Page 1 Page 2 学位記番号 論文博第345号 学位授与の日付 平 成 ー0

KURENAI : Kyoto University Research Information Repository
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URL
異形のテクスト - 英国romantic novel研究( Abstract_要旨 )
横山, 茂雄
Kyoto University (京都大学)
1998-05-25
http://hdl.handle.net/2433/182217
Right
Type
Textversion
Thesis or Dissertation
none
Kyoto University
氏
/
名
よこ
やま
しげ
お
横
山
茂
雄
(
文
学)
学 位 (専 攻 分 野 )
博
士
学 位 記 番 号
論 文 博 第 345 号
学 位 授 与 の 日付
平 成 1
0 年 11月 24 日
学位授 与 の要件
学 位 規 則 第 4条 第 2項 該 当
学 位 論 文 題 目
異 形 の テ クス ト- 英国r
oma
nt
i
cnove
l
研究 -
論 文 調 査 委 員
助教授 佐 々 木
徹
教 授 喜 志 哲 雄
論
内
容
(
主査)
文
の
要
助教授 若 島
正
旨
l
l
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am Godwi
nの Ca
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bWl
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mams (
1
7
94) 及 び St
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Le
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799), Ma
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81
8),
本論文 は, Wi
JamesHoggの ThePr
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8
47),Cha
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1
1
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e(1853) とい う1
8世紀末期 か ら1
9世紀 中葉 にか けて刊行 され た 6篇 の作 品 を,r
omant
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c
no
ve
lとい う観 点か ら論 じた ものである。
8世紀 中期 以降,英 国で起 こったr
omanc
e,no
ve
l
,Go
t
hi
cno
ve
l
をめ ぐる議論 の歴史 を辿 りつつ ,r
omant
i
c
第 1章では,1
の定義 をお こなった。
no
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po
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eの TheCa
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o(
1
7
6
4
) は, Got
hi
cno
ve
lとい うジャンル の誕生 を告 げた作 品で あ るが,単 に
8世紀後半以降の英 国のno
ve
l
の発展全体 に とって も大 きな意 味 を有 していた。 その第二版序文 (
1
765)
それ ばか りでな く,1
に明 らかな よ うに, T
heCas
t
l
eo
fOt
r
ant
oはきわめて意識 的 な試 み で あ り,Wal
po
l
eが 目論 んだのは, `
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ve
l
が 日常生活 に密着す るあま り想像力 を失 ってい る と
r
omanc
e,t
heanc
i
e
ntandmode
r
n'の融合 で あった。 同時代 のno
考 えたWa
l
po
l
eは,往 古 のr
omanc
eにお ける超 自然性 は保持 しつつ,そのなかに現実 に即 した 自然 な振舞 を行 う登場人物 た
ち を投 入 す る こ とで , 新 た な種 類 の物 語 形 式 を創 造 しよ うと した の で あ る。 そ れ は , 超 自然 性 の 導 入 に よ っ て ,
no
ve
l
を革新 しよ うとす る実験 であった ともい える。
こ うしたWa
l
po
l
eの試 み の背景 には, 1
8世紀 中期 にお けるr
omanc
eとno
ve
l
をめ ぐる議論 が存在 してい る。 散文物語 の形
ve
l
が勢 い を増 しつつ あった この時期 ,r
omanc
eはそれ とは対照 的 に非現実的て荒唐 無稽 な もの として排撃 され
式 としてno
lJo
hns
o
nは, r
omanc
eの過 剰 な想 像 力 を弾劾 す るの で あ る。 しか し, そ の い っ ぽ うで , Jo
hn
た。 た とえ ば, Samue
omanc
eにお ける超 自然 的要素 を擁護 し,それ と較べ る と,新 しく生 まれ たno
ve
l
は狭 い範 囲の
Hawke
swo
r
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hの よ うに,r
heCas
t
l
eo
fOt
r
ant
oとい う作 品は,作者 の意 図が実現 され たか
現実 に囚われ てい るのだ とい う声 を上 げ る人 々 もいたo T
ど うかは措 くとして も, この よ うな議論 の 中か ら出現 したのである。
しか し,超 自然性 の導入 の是非 については,Wa
l
po
l
eの模倣 を試 みた初期 の作家た ちの間で も既 に意見が分 かれ ていた。
TheCas
t
l
eo
fOt
r
ant
oにお ける超 自然 的要素 は, `
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and' (
1
7
7
3) を執筆 したA
l ki
n姉弟 に よって称揚 され たが,他
方,T
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o
n(
1
7
7
7
)の作者 Cl
ar
aRe
e
veは,それ を過剰 で蓋然性 の法則 か ら逸脱す るもの とみ な したので
ある。 Re
e
veが物語作者 た るもの蓋然性 の法則 を遵守すべ きで ある とい うHe
nr
yFl
e
l
di
ngの見解 を踏 ま えてい るのは明 らか
で,換言すれ ば ,r
omanc
eとno
ve
l
の融合 を 目指 した はず のGo
t
hi
cno
ve
l
にあって も,基本 的 にはno
ve
l
の規範 を守 って,
r
omanc
eの要素 の導入 は極力抑 えるべ きだ とい うのが彼 女 の主張で あった。 Go
t
hi
cno
ve
lとい うジャンル はや がて隆盛 を極
めることにな るが, この よ うなWa
l
po
l
eの本来 の狙 い とは対 立す るRee
veの見解 が与 えた大 きな影響 は,AnnRadc
l
i
f
f
eの作
品に看取す ることができ よ う。
Radc
l
i
f
f
r
eがGo
t
hi
cno
ve
l
の作家 の なかで も と りわ け人気 を博 した理 由のひ とつ は,疑 い な く,彼 女 が `
t
hee
xpl
ai
ned
- 11
35-
s
upe
r
nat
ur
al
'の技法 を用いたことにあった。r
omanc
eを謳 う彼女の作品には,確かに幽霊な ど超 自然的存在が登場す るが,
しか しなが ら,物語の最後 に至って,すべてに合理的な説明が与 えられ るのである。批評家たちの多 くは,蓋然性の法則,
理性の勝利 を保証す るもの,no
ve
l
の規範 を遵守す るもの として, この手法 を歓迎 したのである。
no
ve
l
にお ける超 自然件の導入の是非 をめ ぐる議論 とは,つまるところ,散文形式 の物語 における理性 と想像力, リア リ
ズム と非 リア リズムをめ ぐる議論であった。 ThePr
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r
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fRama
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e(
1
7
85
)で,Cl
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veがno
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eを `
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o'を描 く
r
eall
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r
s' とい う定義 を与 え,いっぽ うでr
ve
lとは理性 の支配す る現実に即 した世界であ り,r
omanc
eあるいはGo
t
hi
cno
ve
lとは想像力が支
もの と想定す るとき,no
配す る現実離れ した世界であるとい う対立項が意識 されている。
Wal
po
l
eは奇跡や亡霊な どの超 自然的要素を散文物語のなかに回復せん と願 ったわけだが, しか し,その企ては彼 が想像
api
c
t
ur
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all
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f
eandmanne
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s'たるno
ve
l
の規範 を逸脱す る要素
した以上 に大きな可能性 を孝 んでいた。すなわち, `
の導入 を通 して,従来のno
ve
l
では描 くことのできなかったテーマを追求 しよ うとす る野心的な実験が,やがて一部の作家
たちによって試み られ るよ うになったのである。1
81
0
年代 に,Wa
l
t
e
rSc
o
t
t
は, この よ うな試みを指 してr
omant
i
cno
ve
l
あ
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cf
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nと呼んでい る。 Sc
o
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t
は, これ らの作品は `
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nsandc
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h t'を切 り拓 き,そ
るいはr
れ までには不可能であったかたちで `
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hepo
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ngso
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hehumanmi
nd'を描 き出そ うとす るものだ と論 じ
た。
以上の よ うなr
omanc
e,no
ve
l
,Go
t
hi
cno
ve
l
をめ ぐる議論の歴史を踏まえ,本論 では,no
ve
l
にr
omanc
eを融合 させ るこ
ve
l
の領域 を拡大 し,その さらな る可能性 を探 求 しよ うとした試 み を, Sc
o
t
tの言葉 を借 りて ,r
o
mant
i
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とに よって, no
no
ve
lと定義す る。
第 2章は,r
o
mant
i
cno
ve
l
の最 も初期 に属す る作品である Ca
l
e
bWi
mams(
1
7
9
4)及びSt
.
Le
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n(
1
7
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9) を扱 う。Wi
l
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bWmi
amsは,Radc
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eの TheMys
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phoと同年 に刊行 されてお り, したがって, この作品は
Godwi
nの Ca
Go
t
hi
cno
ve
l
のいわば最盛期 に登場 した といえよ うo `
api
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eandmanne
r
s' とい う尺度 をもってすれば,
Ca
l
e
bWi
l
l
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amsはRadc
l
i
f
eの作品に較べてno
ve
l
の規範 に適合 しているわけたが,いっぽ うで,Go
dwl
nはno
ve
l
とい う形式
の可能性 を探求 しよ うとす ることにおいて遥かに意識的であった。迫害 され る被支配階級の若者 を主人公 に据 えた物語 を書
くことでGo
dwi
nが第-に 目指 したのは,Po
l
i
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l
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C
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t
i
c
eにおいて表明 した 自己の政治思想 を,no
ve
l
のかたちを借 りて広
範 な読者層 に伝 えよ うとす ることであった。no
ve
l
を思想宣布 の道具 として利用 した点において, Ca
l
e
bWl
'
mamsは明 らか
に先駆的な位置 を占めている。
しか し, さらに重要なのは, この作品において,Go
dwi
nが,支配,被支配の関係 に潜む人間心理の深淵,そ して,知識
l
e
bWi
l
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amsはno
ve
l
の領域 を見事
-の欲望の孝む暗い側面 とい うテーマを描 くのに成功 した ことてある。 この点で も, Ca
に拡張 してみせたのてある。
.
Le
o
nに他な らないo
こういったテーマをさらに大規模 なかたちで探求すべ く構想 されたのが,練金術師を主人公 とす るSt
dwi
nは超 自然的要素を大胆に導入 し,それ に合理的説明を与 えない。 その
そ して,テーマの要請す るところに従 って,Go
結果 , Ca
l
e
bWmi
amsとは異な り,St
.
Le
o
nはno
ve
I
の規範 を大 きく逸脱す ることになっているが, しか し,両者 は,no
ve
l
の可能性 を拡大,追及 しよ うとす る努力 においては共通 してい るのである。 St
.
Le
o
nの最 も野心的な点は,主人公 St
.
Le
o
n
を,虚偽の知識 に魅入 られて破滅す る存在 として描 きつつ も,同時に,人間精神 の崇高 さを示す存在 として提出 しよ うとし
たことであるo そ して, この試みのゆえに,テ クス トは分裂 したかたちで我 々の前 に曝 され ることになる。す なわち, St
.
Le
o
nは,誤 った知識 のもつ危険性 に警鐘 を発す る教訓講 と,知の崇高なる探求 を描 く物語の間を揺れ動 き,いずれか に統
合 され ることはないのである。
第 3章は,Godwi
nの娘Mar
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l
l
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yが,Fr
anke
nst
e
i
n(
1
81
8)において,知識 の有す る両義性,そ して,知識の探 求に
悪かれた人物の辿 る崇高に して悲 惨な運命 とい うテーマを如何 に引き続いでいったかを明 らかにす る.
.
Leo
nの及 ぼ した影響 にほ とん ど注 目していないが,知識 の探求 をめ ぐる物語 とい う観
従来のFranke
nst
e
i
nの論者 はSt
点か ら眺めるとき,両者 の類似 は否定すべ くもない。Mar
yShel
l
e
yの作品において も, こ ういったテーマは,no
ve
l
の規範
を破 って, `
whathasne
ve
rhappe
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i
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o'を措 くことを要求 している - 主人公Fr
anke
ns
t
ei
nは, ここで は
Leo
nと同 じよ うに,Fr
ankens
t
e
i
nもまた崇高に して悲惨
練金術ではな く生命 の創造 に取 り源かれ るのである。そ して,St.
- 11
36-
な存在 として描 き出 され るのだが,そのためにテ クス トは暖味で重層 的な もの となってい く。 Fr
anke
ns
t
e
i
nの創 り出 した
ものが異形の怪物 であったのは,その意味で象徴的であった といえよ う。
Mar
yShc
l
l
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t
e
i
nを発表 した 1
81
8年 とは, `
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i
f
eandmanne
r
s' とい うno
ve
l
の規範 が決定
t
hi
cno
ve
lとい うジ ャンル が ほぼ終鳶 を迎 えるい っぽ うで, た とえば, Jane
的 な もの とな りつつ あ る時期 であった。 Go
i
deandPr
e
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e(
1
81
3
)や Emma (
1
81
6
) とい った リア リズムに則 りr
omanc
eの要素 を徹底 的 に排 除 した
Aus
t
e
nの Pr
no
ve
l
の傑作が既 に出現 していたのである。 とはい え, これ はr
omant
i
cno
ve
l
の消散 を意味 してい るわけではない。no
ve
l
の
固定 した規範 に抵抗 しよ うとす る作品は依然 として存在 した。そのなかで も,過激 な実験性 において突出 してい るのが,第
4章で論 じるJame
sHoggの ThePT
i
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eMe
mo
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r
sandCo
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s
s
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nso
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nne
r(
1
8
2
4
)である。
ThePT
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sa
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s
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nso
faJus
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l
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e
dSi
nne
rは,Ro
be
r
tとい う狂信者 の手記,及 び,その 「
編者」の叙
述 とい うふたっの語 りか ら成 り立ってい るが,両者 は互いに矛盾 しあい,読者 は首尾一貫 した事件像 , 「
事実」には決 して
be
r
t
に よれ ば悪魔, 「
編者」によれ ばRo
be
r
t
の妄想 の産物 とされ るGi
1
Mar
t
i
nの正体 もまた,唆味 なまま
辿 り着 けない。 Ro
宙 吊 りにされ,作品全体は超 自然譜 と狂信 の心理 を挟 る物語の間に分裂 してい る。 こ ういったテ クス トの分裂 した形態 は,
分身 とい うテ ー マ と照応 して い るわ けだ が, Ro
be
r
tとGi
l
Mar
t
i
nとの 明 白な分身 関係 の背後 には, さ らにRo
be
r
tの兄
Ge
o
r
geが絡む三者 間の複雑 な分身 の構 図が潜 んでい る。 それ ばか りか,Ro
be
r
t
が二者 に分裂 してい るのか三者 に分裂 して
い るのかを決す る手掛か りも存在 しない。no
ve
l
の規範 を根底 か ら覆 して しま うよ うな決定的解釈 の不能性 こそHo
ggの作品
の本質 を成す ものであ り,その異形 のテ クス トは,我 々に今 なお衝撃 を与 えてや まない。
Emi
l
yBr
o
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芭とその姉 Char
l
o
t
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eBr
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6が処女作 を出版 した 1
8
40
年代後半には,no
ve
l
が劇や詩 を押 しのけて主た る文学
形式 となった とい う認識が英国においてほぼ立 され ていたが, こ ういった時期 にあって も,彼女たちは リア リズムに則 る本
ve
l
に抵抗 を試みていた。第 5章及び第 6章は,それぞれ, Emi
l
yBr
o
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6の Wut
he
r
i
ngHe
i
ght
s(
1
8
47
), Char
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e
流のno
Br
o
nt
6の Ⅵ1
1
et
t
e(
1
8
5
3
)を論ず る。
Wut
he
r
i
ngHe
i
ght
sにおいて,我 々は,no
ve
l
の規範か ら逸脱す る 「
夢 の物語」が 「自然 な物語」のなかに導入 されてい る
he
r
i
r
唱 He
i
g
ht
sを リア リズムに則 ったno
ve
l
のを見出す ことができる。一部 の論者 の よ うに, 「
夢 の物語」を無視 して,Wut
と断定す ることは,その本質 を見誤 るものであろ う。 それ は,ま さに非 リア リズムの語 り, 「
夢の物語」を利用す ることで,
複雑な主題 を展 開 させ ,no
ve
l
の領域 を広 げ ることに成功 してい る。 Wut
he
r
i
ngHe
i
ght
昌のテ クス トも内部 に幾多の矛盾 を
辛み,覆い難 い亀裂が生 じてい るが,ただ し,その分裂のあ りかたは ThePr
i
v
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eMe
mo
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sandCo
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s
s
i
o
no
faJus
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i
f
l
'
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Si
nne
rのふたっ の叙述 の場合 とは異 なってい る。 「
夢 の物語」と 「自然 な物語」が対立 して敵齢 をきたす のではない - 主
he
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r
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neとHe
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l
i
f
f
が苛 まれ る分裂 した欲望か ら, 「
夢 の物語」の孝 む矛盾 も 「自然 な物語」の孝む矛盾 も共 に生
人公 のCa
しているのであって,我 々は両者 を重ね合 わす ことができるのである。
l
yとは異 な り, Char
l
o
t
t
eBr
o
n臓 ま,その作家活動 の最後 に示 るまで,同
僅か一作 の長編 を遺 して この世 を去 った妹 Eml
時代のno
ve
l
の定義 と格 闘せ ざるをえなかった。 Char
l
o
t
t
eはJa
neEyT
e(
1
8
47
) において非 リア リズム的要素 を リア リズム
の語 りのなかに大 きな破綻 な く取 り込む ことに成功 したのたが,同時 に,Ja
neEJ
Teがno
ve
l
の規範 か ら逸脱 してい ること
を他か ら指摘 され,また, 自らも意識せ ざるをえなかったのである。想像力の支配す るr
omanc
eの世界 を導入 しよ うとす る
欲望 とそれ を排 除 しよ うとす る欲望の分裂 は,結局,彼女の生涯 の最後 に Ⅵl
l
et
l
eとい う作品を産み出す ことになる0
'
1
1
et
t
eの主人公 Luc
yとはChar
l
o
t
t
eの 自画像 に他 な らず, しか も, この葛藤 はテ クス トの
想像力 と理性 の葛藤 に苦 しむ Vl
'
1
1
e
l
t
eとい う作 品にあっては,非 リア リズムの語 りが リア リズムの語 りを しば し
形態そのものにも影響 を及 ぼ している。 Vl
ば侵食す るが,両者 は融合す ることなく,帝離 したままであ り,no
ve
lとr
omanc
eの間に分裂 した異形 のテ クス トを現 出せ
'
1
1
et
t
eは,r
omant
i
cno
ve
l
のひ とつ の極
しめている。 その異形性 こそ作品の核心 を成 しているのであって,その意味で, Vl
限を示す もの といえよ う。
以上 に見てきた よ うに英 国 のr
o
mant
i
cnovel
は,no
vl
e
した異形のテ クス ト群 を産み 出したの であ
る
の
領
域
を拡張 あるいは逸脱 しよ うとしたその試 みのゆえに,分裂
。
-
1 1
37
-
論
文
審
査
の
結
果
の
要
旨
1
8世紀英国の文壇ではノヴェル とロマ ンスの対立をめ ぐる議論 が盛んに行 われた。 ノヴェル,す なわち,近代小説 は中世
の ロマ ンスに対抗す るもの として発生 した。 その基本的な姿勢 は異国趣味や超 自然的な要素 を排 し, 日常性 ・蓋然性 を重視
す る リア リズムを導入 しよ うとす るものであった。 世紀 半ばに リチ ャー ドソンが 『クラ リッサ』を, フィールデ ィングが
『トム ・ジ ョー ンズ』を発表 した ことで,散文物語 の形式 として ノヴェル が大 きな力 を持 ち始 めるが, この流れ に抵抗 して
1
7
64年 ウオル ポール は 『オ トラン トの城』を世 に問 うた。 これがいわゆるゴシ ック小説 の噂矢 であ り,明 らかにこの作品は
現実社会 の風俗 を忠実 に写すだけのノヴェル に対す る不満 か ら生 じた ものであった。 ノヴェル とロマ ンスの対立は,換言す
れ は,理性 と想像力 との対立で もあったのだが,前者 に於 いては想像力が十分 に発揮できない と考 えた ウオル ポール は,人
物 の行動 には蓋然性 を持たせつつ,物語 中の出来事 に超 自然性 を与 えることによ り, ノヴェル とロマ ンスの融合 を試みたの
である。 この 『オ トラン ト』以後,想像力 を文学の核心に据 えた ロマ ン主義時代,す なわち1
8世紀後半か ら1
9世紀前半にか
けて, ノヴェル の領域 を拡張 し,その規範 か ら逸脱 しよ うとす る小説 がい くつか発表 され ることになる。それ らを横 山氏は
r
omant
i
cno
ve
lと呼び,本論 に於いて 『ケイ レブ ・ウィ リアムズ』か ら 『ヴィ レッ ト』までの一連 の小説 を取 り上 げて考察
す る。 これ らの小説 はその野心的な試 みの故 に結果 として統一感 を欠 き,暖昧性 を孝 む ことにな るのだが,氏 は これ らの
「
異形」のテ クス トを,安易 な一般論 に還元す ることな しに,丹念 に,且つ鋭利 に分析 して興味深い成果 をあげている。
急進的思想家 として名 高い ゴ ドウインの小説 『ケイ レブ ・ウィ リアムズ』 (
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94年) では, ウィ リアムズは 自分の主人で
ある治安判事のフォー クナ-が実は殺人犯である, とい う事実 を知 る。主人公 が この知識 を得 た ことによ り支配者 と被支醍
者 の力関係 が逆転す るが, この時基本的には善意の人物 であるウィ リアムズが知識 ,す なわち,力 を獲得す るにあたって微
妙 な快楽 を得 る と示唆す ることで, ゴ ドウインは知識-の渇望 に見 られ る暗い側面 を描 こ うとした と横 山氏は述べ,同 じ意
図が超 自然の要素 を取 り入れた次作の 『サ ン ・レオ ン』 (
1
7
99年) に於いて継承,発展 されてい る とす る。確 かに,いかな
る犠牲 もい とわず錬金 の秘法 を追求 し続 ける主人公 の究極 の 目標 は世俗的な富ではな く,魔術 によって与 え られ る超人的な
力その ものであ り,彼 の破滅 を通 じて ゴ ドウインは知 と力 に伴 う危険を訴 えてい る。論者 は さらに続 けて, この小説が主人
公 を否定的に描 き出す と同時に,知の探求 を続 けてや まない人間精神 の崇高性 を称揚す る二つの方 向に分裂 してい る, とし
た上で, これが彼 の娘 であるメア リ ・シェ リーの 『フランケ ンシュタイ ン』 (
1
81
8年) に大 きな影響 を与 えた ことを示す。
つま り,主人公 フランケ ンシュタイ ン博士が生命 の創造 に取 り懸かれてい るのは,騎士サ ン ・レオ ンの錬金術 に対す る妄執
と軌 を一 にす るものであ り, この小説 に於いて も知識 の探求の持つ危険 と崇高性 が同時に描 き出 されているのである。 これ
まであま り論 じられ ることのなかった 『サ ン ・レオ ン』をは さんで,横 山氏は 『ケイ レブ ・ウィ リアムズ』と 『フランケン
シュタイ ン』とい う二つのテ クス トの関係 に新 しい光 を当てることに成功 してい る。
ホ ッグの 『義認 され た罪人 の回想 と告 白』 (
1
82
4年) は罪人 の手記,及びその編者 の叙述 とい う二重 の構成 を とってい る
が,その二つの記述 の間には重大な点でい くつかの矛盾 があ り,読者 はそれ らの背後 にあるはずの絶対的な真実にた どり着
くことを許 され ない。主人公 にま とわ りつ く ドッベル ゲ ンガ-の存在 もそれが超 自然的な存在 なのか,あるいは彼 の妄想 の
産物, とい う合理的な説 明がつ くものなのか,明確 な答 えは得 られない。 1
82
0年代 に入 る とゴシ ック小説 も下火 にな り, リ
ア リズムに則 った ノヴェルの勢力が圧倒 的になっていたのたが, このよ うに暖昧性 に満 ち,単一的な解釈 の不可能性 を大胆
な形 で提示 した 『義認 された罪人』を, ノヴェル の固定化 した規範 を根底か ら覆そ うとした試 み ととらえる論者 の見方 は納
得できるものである。
エ ミリー ・ブ ロンテの 『嵐が丘』 (
1
847
年) もここで取 り上げ られ る他 の小説 同様 に分裂 し矛盾 を孝むテ クス トであるが,
その分裂 の根本 に横 山氏は主人公 のキャサ リン とヒースク リフが持っ欲望の膝胎す る矛盾 がある, と考 える。激 しく惹かれ
あ う主人公 たちは幼い頃二人で共用 していた箱寝台を失われた楽園 として希求す るが,彼等は同時にこの欲望 を退 けねばな
らない。 この分裂が生 じるのは, しば しば持 ち出 され る近親相姦 のタブー とは関係 な く,二人が生殖 ・再生産 のシステムに
参入す ることを拒むか らだ と氏は結論す る。 この議論 自体 はい ささか強引であるよ うに思われ るが,その点 を除けば,氏の
『嵐が丘』論 は綿密 な読み に基づいた鋭 いテ クス トの分析 か ら成 り,それは,例 えば,内部 (
箱寝台) と外部 (ヒースク リ
フ との遊び場であった荒野)の対立に象徴 され るキャサ リンの願望の分裂 と,それ に呼応す るヒースク リフの欲望の分裂が
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テ クス ト内でイ メージや比愉表現 によって如何 に連結 され てい るかを鮮やかに解 き明か してい る。
想像力の支配す るロマ ンスに強 く惹かれ る傾 向があったシャー ロッ ト・ブ ロンテの作家活動 は,ますます支配的になるノ
ヴェルの リア リズム との葛藤 の歴史であった。横 山氏 によれ ば,そのせ めぎ合いは作者 が生前最後 に発表 した 『ヴィ レッ ト』
(
1
853年) に於いて もっ とも明瞭な形 で現 出す る。想像力 と理性 の相克 に苦 しむ主人公ルー シイ ・スノーは作者 の 自画像 に
他 な らず,表面的には リア リズム路線 に乗 りなが ら,亡霊や阿片夢 といった非 リア リズム的要素が奇妙 に混入す るこの小説
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の一つの極 限を示す ものだ とす る氏の見解 には説得力 がある。 ただ,同 じ作者 の 『ジェイ ン ・エア』に於
いては同様 の葛藤 が調和の とれた形で現れ てい る, とす る氏の叙述 に今ひ とつ具体性 がないのは惜 しまれ る点である。
いわゆるr
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が様 々に分裂す るベ ク トル を内包 し,横 山氏の言 う 「
異形 のテ クス ト」 を提示す る, とい うテー
ゼ 自体 は独創 的な ものではない。 しか し,本論 の眼 目は これ らの一群 の小説 に関す る一般論 にあるのではな く,その長所 は
取 り上 げ られた個 々の作品に対す る読みの深 さにある。特 に 『嵐が丘』論 は出色 の ものであった。
以上審査 した ところによ り,本論文は博士 (
文学) の学位論文 として価値 あるもの と認 め られ る。 1
998年 4月21日,調査
委員 3名が論文 内容 とそれ に関連 した事柄 について 口頭試 問を行 った結果 ,合格 と認 めた。
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