C-2 泉龍寺(せんりゅうじ) 上鶴間本町 8-54-21 本殿 三重塔 寺伝では、創建は南北朝時代にさかのぼり、当時は浄土宗の西光庵という堂宇であったもの を日州・雪天透端が開いた時に曹洞宗に改宗し、その名も泉龍寺に改めたものと伝えていま す。 また、すでに廃寺となっていますが 5 世石岑(せきしん)の時に西光寺を、6 世朝山の時に 常念時と東光寺を、そして 8 世梅若の時に常楽寺という寺を開き、当時の末寺にしたと伝え られています。境内にはまだ新しい建築ですが、荘厳な仁王門(阿形像、吽形像一対)や三 重塔(昭和62年建造)などがあります。 また、墓地には宝徳元(1449)年の墓石があります。これは旧市内最古の墓石と言われ ています。 出典 街かどの歴史を学ぼう 中和田 谷口の文化財探訪 【六地蔵】 国道16号の中和田交差点を町田側へ入り、道なり に下ると左側に泉龍寺(曹洞宗)があり、その境内 の墓地の一角に、今回紹介する六地蔵があります。 この六地蔵は建てられてから140年近い年月の 経過をしのばせるかのように所々朽ちかけてはい ますが、上部は蓮華上に立つ延命地蔵(左手に宝珠、 右手に錫杖を持つ)、下方は六面体になっていて、 六道を表す6体の地蔵が浮彫りになっています。 (六道は仏教でいう地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、 天土の6つの世界のことで六道輪廻ともいう) この延命地蔵の台座の部分に「良雲曳代」「嘉永壬子祀7月吉祥日」と彫られており、泉龍 寺住職砂越隆侃さんによると、歴代の住職の中の第27世耕峰良雲大和尚が嘉永5(185 2)年建立されたものと思われます。 この六地蔵は大分傷みが激しいので現在は山門前に新しい六体の六地蔵が建てられていま す。 地蔵はかさこ地蔵など昔話にも出てきて私たちに最も親しみのある石像です。 地蔵には地は万物を生み、諸宝を蔵するという意味があり、釈迦仏の滅後、56億7千万年 に弥勒菩薩が人間世界に出現するまでの間、衆生(すべての生物)を救済する菩薩です。 子どもの健全な成長を願って建てられる子育て地蔵を始め、延命地蔵、雨降り地蔵、えぼと り地蔵など昔から願をかけるものとして、民間に広く信仰され祈願成就のお礼には、よだれ かけや紅白の衣などを奉納するとされています。 館区内には他に上鶴間1782番地に宝暦8(1758)年に建てられた子育て地蔵があり ます。 (「B-11 子育て地蔵~地蔵様の坂」をご参照ください。(館報第4号に掲載)) (現在の六地蔵は昭和53年4月の作り直されたものです) 昭和63年8月1日 上鶴間公民館報第8号より
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