マタイ1章18~25節

インマヌエルの神様
聖書:マタイ 1:18-25
主題:神は我々と共におられる
インマヌエルは「神は我々と共におられる」と言う意味でしょう。クリスマスは神様
が私達に大きなプレゼントを与えた日です。私達が考えた事もなかったそういう所に
プレゼントに送ってくださいました。多くの人がクリスマスを楽しんでいます。日本
は殆どの人がイエス様を信じないのですが、世界で一番早くクリスマスが来る国です
ね。宇宙からみると日本が一番、輝いているのではないと思いますが、誕生日に主人
公がいない国でしょう。クリスマスは、キリストに礼拝する意味です。皆さんは今、
キリストに礼拝しています。
I. 序論として、クリスマスの物語は、
旧約でクリスマスの預言は、イスラエルの民がどん底の状態にあったときに述べられ
たものです。ユダの人は、アッシリヤのほりょ(捕虜)になって遠い所まで連れ去ら
れようとした時代でした。彼らは、悲しみのあまりに、「主は私たちを見捨てた。主
は私たちを忘れた」と深く嘆き叫びました。ところが、神は、「やみの中を歩んでい
た民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。」とイ
ザヤ預言者を通して絶望の中に「大きな光」が照らすという希望を予言しました。
そしてイザヤ書 7 章 14 節で、「それゆえ、私の主がおんみずから、あなたたちにし
るしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって男の子を産み、その名をインマヌエル
と呼ぶ」とイエス様がお生まれになる 700 年の前にメシヤ、救い主の訪れを予言しま
した。
イザヤと同時代の予言者ミカ預言者もミカ書 5 章 2 節で、救い主がお生まれになる場
所について予告しました。救い主は、肉体的にはユダ部族のダビデの子孫として、彼
の故郷ベツレヘムでお生まれになることを示しました。
新約聖書のクリスマスの物語りは、皆さんに馴染み(なじみ)深いストリですので、
新しくはありませんが、いずれも神様の最大の奇跡であり、最終の啓示です。その物
語の全般を順番によって考えて見ましょう。
ルカによる福音書 1 章 26-38 節によりますと、ある日、天使が、「聖霊の力によって
身ごもる」と若い処女(おとめ)、マリアに予告しました。その婚約者、ヨセフには
彼女を妻と迎えるように告げました。そして、生まれる子は「ご自分の民をその罪か
ら救ってくださる」お方なので、イエスと名付けるようにと言われました。
また、羊飼いたちが夜中に野宿(のじゅく)をしている所に神の天使が現れてベツレ
ヘムで救い主がお生まれになると、彼らに告げました。急いで馬小屋へ出かけて赤ち
ゃん、イエスを拝見した彼らは、この素晴らしいお知らせをみんなに伝えるようにな
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ったのです。一方、東方の博士たちは、何百キロも離れた遠い所から旅立って「ユダ
ヤ人の王としてお生まれになった」方を拝みに来たのです。マリアは、神のみこころ
をそのまま受け入れ、すべてを委ねました。ヨセフも天使のお知らせに従ってマリア
を妻に迎えました。羊飼いたちはベツレヘムに行って飼い葉桶(かいばおけ)に眠る
幼子を見つけ、拝みました。
一方、博士たちは全財産を投資して、ただ星を頼りに出発しました。ルカの 2 章で「宝
の箱をあけて幼子に贈り物としてささげた」と書いてあります。この人たちは、それ
ぞれ皆、結果がどうなるか全く知らず、神を信頼して冒険の一歩を踏み出しました。
何と素晴らしい信仰でしょうか。マリア、ヨセフ、羊飼いたち、そして東方の博士た
ちが、神のご命令に従って動いた事実をよく考えて見れば、どちらも驚くばかりの不
思議な導きです。
マリアの妊娠について、今日の本文 18 節と 19 節をもう一度お読みいたします。
「イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約
していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らか
になった。夫ヨセフは正しい人であったので、アリアのこと、おもて(表)ざた
にするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した」
今日の聖書の箇所は、衝撃な出来事から始まります。
ヨセフの妻となることが決まっていたマリアが、なんと結婚する前なのに、赤ちゃん
を身ごもったことが分かったのです。赤ちゃんが生まれることが知らせたら、ヨセフ
は何と言うでしょう。近所の人たちからどう思われるでしょう。それは、マリアにと
ってとてもとても恐ろしい事でした。
それでも、マリアは純粋な信仰と謙遜な態度をもって神様の御計画を受け入れると決
断しました。ルカによる福音書1章 48 節では、マリアが「身分の低い、この主のは
しためにも目をとめて下さったからです。」49 節では「力ある方が、私に偉大な事
をなさいました」と神様を「あがめる」信仰告白が書いてあります。マリアは、若く、
貧しい女性でしたが、救い主のお母さんとして神によって選ばれました。私たちは自
分の能力、教育の背景、或いはいろんな過去の経歴が神への奉仕に相応しくないと思
う時もあります。しかし、そんなものが神のお選びを制限するわけではありません。
なぜ、少女降誕は、キリスト教信仰においてそんなに重要になったんですか。イエス
は、お母さん、マリアから人間の体を取ってお生まれになった完璧な人間です。更に、
聖霊に身ごもって生まれた方ですから、罪を持たずに生まれた完璧な神です。もしイ
エスが神だけの存在なら、神は霊ですから私たちの身代わりに死ぬことができません。
もしイエス様が偉大な聖人に過ぎないなら、人間は罪人を救い出される資格がありま
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せん。
しかも、マリアのその妊娠が聖霊によると聞いても、ヨセフは疑わずには、いられな
かったでしょう。とうてい、疑惑(ぎわく)が、ふっ切れないヨセフは、悩んだに違
いありません。これからマリアをどうするかをヨセフは決断しなければなりませんで
した。
当時の決まり、律法によればマリアは石打ちの刑(けい)になるのが当たり前のこと
でした。(申命記 22:22-24)どうしよう!しかしヨセフは良い人柄の持ち主なのでマ
リアを傷つけずに内密に去らせようと決断したのです。悲しいけれども結婚は、取り
やめると考えたのです。
1. ヨセフの夢(20-23)
ところが、その夜、ヨセフの夢の中で神様の天使があらわれました。今日の本文、1
章 21 節に「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分
の民を罪から救うからである。」と告げました。
実は、天使によってヨセフに言われたこの御言葉は、遠い昔、預言者イザヤが預言し
た言葉の引用です。「それゆえ、私の主がおんみずから、あなたたちにしるしを与え
られる。見よ、おとめが身ごもって男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」イ
ザヤ 7:14)「神は我々と共におられる」と言う意味の「インマヌエル」は、救い主、
イエスは神の御子でありながら、人間の体を取って私たちの間に住まわれる神さまと
いうことです。そして人間の悩みや苦しみを体験し、その問題を解決なさるためこの
世界ご降誕なさったお方です。
<インマヌエルの証>
天使は、ヨセフに三つの事を予告しました
初めは、イエスのお誕生について、
「マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである」
(マタイ 1:20)とガラテヤ 4:4 節では、しかし、時が満ちると、神は、その御子を女
から、しかも律法のもとに、生まれた者としてお遣わしになりました。と語られまし
た。
二番目は、その名をイエスと名付けなさい(マタイ 1:21)と言われ、イエス様のお名
前が知らされました。その名にはこの世にお出でになられた動機と目的が含まれてい
ます。つまり、その御名は、「イエスがどなた様ですか、何のために地上に来られた
のですか」という質問に対して、はっきり答えてくださる御名です。
使徒パウロも、「天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えら
れていない」(使徒 4:12)と証言しました。
三番目は、「この子は自分の民を罪から救うからである。」(マタイ 1:21)と言われ、
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イエスの使命が現れています。イエス様もご自分の使命についてこうおっしゃいまし
た。「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」(マタ
イ 9:13)
だからクリスマスのキーワードは「処女の妊娠」ではなく、「インマヌエル」、
「神は
我々と共におられる」と言う言葉です。なぜなら飼い葉おけの赤ちゃん、イエスは、
当時も、今もなお、「私たちを暗闇から救い出される望み」(Ⅰテモ 1:1)からです。
即ち、今は「神の霊、キリストの霊、聖霊が私たちの宿っておられ」、
(1 コリント 3:16、
6:19 )私たちの体がインマヌエル、神が共にしてくださる聖霊のお宮、神殿になっ
たことが大切です。処女に関心を集中すれば、カトリックになってしまいますからで
すね。
2. 24 節と 25 節では、ヨセフが神様に従うようになります。
24 ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、
25 そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスと
つけた。
ヨセフは天使に言われた通り、マリアを妻として迎え入れ、生まれた子にイエスと名
付けました。「イエスが生まれることは、新しい王を迎え入れ、新しい秩序に入り、
新しい世界が開かれることを意味しています。ヨセフは、マリアの夫として、イエス
様の肉体のお父さんとして自分に与えられた役割を充実に果たしました。マタイによ
る福音書2章 13 節で彼は天使から、
「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに
逃げ、私が告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して
殺そうとしている。」と、言われた時、彼は大きなプレシャの中でも、その使命を守
ろうと必死でした。神は、このように純粋な信仰の持ち主であるヨセフとマリアをお
選びになって救い主、イエス様の地上の両親とされ、ご自身の救いのご計画を、彼ら
を通して進んで行かせられたのです。
II. 纏め
1. クリスマスの真の意義は、父なる神がこの世の私たちを愛している故に、愛して
おられるご自分の御子をこの世にお遣わしになりました。私たちを救い出される
ためにこの世にお出でになられた、イエスご自身こそ言葉に表せない神様の最高
のクリスマスプレゼントです。だからイエス様に匹敵するクリスマスプレゼント
は、別にありません。
2. インマヌエル、イエス様の御名に相応しい三つの称号(しょうごう)があります。
A) 一つ目は、上からの大予言者です。
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「わたしを見た者は、父を見たのです」
(ヨハネ 14:9)と言われ、
「神様と等しい
方」
(ピリピ2:6)と、はっきりおっしゃいました。だから罪がない御子、イエ
ス様は私たちの救い主になる資格があります。
「盲人が盲人を手引きするなら、ふ
たりとも穴に落ち込む」
(マタイ15:14)と同じように、罪人が罪人を救い出
すのができません。
B) 二つ目は、永遠の王様です。
イエス様は、確かにこの世を支配する力があるお方です。自然を支配し、悪霊を
追い出されるなど、神しかできない御業を通して私たちを災(わざわ)いからも、
事故からも守って下さる永遠の王様です。今日、私たちがどのような戦いに直面
していたとしても、インマヌエル神様に完全に頼ることができます。イエスは、
私たちの弱さや葛藤に同情してくださるお方です。(ヘブ 4:15)
C) 三つ目は、天からの大祭司長です
イエスは、神の救いのご計画に従って自ら犠牲になって命をお捨てになったお方
です。「だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からい
のちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得
る権威があります。」(ヨハネ 10:8)とおっしゃいました。「キリストも大祭司
となる栄誉(えいよ)を自分で得られたのではなく、神から言われ、それをお与
えになった」(ヘブル 5:5)と書いてある通りです。
3. 詩篇 150 篇は、私たちにインマヌエルのイエス様を賛美するように教えています。
私たちはまず、神の力強いのみわざ、「すぐれた偉大さ」(2 節)をそして、神が神
であるが、ゆえに創造主、神様を賛美すべきです。
どのようにして讃美しますか。時としては大声で、熱狂的に、大胆に、またある時は、
静かに心からささやくように賛美せよと語りました。(6 節)
どなたを賛美しますか?インマヌエルの神様、救い主イエス・キリストを「命のある
ものはみな」「息があり限り」心から讃美せよと言われました。
今日は、クリスマスイブ、イエス様のお誕生に対するお話です。敬虔(けいけん)な
信仰者、マリアとヨセフは神から選ばれ、イエス様の肉体の両親として用いられまし
た。彼らを通して救い主、イエス様がこの世にご降誕なされ、神様のご計画が進んで
おられたという歴史的な事実をご一緒に学ばせて頂きました。
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お祈りいたしましょう。
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