上原記念生命科学財団研究報告集, 27 (2013) 119. 概日時計機構の破綻と老化進行の分子連関 中畑 泰和 奈良先端科学技術大学院大学 バイオサイエンス研究科 遺伝子発現制御研究室 Key words:概日時計,NAD+代謝 緒 言 近い将来間違いなく世界レベルで迎えることになる少子・高齢化社会を前に,老化という現象を分子,そしてシステ ムとして理解することは非常に重要であり,いま老化研究が医学・生命科学研究者が取り組むべき最重要分野のひとつ であることは議論の余地がないところである.近年の分子生物学・細胞生物学的手法を用いた老化研究は,非常に多岐 にわたる分子が細胞・個体レベルで老化現象に関わっていることを明らかにした.そのなかで近年,NAD+依存性脱ア セチル化酵素 Sirtuin ファミリーが酵母,ショウジョウバエなどの下等動物で寿命制御に重要な役割を果たしているこ とが報告されて以来,爆発的に研究が進められ,Sirtuin による標的分子群の脱アセチル化制御が老化や代謝制御に非 常に重要な役割を果たしていることが明らかになってきた 1). 一方で近年,概日時計は睡眠・覚醒リズムを支配するだけの機構ではなく,概日時計の破綻が糖代謝や脂質代謝異常 などの代謝性疾患や早老など種々の老化関連疾患を引き起こすことが明らかになり,生体機能全体を統合させる機構/ システムとして働いていることが示唆されている 2).また,概日時計遺伝子の周期的発現は,加齢によりその振幅の減 少および周期延長が生体レベル(個体老化),さらには細胞レベル(細胞老化)で確認されている.しかし,概日時計 と老化の分子レベルでの関連性はほとんど解明されていない. そこでわれわれは,概日時計異常による老化進行や老化関連疾患の発症メカニズムの解明に挑戦している.特に,こ れまでわれわれが明らかにしてきた概日時計による NAD+/SIRT1 制御 3-5)が老化や老化関連疾患の発症メカニズムに 関与しているかを明らかにすべく研究を行っている.これまでに,細胞内 NAD+合成経路の律速酵素である NAMPT を全身で高発現するトランスジェニック(Tg)マウスを作製した.この Tg マウスを用いて概日 NAD+変動と老化関 連疾患発症の関連性について検証した. 方法、結果および考察 これまでの研究で,細胞内 NAD+量の減少および SIRT1 活性上昇/減少により周期的に発現変動する概日時計遺伝子 の振幅が変化することを報告している 3-5).また NAMPT を全身で高発現する Nampt 高発現 Tg マウスは,対照野生 型マウスに比して NAMPT タンパク質量が2倍程度上昇しており,NAD+量も2〜3倍程度上昇していることを調べ た全ての臓器で確認している.すなわち,Nampt 高発現 Tg マウスは概日時計機構に異常がある可能性が考えられた. そこでまず,Nampt 高発現 Tg マウスの概日行動リズムを赤外線を用いて測定した.その結果 Tg マウスの行動リズム は,12 時間周期の明暗周期下(LD)はもちろん,恒暗条件下(DD)でも同腹仔野性型マウスの概日行動リズムと差 異を見出だすことはできなかった(図 1).この結果は,Nampt 高発現 Tg マウスは少なくとも行動リズムに異常を示 すほどの概日時計異常は起こっていないことを示している.今後,Nampt 高発現 Tg マウスの臓器での時計遺伝子発 現変動を検証することで,どの程度概日時計遺伝子の発現に異常があるかを明らかにする. 1 図 1. Nampt 高発現マウスの行動リズム. Nampt 高発現マウス(Tg)および同腹仔野生型マウス(Wt)の行動パターンを赤外線により測定した結果, 概日行動周期に差異は見られなかった.LD;明暗(12hr:12hr),DD;恒暗条件. 次に,概日 NAD +変動と代謝性疾患の関連性を調べるために,個体レベルでの脂肪蓄積(肥満)について検証した. 具体的には各マウスの体重を毎週測定した.通常食では,Tg および野生型マウスで体重変動に違いは見られなかっ た.しかし,高脂肪食(D12492;Research Diets 社)を与えた条件では,雄でのみ Tg マウスの体重増加が同腹仔野 性型マウスの体重増加に比べて抑制されていた(図 2).この結果は,細胞内 NAD+量と脂肪蓄積(肥満)に負の相関 があることを示唆している.これまでの報告で,SIRT1 高発現 Tg マウスは高脂肪食による体重増加を抑制することが 報告されている 6).しかし今回のわれわれの結果は,過去の論文で報告されている以上に体重増加を抑制している.す なわち,NAD+増加が SIRT1 活性の上昇のみならず他の Sirtuin ファミリーや NAD+依存性酵素活性上昇を引き起こ し,相加相乗的に体重増加を抑制している可能性を示している.今後,Nampt 高発現 Tg マウス肝臓,骨格筋,脂肪 細胞での糖・脂質代謝調節について研究を続け,概日 NAD+変動と糖・脂質代謝の関連性を明らかにし,脂肪蓄積の分子 メカニズムを明らかにする. 2 図 2. 高脂肪食による体重増加比較. Nampt 高発現 Tg マウス(♂;青丸,♀;赤丸)および同腹仔野生型マウス(♂;青丸白抜き,♀赤丸白抜き) の各週齢での体重を比較したところ,Tg マウス(♂)は野性型マウス(♂)に比べ体重増加が抑制された.♀ では遺伝子型による違いは見られなかった.高脂肪食は生後8週齢より与え始めた.各1匹のデータを示して いる. 上記研究と平行して,Nampt 高発現 Tg マウス胚由来初代線維芽(MEF)細胞を用いて NAD+量と細胞老化の関連 性についても検証を行った.その結果,Tg-MEF 細胞は細胞老化を引き起こすまでの細胞継代数が対照野生型初代 (Wt-)MEF 細胞のそれよりも多いことが明らかになった(図 3A).Tg-MEF 細胞が示す細胞老化遅延を確認するため に,細胞老化マーカーのひとつである senescence-associated-β-galactosidase(SA-β-gal)酵素活性を同継代数(8 回)の Wt-および Tg-MEF 細胞で調べた.その結果,Wt-MEF 細胞では 33%の細胞が SA-β-gal 陽性であったのに対 して Tg-MEF 細胞は 3.7%の細胞のみが SA-β-gal 陽性であった(図 3B, C).これらの結果は細胞内 NAD+の増加によ り細胞老化の遅延が引き起こされていることを示唆している.今後, 細胞老化マーカー遺伝子などの発現を調べるこ とで Tg-MEF 細胞が細胞老化に抵抗性を示しているかを確認し,抵抗性を惹起している分子メカニズムおよび概日 NAD+変動と細胞老化進行の関連性を明らかにしていく. 3 図 3. Nampt 高発現 Tg および野生型マウス胚由来初代線維芽細胞の細胞老化比較. (A)Nampt 高発現 Tg および野生型(Wt)マウス胚由来初代線維芽細胞の増殖能を調べた結果,Tg-MEF 細胞 は Wt-MEF 細胞に比べ細胞老化を起こすまでの継代数が伸びた.(B)継代回数8での senescence-associatedβ-galactosidase(SA-gal)活性を X-gal 染色により調べた写真.Scale bar : 100μm.(C) (B)の SA-gal 陽性細 胞の割合を定量化した. 共同研究者 本研究の共同研究者は,奈良先端科学技術大学院大学バイオサイエンス研究科の松井貴輝助教,別所康全教授である. 文 献 1) Schwer, B. & Verdin, E. : Conserved metabolic regulatory functions of sirtuins. Cell Metab., 7 : 104-112, 2008. 2) Green, C. B., Takahashi, J. S. & Bass, J. : The meter of metabolism. Cell, 134 : 728-742, 2008. 3) Nakahata, Y., Kaluzova, M., Grimaldi, B., Sahar, S., Hirayama, J., Chen, D., Guarente, L. P. & Sassone-Corsi, P. : The NAD+-dependent deacetylase SIRT1 modulates CLOCK-mediated chromatin remodeling and circadian control. Cell, 134 : 329-340, 2008. 4) Nakahata, Y., Sahar, S., Astarita, G., Kaluzova, M. & Sassone-Corsi, P. : Circadian control of the NAD+ salvage pathway by CLOCK-SIRT1. Science, 324 : 654-657, 2009. 5) Bellet, M. M., Nakahata, Y., Boudjelal, M., Watts, E., Mossakowska, D. E., Edwards, K. A., Cervantes, M., Astarita, G., Loh, C., Ellis, J. L., Vlasuk, G. P. & Sassone-Corsi, P. : Pharmacological modulation of circadian rhythms by synthetic activators of the deacetylase SIRT1. Proc. Natl. Acad. Sci. U.S.A., 110 : 3333-3338, 2013. 6) Ramsey, K. M., Mills, K. F., Satoh, A. & Imai, S. : Age-associated loss of Sirt1-mediated enhancement of glucose-stimulated insulin secretion in beta cell-specific Sirt1-overexpressing (BESTO) mice. Aging Cell, 7 : 78-88, 2008. 4
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