学生発表会 『古事記』教材化の考察―英訳『Kojiki』との比較を通じて― 教育デザインコース 国語領域 那須 充英 1. 発表概要 教育インターンにおいて、『古事記』(使用テキスト 2. 発表成果と今後の展望 発表後、「他の作品(例えばシェイクスピアなど)と は中村啓信『新版古事記』角川ソフィア文庫/ 2009) の比べ読みでも同じような効果があるのか」、「古典文学 と『The Kojiki: An Account of Ancient Matters』 (Gustav 作品を扱うからこそ得られる学習効果は何か」というご Heldt / Columbia Univ Pr / 2014)の比べ読みの実践 指摘を頂いた。これについて、英語との比較が「言語に を行った。本発表は、英訳との比べ読みが古典作品解釈 そのものに対する意識の高まり」、「古典・英語に対する の助けになるのかを、考察するものである。 抵抗感の軽減」という効果を生み出すことを、生徒の感 実践では「オノゴロ島」神話の場面を取り上げ、①『古 想から指摘したい。また、現代語とは感覚の違う古語を 事記』、②英訳『Kojiki』、③両方を参照、の3グループ 深く意識して、そこから解釈を考えていったことは、自 に分けて、それぞれの訳を作るグループワークを行い、 己の感覚だけで判断をしない、「論理的な思考力を育成 それぞれの訳を持ち寄って、ディスカッションを行った。 すること」につながるのではないかと考えている。 その結果「見立て」という言葉に注目が集まった。 見立天之御柱見立八尋殿 (原文) 天の御柱を見立て、八尋殿を見立て給ふ。(訓読) 今後、詳細な分析、新たな実践を通じて更に考察を加 え、このことを明らかにしていきたい。 【参考】当日のポスター they found a mighty pillar of heaven and a spacious hall.(英訳) そこで「見立て」「found」という言葉を調査し、再 度ディスカッションを行うことで、この言葉が様々に解 釈されており、それが様々な読みの違いを生み出すこと を確認した。また「found」という英訳は「見立」を一 語の動詞ではなく、「見る」と「立つ」の二語として解 釈したためではないかという指摘があった。『古事記』 筆記者が、「見立て」と読ませたいのか、「立っているも のを見る」と読ませたいのか、この書かれ方では読者が 理解できないという議論から、日本語を漢文で表現する ことの難しさ、仮名表記の表現の自由さという点にまで、 生徒自ら言及できた。 『古事記』は変体漢文で書かれており、通常は訓読さ れた本文を教材として扱う。しかし、このように必要に 応じて原文を用いたり、漢文と文法構造の近い英文と比 較したりすることで、作品解釈を深めるだけでなく、日 本語表記の変遷にまで議論を発展させることができた。 このように、日本語の変遷を実体験として理解できるこ とは、『古事記』教材化の意義のひとつと言えるだろう。 教育デザイン研究 第6号(2015年1月) 65
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