なぜ勉強に差が付くのか?

なぜ勉強に差が付くのか?
~“読解力”という存在~
著:資格とっ太郎
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・電気は中学の理科で勉強したくらい。
・数学の知識も中学レベルにベクトルと複素数を足した程度。
・年齢も同じくらい。
・一日の勉強時間もほぼ同じ。
・勉強方法は独学。
このような同じ条件の人たちが、同じタイミングで電験3種の合格を目指
して勉強を開始したとします。
するとこの人達は、全員同じタイミングで電験 3 種に合格することになる
でしょうか?
いいえ、そうはなりません。
ある人は、半年くらいの勉強で難なく一発合格し、
ある人は、3年経っても合格できず、
というように、かならずそこには“差”が生まれます。
そして、その同じ条件の集団の中で、いち早く合格できた人は「頭のいい
人」
、いつまで経っても合格できない人は「要領の悪い人」などというレ
ッテルが貼られるのが一般的です。
それはさておき、同じ条件でスタートした人達の中で、なぜこのような“差”
が生まれてしまうのでしょうか?
もちろん、
「頭の良し悪し」
「理解力の有無」という一般論はあるのですが、
そのように極めて抽象的に説明されてしまうと、
じゃあ理解力の無い人(自信の無い人)はどうすればいいのか??
という具体的な解決策には結びつきません。
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このレポートでは、その「頭の良し悪し」とか「理解力の有無」とかいっ
た一般論をもう少し噛み砕いて、
勉強に差が付いてしまう原因を考えて、具体的にその差を埋めるための行
動指針を示していきたいと思います。
そしてそれは、このレポートのサブタイトルにもあるように「読解力」と
いう言葉に集約することができます。
読解力とはその名の通り、読み解く力、のことです。
勉強とは読解できるかどうかに全てがかかっている、といっても過言では
ありません。
なぜなら、勉強とは読解という作業そのものですから。
それでは本編で、その「読解力」というものを納得のいくまでひも解いて
いきたいと思います。
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次の文章を理解できるか?
「ドラえもんは22世紀からやってきたネコ型ロボットである」
およそ日本人として育ってきたなら、きっと理解できると思います。
では次の文章ならどうでしょうか?
「最外殻電子は原子の最も外側の電子殻にある電子である」
どうでしょうか?理解できましたか?
文章の構成は、先ほどのドラえもんの例と全く同じです。
つまり「○○は△△である」という、日本語の中でも最も簡単な形の文章
です。
おそらく、
「ドラえもん」の例文は容易に理解できたでしょうが、
「最外殻
電子」とやらの文章は理解できなかった、もしくは理解に苦しんだのでは
ないかと思います。
もし2つとも容易に理解できた方は、次の文章も読んでみてください。
「労働の値段は労働の再生産費である」
前の二つを容易に理解したとしても、これを理解するのはきっと難しいの
ではないかと思います。
さて、ではなぜ「○○は△△である」という同じ構成の文章であるにもか
かわらず、一方は容易に理解できて、もう一方は理解に苦しむのでしょう
か?
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答えは簡単です。
もうご想像いただけている事かと思いますが、
「前提知識の有無」です。
僕ら日本人であれば、おそらくほとんどの人は「ドラえもん」についてか
なりの知識を持っています。
どうしようもないできそこないの「のび太」を助けるために、未来の世界
からタイムマシンに乗って「ドラえもん」がのび太の元へやってきた・・・
などなど。
だからこの1文
「ドラえもんは22世紀からやってきたネコ型ロボットである」
は容易に理解できるのです。
もう少し具体的に言うと、「明確にイメージできる」ということです。
例えば、ドラえもんの姿形とか、未来の世界の様子とか、ドラえもんがタ
イムマシンに乗っている様子とか、のび太の机の中から飛び出してくる様
子とか、
そういった諸々の「イメージ」が一瞬のうちに頭の中に思い浮かびます。
だから容易に、この文章は「理解できる」の部類に自動的に入るのです。
ではもう一方の文章、
「最外殻電子は原子の最も外側の電子殻にある電子である」
この文章から、何か明確な「イメージ」が思い浮かぶでしょうか?
思い浮かぶならきっと「最外殻電子」について良く理解しているというこ
とになりますが、「ドラえもん」ほど容易に理解できた方は少ないと思い
ます。
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「日本語として簡単=簡単に理解できる」ではない
先ほどの例からも明らかなように、「日本語として簡単=簡単に理解でき
る」というわけではありません。
むしろ日本語として簡単に(=簡潔に)書かれている文章ほど、それを理
解するには苦労するものです。
そして、一般の「テキスト」というものは、その体裁を整える上でかなら
ずと言っていいほど日本語として「簡潔に」書かれています。
つまり、理解しにくいように書かれているのです。
なぜなら、そうしないと(簡潔にしないと)紙面に収まらないからです。
これが、独学で勉強する人にとっての大きな障害である、と言うことはも
う何度も僕はメッセージとして配信してきたので、ここでは繰り返しませ
んが、あえて一言で重要なメッセージを表すなら、
“試験対策テキストから理解できる事はほとんどない”
まずこの前提に立つこと、それが読解力を身につけるうえで重要な心構え
になります。
もちろん試験対策テキストに限らずとも、なにか新しい事を勉強しようと
して目の前に1冊のテキストや参考書があったとします。
しかし、そこに書かれている事の全てはきっと理解できない、と思ってそ
のテキスト(参考書)と向き合うこと。
その前提に立つからこそ、客観的に自分を見ることができるのです。
勉強に差をつけられてしまう人の多くは、「目の前のテキストで絶対に理
解してやる!」という、主観バリバリで客観的に自分を見ることができま
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せん。
「最外殻電子は原子の最も外側の電子殻にある電子である」
という文章で最外殻電子のことが理解できないにも関わらず、どうにかし
てこの文章で最外殻電子を理解しようとします。
ですがそれは不可能です。
この文章だけで最外殻電子を理解できるのは、
「原子の構造」
「原子核と陽
子と電子と中性子」などといった、“前提知識”がある人だけです。
それもないのに一生懸命何度も何度もこの文章だけを読んで最外殻電子
のことを理解しようとするのは、非常に愚かな行為です。
しかし、要領の良い人(勉強で差をつける方の人)は、
「まだ自分はこの文章を理解できるレベルにない」
「これを理解するために自分に足りていないものは何か?」
というふうに客観的に自分を見つめることができます。
すると、次にどういう行動を取るべきか?という思考に移ります。
例えば、
・もっとわかりやすく解説されたものを探す
・理解できない単語の意味を調べて掘り下げる
・誰か詳しい人に聞く
…といったように、前に進むための具体的で(合理的な)行動を選択でき
るようになります。
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重要なのは読解力そのものではなく、読解する“姿勢”
「読解力」というと、一種の特別な能力のように感じてしまうかもしれま
せんが、能力としての「読解力」を僕はそれほど重視していません。
もちろん、無いよりはあったほうがいいことは間違いないですが、そんな
ものは鍛えれば誰でも身に付くものです。
それよりもむしろ、“読解する姿勢”が重要です。
これが欠けていると、先ほども例に挙げたように“勉強が前に進みません”
勉強が前に進まない、と言うことはいつまで経っても合格できず、知識も
つかず、ただ時間だけを無駄にしてしまう、ということです。
そこから得られるものはありません。
強いて言うなら「苦労した」という経験だけでしょうか。
ホントに重要なのは読解力そのものよりも、むしろ読解する「姿勢」。
これが勉強に大きな差をつけるのです。
理解できない 500 ページより理解できる 2000 ページ
僕はよくこの言葉を用いて、勉強に対する姿勢の重要性を伝えています。
前回のレポート「勉強を継続させるための条件」の中でも、「身の丈に合
ったもので勉強することが大事」ということをお伝えしました。
そのことについては、みなさんある程度納得いただけたようなのですが、
しかし中には、
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「身の丈に合ったもので勉強することが大事なのはわかりました。でも、
それだととても時間がかかり過ぎてしまうのでは・・・」
みたいな不安を感じる人がいたことも事実です。
もうこのレポートをここまで読んできたあなたには、すぐにこの不安が間
違いであることに気が付くと思います。
確かに、目の前のテキストで理解できないから、もっとわかりやすく解説
されているものを・・・といったように身の丈に合うものを選んでいくと、
単純に量が増えたように見えます。
当たり前ですが、1冊のテキストよりも、1冊のテキストと数冊の参考書
のほうが、文章量は遥かに多いです。
これよりも、
こっちのほうが何倍も量が多い(=文章が多い)ことは間違いありません。
ですが1冊のままいつまでも理解できない無駄な時間を過ごすより、量は
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多いように見えるかもしれないが、少しずつでも前に進んだほうが遥かに
早く合格にたどり着ける、ということは紛れもない事実です。
最近の例でいうと、僕が行政書士試験の勉強をした時は、一般的に必要と
される参考書が、基本テキスト・判例集・問題集・受験六法の4冊程度で
あるのに対し、僕はその倍以上の参考書で勉強しました。
それは、一般的に必要とされている参考書だけでは「理解できなかった」
からです。
しかし、“倍の参考書で勉強したから、倍の時間がかかった”かというと
そうではありません。むしろ逆です。
一般的に必要とされる勉強時間よりも遥かに短い時間で合格にたどり着
きました。
(倍率にすると、大体4分の1くらいの時間になります。
)
僕は決して、人より理解力があるわけではありません。
しかし、僕は自分が理解力のない人間だということを、多分人よりも深く
理解しています。
だからこそ、理解するために取るべき行動が見えているのです。
僕が尊敬する哲学の始祖ソクラテスの“無知の知”という思想にもあるよ
うに、
「真の知への探求は、まず自分が無知であることを知ることから始まる」
のです。
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おわりに
繰り返しますが、勉強を進めるうえで重要なのは「頭の良し悪し」とか「理
解力の有無」ではありません。
重要なのは「読解力」であり、さらに言うなら「読解する“姿勢”
」にあ
ります。
この読解する姿勢が正しく整えられているのなら、少なくとも、
「テキストを読んでも内容が理解できません。もうお手上げです。」
みたいな状態にはなりえません。
なぜなら、そのテキストが(自分にとって)理解できないなら、他の参考
書を探したり、誰かに聞いたり、ネットで調べたり、などの具体的な行動
を取ることができるようになるからです。
というか、そのような行動が取れること=正しい読解の姿勢、なのです。
理解できないものを暗記によって理解した“つもり”にするのではなく、
確実に自分のレベルを上げるために一歩ずつ知識を吸収して(読解して)、
“本物の知識”として自分の頭の中で昇華させる(高めていく)。
そうして得られた本物の知識こそが、真に役に立つものであり、自分のス
テージを上げてくれるものであり、自分の人生をより豊かにしてくれるも
のなのです。
それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました!
―資格とっ太郎―
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