多毛類のチオタウリン合成による硫化水素無毒化の可能性

多毛類のチオタウリン合成による硫化水素無毒化の可能性
○齋藤 淑(日本大学大学院生物資源科学研究科),長﨑稔拓・井上広滋(東京大学大気海洋研究所),
小糸智子・広海十朗(日本大学生物資源科学部)
化学合成環境(熱水噴出域や冷水湧出域)に生息する二枚貝類やハオリムシ類などの無脊椎動物は
チオタウリンやヒポタウリンなどの無毒なタウリン関連化合物を体内に多量に蓄積している。これら
の生物は環境中の硫化水素とヒポタウリンを反応させ、チオタウリンを合成することにより硫化水素
の無毒化を行なっていることが示唆されている。しかし、化学合成環境に生息する二枚貝類やハオリ
ムシ類以外の無脊椎動物もまた、環境中の硫化物に対してチオタウリン合成を行なっているかは明ら
かにされていない。本研究では熱水噴出域に優占する多毛類に着目し、チオタウリン合成による硫化
水素無毒化を行なっているか検証するため、短時間の硫化物曝露実験を行ない、アミノ酸分析を行な
った。また、チオタウリンの合成や特異的な蓄積が浅海性の無脊椎動物でも生じているか調査する目
的で潮間帯に生息する浅海性多毛類のアミノ酸分析も実施し、アミノ酸蓄積特性を比較した。
海洋研究開発機構JAMSTECの海洋調査船『なつしま』研究航海NT11-09(2011年6月実施)、NT13-05
(2013年3月実施)、NT14-06(2014年4月実施)において、伊豆・小笠原海域の明神海丘(熱水噴出域:
水深1200
1400m)で無人探査機
ハイパードルフィン
により深海性多毛類のウロコムシ類とマリア
ナイトエラゴカイを採集した。また、採集地点の硫化水素濃度を直接硫化水素センサーにより、もし
くは採水器で採水した試水からメチレンブルー比色法により測定した。NT14-06において採集したサン
プル(ウロコムシ類、マリアナイトエラゴカイ)を用いて硫化物曝露実験を行なった。低、高濃度の
硫化物曝露試験区(0.5、20 mmol/L)に分け、1,4,8時間飼育後にサンプリングし、液体窒素で凍結し
た。硫化物は硫化ナトリウム9水和物を海水に溶解し調整した。対照となる浅海性多毛類(ウロコムシ
類、カンザシゴカイ類等)は2014年7月に江ノ島の潮間帯で採集した。多毛類は外部形態による分類が
困難であるため、サンプルの一部を用いてミトコンドリアDNA COI領域の塩基配列から系統解析を行な
った。残りは80%エタノールでアミノ酸抽出を行ない、高速液体クロマトグラフィー(HPLC)により、
アミノ酸を定量した。
採集直後の個体では深海性ウロコムシ類は、ヒポタウリン、チオタウリンともに環境中の硫化水素
濃度の多寡にかかわらず、体内に多量に蓄積していた。しかしこれは既往研究で報告されているハオ
リムシ類等よりも少なかった。マリアナイトエラゴカイは、環境中の硫化水素濃度が低いときヒポタ
ウリン量が多く、硫化水素濃度が高いときチオタウリン量が多かった。
硫化物曝露実験では、深海性ウロコムシ類はヒポタウリン、チオタウリン量ともに大きな変化がみ
られなかった。深海性ウロコムシ類は形態的に酷似していたが、系統的に異なる個体が含まれていた
ため、比較は同じクレードに属する個体で行なった。マリアナイトエラゴカイは、高濃度硫化物曝露
試験区でヒポタウリン量が著しく少なくなり、チオタウリン量が増加した。
採集した浅海性ウロコムシ類はどれも同じクレードに属する同種であり、深海性ウロコムシ類と比
較してみると、チオタウリン、ヒポタウリン量は著しく少なかった。カンザシゴカイ類も深海性多毛
類と比べるとチオタウリン、ヒポタウリン量は少なかった。その他の浅海性多毛類は異なる4つのクレ
ードに属することが明らかとなった。これらも深海性多毛類に比べ、ヒポタウリン、チオタウリン量
は少なかったが、個体差が大きく、チオタウリンが検出されない個体も存在した。また、深海性多毛
類と浅海性多毛類を比較してみると、浅海性多毛類の方がタウリンを著しく多く体内に蓄積しており、
中でもカンザシゴカイ類が多く蓄積していた。
これらの結果より、深海性ウロコムシ類は多量のヒポタウリン、チオタウリンを体内に蓄積するこ
とで環境中の硫化水素濃度変化に適応している可能性があり、マリアナイトエラゴカイは、チオタウ
リン合成能を環境中の硫化水素濃度変化に応じて迅速に行なっている可能性が示唆された。この硫化
水素に対する応答の違いは、ウロコムシ類は急激な環境変化が起これば移動することができるのに対
し、マリアナイトエラゴカイは固着性で移動することができない、という生活様式の違いに起因して
いるのかもしれない。深海性ウロコムシ類がヒポタウリン、チオタウリンを多量に体内に蓄積させる
一方で、浅海性ウロコムシ類の蓄積量が少なかったこと、カンザシゴカイ類やその他の多毛類も個体
差はあるものの、わずかにチオタウリンを合成していることから、多毛類が浅海から深海の熱水噴出
域に進出する際、チオタウリン合成を発達させることで、より還元的な環境に適応できた可能性が示
唆された。浅海性多毛類は深海性多毛類に比べ、タウリンを多く体内に蓄積させていた。これは浅海
では餌に多くタウリンが含まれているが、深海性多毛類はタウリン前駆体であるヒポタウリンとタウ
リンの総量が浅海性多毛類のタウリン量に比べ著しく低いことから、ヒポタウリンからのタウリン合
成が少ないことに加え、餌に含まれるタウリン量も少ないことが考えられる。また、海産無脊椎動物
はタウリンを浸透圧調節物質として用いていることが報告されているため、本研究で用いた浅海性多
毛類も環境の塩分が激しく変化する潮間帯で、タウリンを浸透圧調節物質として用いている可能性が
示唆された。特に、浅海性多毛類の中でもカンザシゴカイ類が最も多くタウリンを体内に蓄積させて
いたのは、固着性であるため、急激な塩分変化にも適応するためであると考えられた。