今日のみことば □ 10月11日(日) 詩篇 71編 これは老人の祈りと考えられる。老人になってもなお信仰の 戦いを続けているが、これまでの神の守りを根拠に神に感謝を しています。 □ 10月12日(月) 詩篇 72編 よい王が立てられ、よい政治をすることは神の大きな祝福で す。神が王をそのように立てられることを祈ります。このよう な祈りは私たちクリスチャンの祈りでもあります。 □ 10月13日(火) 詩篇 73編 この詩編は、信仰の試練と聖所における信仰の回復・勝利の 歌である。悪人の繁栄と正しいものの苦しみを扱うが、彼はす べての問題を神のみもとにもっていく。 □ 10月14日(水) 詩篇 74編 この詩は罪の結果を見て、祈るべきとりなしの祈りである。 国は征服され、神殿は破壊されて、汚されて、周囲の国々の物 笑いになっている。その原因は民の罪と不従順である。 □ 10月15日(木) 詩篇 75編 この詩編の主題は「神は公平なさばき主」です。勝利の感謝 を告白する歌です。アッシリアの敗走は神の大いなる裁きの行 為であり、それが預言者的権威をもって語られる。 □ 10月16日(金) 詩篇 76編 アッシリア王のユダ侵入とその不思議な敗北は、イスラエル の神の偉大さと栄光を示しました。イスラエルの神は栄光と勝 利の神です。 □、10月17日(土) 詩篇 77編 この詩編は、疑いより信仰へと立ち直った道筋が歌われてい る。現在の苦難と試練の中で未来の神の救いを確信できる根拠 は、過去における救いのわざです。 新約聖書が「悔改め」について これほど強烈に言及することはあ る意味では異常と言えます。新約 聖書の中で56回、動詞での34 回、名詞で22回(英語聖書で) の使用です。私たちもまた、信仰 の証しをさせていただく中で、避 マタイ3:2 けて通ることは決してありません 人が人として生きるまず基本なの 「悔改めよ。天の国は近づ です。 いた」と言った。 新約聖書は、バプテスマのヨハ ネの「悔改めよ。天の国は近づい た」との開会宣言のラッパの吹奏 から始まります。それが神の求 め です.。 「 蝮の子らよ、差し迫った 神の怒りを免れると、だれが教え たのか。悔い改めにふさわしい実 を結べ。『我々の父はアブラハム だ』などと思ってもみるな。言っ ておくが、神はこんな石からでも アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。」とヨハ ネは声をあげました。私たちは神の前にあって、自分が何者で あるかを自覚しなければなりません。創造の神からどこにいる かと声をかけられた時に、最初の人アダムは隠れました。神の ことばに背いたからです。そして今も私たちは神の呼びかけに 姿を隠しているのです。ヨハネは「わたしたちはどうすればよ いのですか」と問われて答えました(ルカ3:11)。その答えはあま りにも平凡すぎました。真正面から神と向き合うことと気張っ ていた私は肩すかしを食ってしましました。悔い改めの実はも っと実を伴うものでした。しっかり聖言に生きるだけです。 ろ ば No.1732 2015年 10月11日 日本バプテスト 立川キリスト教会 牧師 大川 博之 イエスの宣教第一声も「時は満ち、神の国は近づいた。悔い 改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15)です。そして人々が心を神 に向け、聖言に生きることを教えられました。「イエスは言わ れた。『わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書 いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなた がたと一緒にいたころ、言っておいたことである。』」(ルカ24: 44) と言われるのでした。私たちはどれほどみことばを聞き取 っているか、問われずにはおれないのです。ペテロがペンテコ ステの日に声を上げて、人々に悔い改めを語り迫りました。そ の説教をもう一を聞いてみて下さい。そこにあるものはただ一 つです。主イエスをしっかりと受け入れて、みことばに生きる のみです。それが私たちのいのちのすべてなのです。 パウロは「さて、神はこのような無知な時代を、大目に見て くださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるように と、命じておられます。それは、先にお選びになった一人の方 によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。 神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのこと の確証をお与えになったのです。」(使徒17:30-31)と言います どこまでも愛に満ちておられる神。私たちはそのお方しっかり と受け止めることが出来ることなしに、私たちは生きることは 出来ません。しっかり自分を見つめて、天の神を見上げるとき 何をすべきかを知るのです。悔い改めて、悔い改めの実を結ぶ ことです。ヨハネは、悔い改めて、愛と正義、誠実と知足を説 きました(ルカ3:10-14)。 次週の聖書・説教 ルカ19:1-10 悔い改めの結果 《 聖書の学び・祈祷会 》 マタイ2:1-12 イエスの誕生の反応 夜空を見あげていた学者が、見たこともない大きな星を発見 して興味をもったこの出来事、キリスト誕生に人はどのように 反応をしたのか。 ヘロデ王はその知らせを聞いたとき、「これを聞いて、ヘロ デ王は不安を抱いた」とあります。なぜ自分をそっとしておい てくれないのか。自分の生活を脅かすものとして反応をしまし た。今日ある反応です。 民の祭司、学者たちは、メシヤの誕生について尋ねられても 冷淡でした。預言者はベツレヘムだと言っていると答えるだけ でした。本当にメシヤを待ち望んでいるのやら。 しかし、星を見て尋ねてきた学者たちは違っていた。彼らは しっかりとそれを確認したかった。 キリスト誕生に、敵意、無関心、そしてその出来事としっか り向き合おうとする反応をどう見るのでしょうか。
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