印度學 佛教學研究第37巻 第1號 昭和63年12月 原 始 仏 教 呼 吸 法 の 独 自性 -anapanasati 竹 に つ い て- 内 良 英 原始 仏 教 に お い て瞑 想 の問 題 を扱 う場 合, 呼 吸 法 を取 り上 げ ず して, これ を論 ず る こ とは で きな い。 仏 陀成 道 以前 の苦 行 を語 る 中 に 「口及 び 鼻 か らの入 息 出息 を 阻 止 」 す るappanakajhana 即 ち無 息 禅 とい う苦 行 が 数 回繰 り返 され てい るが, 「耳 孔 か ら 出 る 風 に物 凄 い音 が あ つた 」, 「物 凄 い風 が 頭 を 乱 した 」, 「物 凄 い 頭 痛 が 頭 に 起 こ つた」, 「腹 を 物 凄 い 風 が 切 開 した 」, 「身 体 に物 凄 い 熱 が 生 じた 」 とい う具 合 い に 様 々 な 苦 痛 を 体験 した の み で, 結 局 何 も得 られ なか つた とい う(MN. 1. pP. 243-244)。 先 ず 以 て仏 陀 は, 呼 吸 を停 止 す る とい う行 法 は, 否 定 した の であ る。 原姶 仏 典 の 中 に, 我 々 は しば しば, anapanasati に つ い て の記 述 を見 出す。 「息 を 吸 つた り吐 い た りす る こ と」(anapana, 入息出息)に 精 神 を 集 中す る のが anapapasati で あ り, 「比 丘 は森 林 に行 つた り木 の根 元 に 行 つた り空屋 に赴 い た り し て 結跡 し, 身 体 を正 し く置 い て念 を 前面 に現 前 せ しめ て坐 す。 か れ は正 念 に し て息 を 吸 い, 正 念 に して 息 を 吐 く。長 く息 を吸 いつ つ 『私 は長 く息 を 吸 う』 と知 り, また, 長 く息 を 吐 きつ つ 『私 は長 く息 を 吐 く』 と知 る。 短 く息 を 吸 い つ つ 『私 は 短 く息 を 吸 う』 と知 り, また, 短 く息 を 吐 きつ つ 『私 は短 く息 を 吐 く』 と知 る。 『全 身 を 感 受 し て私 は 息 を 吸 お う』 と訓 練 し, 『全 身 を感 受 して私 は息 を 吐 こ う』 と訓練 す る。 『身 行 を 鎮 め つ つ 私 は 息 を 吸 お う』 と訓 練 し, 『身 行 を 鎮 め つ つ 私 は 息 を 吐 こ う』 と訓 練す る」(DN. II. P. 291, etc.) と言 わ れ, これ ら四 事 に 加 え て 「『喜 び を 感 受 して 私 は 息 を 吸 お う』 と訓 練 し, 『喜 び を感 受 して私 は息 を吐 こ う』 と訓 練 す る。 『楽 を 感 受 して 私 は 息 を 吸 お う』 と訓 練 し, 『楽 を 感 受 し て私 は 息を吐 の感 受?心 う』 と訓 練 す る」 とい う具 合 い に, 順 次, 心 行 の感 受 ・心 行 の鎮 静 ・心 の喜 悦 ・心 の統 一 ・心 の解 脱 ・無 常 の観 察 ・離 欲 の観 察 ・滅 の観 察 ・ 捨 離 の観 察 を な しつ つ 入 息 出息 を 行 う旨を 説 く経 典 もあ る(MN. anapanasati の初 め の 四 つ の 行法(四 事)は, して身 体 を 観 察 し て住 す るか 」(DN. 1. p. 425, etc.)。 「どの よ うに して比 丘 は身 体 に 対 II. p. 291)と い う疑 問 に対 す る答 え と して 述 べ られ, 四 念処 の 中 の 身 念処 修 習 の た め に 行 わ れ た とい うこ とが わ か る。 そ し -436- (78) 原始 仏 教 呼 吸 法 の独 自性(竹 内) て, 四事 を伴 つた 身 至念 の結 果, 「彼 の 世 俗 的 な 念 と思 惟 とが 捨 断 さ れ, そ れ ら の捨 断 に 基 づ き, 実 に, 内 な る心 が安 定 し, 静 か に な り, 一 点 に集 中 し, 統 一 さ れ る」(MN. III. p. 89)と 述 べ られ る。 最 初 の 四事 が 身 至 念 のた め で あ る の と 同 様, 第 五 事 か ら第 八 事 ま で は受 念 処, 第 九 事 か ら第 十 二 事 ま では 心 念 処, 第 十 三 事 か ら第 十 六 事 ま で は法 念 処 の修 習 のた め に行 わ れ(MN. III. pp. 84-85), 息 出 息念 が行 わ れ, ……多 く行 わ れ た ら, 四 念 処 を 完 成 〔で きる 〕」(MN. 「入 III. p. 85, etc.), さ らに, 「入 息 出息 念 が 行 わ れ, 多 く行 わ れ た ら, 四 念 処 を 完 成 〔で き る〕。四 念 処 が 行 わ れ, 多 く行 われ た ら, 七 覚 支 を完 成 〔で き る〕。七 覚 支 が 行 わ れ, 多 く行 わ れ た ら, 明 と解 脱 とを 完 成 〔で き る〕」(MN. も言 わ れ, III. p. 82, etc.)と こ こに は, 四念 処 ・七 覚 支 を 介 在 させ て 明 ・解 脱 へ とつ なが る図 式 が 成 立 して い る。 また, anapanasati を 行 い つ つ 七 覚 支 を 修 習 す れ ば 「二 果 の うち の 一方 の果, 即 ち現 法 に お い て な らば完 全 智 が, 有余 に お い て な らば 不 還 果 が 期 待 さ るべ き で あ る」, とか, 大 利 益 ・大 安 穏 ・大 楽 住 に 導 く, とい つ た 種 々 の 効 果 も述 べ られ る(SN. anapanasati V. pp. 129-132)。 は 四 念 処 か ら七 覚 支, 明 ・解 脱 へ とい う行 程 の出 発 点 に あ つて 最 終 的 に は多 大 な る効 果 を も た らす, とい う図式 の ほ か に, 様 々な 効 果 が 随 所 に説 か れ る。 「五 っ の事 を 完 全 に達 成 した比 丘 は, 入 息 出息 念 を行 え ば 久 しか らず し て不 動 を理 解 す る」(AN. p.449), III. p. 120)と か, 「心 の散 乱 の捨 断 の た め」(AN. 「思 惟 を断 絶 す る た め」(AN. III. IV. P. 353)に 入 息 出息 念 が 行 わ れ るべ き で あ る とさ れ, また, 「入 息 出息 念 を 修 習 し, ……多 く行 つ た者 に は, そ の 最 後 の 入 息 出 息 は認 識 され て滅 せ られ る。 認識 され ず に 〔 滅 せ られ る〕 の で は な い」 (MN. 1. pp. 425-426)と もあ り, 病 に 苦 しむ 比 丘 にanapanasati 説 い て 病 が 癒 え た, とい う話(AN. さて, 相 応 部 Anapanasamnyutta V. Pp. 108-112)も を含 む 十 想 を あ る。 に は, 「現 法 にお い て 〔 煩 悩 を 〕 打 ち 破 つて 完 全 智 を 完 成 す る。 若 し現 法 に お い て 完 全智 を完 成 しな けれ ば死 の時 に完 全 智 を 完 成す る。 若 し死 の 時 に 完 全 智 を 完 成 しなけ れ ば 五 下 分 結 の 滅 尽 に よ っ て 中 有 に て 般 浬 桀 す る。 色界 に 生 まれ てす ぐに般 浬 葉 す る。 色 界 に生 まれ, 修 行 な くし て 般浬 繋 す る。 色界 に 生 まれ, 長 い修 行 の の ち に般 浬 架 す る。 上 流 とな り色 究 寛 天 に 至 る。 ……入 息 出 息 念 が 行 われ る こ とに よ り, ……多 く行 わ れ る こ とに よ り, これ ら七 果 即 ち 七 功 徳 が期 待 され る 」(SN. dhiと 結 び付 い て, anapanasati-samadhi V. p. 314)と あ る ほか, 特 にsamaつ ま り入 息 出息 念 定 と して登 場 し, 多 大 な る効 果 が 説 か れ る。 「入 息 出 息念 定 が行 わ れ, ……多 く行 わ れ た ら, 実 に, 身 -435- 原 始 仏 教 呼 吸 法 の 独 自性(竹 内) 体 の動 揺 も震 え もな く, 心 の動 揺 も震 え もな い」(SN. (79) V. p. 316), 「入 息 出 息念 定 が 行 わ れ, 多 く行 わ れ た ら, 実 に, 寂 静 ・妙勝 ・純 粋 ・楽住 で あ り, 悪 し き不 善 な る こ とが 生 起 す るた び に た ち まち 〔それ を 〕滅 し鎮 め る」(SN. V. p. 321), 「入 息 出息 念 定 が 行 わ れ, 多 く行 わ れ た な らば, 諸 漏 の滅 尽 に導 く。 ……阿 羅 漢 とな つて 諸 漏 の 滅尽 を 完成 し, 行 うべ き こ とを行 つて重 荷 を降 ろ し, 理 想 に到 達 し, 有 結 を 滅尽 し, 正 しい完 全智 を獲 得 して解 脱 した 比 丘 達 の入 息 出息 念 定 が 行 わ れ, 多 く行 われ た ら, 実 に現 法 に おい て楽 住 ・正 念 ・正 知 に導 く」(SN. V. p. 326)と 説 か れ, 聖住 ・梵 庄 ・如 来住 とは 入息 出息 念 定 の こ とで あ る と も述 べ られ て い る(SN. V. P. 314)。 この ほか, 結 の捨 断 ・随 眠 の 根 絶 ・時 間 の遍 知 ・諸 漏 の滅 尽 に 導 く と も説 かれ て い る(SN. 以 上 の よ うに, anapanasati V. p. 340)。 若 し くは anapanasatisamadhi に は, 解 脱 に か か わ る実 に 多 くの効 果 ・功 徳 が期 待 され て いた。 我 々 は, Anapanasalnyutta て 来 る次 の よ うな記 述 か ら, anapanasatisamadhi に出 が仏 陀 の成 道 に至 る過 程 に お い て, 大 き く貢 献 して い た で あ ろ うこ とを予 測 で きる。 そ れ は, 「入 息 出 息 念 定 が 行 わ れ, ……多 く行 われ た ら, 大 果, 大 功 徳 が あ る。 ……実 に私 も正 覚 以 前 に 現 等 覚 な き菩薩 で あ つた時 に, この住 に よつ て多 く住 して い た の で, 実 に, 身 体 は 疲 れ ず 眼 も疲 れ な か った。 そ して, 私 に は執 着 が 無 く無 漏 に よ つて 心 は解 脱 し た 」(SN. V. p. 317)と い う仏 陀 自身 の 言葉 で あ る。 この あ とに, い わ ゆ る九 次 第 定 を 達 成 した けれ ば 入 息 出 息念 定 を行 う よ うに, と説 か れ て, そ れ は一 層強 調 され て い る。仏 陀 は しば しば比 丘達 に 入息 出息 念 定 を 勧 め, 自 ら も入 息 出息 念 定 を 行 つて三 か 月 の 雨 安 居 の期 間 を過 した(SN. V. p. 326)と い う逸 話 もあ る。仏 陀 とそ の弟 子達 に と つて 入 息 出 息念 定 が 極 め て重 要 な行 法 と して 実 践 され て い た こ とは 間違 い な い で あ ろ う。原始 仏 教 で は, 呼 吸 に人 為 を 加 え る こ とな く自然 な 状 態 で 出 し入れ し, 思 念 を 集 中 し, 繰 り返 し行 うこ とに よつて 真 理 を 体 得す る こ とが で き, 多 大 な る功 徳 へ と導 い た。 外 界 か ら身 体 内部 へ, そ し て再 び 外 界 へ と い う, 単 調 で はあ るが 無 理 の な い 呼 吸 とい う身 近 な 現 象 を捉 え て, 真 理 の獲 得 と 結 び 付 け, 仏 陀 の悟 りの追 体 験 と再 認識 の た め の 行法 に ま で高 め た と ころ に, 我 々 は原 始 仏 教 の呼 吸 法 の独 自性 を 見 出す こ とが で き よ う。 <キ ー ワー ド>原 始 仏教 の 呼 吸 法, anapanasati, 入 息 出 息 念, 無 息 禅 (愛知 学 院 大 学 大 学 院) -434-
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