1-3 携帯電話というプラットフォーム 2000年代に急速に普及した携帯

■1-3
携帯電話というプラットフォーム
2000年代に急速に普及した携帯電話は、機能や特色が日本国内向けに独自に進化し、ダーウィン
が進化論のヒントを得たというガラパゴス諸島にちなんで、ガラケーと呼ばれるようになった。201
0年代になると、ガラケーから、より高機能のスマートフォンへの切り替えが進んだ。
ガラケー、そしてスマートフォンが普及する中で、それらはゲーム業界に大きな影響を与えた。まず
新興メーカーがガラケーでソーシャルゲーム(※注 8)というジャンルのアプリをヒットさせる。次いで
スマートフォンのソーシャルゲームがゲーム業界で大きなシェアを占めるようになった。ソーシャルゲ
ームは数千億円といわれる市場となり、ゲームメーカーの勢力図を変化させ、各社の経営戦略にも大き
な影響を及ぼすことになった。
ゲーム専用機のゲームを開発するには、まずはそのゲーム機メーカーと契約を結び、開発用の特殊な
機材を購入しなくてはならない。そして開発したゲームを発売するには、様々な手続きやゲーム内容の
チェックが必要となる。そのためゲーム専用機のゲーム開発には、一定規模以上の法人でないと参入す
ることが難しかった。
これに対し、ガラケーやスマートフォン用のアプリ開発に特殊な機材は不要で、市販のパソコンがあ
れば開発できる。
ガラケーのアプリを配信するには、DOCOMOなどの携帯電話会社と契約を結ぶ必要があったが、
諸々の手続きはゲーム専用機ほど煩雑ではない。但しガラケーの公式アプリを配信できるのは法人に限
られていた。それがスマートフォンになると、法人でない一個人も、Google や Apple と契約を結び、開
発したアプリを簡単な手続きを経るだけで配信できるようになった。
家庭用ゲームソフトを海外で発売するには、現地法人を立ち上げるか、海外のメーカーを介して発売
するなど、法人でもハードルの高いものであったが、スマートフォンのアプリは日本にいながら世界中
に向けて配信することが可能となっている。
スマートフォンでは、このように個人や小規模の制作チームがゲームビジネスに参入できるようにな
った。そして小規模のチームで開発されたアプリの中からも、世界的にヒットする作品が登場するよう
になった。
以上のように携帯電話のゲーム市場は急激に成長し、2010年代になると家庭用ゲームソフトの市
場と同等、あるいはそれ以上の大きな市場となったと言われた。
市場の変化は急激である。特にコンピューター産業のような凄まじい勢いで進化を続ける分野は、あ
っと言う間に流れが変わる。パソコンも携帯電話もこれほどまでに普及し、生活と切り離せなくなるの
に長い時間を要していない。会社を運営する自分への教訓、現役クリエイターである自らへの戒めも含
め、市場の流れを見極めねばならないことを記しておきたい。
(※注 8)ソーシャルゲームとは、アカウントを持つ多数のユーザーが参加し、ブラウザ上でプレイする
タイプのゲームを指すが、本著では、ネットを介し他人と競ったり協力する仕様の入ったアプリ全般を
ソーシャルゲームと呼ぶ。
コラム「家庭用ゲームはマイコンのゲームから始まった」
ファミコンが登場する前の80年代前半、ゲーム専用機も発売されていたが、いずれの機種も大ヒ
ットするには至らず、家庭でゲームをするには、マイコンと呼ばれていた家庭用コンピューター(現
在のパソコン)に自分でゲームのプログラムを打ち込んで遊ぶという時代があった。市販のマイコン
用ゲームソフトもあったが、大きな市場を形成してはおらず、83年に登場したファミコンがゲーム
業界を花開かせたと言ってよい。
ゲーム会社の経営者やクリエイターの多くが、ファミコンというゲーム専用機での成功体験に魅了
された。数百万円程度の開発費で制作したゲームが、数千万あるいは億の売り上げになったという話
がざらにあったそうだ。マイコン用のゲーム開発からスタートしたソフトハウス(当時のゲーム開発
会社はこう呼ばれていた)は、マイコンゲームの開発を止め、ゲーム専用機のゲーム開発にシフトし
たところも多かった。
このように家庭用ゲームの市場はマイコンゲームからスタートし、ファミコンの爆発的ヒット以後
は、ゲーム専用機のゲームソフトが大きなシェアを占め、その流れは2000年代まで続いた。
ちなみに筆者もマイコンにプログラムを打ち込んで遊んだ経験がある。他人の作ったプログラムを
打ち込むだけでなく、自分でコンピューター言語の勉強をしてゲームを作るようになったのが、中学
生の時だ。その中学時代、私の人生に多大な影響を与えることになるコンピューターの天才である金
子君と出会った。機会があれば、いつかその話を書かせて頂きたいと思う。