260 - 公益財団法人滋賀県文化財保護協会

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第 2函
刻印の拓本
3
L 近世陶器の刻印について
江戸時代に京焼は全国の窯業のリーダーとして大き
な影響力を持っていたと考えられる。そのことは、 1
7
滋賀県で発掘調査された近世窯跡は 4基であるが、
世紀前半には唐津焼を作っていた九州肥前の地におい
3)その中で刻印を持つ胸片が出土した窯跡は石
塔窯 1恭のみである。
7
1い段階で出現し
て京焼の影響を受けた京焼風締器が1
rに所在
また、滋賀県に隣接する三重県阿山郡阿山 m
たことや、 1
8世紀後半に小物生産を始める信楽焼の製
する伊賀弥助窯は平成 6年と 7年の 2ヶ年にわたって
品の多く(特に碗・血類)が京焼の形や文様を真似し
発掘調査が行われたが、出土した行平、両手鍋には「い
ていることからも分かる
かJ1
いかやさ J1
伊翼」等の刻印がある。
石塔窯の製品(土瓶・土鍋・碗・皿等)は当時 (
1
8
世紀末)の京焼の製品と形はよく似ている。京焼では、
滋賀県内の焼物で刻印を持つものとしては草津市の
姥餅焼、大津市の門平焼、梅林焼等がある。しかし、
刻印を押す流行が再興していたので、石塔窯において
弥助窯をふくめ何れも年代の確実な資料は 1
9世紀代の
ものである。
も、すぐ取り入れたのだろう。
石塔窯 L
H二!二製品は、
しかし、江戸で出土する産地不明のソロバン玉型土
瓶の中に形や文様が石塔窯そっくりのものがあること
1.立ち上がりの高い灯明盟受、
2
. 行平土鍋がまだ出現しない、 3
. ソロパン型土瓶
や、灯明 ]Uや灯明肌受けにも似たものがあることは、
工戸では 1
8
世紀末から 1
9世紀初頭に
の同形の土瓶が、 t
この時期、特定の掬器の形や意匠は全国的に流行し、
は出土している等の特徴から刻印を持つ焼物としては
各地で同じような製品が作られた始めた可能性がある
滋賀県でも時代の古い 1
8世紀末から 1
9世紀初頭の時期
ことを表してはいないだろうか。
1
9世紀前半になると東北の相馬焼でイ言楽焼の文様を
のものと推定される。
遷しているかを調べてみると、最も古いものとしては、
真似たり、瀬戸で肥前の染付磁器の文様を陶器に移し
たりと産地問で、製品の模散が盛んに行われるようにな
1
7世紀はじめに湖る「焼塩壷(ミなと藤左エ門の刻印
るが、石塔窯はそれに先んじて京焼の流行を取り入れ
が残されるもの)や「楽茶碗Jがあげられる。
ようとした先進的な窯.元であったと考えられる。
それでは、全国的に刻印を持つ焼物がどのように変
(財団法人滋賀県文化財保護協会稲垣正宏)
石塔窯との関係があると思われる京焼および京焼系
の製品の刻印については鈴木諮子氏の報告が参考にな
る。(註 4)それによると立戸遺跡出土の刻印を持つ京
焼で最も古いものは 1
6
4
7年に開窯した野々村仁詩の御
設
1
. ['竹ノ鼻遺跡一蒲生郡蒲生町石塔滋賀県教育委員会
室窯で作られた「仁清J印をもっ碗で1
6
6
0年代の遺構
から出土する。
財団法人滋袈県文化財保護協会平成 10年12月
2
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漆
原
、 C遺跡発掘調査報告書j信楽町教育委員会 平成
6fド3月
1
6
8
0年代から 1
8世紀初頭になると刻印を持つ京焼は
岩倉J1
1
青水J1
清
急激に増える。刻印には「栗田口 J1
閑寺 J1
御菩薩J等地名が多い。
3. 上記 2報告書に記載された 2窯以外に、今津茶碗山窯
と架東地山古墳窯がありそれぞれ報告がされている。
また、京焼の影響を受けて成立したと考えられる肥
前産京焼風陶器は、
今津 r
u
r教育委員会 1998. 3
1青水Jの刻印を持つ碗が1650年代
・H993年 茂 栗 東 I
I
I
J
埋蔵文化財調査年報j財団法人栗東
の後半には出土しているが、やはり、 1
6
8
0年代から 1
8
町文化体育振興事業団
世紀初頭になると刻印を持つ碗の出土が増える。刻印
清水J1
木下弥 J1
小松吉J1
森 J1
柴J1
富永 J等
には f
人名が多くこれが京焼との違いである。
1
9
9
4
.3
4
. 鈴木荷予「京焼出土資料の変遷-17、1
8
世紀の江戸を
中心に-J
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9
9徳島城下町研究会 京焼一消費地出土の様
相J関西近世考古学研究会
の実Ij印を持つ比良焼の碗はその形状からいっ
「比良J
て1
8世紀前半の生産品と推定され、県内産の焼物とし
ては 1
8佐紀初めの京焼との註接関係を持つする唯一の
例といえるが、窯跡も確認されておらず怯世品も僅か
で実体には不明な点が多い。
刻印を持つ京焼は 1
8佐紀中頃になると生産が少なく
なるが、 1
8世紀の第 4四半期になると再び増加する。
刻印には「京 J1
岩倉 L
l
LJ1
錦光 L
U
J1
洛東山 J1
周平」
「道八J等地名と人名があわせて見られる。
まさに、この時期jに石塔窯が禄勤し始めた可能性が
高い。
4
考古フォーラムくらもと