名古屋大学【日本史】解答例

名古屋大学【日本史】解答例
問題Ⅰ
問1 唐・新羅が百済を滅ぼすと,斉明天皇は百済復興のため朝鮮半島に軍を派
遣した。しかし663年の白村江の戦いで敗れ,中大兄皇子は大宰府に水城を,
各地に朝鮮式山城を築造し,近江に都を移し,唐の侵攻に備えた。
問2 ヤマト政権下において,国造は屯倉の管理に当たるとともに子女を大王
のもとへ出仕させるなど様々な奉仕を義務づけられた。また律令国家成立
後は郡司に任じられて,国司の下で地方行政の実務を担った。
問3 戸籍に基づき成年男子3~4人に1人の割合で兵士が徴発され,諸国の
軍団で訓練されたのち,一部が九州沿岸を警備する防人となった。
問4 藤原隆家は九州の武士を動員して刀伊の入寇を撃退した。
問5 室町幕府を二分した観応の擾乱は足利尊氏が弟の直義を滅ぼして終った
ものの,諸国では,惣領制の崩壊で血縁的結合より地縁結合を重視した武
士が,利害関係から尊氏方,直義方,南朝方に分かれ,争いを続けた。
問6 半済令
年貢の半分を兵粮米として徴収する権限を得たことで,守護は荘園や公
領を侵略し,徴収した米を国内武士に分配することで被官化に利用した。
問7 在地の有力武士は中小武士や農民を従えて国人となり,彼らは契約を結
んで国人一揆を形成して守護の支配を排し,紛争解決などを自治的に行っ
た。
問8 奉公衆
諸国に散在する幕府直轄領の御料所を管理し,守護の動向を牽制した。
問題Ⅱ
問1
問2
問3
う/大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)
戦国・織豊政権期の堺は明や南蛮・東南アジアなどとの貿易で発展したが,
幕末の開港後は横浜・長崎・箱館などが貿易の中心となった。
豊臣秀吉による全国統一,江戸幕府と朝鮮との講和実現による朝鮮使節来
日,大規模な百姓一揆の島原の乱鎮圧などで平和が到来し,百姓と武士の身
分が確定して百姓は耕作に専念するものとなった。
問4 イ-歴史 ウ-森鷗外 エ-日露 オ-自然 カ-田山花袋
問題Ⅲ
問1
A-吉田茂
B-片山哲
C-石橋湛山
あ-日本自由党 い-日本社会党 う-日本民主党
問2 張作霖爆殺事件(満州某重大事件)
隠蔽を図った田中首相は失脚し,中国では張学良が国民革命軍に合
流した。
問3 米ソ冷戦下で朝鮮戦争が勃発する中,日本は独立回復と同時に日米
安全保障条約を締結して西側陣営に参加し,アメリカに防衛力を依存
した。
問4
引揚げや復員によって,失業者の増加や物資不足によるインフレー
ションが激化し,都市住民は闇市や農村部への買出し列車で食料を求
めた。
問5 (ア) 日清戦争で台湾を植民地化した日本は ,日露戦争で南満州の
権益を獲得し ,その後韓国を併合した。第一次世界大戦では ,
二十一ヵ条の要求とヴェルサイユ条約で旧ドイツ権益を継承し ,
山東に進出した。
(イ) 日本では 1918 年の米騒動で政党内閣が誕生し,朝鮮では三・
一独立運動が,中国では五・四運動が 1919 年に発生して,民衆
の意向が示された。
問6 前者は男子普通選挙制度で 25 歳以上の男子が有権者であったが,後
者は衆議院議員選挙法の改正で,20 歳以上の男女を有権者とした。
問7 中国国民政府の首都である南京を日本軍が攻略すると ,日本政府は,
重慶に遷移した蔣介石政権に反共を条件とする近衛声明を提示し,同
意した国民党の汪兆銘を首班とする傀儡の新国民政府を擁立した。