原 嘉靖 金澤 恭悦

1年生フルート担当の原先生と
2年生クラリネット担当の金澤先生に
リペアマンという仕事について
お話していただきました。
●リペアマンを志したきっかけ
金澤先生:楽器の形を新品の状態に近づける努力をするの
金澤先生:中学生のときに学校のクラリネットのジョイン
は当たり前。形の無い音の修理を依頼され、その希望に応
トを誤って折ってしまい、楽器店に修理を依頼したところ、
えられたときに充実感を感じます。無理難題を言って下さ
その楽器は工場で修理をされて戻ってきました。その仕上
る先生方はたくさんいらっしゃいました。それが結局、自
原 嘉靖
げが見事なことに感激し、そのときにリペアマンになると
分が育っていくステージだったんですよね。だから、本当
決めました。
に先生方には感謝していますし、もちろんそういう機会を
原先生:ということは、元々楽器を吹いていて、音楽も好
与えてくれた会社にも素直に感謝していますし、良い会社
きで、修理を依頼したことでこういう仕事の素晴らしさを
に入ったなと思います。僕が東京から浜松に戻るときは、
東京音楽大学卒、1971 年 4 月ヤマハ株式会社・管教育楽器技
知ったということですか?
芸大の学生 30 数名で送別会をやってくれました。あれは
金澤先生:そうです。
感激しましたね。
「これだけ頑張ればこんなに嬉しいこと
原先生:その前にも、音楽が好きでクラリネットを吹いて
があるんだ」と。あれは何よりのご褒美でしたね。一生懸
らっしゃったんですよね。
命やれば、いつか良いことがあると思ってます。神様はど
金澤先生:もちろんです。クラリネットは大好きでした。
こかできっと見ているという思いがしますね。
講師(フルート担当)
術部管楽器設計課入社。長年にわたるフルート・ピッコロの研
究開発、改良業務を通じてヨーロッパ・アメリカの著名なフルー
ティストから信頼を得ている。管楽器設計課長、フルートセン
ター長、管楽器設計課主査を経て 2003 年 9 月に定年退職後、
アドバイザーとして研究開発・改良業務へのアドバイス、
専門家・
レスナーへの対応を行っている。フルート工房 HARA 主宰。
小学校 6 年生の時に中学校の文化祭に招待され、そこで演
奏を聴き、きれいな音だなと思ったのがきっかけですね。
管楽器リペア科 講師対談
原 嘉靖 × 金澤 恭悦
原先生がフルートを始められたきっかけは?
原先生:小学校 4 年生の頃に近所でフルートを吹いていた
方がいらっしゃり、時々吹かせてもらったりして、中学生
になってから吹奏楽部に入部しました。その後、東京音楽
大学フルート科に入学し、そのときは音楽の先生になろう
と思っていましたが、先生から「ヤマハでフルートの研究
開発をする人を探していて君を推薦したい」と言われ、悩
んだ結果ヤマハに就職し、定年までの 32 年間、改良・開発・
設計に携わっていました。その中で、ご縁があってフルー
ト奏者のジャン・ピエール・ランパルさん ( 当時はパリ国
2学年主任講師(クラリネット担当)
立音楽院教授 ) の楽器を修理することになりました。当
●指導する上で気を付けていること
金澤 恭悦
時、設計者でちゃんと修理が出来る人は少なく、ランパル
金澤先生:
「基本に忠実であれ」
、
「より美しい仕上がりを
さんや世界の一流の演奏家と付き合ってみて、自分がちゃ
目指せ」
、
「自分がお客様であったら喜べる状態か」
。以上
んと人の楽器を作ったり修理出来なければ演奏家と信頼関
を念頭に置き、実際にやってみせる。文章では伝わらない
係は築けないと思いました。それで、独学で修理の勉強も
感覚を伝えるように努力をしています。学校で教えるとい
行うようになりました。ヤマハは研究試作部門と修理部門
うのは、教科書を見てその通りに話しをすることは誰でも
トの開発に携わる。1977 年東京銀座に開設された「ヤマハア
トリエ東京」の初代スタッフとして木管楽器の専門家対応を 22
は全く別だったので、試作スタッフの中に入ったり、土日
出来ますけど、他の人に出来ないのは経験を話すことなん
は 20 数年間、全国の先生方とそのお弟子さんの楽器をメ
ですよね。その感激が上手に伝わってくれればいいなと思
年間担当。特にサキソフォーン奏者のソニー・ロリンズ氏には
接する機会が多く信頼を頂いた。さらに、全国特約店技術者の
研修指導や、ヤマハ管楽器テクニカルアカデミーでの指導を担
ンテナンスの為、予約制で点検修理会を実施して腕を磨き
います。リペアの世界がどんなに楽しいか。僕らが昔見て
ました。その結果、現在もヤマハと嘱託契約を結び、改良・
いた中学生がプレイヤーとして頑張っている姿を見ると感
開発のサポートや演奏家のアドバイザーを務めています。
激します。その子が育つ過程に少しだけ関われると、光栄
1969 年日本管楽器㈱入社。日本楽器製造㈱(現ヤマハ)と合
併後、浜松本社にて管楽器設計課試作室勤務となりクラリネッ
当。海外においては全米の技術者大会の参加に合わせて、北米
地区の修理技術の視察を実施。韓国、香港、台湾においても
技術指導を積極的に行ってきた。2003 年ヤマハ㈱を退職後は
atelier kanazawa をオープン。他、外務省の ODA 音楽文化関連
の調査員を 5 年間努め度々渡欧した。現在は自己の工房運営と
ヤマハ銀座店のテクニカルスタッフも勤めている。
だなという気がしますね。この感激はいろんな方に知って
●楽器修理でやりがいを感じるとき
いただきたいです。やはり感動を持って仕事を出来るのは
原先生:自分が設計・製作・修理した楽器で、演奏家が素
良いことだと思うので、そういうことはぜひ伝えたいなと
晴らしい音楽を聴かせて下さり、聴衆も自身も感動したと
思います。学生も努力はしなければなりませんけどね。人
きです。
と同じことだけでは駄目です。
リペアマンは頭で知識を勉強し、
原先生:金澤先生は人並み以上の努力をしていると思いま
話をしながら色んな情報を仕入れて、自分の勉強も一生懸
すよ。
命して、一歩一歩積み上げていけば、いい修理も出来るし、
金澤先生:好きですから。自分では努力しているつもりは
お客さんも広がってきますよ。
ありませんが。色々な情報を集めたり、色々なところに首
金澤先生:学校はたった 2 年間ですからね。学生は体力あ
要するに職人の世界。
を突っ込んだりはしましたね。それが今となっては全て肥
るはずだし、とことんのめり込んで欲しいですね。興味を
やしになっていますね。先生方とお酒を飲んだりしたのも
とことん掘り下げて欲しい。代官山音楽院には勉強出来る
人と同じことをやっていては駄目、
全て肥やしです。
環境があるし、色んな経験をされた先生方も揃っているの
原先生:それも大切なんですよね。やっぱり演奏だけじゃ
で、先生方は生徒にとって不足は無いと思います。海外で
なく、その人がどういう人間性かを知るのは、食事をした
の経験も豊富ですし。どんどん先生方を捕まえて話を聞け
りお酒を飲んだりしているときですね。一流の人は色々な
ばいいと思う。とことんのめり込んでみると、何となく見
ことを知っているし、音楽だけじゃなく何をやらせても成
えてくるものがある。僕は僕なりに最大限の努力はしたと
功する人だと思います。人格的にも素晴らしいし、人を惹
思ってます。だから、今、それを財産として楽しめてる。
きつける魅力もあるし。こちらが感受性を持っていないと
そこそこ楽しくやってたら、何も残らなかったと思う。そ
分からないわけです。だから、感受性を磨くことも必要で
ういう意味では、他人の 3 倍 4 倍はやったんだなと思いま
す。生徒にもこれからそういうことを学ばせなきゃいけな
す。
体で技術を修得しなければならない。
努力・研究心・集中力の持続が必要なんです。
いなと思うんですよね。僕は授業中に生徒に色々な音楽を
聴かせているんですよ。管楽器の修理をしているのに、管
楽器の音楽も聴いたことが無い、吹奏楽だけやってきた人
はそういうお客様しか相手ができません。だから修理の技
術を磨くのと同じように感性も磨いて、お客様と対等に話
したり、音楽の話が出来ないと。さっき金澤先生も言って
いたけど、人と同じことでは駄目なんです。人の 2 倍、3
倍努力をして初めて上に立てるんです。ヤマハに入っても、
必死に勉強したわけです。自分自身でね。だからこそ今日
があるわけで。昔からのことわざで 20 代を一生懸命やら
なければ 30 代に良い仕事が出来ない、30 代、40 代、そ
れ以降も同じですよね。
●管楽器リペアの仕事とは
金澤先生:メンテナンスフリーの楽器はありません。お
客様が管楽器の演奏を通じて音楽を楽しめるようにお手
伝いをするのがリペアマンの仕事です。演奏の専門家に
対しては音楽表現の「黒子」として信頼される存在にな
ようにならないと、技術だけじゃ信頼関係は築けません
だからみんな必死に維持する為にものすごい努力をする
ることです。僕らは演奏家の上に立つとか、技術者が演
から。そこが大事でしょうね。
わけですよね。
奏家の下とかそういうつもりはさらさらありません。演
金澤先生:リペアの世界だけでなく、どんな仕事も信頼
金澤先生:一緒ですよね。一生懸命勉強して成長すると、
奏家が求める音や、言っていることの本質が分かる、そ
関係を築くのは大切ですよね。僕が数年前から行ってい
まだ上が欲しくなる。リペアの仕事も同じですよ。
ういう技術者にならないと信頼されません。この人とだっ
る鳥料理の専門店があるんですけど、改装のため 1 年間
たら話をしたら面白そうだ、自分の言いたいことが通じ
閉まっていて、1 年ぶりにその店に行ったら、味が変わっ
●入学を検討されている方へアドバイス
るなって思ってくれるようにならないと。
てる、歯ごたえも違っている。これは今までと違った鳥
原先生:どんな仕事も楽ではありません。特に技術は結
原先生:僕は、良い状態で楽器を使用してもらい、使用
を使っているか、僕の味覚が変わったかですよね。
果の良し悪しがすぐ判ります。人と同じことをやってい
金澤先生:まさにそうですね。
「ここまでやればいい」と
者が喜ばれることですね。ランパルさんとは、ランパル
原先生:料理も技術もなかなか維持するのは難しいです
ては駄目です。努力・研究心・集中力の持続が必要です。
いうことは無いんです。演奏家が求める演奏を可能にする
さんの楽器を修理したことがきっかけで、親しくさせて
よね。
金澤先生:リペアマンは頭で知識を勉強し、体で技術を
ための楽器を「黒子」として提供する。それは感性を知ら
頂き、ニースの講習会や、パリ音楽院の生徒だった工藤
金澤先生:多分、調理人が変わったのかもしれないけども、
修得しなければなりません。要するに職人の世界です。
なければ出来ませんよ。だからリペアは奥が深いし、もう
重典さんや、大勢の方に楽器を吹いて頂くことが出来ま
火加減が違えば当然違うし、明らかに違いましたね。1
一生、勉強で修行が続きます。演奏家の黒子になる、演
きりが無い。だから面白いんです。
した。それがヤマハの楽器がヨーロッパに入って行った
年ぶりで期待が大きかった分だけ、感激の度合が小さかっ
奏を楽しむ人々を喜ばせたいと思うならリペアマンの世
原先生:生徒が技術者になったときも、演奏家がどういう
取っ掛かりになり、今では多くの方に楽器を使用して頂
たのかも。
界は仕事としてやりがいがあります。その様に考えてい
所で吹いているのか、オケか吹奏楽か、そういうのも色々
いてます。もちろん、技術だけじゃなく、技術をやりな
原先生:僕も全く同じですよ。演奏家も音楽家も作曲家も、
て、人の倍の努力を惜しまない強い意志を持っている方
知る必要があるんですね。それが信頼関係を築くための第
がら音楽の現場を知るっていうことをしなくちゃね。楽
特に演奏者の場合は、ある一定の努力をしないと下がっ
には、最高の講師を揃えて、講師の持っている技術の全
一歩ですから。単に修理をするだけじゃなくて、その人と
器を扱っている現場のスタッフやお客さんと話を出来る
てしまう。水準を守るだけでも努力しなくちゃならない。
てを伝えます。