忘れられない、忘れてはいけない 「唐丹の海から世界へ」 大震災で壊滅的な被害を受けた釜石市唐丹町の子どもを支援しようと生まれた「唐丹希望基金」 の運動も 5 年目を迎えようとしています。この運動の中から生まれた歌「唐丹の海から世界へ」 を、子どもたちの応援歌として、また、震災を歌い継ぐ歌として、多くの方に歌っていただきた いと思います。 作詞者 堀泰雄(群馬) 唐丹町震災記念碑「伝えつなぐ3.11」から生まれた歌 唐丹の詩を書きたい、歌を作りたいと思っていましたが、被災者ではないので、詩を書くなどと 言うことは、あまりに尊大に思えて、取り掛かることもできない、どんなふうに書いて良いのかも わからない状態で、3 年半が過ぎました。 唐丹支援を始めてから、唐丹に行くたびに、唐丹の震災記念碑「伝えつなぐ大津波 3.11」 を訪ねます。ここには、当時唐丹小中学校に在籍していた小学 4 年生から中学3年生までの言葉が 刻んであります。その子どもたちの言葉を何回も読み、子どもたちと心の中で何度も対話を繰り返 しているうちに生まれた詩が「唐丹の海から世界へ」です。下が、そんな子どもたちの言葉です。 ◆忘れたくても忘れられない、忘れてはいけない。 小学 6 年 小久保祐里 ◆どれだけの時が過ぎ、どんなに町を想い、どれだけ未来を信じたか。 中学 2 年 木村銀次 ◆悲しくて前を向くことができないときは、無理をせず横を向いてみてください。 いつでも仲間や家族が一緒にいます。 中学 3 年 松山祥子 ◆絆を深めべっす唐丹、負けねえぞ唐丹! 中学 3 年 尾形大成 ◆今、ここまで一歩ずつ歩んできた。そしてこれからも一歩ずつ歩んで行く。 これからも、道のりは遠いかもしれないけれど、一歩ずつ進んでいる。皆で一緒に頑張ろう。 中学 3 年 上野岬希 そして、3 番の歌詞の最後をどう決めようかと悩んでいた とき、「唐丹に愛の花を咲かせたい」とある支援者が書いて いました。「希望と愛の花、それを唐丹の美しい湾から世界 へ広げるのだ!」こうして、歌詞が完成しました。 作曲者は、私の友人で、40 年間前橋第九合唱団を指導して いる山田哲夫さんです。透明感のある曲になり、未来が見え るような気がします。私はこのメロディーがとても気に入り、 毎日口ずさんでは、唐丹や唐丹の子どものことを思い出して います。でも、私一人が歌っていても力にはなりません。皆 さんが、音楽の授業で、学校や地域の合唱団で、様々な集い で歌っていただき、震災を忘れない、いつまでも子どもたち と一緒にいるのだ、という気持ちを持ち続けていただければ 嬉しいです。
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