『危険な関係』論(Ⅰ) Author(s) 佐野, 泰雄 Citation 一橋 - HERMES-IR

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作品の悪い読み : ラクロ『危険な関係』論(Ⅰ)
佐野, 泰雄
一橋論叢, 109(3): 336-359
1993-03-01
Departmental Bulletin Paper
Text Version publisher
URL
http://hdl.handle.net/10086/10976
Right
Hitotsubashi University Repository
平成5年(1993年)3月号 120〕
第3号
一橋論叢 第109巻
作晶の悪い読み ラクロ
﹁危険な関係﹂論
︵1︶
佐 野
で、説得には三つの要素が関与することを繰り返し述
類がある。すなわち、一つは論老の人柄にかかっている
言論を通してわれわれの手で得られる説得には三つの種
叙述やその他の文献に従ってもう少し詳しくここで記
って﹂というものなのですが、アリストテレス自身の
て﹂、︵2︶﹁聴き手を通して﹂︵3︶﹁言論そのものによ
べています。その三つとは、︵1︶論老の﹁人柄によっ
説得であり、いま一つは聴き手の心がある状態におかれ
﹁言論そのものによる﹂説得とは、当該言説ロゴス自体
すとすれぱ次のようになるでしょうか。まず、︵3︶の
もしくは与えているように見えることから生ずる説得で
の論理の整合性、真実性によって相手を納得させるこ
ています。一方︵2︶は、論者が言表の過程で聴き手
う﹁技術﹂テクネーの中でも弁証術的な都分と言われ
ンテユメiマと﹁例証﹂バラデイグマで、弁論術とい
とを意味します。その基本的な道具は﹁説得推論﹂エ
アリストテレスはその﹃弁論術﹄ のいくつかの箇所
ーアリストテレス﹃弁論術﹄、畠9a、戸塚七郎訳
ある。
︵1︶
ていることによるもの、そうしてもう一つは、言論その
工ートス、パトス
左
佳
ものにかかっているもので、言論が証明を与えている、
1 作家の戦略
泰
336
ます。便宜的に︵3︶を﹁ロゴス﹂による説得と呼ぶ
説得の効果を一段と高めようとするもの、と説明され
はりその言表の過程で聴き手に伝えることによって、
に思慮、徳、善意に富む、信頼に値する人間かを、や
しようというもの。さらに︵1︶は論老が自分がいか
の心に好意や憎しみを作り出すことで、説得を容易に
せん。
が、非常に有用であるように思えたからにほかなりま
う﹁説得﹂の三つの軸からなるモデルを設定すること
わたしたちにとって、工ートス、バトス、ロゴスとい
ある文芸作品の、その言表の戦略を記述しようとする
﹁説得﹂であることを免れない以上、言表行為の結果で
を含む、あらゆる言表行為が、なんらかのレヴェルで
一九四八年、サルトルは﹃文学とは何か﹄の第三部
とすれぱ、︵2︶は聴き手の心に作り出す感情﹁バト
ス﹂による説得、︵1︶は論者のありよう﹁工ートス﹂
えれば、︵1︶と︵2︶に対する︵3︶の関係は、例え
の読老との関係を論じています。作家たちは、自分の
ーデなど第三共和制下の十九世紀の作家とブルジョワ
﹃誰のために書くか﹄のある都分で、モーバッサンやド
^3︶
ばある研究老が示す通り、情動的奉8睾/理性的
物語に含まれる反秩序的反杜会的な出来事が﹁もはや
による説得ということになるでしょう。さらに言い添
轟ユo昌①−の対立、あるいは演説的o量8マ①/論証的
何事も到来しないだろうと考え、資本制の永続性を信
したいと思っているのですが、その最初に当たるこの
﹃危険な関係﹄についてある程度まとまった考えを示
二れからしぱらくの期間、十八世紀フランスの小説
た類のものです。
を、すでに終了し透明な記号となったものとして語ら
業人である﹁年配の男性﹂﹁五十代の男﹂を選ぴ、物語
り手として、医老、軍人、芸術家など経験を積んだ職
観に衝撃を与えないようにするため、自分の物語の語
︵4︶
じている、世紀末の安定したブルジョワジー﹂の世界
︵2︶
胃oq目−竃蟹薫の対立としてあらわしうる、そういっ
小論の、冒頭の部分で、弁論術というテクネーの基本
せるのだ、とこの部分でサルトルが言う時、彼は、言
︵5︶ ︵6︶
部分にこのようにこだわるのは何故かと言うと、文学
337
ラクロ『危険な関係』論(I)
(21〕 作品の悪い読み
平成5年(ユ993年)3月号 122〕
第109巻第3号
一橋論叢
仕するために選択した﹁工ートス﹂︵ちなみにサルトル
表老がその時代のブルジ冒ワジーのイデオロギーに奉
た方がよけれぱ、ある工ートス伽︸Oωの選択﹂と言い
る調子↓昌の選択Lというのを、バルトが﹁こう言っ
かえているのは、彼がヘレニストでもあったことを考
えれぱやはり﹃弁論術﹄を参照していると見て問違い
らにサルトルのあとを受けてロラン・バルトが﹃エク
に与える﹁バトス﹂を扱っているに他なりません。さ
ここでは両老を同一視しています∀とその言表が読老
では、﹁バトス﹂はどうか。古典期の規範によれば、
す。
表の戦略を見るときに欠くことのできない視点なので
したことからもわかるとおり、﹁工ートス﹂は作家の言
ないでしょう。このようにサルトルやバルトが問題に
︵n︶
リチュールの零度﹄で、エクリチュール伽8岸膏①の概
文芸は作品として自立的な価値を持つのではなく、
は、言表老と語り手の関係について、言表老である作
︵7︺
家は語り手によって自らを表現する、あるいは、作家
︵ 8 ︶
は虚構の語り手として読老と現実の媒介者になるとし、
念を選択とアンガージュマンというサルトル風の用語
︵9︶
によって規定し、作家は﹁自然﹂に属する言語や文体
り作品は道徳的な有用性を持たねぱならなかったので
いう目的によって外在的に規定されていました。つま
﹁楽しませる亘巴昌と同時に、教化一畠旨巨冨する﹂と
︵12︶
ではなくて、このエクリチュールの選択によってこそ
歴史に繋がる、﹁[⋮:]言語と文体の問にはエクリチ
り、それが全体を統括しているのだ。 [⋮⋮]エクリ
どんな文学的形式でも、ある調子↓昌が選択されてお
うすればよいのか。そのためには、作品が読老の﹁感
作品の持つ道徳性がより有効に読老を撃つためにはど
ついて触れるのが習いになっていた程でした。では、
あら、作家たちは序文で自分の作品の杜会的有用性に
チュールとは歴史的連帯を示すある身振りなので
情﹂を揺り動かさねばならない。古典期、特に、イギ
ュールというまた別の形式的現実のための場所がある。
ある﹂と述べる時、極めて抽象的ながら、やはり言表
リスのリチャードソンらの圧倒的な影響下にあった、
^10︺
老の工ートスを問題にしています。上記引用文中﹁あ
338
十八世紀後半の小説家たちはこのように考えました。
^H︶
この格率を感得ω彗亭させたのだから。
読者の感情﹁バトス﹂を動かすことにより説得する
ではない。
チャードソン讃﹄目ooq①亭雲g胃穿冒︵ミ胃︶のなか
という﹃弁論術﹄の図式に非常に近いものが、十八世
こうした視点の典型的な表現が、ディドロの評論﹃リ
の次の文章に認められることはよく知られています。
なら、同じ時代の作品である﹃危険な関係﹄の、バト
紀の作家たちに共通に意識されていたのです。である
格率とは、行動についての抽象的で一般的な規則に過
スの戦略に注目しないわけにはいかないでしょう。
﹃危険な関係﹄の読者たち
ラクロのこの作品は、最近ではイギリスのある劇
2 パトスの場−
ぎず一肉づけはわれわれがやらねぱならない。格率はそ
れ自体ではわれわれの心にどんなイメージも刻まないか
に浮かべることができるし、作品の中でその人物になり
ドンで続いてニューヨークで犬当たりを取りました。
作家の台本で一九八五から八六年にかけて、まずロン
らだ。しかし、[作品中で]活動する登場人物は、まぷた
かわったり、あるいはそのそぱに身を置くこともできる。
人物が徳高き人であれぱ、その役柄に一体化し、不正で
感情を高ぶらせる需寝色昌冨Hことにもなろう。その
で、この時期のフランス小説としては現在最も知られ
い岩波と新潮の文庫版の翻訳が再版になったりしたの
直ぐに映画化され、それが日本にも来、これにともな
^M︺
その人物に共感するあまり、あるいは反感がつのって、
背徳的な人問であれぱ、憤激して背を向けるのだ。
が一番だ、という格率を悟ることが人類にとって重要で
しょうし、またその必要もありません。ただ、本稿の
については、これを詳細に紹介しても煩雑に過ぎるで
たものではないかと思われます。この作品の筋の展開
^15︶
あるなら、リチャードソンは人類に何とすぱらしい寄与
今後に必要と思われる範囲で整理すると、まず物語の
[⋮⋮]もし、[−⋮]幸福であるためには高潔であるの
ーをなしたことか。彼はこの格率を論理的に証明したわけ
339
ラクロ『危険な関係』論(I)
(23) 作品の悪い読み
平成5年(1993年)3月号 (24〕
第3号
一橋論叢 第109巻
すことができます。
最初部で設定される、 次の三つの物語牽引子を取り出
様々な策謀を実行していくこと、侯爵夫人と子爵が最
他の何人かの登場人物の﹁真情﹂をもてあそぴながら
ω ヴァルモン子爵は、叔母の城で遷遁した、貞淑で志
成功するのか。
とを結婚させて、後老を笑いものにする、という計略は
才ランジュを誘惑させ、その上でセシルとジェルクール
爵を唆かして、ジェルクールの婚約老であるセシル・ヴ
りもとの愛人で現在も内密に交際しているヴァルモン子
てたジェルクール伯爵に復讐することができるか。つま
ω メルトゥィユ侯爵夫人は、かつて自分を屈屠的に捨
せん。
ら背負わなければならなかった一般的形式に他なりま
の規範が要請するもので、あの激烈なサドの作品です
は先程も述べたように文芸の道徳的有用性という時代
る、という表面的なロゴスに収束して行きます。これ
します︶、結局物語は、背徳老はその背徳を罰せられ
され︵勿論この他に多様かつ興味深い物語の系が存在
ると同時に天然痘でその美貌を失うこと、などに要約
出ること、ヴァルモンは死亡、メルトゥィユは破産す
終的には離反し、そのことで二人の背徳性が明るみに
操堅固なトゥールヴェル夫人を誘惑することができるの
㈹ メルトゥィユ侯爵夫人とヴァルモン子爵の共犯性は、
に課すこのロゴスを、読老の眼前で、限りなく陵味な
﹃危険な関係﹄の最も重要な言表行為とは、時代が作家
さてここで﹁表面的﹂とわざわざ留保を付けたのは、
物語の進行とともに多様化する両老個人の利害の乖離に、
ものにあるいは両義的なものに風化させることにあっ
か。
どこまで耐えられるのか。
を読者に示すことにあったのではないか、と思われる
^16︶
こうした設定がなされた後の物語は基本的には、二
からです。これは非常に興味深い問題であることは間
たのではないか、言表老とこの規範的ロゴスとの戯れ
人の背徳老メルトゥィユ侯爵夫人とヴァルモン子爵が、
340
をトポスとして受け取った読者たちは、一体どういう
らも確認されます。であるとすれば、こうしたトポス
^18︺
ます。また、問題がこの領域に入ってくると、作家が
杜会層に属し、どういう意識を持っていたのか。
違いありませんが、ただ本稿で論じるには荷が重過ぎ
どんな自己の像を読老に提出しようとしているかとい
次の機会を待ってのことにしたいと思います。
えません。従ってこれらの一連の大問題を論ずるのは
完全に隠れてしまっており、これまた本稿では手に負
が、複数の書簡の書き手のエクリチュールの壁の後に
が、﹃危険な関係﹄の場合は、手がかりとなる語り手
出自のいかがわしいコント、叙情詩そして小説の軽妙
として正統文芸の位置を保っているジャンルよりも、
す。悲劇や英雄詩など、古典古代文化を継承するもの
論争を経るあたりから、時代の好みは変化していきま
世紀にかけて数次にわたって行われる、いわゆる新旧
文学史の教科書的記述に従えぱ、十七世紀から十八
う、言表者の工ートスの問題にも関わってくるのです
で、二こでは宇姶めに最も見えやすい、読老のバト
さを読老が好むようになるのですが、一口に読者と言
︵19︶
紀の文学テクストの生産を論じた>。≦巴印に従って、
スの喚起に関する作家の戦略を取り上げます。先述の
人の誘惑と卑劣な裏切りこそ、当時の読者の感情を最
十七世紀のモデルではあるけれども、読者を三つの層
っても、均質なものでは勿論ありません。ここでは
も動かしたものであることは、容易に想像できますし、
に分けてみます。まず第一は、王権の周辺にいて、そ
三つの物語牽引子のうち、特に︵2︶に関わる物語の
またこれは、貞淑な女性が遊蕩児に誘惑されて破減す
の時代の知的ヘゲモニーを握る学者文人たち、次に第
﹁文芸の磁場﹂Oζ昌O尋蒜Sぎの理論を用いて十七世
るというテiマが、リチャードソン、クレビョン
二の層は、都市在住の貴族や裕福なブルジ目ワとその
顛末、っまりヴァルモン子爵によるトゥールヴェル夫
9浄昌昌、ドラUoSけらをはじめとする十八世紀の
生活様式を模倣する中流ブルジョワたち、最後に庶民
^17︶
小説作品の共通の。トポスのひとつになっていたことか
341
ラクロ『危険な関係」論(I)
;
( 25 ) (/FFl rJ a) i,*.L '
平成5年(1993年)3月号 (26〕
第109巻第3号
一橋論叢
三千。これに対して、﹁軟文学﹂の愛好老を多く含む、
れぱ第一の層に属する老の数は数百からせいぜい二、
をも自分のうちに引き込んだ﹂からです。く邑印によ
集、詩集などの主な消費老である婦人層や青年層など
うになった帯剣貴族や商人層、さらには、小説、書簡
や文化的能力によって自分の評価を高めたいと望むよ
﹁[この層は]かつては文芸など顧みなかったのに、今
になって新たに生まれた第二の層です。なぜなら、
なけれぱならないのは第一の層、そして特に十七世紀
の戦略には関与してきません。作家たちが視野に入れ
よって供給されたわけですから、作家たちの文学生産
本5巨;o艘豊焉雪①亮を中心とする民衆用印刷物に
層。このうち最後の庶民層の読書の要求はいわゆる青
ただし数字はバリのみ︶、そして十八世紀には前世紀
台、約三〇〇人 世紀後半:約三〇〇台、約六五〇人、
を支える印刷機と印刷工の増加︵世紀初頭−約二〇〇
研究がいくつかの指標を与えてくれます。まず、生産
会史﹂そして最近の﹁読書のプラティック﹂に関する
可能です。ただ、従来の文学研究、および﹁書物の杜
何を読んでいたのか、確実な証拠を提出することは不
この第二の層の読老たちが、どんな杜会層に属し、
筈です。
ん。﹃危険な関係﹄の著老についても事情は全く同じ
の層の需要であり期待であることに変わりはありませ
であろうが、作家にとって特に重要なのは、この第二
ます。いずれにせよ、十七世紀であろうが、十八世紀
を除いては、十七世紀と基本的な相違は無いと思われ
︵21︶
︵20︶
いわゆる﹁一般読者﹂に当たる第二の層は、数万の
規模にのぼります。
〇:約三〇〇タイトル 一七五〇:約五〇〇タイトル
に比べて総出版点数が飛躍的に増大すること︵一七〇
︵22︶
こうした読考のありようは、十八世紀になると、い
占める割合が減少する︵世紀前半・・三五% 後半:一
一七八九:約一〇〇〇タイトル︶、宗教関係の書物が
の闘争の末、知的なヘゲモニーを獲得して第一層を形
〇%︶のに比べて、文芸−窃思=窃−①罧冨ω関係の書物
わゆる﹁フィロゾフ﹂が保守的カトリヅク教会勢力と
成すること、そして第二層が更に裾野を広げること、
342
127) 作品の悪い読み一ラクロ『危険な関係』論(I)
ミ ︵23︶
カ
占める割合は一定していること︵四〇%弱︶が指摘
されます。であるとすれぱ、ある研究者も指摘すると
おり、文芸関係のうち小説の発行点数も十七世紀から
︵24︶
十八世紀にかけて飛躍的に増えていることは想像に難
くありません。
では生産が増大する文芸ジャンルを誰が消費したの
産蔵書目録のジャンルを調査した部分が、ある程度こ
︵ 2 5 ︶
か。甲O︸胃饒胃\U.宛o9①の論文のうち、各階層の遺
^26︶
の間題に答えてくれます。これによれぱ、貴族、ブル
ジヨワの階層を問わず、宗教関係の書物の所有が減り、
そのあとを演劇や小説などの文芸ジャンルの書物が埋
めた、そしてこれは最も遅く第二の層に加わった商業
ブルジヨワジーの間で顕著だ、というのです。このこ
とは、書物の生産の局面で見られる変化に符合してい
ます。以上のことから、十八世紀の小説は貴族、ブル
ジ目ワジーで構成される、第二層において広く読まれ
ていた、と考えて間違いなさそうです。真実、本稿で
扱おうとしている﹃危険な関係﹄もブルジヨワは勿論
︵〃︶
貴族の中にも熱心な読者を持ちました。ちなみに十八
世紀文学研究の犬家甲Oo巨9は十八世紀後半の小説
について﹁確かに、これほど多くが読まれたことはか
つてなかったと思われる﹂と述べましたが、書物の杜
^28︶
会史や読書のプラティツク研究の分野からも二れが補
強されたことになります。
族にも特権的な宮廷貴族、。法服貴族、郷紳︸o序ε彗
十八世紀小説の読老である、貴族とブルジ目ワ。貴
など、またブルジヨワには官職保有・自由業層と商人
層などがあり、しかも上級ブルジヨワは貴族に編入さ
れていく可能性を持っているのですから、その境界は
︵29︶
駿味です。したがって、﹃危険な関係﹄の読老の杜会的
意識を一つに特定することなどできません。そこで、
本稿ではこの小説の可能的な読者のうち、数の上から
考えて代表的と思われる一つのタイプを提示し、これ
がどのようなイデオロギーを持っているか、小説に何
を期待しているか、を考察します。
そのタイプとしてここでは、官職保有・自由業層の
ブルジヨワをとりあげます。自由業とは公証人、医師・
343
一橋論叢 第109巻 第3号 平成5年(1993年)3月号 128〕
弁護士など、官職保有考とは市の役人、地方の下級裁
判所の判事、税務関係の出先機関の長など、いずれも
都市に居住する平民で、活動の多様さにもかかわらず、
一つの杜会的グループを構成していました。一般的に
二の層は﹁大財産家というよりも、経済的な余裕に恵
まれているという程度の層が主流。快適な暮らし向き
が保証され、その地域で手工業に出資運営するくらい
のことは可能。また、書籍の購入、雑誌の定期購読に
も意を用いたが、それはこのブルジヨワジーがおおむ
ね教養があり、知的な好奇心に富んで[、]いた
から﹂です。
^30︶
大司法会議Ω冨邑Oo易巴付き弁護⊥⊥といえば、ま
さしくこの階層の、かなり上位に属する人物ですが、
そのうちの一人が自らの階層の自己主張と自己表現の
^31︶
ために、﹃家庭生活の義務ーある戸主の考察﹄という
書物を一七〇六年に薯しています。その全体を統括す
るイデオロギーは、これを分析した甲竃彗N−によれ
ば﹁[二うしたブルジヨワは]自己のあらゆる幸福のあ
りかを家庭に置く。彼はその閉じられた世界の君主で
あり、重々しくも情愛に満ちてこれを統治する。彼の
唯一の情熱といえぱ秩序の維持で、彼の家庭生活も彼
の仕事もその刻印を帯ぴているLというものです。確
︵㏄︺
かにこの書物は、﹁[⋮⋮]もしあなたが夫人と相互理
解のうちに生活していれぱ、仮に運悪く外の世界とう
まくいっていなくても、自分の家にいるだけで幸せに
なれる﹂と記して、家庭の外界からの遮断を正当化し、
︵33︶
家庭の妻はその恩想行動とも貴族の杜交好きの女性と
^鎚︶
っています。近代核家族概念の初期の出現例と一言える
は正反対でなければならぬとして、妻の囲い込みを図
でしょう。それはともかく、こうしたイデオロギーを
背負ったブルジヨワたちにとって、貴族それも権力の
近くにいる宮廷貴族たちは、道徳的堕落特に性的放縦
のイメージをもって立ち現れていました。確かにサド
^35︶
をその極端な例として、そのような傾向を持つ若い貴
族はいつの時期にも実際に存在したようですが、宮廷
^36︶
貴族と性的放縦の結ぴつき、それに巻き込まれて堕落
する若い女性というイメージは、彼らにとって殆ど階
級的ファンタスムの域に達していたようです。先程の
344
﹃家庭生活の義務﹄の薯老が貴族の夜の舞踏会につ
て次のように語ることからもそれがわかります。
[⋮⋮]悪魔が誘惑の誘いをかける機会を一つとして
逃さないようにするために、きらぴやかな貴族たち
潟毒ま2邑冒弐昌は、貧民たち一⑦君o邑巴8が昼間に
放縦にふけるなら、自分たちは夜を放縦の時間として使
うべし、と考えたのである。 [・・⋮Lあっちの舞踏会こ
い
っちの舞踏会と出歩いて忌まわしく夜を遇,こしていると
殆どの場合、遅からず罪をおかすことになる。性悪な企
みを助長する闇は、昼はできない淫らな行為も可能にす
るのであり、そのような場によく出かける若い女性は、
︵ 3 7 ︶
既に減ぴの道を駆け下っているのだ。
﹁血﹂ではなく﹁実績﹂を杜会的価値として認めるこ
と。家庭を外界から切り離して家庭の団藥という名の
労働力再生産の場とすること。勤勉と道徳を体現して、
無為、放縦にひたる貧民や一部貴族に対して自らを差
異化すること。こうしたイデオロギーはブルジ目ワが
勢力を伸長させるにつれ︵特に一七六〇年あたりを転
回点に︶﹁人間の自然﹂として貴族層にも認知されて行
きます。従って、一七八二年刊行の﹃危険な関係﹄の
^38︶
読老の多くは、こうしたイデオロギーに加担するブル
ジョワや貴族と見て間違いないでしょう。
ところで、勤勉と道徳の規範が一般化すれぱするほ
ど、つまり無為と放縦の禁止が一般化すればするほど、
その侵犯の盛惑が増していくのは当然のことです。サ
ドやその他記録に名前が残っている貴族が、この侵犯
^鎚︶
を実際に生きるのですが、勤勉と道徳を選択してしま
ったブルジ目ワ、貴族はこの侵犯を現実化することは
できません。では、彼らの侵犯の欲望はどこへ行くか。
ありきたりの図式ですが、文芸、特に小説を読むこと
によって、つまり想像力の世界で彼らの欲望は消費さ
れるというのが、一つのありよう。そしてその欲望の
消費は、作品の登場人物の設定と筋の展開によって方
向づけられます。甲O昌軍やF<①易巨のカタログ
によると、人物としては、罪ある恋愛と葛藤する貞淑
^ω︶
で情けの深い若い女性i卑劣な誘惑老 かわった
345
ラク目『危険な関係』論(I)
(29〕 作品の悪い読み
平成5年(1993年)3月号 (30〕
き手−悪の化身のような女、筋としては、一目惚れ
言葉使いの忠実な下僕−女主人公の親友で告白の聞
です。勿論、﹃危険な関係﹄のトゥールヴェル夫人を巡
教化のためというアリバイによって保証されていたの
る物語を読む読老が、彼女の運命に対して同構を、誘
者からは距離を置いていなければならないというロゴ
惑者ヴァルモン子爵や悪の化身メルトゥィユ侯爵夫人
いる﹁若い女性の転落﹂であるこ土は疑いありません。
ス﹁格率﹂をよりよく﹁感得させる﹂ためのもので、
天然痘−流産、などが十八世紀後半の小説の類型な
﹃危険な関係﹄の場合には先程も述べたように、トゥー
当然作家の戦略の対象です。しかし同時にまた、今ま
に対して激しい怒りを感ずることも十分にありえます。,
ルヴェル夫人の罪ある愛の葛藤と陥落が、読老を最も
で述べてきたように、読老のなかだけで燃え上がり消
のですが、なかでも欲望の消費の水路として最も有効
効果的に作品に向かわせ、読老に最も深く侵犯を生き
費される欲望のバトスもあるわけで、作家はこれを見
こうしたバトスは、ディドロ風に言うと、危険な誘惑
させる道具立てということになります。
逃すわけにはいきません。バトスは作家の戦略の対象
としても両義的なのです。
転落の情景を目の前にして欲望をどれほど消費しよう
せてきた文化の精髄のことをエロティシズムと呼んでい
カテゴリーとカテゴリーの間に成り立つ関係を洗練さ
3 差異の意味−トゥールヴェル夫人の造形
とも、常にその物語を反面教師という形で道徳的目的
るのです。 1上野千鶴子﹃男流文学論﹄
の読書は、それがどんな質のものであろうと、自己の
性の軸に沿って再構成し得るからです。つまり、彼ら
古典主義視座のうちにある読老は、若い女性の誘惑と
ません。芸術は楽しませながら教化するもの、という
いたか、していなかったかは余り重要なことではあり
ここで、読老が禁止を侵犯していることを自覚して
なのが、﹃家庭生活の義務﹄の著老もことさら言及して
−貞淑な女性の陥落−絶望による自殺の試み1
第3号
一橋論叢 第109巻
346
型的登場人物にどのような肉付きを与えるか、材源か
けでは勿論ありません。彼に問われたのは、既存の類
はそうした材源を単に配置しなおしただけ、というわ
明に解析していますが、作家ショデルロ・ドニフクロ
︵仙︶
﹃危険な関係﹄の材源は[<①易巨の博士論文が克
るダイナミヅ一クスを支援するために、物語の冒頭部
るゆえんですが、一方、こうした目にはっきりと見え
世紀で最も優れた文学的テクストのひとつと言わしめ
も認めるとおり非常に高く、﹃危険な関係﹄をして十八
とになります。その織密さ、完成度は、多くの研究老
関たちの関係も発展変質して、遂に大団円を迎えるこ
定がなされ、そのことによって物語にあるバラメータ
ら透明な記号として与えられた登場人物にいかに豊饒
例としてトゥールヴェル夫人の人物造形を取り上げて、
ーが加えられるのも事実なのです。しかしこの仕掛は
[書簡五]でそれとなくトゥールヴェル夫人の人物規
ラクロのこの点に関する手腕を見、読老のバトスがい
現代のわれわれにはなかなか明瞭には見えてきません。
な不透明さを与えるか、という点でした。最後に、一
かに操作されるかを考えます。
反復、夫人の陥落、静い、和解、ヴァルモンの裏切り、
に沿って、ヴァルモン子爵の接近と夫人の拒絶、その
うことを瞬時に理解した筈です。そうした読老の期待
が話題になるやいなや、やがて彼女が誘惑されるだろ
係﹄の読者は、冒頭[書簡四]でトゥールヴェル夫人
語は十八世紀小説のトポスです。だから﹃危険な関
先程来、述べているようにトゥールヴェル夫人の物
老﹂であることを、優れた閃きとともに、しかしやや
特にヴァルモンやメルトゥィユ侯爵夫人にとって﹁他
れがトゥールヴェル夫人です。彼女がほかの登場人物、
ことが、テクストのなかで示唆されているのです。そ
ように、実は一人だけ他の登場人物とは徴妙に異なる
生活様式も同じように見えます。しかし、今も述べた
皆等しく貴族、それもかなり上級の貴族であり、また
会階層、同じ文化的環境のなかにいるように見えます。
﹃危険な関係﹄の主な登場人物は一見、全員が同じ杜
夫人の狂死にいたる事件が起こり、その途上で登場人
347
ラクロ『危険な関係』論(I)
(31) 作品の悪い読み
平成5年(1993年)3月号 (32〕
第109巻第3号
一橋論叢
枠内で作家ラクロ論を展開した時、この指摘を受け継
世紀中頃、甲<邑5邑がマルクス主義的文学批評の
トゥールヴェル夫人は﹁ただ一人ブルジョワジーに属
︵ω︶
する﹂とし、﹁この指摘は重要だ﹂と述べています。今
険な関係﹄の序文のためと推定されるノートのなかで、
不正確に指摘したのはボードレールでした。彼は﹃危
の一機関の院長肩①まg肩艀巳①旦か上席判事肩艀−・
の場合は、バリの諸最高院8膏ωωo毫$巴昌ωのうち
判事のことなのですが、バリ存住のトゥールヴェル氏
は一般的には平判事8畠①昌艘の上位に位置する上席
層に属することに間違いはありません。肩艀己⑭暮と
肩艀巳8后と表現されており、いわゆる法服貴族の階
トゥールヴェル氏の官職肩般巳①算にちなんで
切りは、第二身分による第三身分の搾取と収奪の象徴
ヴァルモン子爵によるトゥールヴェル夫人の誘惑と裏
それなりに興味深い評論ですが、論旨の展開の途上で、
目である、ラクロの引き裂かれた意識を取り出した、
化し、売官制による世襲で強力なカーストを形成して
なかでも比較的古く︵十五−六世紀︶に脱ブルジ目ワ
の職に相当するでしょう。いずれにせよ、法服貴族の
と大審部付上席判事肩萱痔算ψ昌oま胃あたりがそ
宗暮、もし所属がパリの高等法院混二①嘗g↓だとする
^蝸︶
ぎました。ブルジョワから小貴族になった家系の二代
的表現だと書いたのでした。夫人は明らかに貴族に属
的差異を見いだすことに何の意味もないわけでは決し
ールヴェル夫人と他の登場人物たちとの間に杜会階層
顧みられてはいません。しかしだからと言って、トゥ
引け目を感じる素振りをしていないことからもわかり
登場人物とのやりとりのなかで、身分に関しては一切
とはトゥールヴェル夫人がヴ7ルモン子爵およぴ他の
︵蝸︶
プレスティジは帯剣貴族に決して劣りません。そのこ
きた上位グループに位置するのは確かで、その杜会的
てありません。当時の読老が、これにわれわれよりは
ます。けれども、先程も述べたように書簡五︵メルト
しており、この、確かに牽強付会の見解は、現在では
遥か に 敏 感 だ っ た と 予 想 さ れ る か ら で す 。
ゥィユ侯爵夫人からヴァルモン子爵宛︶でトゥールヴ
^刎︶
トゥールヴェル夫人の身分は作申、彼女の不在の夫
348
にお礼を言っていたじ中ないの。今でもまだあの人の姿
も、こんな面白いものを見せていただいてどうも、と私
夫人を差別化する決定的な契機を与えるのです。
が思い浮かぷのよね。髪の長いのっぽの男に手を預けて
エル夫人の描写が行われ、しかもこれは物語のなかで
その書簡五は、書簡四でヴァルモンが侯爵夫人にト
るのだけど、一歩歩くごとに転ぴそうになるわ、あの四
オーヌ[約四・八メートル]も腰枠のあるスカートがい
ゥールヴェル夫人の征服を宣言したことへの解答です。
意外に思った人ルトゥィユ侯爵夫人はトゥールヴェル
つも誰かの顔に当たってるわ、御辞儀をするたぴに顔を
になるなんて、あの時誰が想像できたでしょう。
を距してヴァルモンにその計画を思い止まらせようと
服装のセンスが悪いこと、第二に公の︵杜交の︶場で
㈹ ことに及んでいい思いをしようとしても、全然だめ
赤らめるわ、あんなひとにあなたがちょっかいを出す気
の行動が滑稽であること、第三に彼女からは十分な肉
だわよ。大体、ああした貞女気取りを相手にして、いい
しているのですが、その論点は三つあります。第一に
体的な快楽が得られそうにないこと、でこれらに関わ
思いができると恩うの? 私が言うのは心底自分が貞女
は残らないわよ。
︵蝸︶
てみてもなんだこんなものか、という感じしかあなたに
ちは、ことの真っ只中でも自分を抑えているから、終っ
だと思ってる手合いのことなんだけど、ああしたひとた
る部分のテクストは次の通り。
ω 容姿はまあまあだけれども、センスがまるでないじ
ゃないの。いつもほんとに吹き出しそうな格好をしてる
のだもの。特にあの、胸元に固まって東のようになって
いる肩掛とか、まるで喉元までとどくようなコルサージ
内、およぴ郊外のある城館としか指示されず、トポグ
﹃危険な関係﹄の物語が生起する場所は、ただバリ市
ω あのひとがサンロヅクω竺昌由o︸教会で献金を集
ラフィックな描写もあらゆるレヴェルで完全に放郵さ
ュときたら!
めてまわっていた日のことを思い出してみてよ。あなた
349
ラク回『危険な関係』論(I)
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平成5年(1993年)3月号 (34〕
第109巻第3号
一橋論叢
れています。また登場人物の外貌服飾などにもほとん
ど視点が落ちません。いわぱ、無色で抽象度の高い空
間に、関係のせめぎあいだけを追う激密なエクリチュ
たシルエットを取るように作られたスカートのことで
すが、夫人が、もはや流行遅れになった極端に横幅の
︵蝸︶
大きなスカートを未だに着ていることを笑っています。
教区教会でしたから、この﹁シックな﹂教区に住む貴
これはサントノレ街;①ω巴巨由昌o忍にあり、当時
体的な場所の指定が目を引きます。サン・口.ツク教会。
関する情報を取り出して見ましょう。まず︵2︶の具
さてこれらの引用から問題のトゥールヴェル夫人に
色な分だけ鮮明度の高い色彩的効果を持っています。
と、胸元を覆う風俗にはブルジョワ的というコノテー
いる﹂と悪口を言われるのですが、これらから考える
しも悪い、まるでブルジ冒ワ女みたいに胸元を覆って
はある伯爵夫人に﹁夫人はセンスがなく、服の着こな
す。ルソーの﹃告自﹄の第五巻で、ド・ヴァラン夫人
ないからだけでなく、そこには別の理由があるようで
腕を隠すということが単にエレガンスの原理にそぐわ
︵1︶は、彼女ができるだけ胸元を隠すようにしていた
族、裕福な商人たちが礼拝等で集う時、そこは一種の
シ目ンが付着していたらしい。従って︵1︶では、メ
ールが編まれていくのです。そのほとんど唯一の例外
杜交の場になったのです。そこでトゥールヴェル夫人
ルトゥィユはむしろトゥールヴェル夫人のブルジ目ワ
ことが瑚りの対象。メルトゥィユ侯爵夫人の瑚りは、
は献金を募るという、慈善活動を行っています。夫人
趣味を廟っていると思われます。
が上に示した引用部分、特に︵1︶、︵2︶で、他が無
は一部の貴族たちから物笑いの種になっていたようで、
最後は︵3︶の引用から明らかなように、夫人の貞
要するに書簡五が提起するトゥールヴェル夫人像は、
︵犯︶
だからメルトゥィユはわざわざ噂の彼女を見せにヴァ
淑さとそこから派生する、肉体的快楽の自己抑制です。
次に夫人の服装。︵2︶の引用文中の﹁腰枠のあるス
﹁ださく﹂、鈍そうで不器用な女ということになり、メ
^〃︶
ルモ ン を 連 れ て 行 っ た の で す 。
カート﹂とは当時流行していた、腰の部分が張り出し
350
違に帰せられるものではない、この差異は杜会的なカ
です。重要なのは、この差異が単に趣味とか家風の相
ルトゥイユが属する世界とは異なったところにいるの
す︶。それ程トゥールヴェル夫人は、ヴァルモンやメ
解できません︵あるいは理解することを拒否していま
にヴァルモンが手を出そうとしているのかまったく理
ルトゥイユ侯爵夫人にしてみれぱ、どうしてこんな女
書簡一〇七で、ヴァルモンの従僕に法服貴族を侮らせ
トゥールヴェル夫人。この作話上の負性は物語の半ぱ
﹁ださく﹂鈍く、不器用という負の記号を背負わされた
おり、姿をあらわしません。一人、法服貴族に属し、
になります。頼るべき夫は訴訟でディジ冒ンに行って
ヴェル夫人は帯剣貴族に囲繕されて孤立していること
会的カテゴリーに属するのは明白ですから、トゥール
とがわかります。勿論メルトゥィユ侯爵夫人も同じ杜
︵弘︶
ルモンは彼女の征服を決心する︵﹁これが俺の攻撃の
信心、夫への愛、貞淑﹂︵書簡四︶です。これ故にヴァ
︵鴉︶
一方、夫人の持つ正の記号は何か。それは、﹁彼女の
ることによって読者に改めて示されます。
︵52︺
テゴリーの相違でもある、という点です。トゥールヴ
ェル夫人は先にも示したように、法服貴族に属します。
他の登場人物たちはどうか。﹁由緒正しいお名前とた
いした財産をお持ちで﹂︵書簡三二︶と評され、また女
︵50︶
性の誘惑を語る時、軍略の比楡を多用するヴァルモン
子爵は明らかに古い家柄の帯剣貴族です。かつてメル
ェルクiル伯爵も、連隊を率いてコルシカで戦闘中で
っている﹁真情﹂ω9饒昌①巨で、これと出会ったが故
っとも強力な正の記号に出会います。それは彼女が持
対象、俺にふさわしい敵﹂︶のですが、征服の途上でも
あることから、またセシルと恋伸になるマルタ騎士団
ゥィユとの関係は変質せざるを得なくなる、つまり夫
に、ヴァルモンと夫人との関係、ヴァルモンとメルト
トゥィユの愛人で、いまやセシルの婚約老となったジ
員ダンスニーも﹁[ジェルクールと同じくらい]優れた
家門のご出身で﹂と言われること︵書簡九八︶や、マ
てメルトゥイユとの共犯関係にも亀裂が入って行くの
人は単なる漁色の対象ではなくなり、それにともなっ
︵51︶
ルタ騎土団員という身分自体から、帯剣貴族であるこ
351
ラクロ『危険な関係」論(I〕
(35) 作品の悪い読み
平成5年(1993年)3月号 (36〕
第109巻第3号
一橋論叢
です。
洗練と背徳/野暮ったさと真情。﹃危険な関係﹄を
統括するこの二項の対立は、このようにトゥールヴェ
ア/タスムである、宮廷貴族たちの世界の背徳性がく
っきりと浮び上がることになります。ブルジョワ的読
老にとって、夫人が精神的には自分たちの世界に属す
さて結局ヴァルモンは彼女の真情を裏切ることにな
みが行われる場合にもバトスを増幅させるのです。
う。トゥールヴェル夫人の差異化はだから、道徳的読
彼らの道徳的バトスは一層高揚することになるでしょ
る、あるいは少なくとも自分たちに近い存在であると
るのだが、この差異化は、テクストに道徳的有用性を
一方、欲望のバトスが問題になる場合はどうか。こ
ル夫人の差異化を契機に、読老の目に見えるものとな
読み込む場合、どのような働きを持つのでしょうか。
いう情報を与えられているだけに、背徳に向けられた
前節では、小説の読者の典型と思われる階層のイデ
の場合は当然、﹃危険な関係﹄の語りの構造そのも、のが
るのです。
オロギーを﹃家庭生活の義務﹄という書物から取り出
重要な意味を持ちます。−竃・Ω◎邑⑦昌gはその刺激
的な論文で、この作品を﹁男杜会のファンタスムが展
^55︶
しました。彼らの理想の女性像は、家庭内にとどまり、
杜交生活に憂き身をやつさず、夫とやさしく情愛を交
的服装の野暮ったさも含めて、かなりの部分でトゥー
ない﹂という公理に還元できる、と述べました。男の
は結局のところ﹁誘惑老の誘いにのってこない女はい
開される舞台﹂と位置付け、この作品が物語る出来事
︵56︶
ル ヴェル夫人の造形 と 重 な り ま す ︵ 前 記 引 用 ︵ 1 ︶
ファンタスムによるこの公理の無原則的な発展は、性
わしあう、というものでしたが、これは、ブルジョワ
︵2︶︵3︶とその分析を参照︶。そうした夫人の真情を
的秩序に対する脅威となるであろう、﹃危険な関係﹄の
らに課す検閲なのである、というΩo巨o昌o↓の結論の
︵58︶
悲劇的な結末は、そうした脅威を祓うために物語が自
︵研︶
裏切り破減させる、ヴ7ルモンやメルトゥィユの世界。
ブルジョワ的読老が道徳的読みを行う場合には、トゥ
ールヴェル夫人の受難を媒介にして、彼らの階級的フ
352
彼女[トゥールヴェル夫人]はますます俺の愉悦を高め
是非はさておき、読者の欲望の消費が行われる回路と
して﹃危険な関係﹄を考えてみると、確かに、物語に
てくれたのだけれど、彼女の方でも悦びは高まっていた。
事実、読老の期待は成就します。ヴァルモンが夫人を
たき悦びを与えるであろうことの予告でもあるのです。
読老にとってこの予測は同時に、誘惑者が夫人にまっ
抑制してしまうような女性だと予測されていましたが、
人は、ヴァルモンの他の相手とは異なり、自ら快楽を
す。先程の引用︵3︶で見たように、物語の冒頭で夫
その差異ゆえに、ファンタスムの核となっているので
たちとは異なるものとされたトゥールヴェル夫人は、
に問違いはありません。その舞台では、他の若い女性
たちの﹁ファンタスムが展開される舞台﹂であること
ているブルジ目ワ的読者にとって逆に、まさしく自分
暮ったくて、不器用で、おまけに色恋沙汰にはまった
のこんだファンタスムが編み上げられてきました。野
た形を与えようとして、男と女の間には、そのぶん手
経験が証するところですが、これにもう少し洗練され
しの暴力と攻撃性によって媒介されることがあるのは
iに属する他者であり、時として両者の関係はむきだ
の概念が内包されています。男と女は異なるカテゴリ
他考という概念には、それと分かち難く暴力と攻撃
費されていくのです。
もヴァルモンとともにこの行程を進みながら燃焼・消
全な快楽を教えた栄誉を担うことになり、読老の欲望
このようにヴァルモンは、おそらく初めて夫人に完
そのうち、陶酔はこれ以上はないというくらいのものに
︵59︺
なり、しかも二人ともが同じようにそれを感じたんだ。
登場する若い女性の全員ーヴァルモンの従僕に誘惑
されるトゥールヴェル夫人の小問使いジュリーをも含
めて1が誘惑老のまえに陥落するわけで、イデオロ
征服後、メルトゥィユ侯爵夫人に書き送った書簡一二
く興味のなさそうな人妻ですら、男の誘惑には抗し切
ギー的にはそのような世界を自らに禁じ、憎悪さえし
五では、それが次のように報告されています。
353
ラク回『危険な関係』論(I)
137〕 作品の悪い読み
平成5年(1993年)3月号 (38〕
第109巻第3号
一橋論叢
れないというディスクールは、だからそのようなファ
ンタスムの一つの表象なのですが、読老の欲望により
よく奉仕せねばならない作家の戦略にとっては、いか
承諾させてしまいます。使用人を相手にしているがゆ
えの、このむきだしのサディスム。無論、トゥールヴ
ェル夫人に対してはこのような態度は取ることができ
リーと交渉する場面があります。有利に取り引きを進
を盗ませるために、ヴ7ルモンが夫人の小間使いジュ
の欲望のバトスにいかなる寄与をするのか。
.書簡四四でトゥiルヴェル夫人のところへ来た手紙
よっても媒介されていることになります。これが読老
他者性のみならず、階層というヵテゴリーの他老性に
これにより、二人の関係は男と女というカテゴリーの
ヴァルモン子爵とトゥールヴェル夫人の階級差です。
ンのそれを借りて、高みからトゥールヴェル夫人を見
はないでしょうか。その場合、読老の視線はヴァルモ
を読老がそこに読み込むことも十分に考えられるので
くにつれて、イエラルシーの高低差によるサディスム
展し、二人の問の力関係の天秤が傾斜を増大させて行
傾いているふしのあるトゥールヴェル夫人。誘惑が進
ルモンと、法服貴族層に属し、ブルジ目ワ的価値感に
ようにも思われます。古い家柄を誇る帯剣貴族のヴァ
こにサディスムを読み込んでもよいと教唆されている
あり、僅かのイエラルシーの差さえあれば、読者はそ
って男一般の可能態としてのサディスムを示すもので
めるために、自分の従僕と逢い引きしているところを
下ろしているのですが、現実的かつ道徳的にはブルジ
ません。しかし、このエビソードはヴ7ルモンの、従
不意をついたのでジュリーは裸同然。ヴァルモンは彼
にも絞切型でありきたりです。﹃危険な関係﹄では、こ
女に﹁姿勢も服装も変えることを許さず﹂従僕を追い
した読者は同時に、自分を簾麟している帯剣貴族ヴァ
側に立っているわけで、そのような自分の立場を意識
こに別のバラメーターが書き加えられました。先述の
払った上で﹁乱れたベッドの上の彼女の隣に座って﹂
^60︶
交渉を始め、﹁彼女の瑞々しさや今の状況﹂にエロティ
ョワ的読老の犬多数はむしろ、トゥールヴェル夫人の
クな想念を抱きつつ、強圧的に手紙を盗み出すことを
354
ながら、消費される欲望のバトス。トゥールヴェル夫
このように、サディスムとマゾシスムの間を揺れ動き
ルモンを下から見上げさせられることにもなります。
のものを彼らから遠ざけることこそ重要だと私には思わ
年層にこの書物を薦めるなど問題外なのであり、この手
警戒しても警戒し過ぎることはないのである。だから若
悪い読み方ーつねに良い読み方と紙一重なのだが−
喚起されるバトスが良俗にとって有益か有害かは紙
れる。
︵61︶
人の差異化は、このレヴェルでも極めて有効な処置だ
ったのです。
勿論、欲望のバトスに対する作家の戦略が、表立っ
けれどもラクロは﹃危険な関係﹄の前書きで、否定的
まりません。作品が喚起するバトスの有用性と危険性。
ること、を意識していたのはなにもラクロ一人にとど
一重であること、読者が﹁悪い読み方﹂をしがちであ
な方向ではありながら、そうしたバトスを喚起する
十七世紀の古典主義理論の形成期に、カタルシスの語
た正規のディスクールを構成することはありません。
﹁悪い読み﹂に言及しています。
を含む例の﹃詩学﹄の一節︵宝おσ︶の解釈が安定しな
その両方から構成される。 [−−]品行の悪いものたち
た﹃百科全書﹄の項目∼易9o屋の次のような言及も十
つつ強く意識していたことを示すものでしょうし、ま
かったことも、古典主義がこの厄介な間題を持て余し
^62︶
が品行の良いものたちを堕落させるために用いる術策を、
八世紀においてこれが共通の問題系として存在したこ
ある作品の長所は、有用性もしくは快さ、可能であれぱ
明るみに出すことは、少なくとも、時代の良俗を維持し
との証左です。
正劇は良俗を作り出すのに有益であり得るけれども、
高めることに貢献するように思われるのだが、この書簡
集[﹃危険な関係﹄]がこうした目的に有効に寄与できる
ものであると信ずる[⋮−]しかしながら、この作品の
355
ラクロ『危険な関係』論(I)
(39) 作品の悪い読み
平成5年(1993年)3月号 (40〕
第109巻第3号
一橋論叢
もし激しいバトスの表象を見た観客が、自分の心のなか
で同様のバトスを燃え上がらせてしまうとすれぱ、正劇
は有害なものになってしまうだろう。
︵63︺
こうした﹁悪い読み方﹂への執鋤な言及は、それが
かなり一般的であったことを思わせるとともに、作家
たちも悪い読みに対して一定の奉仕をせねぱならなか
一九九二。>ユω8員氏ミざぎ亀§一5ミ§トミミ︵混﹃
ミ凹ま=o︶ト窃黒二g−⑦葦oωL湯㊤.o=く蟹寄σo早
雪.oξo冒︶一岩雪一トざミミ︵o印﹃⋮.U巨o胃g>−
ぎ、§、§討oミ∼§き“ざ辻亀§一、q■H竃F
︵2︶寄げ昌一§1這.ら.↓ら﹄﹄.
︵3︶﹄①弩・霊邑ωき員寒§$o§員§、豪・§亀§ざ
ミ鳶§ぎミ∼o顯⋮昌螂Hp−o壮oo1
︵4︶量o.ら1畠9
︵6︶旨庄.も.−睾
︵5︶⋮o−
︵7︶冒o‘ら.H鼻
ったのではないか、というわれわれの推測に一定の根
拠を与えます。良い読みと悪い読みの戯れ。官能の世
︵8︶量匝.ら.H富1−事
〇印≡昌胃戸8二−、里一︺=O﹂①ζ雪⑭訂O①.、一や昌8−昌S.
︵13︶ 09尉−︺巳呂o戸亀§§吻︵壁.o胃>目亭⑭雲−ξ︶一
§“§、§ミ♪z守gL竃①一戸8−oo壮1
︵12︶ 肉昌m︸Sチトsさ§§、ざ§きぎきoミ§︹茅“−
庁ω︹彗凹︹箒冨mし窃8コω1
弐oo§§ミ這§討o§一z.崖L竃9o.胃ド︸.H﹄oo’向苧少
︵u︶ o︹−U’、.−.與目o庁目目①﹃=9o﹃昼自①1>−o①・昌Φ∋oマ①,”
︵10︶ 冒巨’ol定.
ω①邑−.H㊤べN1
ω=ξ﹂o①きミe“§§”“虜s泳 o、、尽ミ“夕Oo=1、、勺oぎ駐.、一
︵9︶丙〇一彗α霊斗訂9ζ鳶忌鼠§き、、“ぎミ§
紀、ロココの世紀の作家たちは、こうした﹁戯れ﹂の
可能性に沿ってテクストを織り上げなければなりませ
んでした。﹃危険な関係﹄も例外ではありません。こ
の世紀に生産された、最も豊かで姿の美しいテクスト
である﹃危険な関係﹄は、良い読みと悪い読みの戯れ
があまりに巧みすぎたが故に、十九世紀には禁書の指
︵脳︶
定を受けてしまいます。時代は物哀しいブルジ冒ワの
世 紀へと向かってい た の で す 。
︵1︶ アリストテレス ﹃弁論術﹄戸塚七郎訳 岩波文庫
356
日本に来るそうである。
︵15︶ 一九九三年には別の脚本をもとにした映画作品が
︵14︶ O−ユ9oりプ①﹃=凹昌o↓o目
︵26︶Pき㌣占竃1
“s“ミ 昏 、§嵩oミざミ、亀涼“■
︵25︶。.5ω肩きε露膏σ巴尾ωα①一.芽肩ぎ伽..巨雰・
8昌嘗、、弐奏ミミき、、ミミ§ざミ蚤♪一﹄ら.N澤
].].ω㊤−].].トo■−︺①−o自一§. o“、.−o.−oムー].o蜆■
<實ωま︶一〇凹⋮昌胃戸o〇一−−、、里;o.宗5雪9註o..ら.
︵27︶︹⊆o9§ミ§8§面雪︵竪’o胃5冒9↓
︵16︶奏ざ思−U①一冒一、−トOぎ昏、雲昏ζh雲 卜S
トサぎ婁き§ミ§夢勺ζ勺し⑭冨仙o.−湯pぎ陛﹂o員
︵17︶蟹昌亮一雲9彗法o貝旨ミ§亀轟ミ婁§雰−
>冒5邑oo=p8=...o、.Lo貫p§9
︵㎎︶ 回①箏ユOo邑①戸卜“§§§署㌧§qミ、∼ざ完“eoぎ皆oぎ
戸㎝一による。
ざ“ミきミ蒙oざ豪“き、ざ§L㊤昌。手9ogの手で
︵29︶Ωξ9彗色冨邑・2ooq胃①け旨き§嚢§
仏訳され、大きな影響を及ぼした。
︵18︶ ■印膏①巨く①易巨一旨oざ蜆ミざ、§きミo§象良㎞ミ、
§色∼o守、.b“ ざ魯きミ蒔s§”トミ§耐ミタOo−F
§§§g篶§§昏ミ“き§ざぎミ雨§oき§“
岩鶉︶Io訂貝烏月pωべ−睾黒昌篶Ω印∋oFω§““鳶
..雪9昌昼亮ω,.一塁三昌ωOo昌旦異9岩o。ト︵里−oユ胴.
賞︸§ミ8ミざぎぎ&§き吻トざぎ§き§ミ§夢
−︵−目n斥ω︸①oπ1−㊤①oo−o.].ooo−−べo.
ωO目ωOO目H目一冒目,,−竃−目⊆−片1]1㊤OO蜆■
HOO].、勺1N㎝−杜①■
*§−k⋮ 之∼o膏一〇〇−F 。.ω冒O伽ユ①﹄﹃.、一 一四凹oブ①暮9
︵”︶ >−凹−目く−巴Pき“嚢ミo“き、、“︹辻§“ミ一〇〇二...−①
︵20︶宛o訂斗;彗守oξb“ざ§§§、魯ミミミ亀§
︵22︶冒軍ら﹂ξ
︵32︶宛o冨ユ⋮彗鼻卜、“§き︸§ざ§き§ざミ寧
○ミ“−、亀、 ミミ、∼ミ 昏盲§“、、“−].↓o①’
︵31︶悪ま管①−oago戸卜8き§︸葛きざきき§芝“−
︵30︶O胃昌戸§ミ.ら.ξ
−ざ−曽ωぎ芽.卜sミ§oき∼亀§§§きぎ章
−昌鍔9H竃σ︵忘8g.岩①︷︶.
︵23︶=雪Hこ①彗;”まP..ζ昌o邑ωω彗8総昌巨﹃①..
>﹃冒曇目﹄Oo=﹃ポー㊤①PPN0oム. 、
§ぎ§曳ざ鳶嚢s盲ミ茎婁sミk§冒︸雪貧
︵21︶く邑P§ミニP崖①.
ヲ雰ざぎ昏、§“§ミ言ミsぎ二−三..5=く8
︵33︶−oa匹o戸§ミニP胃−蜆N一〇忌o胃竃彗鼻P
巨O昌昌彗二①8−畠さ、,一雫O昌09ω㌧轟戸O−畠−H8−
︵24︶考巴585易oP,Zo⋮o彗思一亭$言①9
357
ラク目『危険な関係』論(I)
;
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a a)
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(41
平成5年(1993年)3月号 (42〕
第3号
一橋論叢 第109巻
︵〃︶ 07與ユ①ω︸︸目α色巴﹃9,Zo叶①ωω=﹃︽ピoω−−︸〆o目ω
○印目血q胃①冨窃︾、、︵−o。畠−蜆ご富竃−塞︶ニコsミeミ吻s§・
Noo−.
︵34︶ −一︺革一P8−胃﹂ま昼自伽寝﹃竃昌鼻ol墨H.
も蔓夢け■︵g.君﹃ρヨ9o包一〇︸≡昌彗p8=.
︵50︶
−胃−09§eミーS§§章P①①.
−くo邑目⑦︶一〇彗邑雪し㊤oopo.so.
︵ω︶ 宕彗・旨8亮ω肉昌躬sξ卜ss喜竃ざ§︵g.o彗
H㊤OOω一〇.墨1
ぎ§きト§ざ吻一>oq①o.匡o昌昌o夫彗o=目潟■幸庁p
︵48︶ >昌冒−⋮彗ポ旨8P卜軸8さ向きぎミざ註.卜§−
向蟹饒o易きωo﹃巨員岩↓㊤.付録の一覧による。
︵47︶卜雨、ざs昏卜§涼bミ淳§、..雪彗宗↓昌①qo↓。.一
︵46︶ −きざ9§ミミ眈Sミ尋膏夕o﹂oo−畠.
︵蝸︶ Oす雲﹄ωωぎ饅箏α−Zo胴団﹃①戸S1︹ミ’PH①ω−H↓oI
■昌‘
<①冨巨︶一〇與⋮昌彗p8=...里一︺5−序5雪9ぎ①.、一p
︵44︶ −彗ざ9 §eミωSミ一§8︵伽o.寝﹃−與胃昌↓
、摩∼巴目ニニ邑o冒ω、、ら昌早H竃ω.
︵43︶ 宛o潟﹃<凹⋮彗戸卜§㌻㎞曽、 ミ、§“§“.8二.
、、里一︺−o.宗宣=9ぎo.、し竃9o1胃.
︵脆︶ Oチ申目ω色目凹目α・Zooq凹﹃①戸8’良トニo.H−Φ1−−べ.O印﹃・
目o戸§.9、=o. 竃 .
︵蝸︶ Oブ団Eω色コ凶コ庄・2◎旧凹﹃①戸PHH①.
︵37︶ −oa色o戸§.o“二P胃H−胃戸o岸㎝寝﹃竃印冨一〇−
︵38︶ 家庭の変質については、特に母性愛の称揚、女性
N0oω.
の主婦化の推進が象徴的。これに関しては歴史学老か
らの批判はあるものの、冒げき①亭巾ぎぎ誌﹃一トざ§oミ
§き︶一ヨ凹昌ヨ彗ざp8=1,oぎ∋寝二L竃pを参照。
§bぎー雰ざ“ミき∼§oミ§s耐§雨、︵*§−き
年が指標となる︵O■H鶉−轟H︶。また、9彗邑畠邑−
これによれぼルソーが﹃エミール﹄を著した一七六二
Z轟胃9によれぱ、一七六〇年をさかいに貴族叙任の
基準が個人的功績重視にかわり、ブルジョワが大挙し
て貴族化する。これは杜会の価値塞準が、優れてブル
とを示す。︵§。、ご轟−雪。︶
ジ冨ワ的価値である功績目螢箒に変化しつつあるこ
−一︺革一〇﹄お−
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︵51︶
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︵39︶ Oブ陣目ω9目印コα−Zo①q顯﹃①戸§.oミニP−−9
︵53︶
︵ω︶ Oo2⑦戸§.︹ミ’O−ムムNームムω−<o﹃ωま一§.oミー−P㊤↓
︵54︶
︵52︶
︵仙︶ <①島ぎ一怠.o““.
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358
︵55︶、.−巴98冒−き益胃①二陣昌宥8ω&弓守
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︵一橋大学助教授︶
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ラクロ『危険な関係』論(I)
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