである」と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒にいた。 6
イエスが「わたしである」と言われたとき、彼らは後ずさりして、地に倒れた。7 そ
こで、イエスが「だれを捜しているのか」と重ねてお尋ねになると、彼らは「ナザ
レのイエスだ」と言った。8 すると、イエスは言われた。
「『わたしである』と言った
ではないか。わたしを捜しているのなら、この人々は去らせなさい。」9 それは、
「あ
なたが与えてくださった人を、わたしは一人も失いませんでした」と言われたイエ
スの言葉が実現するためであった。
10 シモン・ペトロは剣を持っていたので、それを抜いて大祭司の手下に打ってかか
り、その右の耳を切り落とした。手下の名はマルコスであった。 11 イエスはペトロ
に言われた。
「剣をさやに納めなさい。父がお与えになった杯は、飲むべきではない
か。」
Ⅰ. ヨハネの受難物語
きょう、皆さんと共に審きの座(十字架のキリスト)を見上げ、心を高く上げて聞きたい御言はヨハネ福音書
18章1節以下です。ここよりヨハネ福音書は19章の終りまで、狭義の受難物語、即ち、主イエスの逮捕、
裁判、十字架刑と埋葬を描きます。ここから始まる二章は、カトリック教会および三年サイクルの共通聖書
日課表のすべての年の受難日に、その全体を朗読するよう提案されている箇所です。つまり教会は主イエス
が十字架に上げられた聖金曜日に、ヨハネが描く受難物語を来る年も来る年も読んできたのです。代々の教
会は、ヨハネにおける受難の比重は極めて高いと評価してきたのです。それだけに、それが誤解されたこと
で引き起こされた事態もまた深刻です。 ある研究者はそれを次のように表現しました。「ヨーロッパのユダヤ人たちが、受難日にヨハネによる福
音書の受難物語の全体が朗読されたために、その日には鍵を締めたドアのうしろでどれほどの恐怖で身を縮
めたかをキリスト者は忘れてはならない。」この恐怖を20世紀は、ナチス・ドイツのユダヤ人捕虜収容所
に見たのです。 それにしてもなぜ、ヨハネの受難物語は誤解されたのか。ヨハネは主イエスの敵対者として、共観福音書
のように、律法学者やファリサイ派の人々ではなく、「ユダヤ人」を中心に据えているからです。ヨハネが
描く〈ユダヤ人〉は民族的な概念ではなく、「宗教的世界の代表者」即ち、この世、闇を意味しています。
しかし、それが民族と誤解されたことで、ヨーロッパ・キリスト教社会におけるユダヤ人の過酷な歴史とな
ったのです。 1
ヨーロッパのユダヤ人に過酷な歴史を強いたヨハネの受難物語には、共観福音書と異なる描写が少なから
ずあります。主イエスの逮捕の場面もその一つです。ここには共観福音書が描く、十字架の死を前にして、
ひどく恐れ、苦しみもだえ、「わたしは死ぬばかりに悲しい」と言って、地面にひれ伏し、できることなら
この苦しみの時が過ぎ去るようにと、血の滴りのような汗を流して祈られた主イエスの姿はありません。ま
た、パスカルが『パンセ』に記した、「イエスは人間の側から同情と慰めを求め給う。そのようなことは、
思うに、彼の全生涯のうち、ただ一度であった。だが、彼はそれを得ることができない。弟子たちは眠って
いるからである」という、「わずか一時も目を覚ましていられない」弟子たちの姿もありません。 ヨハネが描く主イエスの姿は実に堂々としています。夜の闇の中、松明を手に近づく人々に主イエスは、
「だれを捜しているのか」と問われます。彼らが「ナザレのイエスだ」と答えると、主イエスは、「わたし
である」と言われたのです。すると「彼らは後ずさりして、地に倒れた!」とヨハネは記します。このとき
人々は、聖なる神の圧倒的な臨在に打たれてひれ伏したモーセやイザヤのように、地に倒れたのです。 ある聖書学者はいいます。イエスはエルサレム入城以来、「すでに高挙された者、栄光化された者として
彼の者たちに語っていた。従って地上でのわざは完成されていた。だが彼は 19:30 の十字架の上で初めて
『成し遂げられた』と語る。彼の『栄光化』(12:23、17:1)、『世からの離去』(13:1) の『時』は全体として
の受難の出来事を含んでいるからである」と。 言い換えますと、ヨハネは、復活と同じように、十字架も「上げられること」、
「栄光を受けること」の中
に含めて理解しているのです。ヨハネは、初めにあった言、神と共にあった言、神であった言が「肉となっ
て、わたしたちの間に宿られた」ことを次のように証言しています。「わたしたちはその栄光を見た。それ
は父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた!」と。ヨハネが受肉した永遠のロゴスに
見た栄光は十字架で完成するのです。 Ⅱ.キドロンの谷
それにしても十字架に栄光を見るとはどういうことでしょうか。ヨハネは「ユダヤ人」を主イエスの敵対
者として描いたように、十字架は肉の目、即ち、この世の価値基準からすれば栄光の対極です。そうである
のにヨハネは、十字架のキリストに栄光を見たというのです。わたしたちもヨハネ同様、十字架のキリスト
に栄光を見たいと思います。 そこでまず注目したいのは3節、「ユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした
下役たちを引き連れて」来たです。裏切り者ユダが引き連れてきた者たちの中に「一隊の兵士」、即ちロー
マ兵がいたとヨハネは記します。 因に、主イエスの逮捕の場面にローマ兵を登場させているのはヨハネだけです。その意図は何か。ある研
究者は、主イエスがローマ人によって逮捕されたことは歴史的に正しいとしても、この時点に至るまで(ヨ
ハネ)福音書に広く行き渡った象徴的表現の探究を捨て、材料を史的に、即ち史実として扱うことは避けな
ければならないと言います。パウロの言葉で言えば、
「かつてはキリストを肉によって知っていたとしても、
今はもうそのような知り方」(Ⅱコリント
4:16) はしないということです。
「宗教的世界の代表者」を象徴する
「ユダヤ人」を肉によって、つまり民族として捉えた悲劇については触れました。同じように、肉に従って
キリストを知ろうとする者たちによって、キリスト教は深刻な危機に瀕しているのです。ウィリアム・ジェ
ームズは『宗教的経験の諸相』の中でこんなことを言っています。
「神を信じないさまざまな教会が、今日、
倫理会という名称で世界に普及しつつある・・・」と。ヨハネが主イエスの逮捕の場面にローマ兵を登場さ
せた象徴的意味、この出来事の信仰的な意味を知りたいと思います。 2
この記事にローマ兵が登場する背景には、ヨハネが生きていた1世紀末の教会を巡る事情があるように思
います。紀元85年頃、ユダヤ人捕虜収容所があったヤムニア_ファリサイ派の新たな中心地_で公布され
た「18の祝福」は、キリスト者 (「ナザレ人」) と異端者 (ミニム) に対する呪いと、彼らを会堂から追放する
言葉が含まれていました。会堂から追放されるとは、私たちの国で、先の世界大戦の時、「非国民」のレッ
テルを貼られた者がそうであったように、ユダヤ人社会では生きるすべがなくなるということです。しかも、
ユダヤ教から異端宣告を受けたことで、キリスト教はローマから迫害の対象になったのです。 しかし、キリスト教に対するローマの、即ちこの世による真の迫害は、ヨハネの時代からおよそ200年
後、コンスタンティーヌス帝によってキリスト教が承認された後に始まります。教会史家レーヴェニヒは言
います。「この予測されなかった可能性は同時に大きな危険でもあった。教会はこの世を征服したが、今度
はこの世が教会を征服しようとした。」迫害に耐えた教会も、この世の誘惑には耐えることができなかった
のです。 わたしは、ヨハネが伝える主イエスの逮捕の記事を読んでいて、ヨハネはまるでこうなることを予測して
いたかのようである、との思いに捉えられました。言い換えますと、ヨハネは教会がこの世の誘惑に対抗す
る手段をこの場面に描き込んでいるということです。 それとの関連で注目したいのは、この出来事があった場所です。ヨハネはそれを、共観福音書のように「ゲ
ッセマネの園」(マタイ、マルコ。ルカはオリーブ山) と表記せずに、「キドロンの谷」にある「園」としました。 最後の晩餐が終わると主イエスは数名の弟子たちと、エルサレムから「キドロンの谷の向こうへ出て行か
れた」のです。「キドロンの谷」は、聖書の民にとってある特別な意味を持っています。この地名が旧約聖
書に最初に出て来るのは、ダビデが息子アブサラムの謀反によってエルサレムから逃亡する場面です。サム
エル記の著者はその場面を、実に情感豊かに描いています。「その地全体が大声をあげて泣く中を、兵士全
員が通って行った。王はキドロンの谷を渡り、兵士も全員荒れ野に向かう道を進んだ」(下 15:23)。ダビデは
息子アブサロムの反乱に武力で応戦せず、エルサレムを無血開城したのです。父と子が血で血を洗う抗争を
避けたのです。 このあと南北王朝時代になると、キドロンの谷は度々歴史の舞台に登場します。ダビデの後継者ソロモン
亡きあと、王国は南北に分裂し、それぞれの道を行きます。特に、ダビデの血筋を引く南王国ユダでは、父
祖ダビデの道を行く王たちは皆等しく、偶像をキドロンの谷で焼き払ったのです(王上 15:13、王下 23:4、6、12、
代下 15:16、29:16、30:14)。神の民イスラエルにとってキドロンの谷は偶像と訣別した地なのです。 Ⅲ. キドロンの谷の攻防
旧約におけるキドロンの谷への言及で最も感銘深いのは、預言者エレミヤが「新しい契約」の文脈を結ん
だ言葉です。「見よ、主にささげられたこの都が・・・再建される日が来る、と主は言われる。測り縄は更
に伸びて、カレブの丘に達し、ゴアの方角に回る。死体と灰の谷の全域、またキドロンの谷に至るまで・・・
主のものとして聖別され、もはやとこしえに、抜かれることも破壊されることもない」(31:38-40)。 エレミヤがここで語るキドロンの谷は、あたかもエゼキエルが枯れた骨の幻で見た「ある谷」(37:1) のよ
うです。そこはカラカラに枯れた骨が累々と築かれていた「死体と灰の谷の全域」です。エゼキエルはその
枯れた骨が生き返る幻を見させられたのです。エレミヤが「新しい契約」で語ったのもそれです。「キドロ
ンの谷に至るまで・・・主のものとして聖別され、もはやとこしえに、抜かれることも破壊されることもな
い」のです。 ヨハネは、主イエスがキドロンの谷で捕えられたと語ることで、エレミヤが預言した「新しい契約」の成
3
就を見たのではないか。エレミヤの言う「新しい契約」とは、モーセを通して与えられたシナイ契約を守る
ことができない者との間に結ばれる契約です。皮膚感覚にまで悪が染み付いた者と、神は「新しい契約」を
結ぶと言われたのです。「わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない」と。ヨハネが
〈キドロンの谷〉における主イエスの逮捕で描いた意味がここにあるのではないか。 ........
....
パウロの言葉で言えば、「実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ 、定められた時に、不信心な
.....
..........
者のために 死んでくださった。・・・わたしたちがまだ罪人であったとき 、キリストがわたしたちのために
..........
死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。・・・敵であったときでさえ 、
御子の死によって神と和解させていただいた!」ということです。皮膚感覚にまで染み付いた罪、咎、汚れ
を、神はキリストの血によって聖別されたのです。 神に対して不信心な者、罪人、否、敵であった者を神と和解させるために、神の御子は十字架について死
なれたのです。パウロはこのように語ることで、主イエスの死における神の行為の把握しがたさを示し、啓
示される愛の大いさを明示したのです。言い換えますと、神が誰であり、また人間と世界が誰であるか、救
いと滅びが何であるかということは十字架からその判断の基準を得るのです。
ヨハネはこの十字架の神学に父の独り子としての栄光を見たのです。それを象徴的に描いたのが、主イエ
スを捕らえようとした者たちが「後ずさりして、地に倒れた」、「わたしである」という〈主イエスの栄光〉
です。研究者たちは、この《わたしである》の意味の解明のために旧約の二つのテキストを上げます。一つ
は、イスラエルをエジプトから解放するためにモーセが召し出された記事です。そこで神はモーセに「わた
しはある。わたしはあるという者だ」(出エジプト 3:14) と言われたのです。
もう一つのテキストは、この礼拝で読まれたイザヤ書43章8節以下です。わたしはキドロンの谷で語ら
れた主イエスの「わたしである」は、イザヤ書43章から理解されるべきであると考えています。その理由
は二つ、一つは、イザヤ書43章で語られる「わたしである」は、「目があっても、見えぬ民、耳があって
も、聞えぬ民」の救いが主題であること、そしてもう一つの理由は、この単元の後で語られているように、
「わたしである」で、出エジプトをはるかに超える新しい救いが語られていることです。御言にこうありま
す。「初めからのことを思い出すな。昔のことを思い巡らすな。見よ、新しいことをわたしは行う。今や、
それは芽生えている!」
第二イザヤが語る、出エジプトをはるかに越える神の救い、「新しいこと」は人の子が十字架に上げられ
ることで成就したのです。十字架のキリストにおいて、「目があっても、見えぬ民、耳があっても、聞えぬ
民」に救いが提供されたのです。神に対して不信心な者、罪人、否、敵であった者を神と和解させるために、
神の御子は十字架について死なれたのです。 わたしたちはこの「成就」で、ある一つの、しかも決定的な信仰の秘義に出会うのです。それは旧約の民
において既に、十字架は栄光であったということです。肉の目には十字架は栄光の対極です。しかし神の言
葉を命の糧として生きた聖書の民にとって十字架は栄光なのです。そのことをフォン・ラートは次のように
語りました。「祭儀において、またヤハウェ、彼の行為、彼の顕現の称賛において―イスラエルはその最高
の形態における美しさの現実性にも出会った」と。「最高の美は、ヤハウェがイスラエルの歴史的実存の中
へと降下したことである。そのことをまず第一に神顕現の描写が表明している」と。「イスラエルにとって
特徴的なことは、神の自己放棄に至るまでのヤハウェの下降にはその美表出(輝き出る美しさ)を伴うとい
う点にある」のです。 神が不信心な者、罪人、神の敵を救われることは旧約において預言されていたのです。パウロが、キリス
トが十字架に上げられたことを「定められた時」と言ったのはそのためです。エフェソ書の著者はそれを「秘
4
められた計画」といい、「時が満ちるに及んで、救いの業が完成され」と語りました。つまり神は、天地創
造の前にわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストを十字架に上げ
ることを決定しておられたのです。
「神のなされることは皆その時にかなって美しい」と言った『伝道の書』
の言葉が迫ります。わたしたちは神のなさる〈最高の美〉を十字架のキリストに見るのです。 ヨハネがキドロンの谷で描いたイエス逮捕の場面は、この神顕現、神の自己放棄に至るまでのヤハウェの
下降、即ち十字架のキリストの栄光、輝き出る美しさなのです。 主イエスは死において初めて、見棄てられた世を救うことのできる救済の力へと「上げられる」のです。
主イエスの栄光の啓示は、その死に至るまでの愛に満ちた献身において完成されるのです (13:1、24−25、31−
32、19:25−30)。言い換えますと、主イエスの受難は、闇に対する光の戦いから必然的に生じるのです。受難
はこの戦いの勝利にみちた結末なのです。剣を手にして大祭司の手下に打ちかかったペトロに主イエスは言
われます。「剣をさやに納めなさい。父がお与えになった杯は、飲むべきではないか。」然り、「モーセが荒
れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の
命を得るためである。」 世の光としての主イエスの栄光は、十字架から始まり、その栄光にはこの世に対する神の創造主としての
愛があり、愛は失われた人々を光の子らに変えるのです( 12:31−32、36、なお
1:12−13、3:3、8:34−36、9:36)。
こうして、「救済の恵みもまた美をもつ。・・・人間が自らを神の好意の対象と認めることが許されたとき、
神が人間の『頭を持ち上げられた』とき、最後には人間自身が美しく登場する」(フォン・ラート)。 (祈り)
「これは、なんという恐るべきところか。これは、神の家である。これは天の門である。」
「愛する主よ、教えて下さい。
全世界の贖いのためには、あなたのいとも貴い御血の一滴で十分であったのに、
なぜあなたは御体から御血を残らず流しつくされたのですか。
主よ、わたしは知っています。
あなたがどんなに深くわたしを愛してい給うかをお示し下さったのだということを。」
主よ、あなたが給わる聖霊によって、あなたの愛を私の霊肉に刻みつけ、闇の世に輝く光として下さい。
5