熱水噴出域固有動物は表層分散するか? ミョウジンシンカイ

熱水噴出域固有動物は表層分散するか?
ミョウジンシンカイフネアマガイの初期生態および遺伝的集団構造
○矢萩拓也(東京大学大気海洋研究所),渡部裕美(海洋研究開発機構),
小島茂明・狩野泰則(東京大学大気海洋研究所)
熱水噴出孔周辺には、化学合成細菌が作り出す一次生産に支えられた特異な生物群集が生息している。
一方、熱水環境は時空間的に不安定であるため、種の存続には集団間の分散によるメタ個体群の維持
が欠かせない。熱水域動物の多くは底性で成体の移動能力が低いため、その分散には浮遊幼生期が大
きな役割を果たす。しかし、これら動物の幼生生態には未解明の点が多い。本研究では、沖縄トラフ
および伊豆・小笠原海域の熱水性腹足類であるミョウジンシンカイフネアマガイを材料に、幼生生態
および遺伝的集団構造を明らかにし、海洋物理データと併せてその分散過程を考察した。シンカイフ
ネアマガイ属の貝類は、
(1)三大洋の熱水域に広く分布すること、
(2)大気圧での成体・幼生飼育が
可能であり(3)卵嚢が透明で内部の胚発生を追えること、(4)原殻形態から発生様式および幼生着
底サイズを推定できること、さらに(5)近縁群が浅海に生息しており、深海への適応の観点から生
態比較を行える点で、研究対象として優れた分類群である。
ミョウジンシンカイフネアマガイの成体・卵嚢は、海洋研究開発機構の研究船「なつしま/ハイパ
ードルフィン」NT03-06, NT11-20, NT13-09 および NT14-06 次航海にて、南奄西海丘(水深 700 m)、与
論海穴(580 m)、明神礁(850 m)、明神海丘(1270 m)及び海形海山(442 m)で採集した。同卵嚢か
ら孵化した幼生について、行動観察と遊泳速度の定量を行うと共に、異なる温度条件(5, 10, 15, 20, 25,
30ºC)での給餌飼育により成長・生残の至適水温を推定し、また無給餌(5, 15, 25 ºC)での生残率を検
討した。また、ミトコンドリア COI 遺伝子の塩基配列約 1.2 kbp による集団解析から、熱水域間の遺伝
子流動の程度を評価した。
その結果、同種のプランクトン食幼生が孵化後に継続的な上昇行動(20–35 mm/min.)を行うこと、
給餌飼育開始から 6 か月後の生残率は 25, 20, 15, 10, 5, 30ºC の順に高い
(それぞれ 70, 70, 60, 20, 10, 0%)
ことが示された。成長率は高温条件下ほど高いものの、着底サイズの殻径 720 µm に至るまでに最短で
約 2 年を要すると推定され、10ºC 以下では無成長のまま死亡した。無給餌での生残期間は、5ºC(最長
156 日, 平均 146.4 日)
、15ºC(同 84 日, 75.6 日)、25ºC(30 日, 29.2 日)の順に長かった。上記 5 熱水
域の集団はいずれも高い遺伝学的多様性を示し、集団間の分化は検出されなかった。
以上は、ミョウジンシンカイフネアマガイ幼生の表層における摂餌、成長および分散を強く示唆す
る。同種の成体は 15ºC 以下の水深帯に分布するが、幼生の至適水温は 15–25ºC であり、分布域表層水
の 18–29ºC に近似する。また、上記の幼生上昇速度を当てはめると、海底から 15–45 日で表層に到達
し、無給餌条件での 30–156 日間の生残と整合的である。沖縄トラフと伊豆・小笠原海域の集団は互い
に約 1500 km 離れているものの、長期のプランクトン食幼生期の存在により遺伝的交流を果たしてい
る可能性が高い。これは、熱水域固有動物の表層分散を幼生飼育から推定した初の研究成果であり、
光合成生態系と熱水噴出域生態系の物質循環に関する新たな視点を提示するものと考える。