印度學佛 教學研究 第40巻第2號 李成4年3月 「如来 蔵 の麗 飾: 註解 」 に つ いて 伏 1 見 英 俊 問 題 の所 在 ア ジア 大 陸 の 中 で も, と りわ け 山 岳 地 帯 に展 開 され た チ ベ ッ ト文 化 圏 に対 して は, イ ン ド ・中 国 を は じめ とす る近 隣 諸 国 か ら, 数 多 の 仏 教 思 想 が 伝 え られ た こ とが 知 られ て い る。 そ れ に対 して, チ ベ ッ トで は, か か る仏 教 思 想 の 流 入 に対 し て, 独 自 の教 相 判 釈 が 試 み られ, そ の結 果 は幾 つ か の論 争 と して 今 日に伝 え られ てい る。 中で も, 如 来 蔵 壱 め ぐる論 争 と して は, チ ョナ ン派 との 対 論 が 殊 に有 名 で あ るが1), これ ら の論 争 を 通 じて, 如 来 蔵 思 想 及 び そ の関 連 思 想 の有 す る種 々 の 問題 点 が浮 き彫 りに され た とい う こ とは, 取 りも直 さず, こ の種 の論 争 の重 要 性 を物 語 つて い る もの と考 え られ る。 しか も, チ ベ ヅ トに於 け る仏 教 思 想 の伝 承 並 び に, そ の取 捨 選 択 の経 緯 壱 辿 る こ とに よ つて, 我 々 は多 くの有 益 な情 報 壱 入 手す る こ とが で きる の で あ る。 今 回, こ こに取 り上 げ た ダ ツ ェパ (以下G) の 『如 来蔵 の 麗飾: 註 解 』2)(以下YG) 『如 来 蔵 の麗 飾 』3)(以下DSG) で, 本稿 で は, B-Gの とい うテ キ ス トにつ い て は, プ トソ (以下B) の に 対 す る註 釈 書 で あ る こ とが知 られ て い る。 そ こ 系譜 に於 け る仏 教 思 想 の伝 承 とい う観 点か ら, Gの 如 来 蔵 理 解 につ い て の論 究 壱 試 み る もの で あ る。 H YG著 作の動機 シ ャル 寺 に於 け るBの 後 継 者 と 目 され るGは, YGに 於 い て, Bの 主張 を 継 承 しな が ら, 自 らの如 来 蔵 理 解 壱 展 開 して い る もの と考 え られ る。 そ こで, まず, 以 下 で はYG著 の 中で, DSGの 作 の動 機 につ い て 検 討 して 行 くこ と に した い。Gは い る4)。また, YGの 為 にYG壱 DSGの 『プ トソ伝 』 著 作 目的 が 善 逝 蔵 の未 了 義 性 を 教 示 す る こ とに あ った と伝 え て 中で は, 一 切 法 が 勝 義 に於 い て 無 自性 な る こ と壱 示 さ ん が 著 作 す る と述 べ5), さ ら に, 善 逝 蔵 の了 義 ・未 了 義 を 決 択す る 論 た る 真 意 壱 解 明す べ きで あ る と主 張 して い る6)。以 上 の こ とか ら, Gは 一 切 法 無 自性 とい う立 場 に依 りなが ら, 善 逝 蔵 の未 了 義 性 壱 説 くDSGの す る為 に, YG壱 著 作 して い る こ とが 看 取 され る。 しか も, YGの -887- 真意壱解明 中 で は, トゥ 『如来 蔵の麗飾: 註解』について (伏 ル プパ(以 下D)の 『了義 の大 海 』7)(以下RNG)壱 Gに 対 す る註 解 とい う よ りはむ しろ, DSGの (201) 引 用 して 議論 が 成 され, DS 所 説 壱 継 承 しな が ら も, 独 自の 立 場 か ら立 論 してい る もの と考 え られ る。 また, YGの DSGの 見) 記 述 壱 見 る限 り, G自 身, 論 調 に対 し て必 ず し も満 足 で き る も ので はな か つた, とい う印 象 壱 払拭 し きれ な い よう に も思 わ れ る。 い ず れ にせ よ, こ の こ とは, Gの 哲 学 的 立 場 壱 も 併 せ て 勘 案 して 行 く必 要 が あ ろ う。 そ こで, 以 下 で は, 1) DSGの 主 張 を 継 承す る 部 分 2) DSGの 主 張 とは異 な る 部 分 とい う二 つ の 側面 か ら, YGに 皿 於 け るGの 哲 学 的 立 場 壱 検 討 して 行 く もの とす る。 Gの 哲 学的 立 場 (1) こ こで は, DSGの 主 張 を 継 承 す る部 分 の中 で も, 特 に 「密 意 説 に 対す る教 判 」 と 「他法 空 に 対す る教 判 」 につ い て8), YGの 議 論 の概 要 と そ の思 想 史 的 意 義 と 壱 考 察 して行 く こ とに した い。 まず,「 密 意説 に 対す る教 判 」 につ い て, YGは, DSGの 所 説 に依 りな が ら,『 宝 性論 』 の 如 来 蔵 説 は, 密 意 の 教説 で あ る か ら, 未 了 義 の教 え で あ る と主 張 す る9)。さ らに,「 他法 空 に 対す る教 判 」 につ い て も, 他 法 空 を 勝 義 の空 性 理 解 とす る学 説 壱 未 了 義 の もの と判 定 して い る10)。この 二 つ の教 判 に 関す る限 り, YGは そ の大 筋 に於 い て, DSGの とが わ か る。 これ は, YG著 作 目的 の一 つ が, DSGの 所 説 壱 継 承 して い る こ 学説 壱 敷待 す る こ とに あ つた こ と壱 裏 付 け る と同 時 に, Gの 哲 学 的 立 場 もBの そ れ と同Pじ系統 で あ つた こ と壱 物 語 って い る も の と考 え られ る。 た だ し, そ の論 拠 とす る もの, 論 証 方 法 及 び 対 論 の論 調 につ い て は, 両 者 の 間 に微 妙 な 齪 齢 が見 受 け られ る の で あ る。 IV Gの 哲 学 的 立 場 (2) そ こで, 次 にDSGの 主 張 とは 異 な る 部 分 につ い て考 察 して行 く こ と に し た い。 こ こで 言 う 「異 な る 」 とは, DSGに 対 す る付 加 的 な記 述 壱 も含 め て, DS Gの 所 説 との差 異 が認 め られ る もの 壱 意味 す る もの とす る。 まず 第一 に, 了 義 ・未 了義 壱 め ぐる両 者 の差 異 が 挙 げ ら れ る。DSGで Ratnakarasanti は, の 所 説 に依 りな が ら, 了 義 ・未 了 義 に対 す る厳 密 な 概 念 規 定 壱 行 な って い る11)。そ れ に対 し て, YGで は, DSGの よ うな 詳 細 な 議論 は 見 られ ず,『 入 菩 提 行論 』 や 『無 尽 意 菩薩 経 』 壱 引 用 して, 了 義 ・未 了 義 の カ テ ゴ リ ー -886- (202)『 如来 蔵の麗 飾3註 解 』についで (伏 見) に 触れ てい る に過 ぎ ない ので あ る12)。 次 に, DSGで は採 用 され る こ との な か つた 対論 形 式 が 挙 げ られ る。YGで は, 一 種 め論 証式 壱 用 い て, 対 論 者 との議 論 が 展 開 され てい る13)。こ の こ とは, 一 見 項 末 に 思 え るYGの 記述 に も, 実 はG流 の対 論 形 式 (論証式, 教証, 理証) が 存 在 す る こ と壱示 して い る もの と思 わ れ る。 また, 未 了 義 の教 説 に対 す る判 定 基 準 と 考 え られ る三 つ の term (dgons gshi, dgos pa, dnos la gnod byed) に関 連 して, サ パ ンの 『三 律 儀 細別 』 を 援 用 してい る14)点は注 目 に値 す る ので あ る。 さ ら に, Y Gの 論 点 をDSGの それ と比較 して行 くと, YGで は, 如 来 蔵 説 に対 す る問 題 提 起 とい うよ りは, 対 論 者 の空 思 想 の表 現 形 式 並 び に論 証 の形 式 に対 して の反論 と い つた 色彩 が 濃 い こ と15)が理 解 され る の で あ る。 V 結 語 以 上, YGの G, YGと 所 説 を 中心 と して, Gめ 説 示 内容 壱 検 討 して きた。RNG, い う三 つ の テ キ ス トに於 い て は, RNGが DS 自 らめ立 場 を 「大 中観 」 と 称 しつ つ 「他 空 」 壱 勝 義 の 空 性 理 解 とす る の に対 して16), 他 の 二つ は 「自空 」 を 勝 義 の 空 性 理 解 と主 張 して い る。 この こ とは既 に イ ン ド源 泉 資 料 中 に存 在 し てい た 諸 問 題 が 再 び14世 紀 の チ ベ ッ トに 於 い て, 種 々の 要素 壱 加 味 しな が ら, 批 判 的 に取 り上 げ られ る に至 つた もの と考 え られ, そ の思 想 史 的 意 義 が注 目され る。 そ こで, 今 回 は, RNG, DSG, YGと ず る た め の 基 礎 的 作 業 と して, YGの 1) DSGの 主 張 壱 継 承す る 部 分 2) DSGの 主 張 とは異 な る部 分 い う三 者 三 様 の如 来 蔵 理 解 を 体 系 的 に論 説 示 内容 を とい う二 つ の 側面 か ら, Gの 哲 学 的 立場 につ い て考 察 して きた。YGの そ の 大 筋 にお い て, DSGの 主 張 は, 主 張 を 継 承 す る もの で あ る が, 細 部 (特 に, YGの 拠 とす るもの, 論証 の形式) に つ い て は, 必 ず し も, DSGの で はな い。 か か る 意 味 に 於 い て, Gは, 論 所 説 と一 致 す る も の Bと は少 し く異 な つた 立 場 か ら, 如 来 蔵 理 解 を 提 示 して い る も の と言 え よ う。 しか も, YGに 於 い て は, 如 来 蔵 説 に対 す る 反 駁 とい うよ りは む しろ, Dの 空思 想 の表 現 形 式 並 び に論 証 形 式 に対 す る議 論 壱 中 核 と して い る の で あ る。 さ らに, YGの 思 想 的 解 明 とい う点 で はYGに 於け る 対 論 形 式 (論証式, 教証, 理証) を 加 味 し て, 究 明 しな け れ ば な らな い こ とが 判 明 した。 た だ し, 如 来 蔵 の 果 的 な 側面 壱 主張 す る とされ るBの 如 来 蔵 観17)と如 来 蔵 の三 義 を め ぐる 思 想 史 的 意 致 義に つ い て, あ る い は, パ ドマ カ ル ポや トゥカ ソ18) -885- 『如来 蔵の麗飾: 註解』 について (伏 見) (203) 等 の 伝 え る歴 史 的 な 記述 に よ って は, 解 明 し尽 され ない 点 につ い て は今 後 の課 題 と して お きた い。 1) 山 口瑞 鳳 「チ ョナ ソバ の如 来 蔵 説 と そ の批 判説 」,『仏 教 教 理 の研 究 』, 1982年; 袴 谷 憲 昭 「チ ョナ ソ派 の 如 来 蔵 思 想 」,『岩 波 講 座 東 洋 思 想11』, 1989年 参 照。 2) 東 北No. 5240 3) 東 北No. 5182; 同 テ キ ス トに対 す る訳 註 研 究 とし て, D.S. tathagatagarbha 4) 東 北No. du Bu ston rin then grub, EFEO Ruegg, 88, Paris, Le Trait6 du 1973 5207, 34b3-5; 拙 稿 「如 来 蔵 に対 す る プ トン と ダ ツ ェパ の立 場」,『印度 学 宗 教 学 会: 論 集』, Vol. 17, 1990年 参 照。 5) 6) 7) YG, 2b2-3 YG, 3a7-3b1 CLCC No. 3306 8) 拙稿 「『如 来 蔵 の 麗 飾 』 を め ぐ る 諸 問 題 」, 印 仏 研Vol. 9) YG, 28b5-29a1; 10) YG, 52a3-7; 11) DSG, 12) 13) 14) 15) 16) YG, 15b4-1 YG, 4b2-6 YG, 47a5-47b2 YG, 53b1 M. Broido, The Jo-nang-Pas 14-1, 注4)の 11b3-4; 1989参 17) 下 田正 弘 18) D.S. <キ 注4)の 39-1, 1990年 参 照。 拙 稿 参 照。 拙 稿 参 照。 注8)の 拙 稿 参 照。 on Madhyamaka: A Sketch, Tibet Journal Vol. 照。 「プ ト ゥ ソ の 如 来 蔵 解 釈 」,『 チ ベ ッ トの 仏 教 と 社 会 』, 1986年 Ruegg, ー ワ ー ド> The Jo 如 来 蔵, nah pa, プ ト ソ, JAOS Vol. 83, 1963参 参 照。 照。 ダ ツ ェパ (東 北 大 学 大 学 院) -884-
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